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作者: 沖房 甍
厄介払い
 白い波頭のうねりが絶え間なく押し寄せる日本海を横目に、延々と続く砂浜を走る一団があった。

 数十人規模にも上るその大半はランニングに適したスポーツウェアにスニーカーといった服装だが、中には珍妙な仮装に身を包んだ者も少なく無く、そうした者は時折派手に動き回っては自由気ままなパフォーマンスも披露している。遠目から見れば地元の学生が悪ふざけしている様にしか見えないだろう。だがつぶさに観察してみるとその面々は老若男女実に様々で、特に一貫した共通点を持つ集団ともまた考えにくい。そして共通して皆その手に多種多様なトーチを掲げており、先端には赤々と炎も灯されていた。
 トーチはお手製だろうか、炎の維持にえらく苦労している者もいれば逆に激しく燃え上がる炎で瞬く間にトーチを焼き尽くして脱落していく者もいる。数㎞にも亘って一直線に続く砂浜という事もあり全員向かっている方向こそ同じだが、決して足並み揃えて……といった様子ではなく、どちらかと言えば各々勝手に走っているといった印象。お世辞にも統制の取れた集団には見えない。各個がそんな調子だから当然一団と言えども群れ固まって走れるわけがない。結果的にそれは密集ではない程よい距離感を形成しているのである。
 しばらく進んだところで彼らを待つ数人のランナーが立っていた。走ってきた集団の内の何人かが合流と同時に彼等にトーチを渡し、交代する形で集団から離脱していく。それが三々五々、法則も何もなく行われているものだから、その点でもやはり統率などといったものはまるで感じない。自由意志を持つ個人の集団……といった表現が適切だろうか、ともかくそうとしか喩え様が無いのだ。


 ……ただ一つ分かっている事がある、それは彼らが行っているのがトーチを介したリレーであるという事だった。


 石川県は千里浜海岸……自動車での乗り入れも可能な砂浜は、今日はこの奇妙な走者集団に占拠されているかの様相を呈している。その光景を少し小高い場所から不破は眺めていた。もちろん休暇の観光などではない。彼がこの地に赴いたのは取材のため、しかも対象はこの奇妙な集団……正確には彼らが推し進めるとあるムーブメントを取材するためであった。

 不破の脳裏にここに至るまでの経緯が過る……。



 嘉納の件の取材打ち切りから一週間ほど経って、不破は編集部に呼び出されていた。

「お前ぇ、ちょっとこっちの記事書いてみる気は無ぇか?」

 馬場園は無造作に走り書きのメモを放ってよこす。まだわだかまりの抜けきらぬといった顔で不破はそのメモを拾い上げた。

「………裏聖火リレー? ……SNS発信からの自主開催……一体何ですかね、これは?」

 少しばかり憤りを含んだ口ぶりで走り書きをピックアップする不破。正直今は聖火だの嘉納だのといったワードを耳にするのが不快だったこともあり気分が逆なでされる思いだ。

「裏とは名乗っているが本家オリンピックとは無関係の別モンだ。何でもネットから火が点いた有志による全国的なイベントらしい」

 相手のそうした苛立ちを知ってか知らずか……否、重々承知した上で……なのだろうが、馬場園は不破から目を逸らしたまま話を続ける。

「俺ぁネットの事は良く分かんねぇが……まぁ渋谷のハロウィンみたいなもんだろ。どうだよ、ちっと面白おかしそうな臭いがしねぇか?」

 下卑た薄笑いを浮かべた馬場園は格好のネタを見つけたとばかりに指を宙で躍らせている。

「………で?」

 何をかいわんやと言った調子で不破が問い直した。あまりロクな話では無い予感がする。

「おお……それでよ、ちょっくら誰かに行ってもらいたいところなんだが、公なコミュニティーじゃあ無ぇから実態が掴みづらくてな。そんなネタに時間がどれだけ割けるか分からねぇ」

 わざとらしく困り果てたといった素振りをする馬場園。そういう事か、と不破は眉をひそめた。

「どうせ暇を持て余してんだろ? 聖火つながりってことでそれ追ってみたらどうだよ、え?」

 どうやら当座の仕事を回して先の不破への理不尽な処分を帳消しにしたいという意図があるのだろう。本人はそれで上司の懐深さを見せているつもりなのだろうが、そうした見え透いた腹芸が不破の機嫌を一層悪化させている事には恐らく気付いていまい。

「ほぉ~お? それが暇をくれた張本人の吐くセリフですかね?」
「……あぁ? 何を突っかかってんだ、不服か?」

 とうとう皮肉を露わにした不破の態度に、今度は馬場園の方がカチンときたらしい。毎度のことながら不穏な空気を感じた編集部の面々は例のごとく遠巻きに静観を決め込んでいる。状況は一触即発……外野から場を和まそうと口を開きかけた高藤を鮫島と尾上が寸でのところで押さえつけた。

「いーからつべこべ言わず行ってきやがれ。通いでも、何なら密着でも構わねぇぞ? 豪遊は許さねぇが宿代程度なら出してやる」
「……厄介払いかよ」
「どーとでも取れ」

 まるで開き直ったかの様な馬場園の物言いを冷ややかに不破が見下す構図。すっかり険悪な状況だが、その後数分間の睨み合いの末最終的に不破はこれを承諾することにした。彼としても今は少し日常から距離を置きたい気分だったのだ。それが収入を伴う形で叶うのならば別に拒否する理由は無い。


 帰りがけ、不破は松原の入院する病院に足を向けた。見舞いが目的ではなかった。そこに行けば恐らくは牧がいるであろうことを推し量っての事である。案の定、今日も彼女は患者に付き添っていた。
 ICUから一般病棟へと移され、救急で運ばれた直後は物々しく取り付けられたベッド脇の機器も今は無い。ナースセンターで聞いた話では松原の意識は戻りつつあるが未だに混濁した状態にあるという。それでも傷も含めて回復に向かっているのは幸いと言えるだろう。
 だが、一方で牧の心の傷の方は相変わらずの様子だった。不破は彼女に仕事の件を告げると「そうですか」とだけ返してきた。よくよく考えると牧を同行させる仕事ではないし報告義務があるわけでないのも分かっていたのだが、現状これが病室を訪れる唯一の口実だったのだ。

「……私は……もうしばらく彼を看ています」

 独り言のように牧が呟く。彼女の言う「しばらく」が今日一日の中での時間を指したものではなく、もっと長期的な意味であることはその沈鬱な口ぶりから察して取れる。更に不破が病室を後にする際にも、消え入りそうな声で彼女は呟いた。

「……それが今、私のすべき事……ですから……」

 それがどこまで彼女の自発的な意思なのかを知ることは出来ないが、その意思が容易に変わらない事だけは理解できる。……結局最後まで牧が不破に顔を向ける事は無かった。
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