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作者: 沖房 甍
追跡戦
 不破のインタビュー記事が出てから、嘉納の犯行には僅かな変化が起きていた。標的のコースを狙って出現する点に関してはこれまでと変わらないが、これ見よがしな妨害行為で存在をアピールする事は少なくなり、自身の存在を示すのみに止まるようになったのである。それでも目撃談やそれを捉えた画像、映像として犯行は記録され、拡散されてゆく……効果としてはもうそれで十分だったのだ。
 この変化を受けて世間では犯行がよりシステマチックになったためだの、効率化を図ってそうなっただのと憶測も飛んでいるが、そこに何らかの心境の変化があった事を示唆する者はまだ少ない。今回もまた突如現れた嘉納は標的となる走者の目の前に姿を見せただけで即座に撤退する。

「あ、逃げるよ牧さん!」
「逃がすもんですか、本番はここからよ! 見てなさい、アイツの逃げる先を突き止めてやるんだから!!」
「逃げる先……って、一体何を?」
「決まってるでしょ、そこで待機しているはずのアイツの仲間、よ!」

 牧の目的は逃走後の嘉納の行方にあった。構えた超望遠を走り去る嘉納に合わせ、サブの広角ズームを併用して周囲を把握しながら追跡、ファインダーに補足する先からばしばしとシャッターを切り落としてゆく。路地に入り込むと姿を捉えられなくなるが、相手の速度を計算して再出現ポイントを予測することで撒かれないよう対応していた。

「……凄い……!」

 思わず松原が驚嘆の声を上げる。牧とて素人ではない。元々然るべき場所で教えも受けているし、仕事の場で経験値も積んでいる。それに加えて執念と集中力の為せる業であろう……、今日の彼女の目は猛禽類の様に獲物を逃がさない!
 やがて二区画も離れるとさすがに補足しづらい死角が増えてきた。牧は望遠をあっさり放棄し、今度は取り回しの利くサブのカメラをメインに切り替えた。広角レンズを中望遠レンズに付け替えると相手の走り去る方角へと移動、松原も担げるだけの機材を担ぎそれを追う。再び嘉納の姿を捉える牧。だがその視界では思っても見なかった光景が展開されていた……。

「!?」

 異変は相手が商業ビルに挟まれた駐車場に差し掛かったところで発生していた。二人の道着姿の男が嘉納に立ち塞がったのだ。

「……何よ、あれ……!?」
「えっ、何かあったの?」
「……うん、柔道着みたいなの着た連中が……」



 白い道着に目出し帽という異様な風体の二人の男は、だが嘉納にとっては既に見慣れた存在であった。

「空手に、……テコンドーか」

 片方の道着には黒いラインが入っていることで嘉納はこの両者の修めている技の違いを察する。二人の刺客は有無を言わさず嘉納に襲いかかってきた。軌道と速度、上下から二者の質の異なる蹴りが飛んでくるのを嘉納は紙一重で避けきる。

「蹴り技が主体……短期決戦の構えか」

 ひと気のない路地裏とはいえ白昼堂々襲いかかってきたのは意外だったが、すぐにでも警察や野次馬が集まってきそうな危険な条件下だ、相手にとっても長丁場にするつもりは毛頭無いらしい。

「ならばこちらにも考えがある……!」

 嘉納はすぅ、と構えを解いて全身の力を抜いた。

「何だ、降参か?」

 空手使いが一瞬気を抜いたその瞬間、嘉納の姿が視界から掻き消え、直後にすぐ脇から弧を描くような蹴りが噴き上がる!

「!?」

 何が起きたか訳も分からずテコンドー使いが身を引いて距離を取る。どぅと倒れる空手使いを越し、嘉納が左右に波打つようにリズミカルなステップを刻んでいた。

「これは……カポエィラ……!?」

 全く予期せぬ展開に狼狽えを見せるテコンドー使い。その頭上、思いもよらぬ角度から嘉納の踵が落ちてきた!!



「……な……っ、何なの、あれ……??」

 こちらも全く予想していなかった事態に、離れた高台からファインダーを覗いていた牧が愕然としていた。

「何? 牧さん、今何が起こっているんだ?」

 現場は目視が困難な程の距離にある。牧からの説明意外に事態を確認する術を持たない松原はただおろおろとするばかりだ。

「柔道…いえ、空手…かな? ともかく変な二人組が急に嘉納に襲いかかって……嘉納がそれ、やっつけちゃった……」

 そう口にして、その内容の荒唐無稽さに引きつった笑いが浮かぶ。

「何だよ、それ?」
「分っかんないよ、そうなっちゃってんだもの……んっ?」

 牧のファインダーが画枠の端に人影を捉えた。
 それは嘉納らが立ち回りを繰り広げていた駐車場から斜向かい、建物二つ離れた路地に数人の男たちが事の成り行きを窺っている。いで立ちはダークトーンのスーツに身を固めサングラスをかけている。その全員がなかなかの体格なので見様によってはそのスジの人間に見えなくもない集団だ。

「……で、それを『逃走中』のハンターみたいな連中が観察している……?」
「えっ?」

 経験的な勘なのか、牧は反射的にその集団に向けてシャッターを切っていた。

「誰だろう、あの人たち? オリンピック関係者にも警備の人にも見えないし……」
「通りすがりの一般人じゃないの?」
「それこそあり得ない。だってハンターだよ? あからさまに怪しいよ、アレ」

 スーツの男たちは嘉納と刺客との戦いを見届けた後、動き慌ただしく退去を開始しようとしている様子だった。一人がどこかへ電話をかけている間、他の数名は近くに停めてあった黒い大型のバンに次々と乗り込んでいく。

「あ、逃げる……?」
「変な二人組ってさっき言ってたよね?」
「うん、もうやられちゃったけど」
「ひょっとしてそいつらの関係者じゃないのか? 例えば黒幕の手先、とか。でなければ悪の組織の……監視役……みたいな?」

 状況が見えていないので松原には思いつきを口にする他に手は無い、が牧にはこれが案外的を射ている様にも感じられた。

「……そうかも…って、うわっ、ヤバ……っ!」

 バンに乗り込もうとしていたサングラス男の一人、スキンヘッドが不意にこちらに顔を向けた。サングラス越しなので定かではないが、距離的に肉眼でこちらが見えているはずは無いのだが、視線が合ったような気がして牧は慌ててカメラを引っこめる。

「どうしたの?」

 覗き込む牧の顔から血の気が失せている。

「どーしよ……見つかったかも…」

 身を低くしてフェンスに身を隠した牧は無意識でカメラのSDカードを引き抜いていた。その様子を不安げに見ていた松原にも事の深刻さが伝わったらしく、急いで荷物をまとめだした。

「牧さん、撤収しよう。何だか分からないけど、ここにいたらまずいと思う」

「……うん、…そだね」

 何だか触れちゃいけないものに触れてしまった様な、不吉な気まずさ……。二人は急いでビルを出てタクシーを捕まえて現場を離れる。それから二人がホテルのチェックアウトを済ませて東京行きの新幹線に飛び込むまで、ものの一時間も要することは無かった。
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