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作者: 沖房 甍
独断
「休暇?」
「ええ、ゴールデンウィーク中は何だかんだで彼女、働きっぱなしだったでしょ? 遅めの休暇なんじゃないですか?」

 呑気にピザなど頬張りながら高藤が答えた、牧の話である。不破と同様フリーに近い立場の彼女は仕事の納期さえキッチリこなせば割とフレックスに休暇を取れたりする。

「不破さん、聞いてなかったんですか?」
「んん……?」

 何やら腑に落ちない様子で首を傾げる不破。もちろんフレックスに……とは言ってもこのご時世そうそう簡単に休暇を取れるほどこの業界も楽な仕事ではない、牧レベルの浅いキャリアなら尚更の事だ。しかし、何より引っかかるのが最近の彼女の行動である。そもそも沖縄から帰ってきてからこの二週間、牧とはロクに口を聞いていない……と、いうよりも完全に避けられてしまっている。不破が編集部に顔を出すと彼女はそれと入れ違うように、そそくさと出て行ってしまうのだ。
 そんな牧が急に……いや、正確には先週から届け出は出していたらしいのだが、休みを取っているのだと言う。行き先はともかく避けられている理由に心当たりが無いわけではない。

「……言葉、足らなかったか?」
「はい? 何か言いました?」
「いや、何でも無ぇよ。食ってろ」

 実際には足らないというレベルの話ではなかったのだろうが、まぁ、過ぎてしまったことは仕方が無いと納得させて、不破はひとまず自分の作業に集中することにした。

「……おやぁ?」

 座るなり何となくデスク上に積み重なったファイル山の配置に違和感を覚える。傍目から見ればただ無造作に散らかしただけの机上であるが、当の本人にとってはちゃんと規則と法則をもっての配置なのである。そこに乱れ……というか一度動かした後その痕跡を隠すために元に戻した様な作為を感じとる。

「まさか……」

 嫌な予感。不破はPCを起動すると管理ウィンドウから稼働時間とログ情報の記録を呼び出した。

「……あン…のやろー……やりやがった……」

 断末魔の様な呻きを上げて頭をかきむしる不破。予てよりまとめ上げていた嘉納の出現予想ポイントと日時のファイルが開かれた記録が残されていた。それも昨日……彼のいなかった時間帯に、だ。犯人は火を見るよりも明らか、このファイルを写し取ってどこかへ休暇に出かけたカメラマンだ。

「どーやってパスワード割り出して……いや、そんな事よりも、この数日だとしたら」

 慌てて件のファイルを照らし合わせる。

「……広島か」



                    ◆

──同時刻、東海道・山陽新幹線のぞみ93号車内。

 窓側席の牧はどこか浮かない面持ちで横切る富士山を眺めていた。その隣には膝に駅弁を乗せた松原が硬直して座っている……顔はそれに反して完全ににやけ切っているのだが……。


 翌日、目抜き通りの十字路を中心として、周囲を見渡せる最も高いと思しきビルの屋上に二人は陣取っていた。通りには例のごとく警備の面々が要所要所に配置され万が一に備えている。それを見下ろす位置で牧が構えているのは自分の腕程の長さの超望遠レンズを装着した一眼レフ、彼女の所有している最も倍率の高い装備である。これを三脚と補助スタンドで設置し座り込んで狙いを定める姿はさながら戦場のスナイパーの如き、である。
 また傍らには予備としてもう一台、大口径の広角ズームレンズを取り付けたカメラが置いてある。こちらは撮影用というよりも標的の捜索や発見するためのレーダー代わりに持ってきたものだ。
 その横で役に立っているのかどうだか、アシスタントとして控えている松原が手持無沙汰でちょくちょくと彼女の横顔を覗き込んでいる。

「あの……今日はデートじゃなかったの?」
「一言もそんな事言って無いよ」

 この状況に及んで間抜けな質問をする方もする方であるが、そっけなく答える牧も辛らつなものである。ちなみに、昨晩はビジネスホテルに宿泊したのであるが部屋はわざわざ別で取っておく仕打ちだ。

「松原くんもあの嘉納には因縁あるんでしょ? 暴いてあげましょうよ、アイツの正体を!」
「……そんなこと言われてもなぁ、所轄を離れた警官には何の権限も無いし……」

 ファインダーを覗き込んだまま牧が松原の襟元をぐい! と掴み寄せる。

「んじゃあ、女の子一人で危険な真似させとく気?」
「……っ、苦し……っ………」

 どう抵抗したところで、のこのこついて来てしまったのだからぐうの音も出ない……、否、半ばその立場を喜んでいる節さえある松原はそれ以上の抵抗を断念した。
 余談になるが彼女の松原に対する敬称が「さん」から「くん」に変わったのも別に親密度が増したからではなく、単に彼女の目線認識が格下げになっただけのことである。尤も、それが余計に松原の思い違いを呼んでいる訳だが……。ともあれ、白旗を上げた松原はようやく解放してもらった襟元を整えつつ相手の機嫌取りに努める。

