対峙
ゴールデンウィーク中とはいえ思った程には賑わっていないと言うべきか、それともコロナ禍の割に賑わっていると言うべきだろうか……、今年の連休の那覇の街は例年に比べれば人通りが控えめだ。全国各地、総じて言えることだが現在においてもイベント開催の類は軒並み中止、あるいは規模縮小が図られ、特に大きなクラスターが発生した経緯のある都市では細心の注意が払われている。だがなおも勢いを緩めぬ感染の拡大は、更に追い打ちをかけるように稼ぎ時である大型連休の持っ只中の自粛をこの街に強いらせた。
一方で時期的な理由もあろうが完全には観光客の流入を律しきれず、他の県に比べると人の密度は幾分か高くも感じられ、感染対策に関しては若干の詰めの甘さを感じる面も見受けられるのだ。
そんな那覇市の一角、比較的規模の大きなホテルの一室に不破はチェックインしていた。フロントでキーを受け取ると中階層の角部屋に向かう。部屋は嘉納が不破の名義で予約してあったもので、事前にそこで待つようメールで指定を受けていたのである。
「約束の時間は午後4時……と」
不破は部屋に入るとまずカーテンを閉め切り、テーブルの上に録音機材を並べ始める。一度、周囲に目をやり監視カメラの類が仕掛けられていないかを警戒したが、すぐにソファーに落ち着き嘲笑を浮かべた。
「……馬鹿馬鹿しい」
不破は湯呑に淹れたさんぴん茶を一気に飲み干すと再び取材の準備を進める。嘉納が部屋に現れたのは時間きっかり、午後4時であった。
「取材協力に感謝します」
当たり前だがさすがに今日はトーチを手にしていない。不破は対面の長いソファーに相手を促すと、仕事用の口調でまず謝意を表す。嘉納はその畏まった素振りに一瞬不破の様子を伺った後、だがすぐにその意を理解してこちらも静かに頭を下げて一礼した。今日もどこかでまたひと騒動起こしてきたはずであるが、しっかりシャワーを浴びて身なりを整えてからここに来た様だ。
──今どき珍しい礼を弁えた……むしろ昔気質な程にちゃんとした人間だ──
不破は最初に福島で遭遇した時の彼に対する印象に微調整を加える。こうして対峙してみても彼は考えていたよりもずっと若いことが判る……恐らく牧や高藤らとそう変わらない年代だ。だがそれに反した落ち着き払った態度には思慮深さと折り目正しい謙虚ささえ感じるのだ。その予測を誤らせたのは、本人から漂い出るこうした若者らしからぬ雰囲気からだったのだろう。
同時に不破はこの聖火強奪犯が単なる愉快犯や短絡犯の類では無いことを改めて確信した。品性と呼ぶべきだろうか……やはりこの男が相応の教養と礼儀を身に付けた人物と推測した自分の判断は誤ってはいない。
その一方で品性とは対照的な野生味を放つ肉体はどうだ? 今日は控えめな柄のアロハと白い短パンに身を包んでいるが、露出する張りの良い筋肉は浅く焼けており、こうして目の前で観察するとあちこちに細かい傷が刻まれている。それは事件が発生してからのみならず、それ以前からも文字通り血の滲む様な経験を彼が積み重ねてきたのだろう事を雄弁に物語ってくるのだ。
そしてその眼の色だけは相変わらず読み難い。墨汁を落としたような漆黒の瞳には感情的な揺らぎが浮かぶ様子もない。それは強い意志の顕れであるとも解釈できるのであるが、ともすれば社会の規範を大きく逸脱した思想の内在を示したものであるとも言える。
悪意的に解釈するならば、こうしたタイプは自らの理想や信念で偏った行動に走る傾向もあるということを不破は経験的に知っていた。そう、確かに彼は愉快犯ではないが、少なくともある種の確信犯の類であることは間違いない。問題はその根幹にある意図……すなわち『動機』であるのだが──
「……!?」
気付けばその漆黒の瞳がじっとこちらを見据えていた。観察しているつもりがいつの間にか自分が観察されている状況に、肝を冷やす不破。気を抜いてはいけない、既にこの男との勝負は始まっているのだ。
「あー……そうだ、」
何とかイニシアチブを取り戻そうと咄嗟に思いついた切り返しは、彼に関しての「彼が知らない情報」だった。
「我々は記事を検討する便宜上あなたの事を『嘉納』と呼んでいます」
「カノウ……? …嘉納……、治五郎…先生か?」
嘉納はその呼称に少しばかりの驚きを含んだ声で問い返す。
「はい、まぁ、ちょっとした思い付きで特に深い意味は無いのですが……もしもそれが不快で、何かそちらの都合の良い呼び方があるようでしたらそれに準じようと考えますが?」
相手の出方を見る腹づもりの不破だったが、すぐにその相手の表情が心なしか緩んでいることに気付いた。
「嘉納……か。それは良いな。うん……、良い」
何やら噛み締めるように言葉を繰り返す嘉納、どうやら殊の外気に入って貰えたらしい。
「……いや、こちらはそれで異存は無い」
「それは良かった」
「……そう……話をする前に、聞いておきたい事があった……」
それで少し口の滑りが良くなったのか、あくまでぽつり、ぽつりとではあるが今度は嘉納の方から話を切り出す。
「……大阪で会った時、あなたは明らかにこちらの行動を予測してあの場にいたはずだ。それは一体どうやって知ったのだ?」
「ああ、あれね」
どうやら随分自分に興味を示してくれているらしい……そうした相手の積極性にこの後のインタビューに期待が持てそうであるという実感も相まって気を良くしたか、不破の口調が少し砕ける。
「あんたの動機ってやつが知りたくてな、自分なりに推測していたんだ。その手掛かりとしてまずはあんたが何をターゲットにして現場に現れているのか、その共通点を探ってみた」
まるで探偵が犯人のトリックを看破するかの様に不破はしたり顔の不敵な笑みで相手を覗き込む。
「あんたが標的にするのは決まって企業枠か役人、政治家の関係者枠のランナーの時だ……! 一般人やタレントランナーをあんたは狙わない。そう考えればあんたがコース上のどこに現れ、どういう逃走経路を用意しているかはある程度の予測がつく」
「案外容易く見抜かれるものだな……上手く隠したつもりだったが……」
嘉納は口端を歪め少し気が抜けた様な表情を垣間見せた、ふっと息を漏らし笑みをこぼす……ようやくこの男の生の感情を引きずり出した気がした。
「まぁ、世間の大半はあんたを愉快犯か何かと勘違いしているから、そうした発想は出てこないだろうよ。だが、このインタビューであんたを見る世間の目は変わってしまうだろう。今後は何かとやりにくくなるかも知れないが……それでも良いのか?」
「……構わない」
「……そうか。分かった、それじゃあ……おっと」
不破は慌てて砕けていた自身の口調を正す。
「……では、そろそろ始めましょうか……」
不破は手元のICレコーダーを起動させた。
一方で時期的な理由もあろうが完全には観光客の流入を律しきれず、他の県に比べると人の密度は幾分か高くも感じられ、感染対策に関しては若干の詰めの甘さを感じる面も見受けられるのだ。
そんな那覇市の一角、比較的規模の大きなホテルの一室に不破はチェックインしていた。フロントでキーを受け取ると中階層の角部屋に向かう。部屋は嘉納が不破の名義で予約してあったもので、事前にそこで待つようメールで指定を受けていたのである。
「約束の時間は午後4時……と」
不破は部屋に入るとまずカーテンを閉め切り、テーブルの上に録音機材を並べ始める。一度、周囲に目をやり監視カメラの類が仕掛けられていないかを警戒したが、すぐにソファーに落ち着き嘲笑を浮かべた。
「……馬鹿馬鹿しい」
不破は湯呑に淹れたさんぴん茶を一気に飲み干すと再び取材の準備を進める。嘉納が部屋に現れたのは時間きっかり、午後4時であった。
「取材協力に感謝します」
当たり前だがさすがに今日はトーチを手にしていない。不破は対面の長いソファーに相手を促すと、仕事用の口調でまず謝意を表す。嘉納はその畏まった素振りに一瞬不破の様子を伺った後、だがすぐにその意を理解してこちらも静かに頭を下げて一礼した。今日もどこかでまたひと騒動起こしてきたはずであるが、しっかりシャワーを浴びて身なりを整えてからここに来た様だ。
──今どき珍しい礼を弁えた……むしろ昔気質な程にちゃんとした人間だ──
不破は最初に福島で遭遇した時の彼に対する印象に微調整を加える。こうして対峙してみても彼は考えていたよりもずっと若いことが判る……恐らく牧や高藤らとそう変わらない年代だ。だがそれに反した落ち着き払った態度には思慮深さと折り目正しい謙虚ささえ感じるのだ。その予測を誤らせたのは、本人から漂い出るこうした若者らしからぬ雰囲気からだったのだろう。