「それにしてもすごいな、その……嘉納? そいつが今日このルートに現れるってよく突き止めたもんだよ」
「……嘉納の出現には決まりがあるのよ」

 ちょっと持ち上げられて機嫌を取り戻した牧がつい最近誰かが言っていた様な推論を得意げに語りだす。

「同じリレー走者でも、一般公募から選ばれた走者が走るコースを嘉納は狙わない。アイツの狙いは『企業枠』と『関係者枠』なのよ」
「……企業に、…関係者?」
「つまり、特権を用いた走者……それも極端に露骨な内輪の走者が走るコースに限って嘉納は狙っているんだ……って」
「へぇ、そこまで調べるなんて。さすが記者だな」
「あぁ……いや、……それは──」

 先程までしたり顔だった牧の顔が俄かに曇る。

「──それは……、先輩が……調べた予想データ見て……」
「えっ? 不破さんって人の? 何だぁ、牧さんが調べたんじゃないのか」
「うっさいなぁ……肝心なのはそれをどう使うかよっ!」

 うっかりまた地雷を踏んでしまったことに気付き、しまったといった表情を浮かべる松原。案の定牧は気に障ったらしく表情が険になっている。

「見てなさいよ、スクープをモノにしてぎゃふんと言わせてやるんだから……!!」
「ぎゃふんって、今どき……」

 若干狂気に憑かれた様な表情を浮かべて機材の細かい設定を入力していく牧。その様子を暫くは見守っていた松原であったが、次第に不安に似たモヤモヤが湧いてくる。その原因にすぐに思い至った松原は、だがそれを秘めたままにするほどには大人ではなかった。

「……それは不破さんに対して?」
「えっ?」
「君は、不破さんを負かしたいからここに来たのかい?」

 窘めるというよりも少し不貞腐れた様な口調で松原は問い詰めてくる。そう言われて自分も誰をぎゃふんと言わせたいのか、明確に認識もせずに口走っていた事にようやく気付いた。

「仕事で何かあったの? 何だか意固地になっている様にも見えるけど」
「な……っ、何もないよ!」
「そうかな? だってちゃんとした仕事なら何で俺が同行するわけ? 不破さんに君が同行するのが普通なはずだろ?」
「………」

 実際、これは無断で行っている取材だ。もちろんその事実を松原には話していないのだが、痛いところを突かれて牧は言葉に詰まる。

「何かさぁ……牧さん、おかしな対抗心に囚われてないかい?」
「対抗心?」
「もしかして不破さんを出し抜いてその人より優位に立ちたいとか思ってない?」
「……そっ…そうよ、それが何が悪いの!?」

 図星を指されたのか次第に牧の顔が紅潮してくる、……まったくこういう時に限って松原の指摘は的を外さない。そして彼女の方もまたそれを受け流せるほど大人ではないらしく、恥ずかしさを誤魔化すために堰切った感情が止まらなくなる。

「いーじゃない、相手を見返したい気持ちで仕事したって! 私だって一人前に仕事ができるんだって証明したいんだってば!!」
「そういうの、一人前って言わないんじゃないかな?」
「うるさいっ! 気が散るから黙っててよ!」

 思わぬ相手に見透かされてしまったためかどうにも分が悪い、言い放って遂に牧は顔を背けてしまった。問い詰めた松原の方もへこんでしまっているのは、相手を不機嫌にしてしまったことに対する反省と、結果的に不破に味方してしまった自分の情けなさからだろうか。


 ……しばらくは両者の間に気まずい沈黙が流れる。


 沈黙を破ったのは松原の方だった。

「……刑事になるの……諦めた理由、もう一つあってさ……」

 まだ若干怒りが冷めやらぬ牧は何も言わず、ただ冷ややかな視線だけ相手に向けている。

「本当は伯父さんの部下としてずっと後をついて行きたかったんだ。でもある日言われたよ──」

 松原は遠くを見るような目を空に向ける。

「──確かに仕事をする上で部下は必要だが、ただ付き従ってるだけの金魚のフンは要らない……って」

ヒド……っ」

 思わず口を突いて出てしまった……慌ててまたそっぽを向く牧。それを横目に松原はクスリと、だが少し寂しげに微笑む。

「うん、最初は俺もそう思った。一度は君みたいに手柄を立てて出世して、いつか伯父さんを見返してやろうとも考えたさ。でもね、後で気付いたんだ……伯父さんに必要なのは部下は部下でも、自分の背中を預けられる人間なんだ……って」
「背中を?」
「そう、後ろを付いて回る足手まといじゃなくって、ちゃんと前を向いて横を並んで歩ける人間が必要なんだなぁ……って。それで自分はそこまでなれないって気付い──」

「……!!」

 松原が話している中途、唐突に牧の表情に緊張の色が走る。

「ゴメン、……来たっ!!」

 牧が視線を向けた方向、大通りに面したビルの一角からトーチ片手の嘉納が出現したのだ。
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