同時に不破はこの聖火強奪犯が単なる愉快犯や短絡犯の類では無いことを改めて確信した。品性と呼ぶべきだろうか……やはりこの男が相応の教養と礼儀を身に付けた人物と推測した自分の判断は誤ってはいない。
その一方で品性とは対照的な野生味を放つ肉体はどうだ? 今日は控えめな柄のアロハと白い短パンに身を包んでいるが、露出する張りの良い筋肉は浅く焼けており、こうして目の前で観察するとあちこちに細かい傷が刻まれている。それは事件が発生してからのみならず、それ以前からも文字通り血の滲む様な経験を彼が積み重ねてきたのだろう事を雄弁に物語ってくるのだ。
そしてその眼の色だけは相変わらず読み難い。墨汁を落としたような漆黒の瞳には感情的な揺らぎが浮かぶ様子もない。それは強い意志の顕れであるとも解釈できるのであるが、ともすれば社会の規範を大きく逸脱した思想の内在を示したものであるとも言える。
悪意的に解釈するならば、こうしたタイプは自らの理想や信念で偏った行動に走る傾向もあるということを不破は経験的に知っていた。そう、確かに彼は愉快犯ではないが、少なくともある種の確信犯の類であることは間違いない。問題はその根幹にある意図……すなわち『動機』であるのだが──
「……!?」
気付けばその漆黒の瞳がじっとこちらを見据えていた。観察しているつもりがいつの間にか自分が観察されている状況に、肝を冷やす不破。気を抜いてはいけない、既にこの男との勝負は始まっているのだ。
「あー……そうだ、」
何とかイニシアチブを取り戻そうと咄嗟に思いついた切り返しは、彼に関しての「彼が知らない情報」だった。
「我々は記事を検討する便宜上あなたの事を『嘉納』と呼んでいます」
「カノウ……? …嘉納……、治五郎…先生か?」
嘉納はその呼称に少しばかりの驚きを含んだ声で問い返す。
「はい、まぁ、ちょっとした思い付きで特に深い意味は無いのですが……もしもそれが不快で、何かそちらの都合の良い呼び方があるようでしたらそれに準じようと考えますが?」
相手の出方を見る腹づもりの不破だったが、すぐにその相手の表情が心なしか緩んでいることに気付いた。
「嘉納……か。それは良いな。うん……、良い」
何やら噛み締めるように言葉を繰り返す嘉納、どうやら殊の外気に入って貰えたらしい。
「……いや、こちらはそれで異存は無い」
「それは良かった」
「……そう……話をする前に、聞いておきたい事があった……」
それで少し口の滑りが良くなったのか、あくまでぽつり、ぽつりとではあるが今度は嘉納の方から話を切り出す。
「……大阪で会った時、あなたは明らかにこちらの行動を予測してあの場にいたはずだ。それは一体どうやって知ったのだ?」
「ああ、あれね」
どうやら随分自分に興味を示してくれているらしい……そうした相手の積極性にこの後のインタビューに期待が持てそうであるという実感も相まって気を良くしたか、不破の口調が少し砕ける。
「あんたの動機ってやつが知りたくてな、自分なりに推測していたんだ。その手掛かりとしてまずはあんたが何をターゲットにして現場に現れているのか、その共通点を探ってみた」
まるで探偵が犯人のトリックを看破するかの様に不破はしたり顔の不敵な笑みで相手を覗き込む。
「あんたが標的にするのは決まって企業枠か役人、政治家の関係者枠のランナーの時だ……! 一般人やタレントランナーをあんたは狙わない。そう考えればあんたがコース上のどこに現れ、どういう逃走経路を用意しているかはある程度の予測がつく」
「案外容易く見抜かれるものだな……上手く隠したつもりだったが……」
嘉納は口端を歪め少し気が抜けた様な表情を垣間見せた、ふっと息を漏らし笑みをこぼす……ようやくこの男の生の感情を引きずり出した気がした。
「まぁ、世間の大半はあんたを愉快犯か何かと勘違いしているから、そうした発想は出てこないだろうよ。だが、このインタビューであんたを見る世間の目は変わってしまうだろう。今後は何かとやりにくくなるかも知れないが……それでも良いのか?」
「……構わない」
「……そうか。分かった、それじゃあ……おっと」
不破は慌てて砕けていた自身の口調を正す。
「……では、そろそろ始めましょうか……」
不破は手元のICレコーダーを起動させた。