SS
「──不破、お前『首都再開発計画』って聞いたことはあるか?」
「聞いたことは無いな? 何かの土木事業か?」
「…まぁ、大枠としちゃ似たようなもんだがな……少しばかし眉唾物にも聞こえる話だ……っと、その前に──」
皆守は気怠そうに立ち上がると一度大きく伸びをうち、「場所を変えよう」と不破を促した。公園施設としては決して大きくは無いながらも、車道からは陰になる奥まりに二人して歩くとそれぞれ別々の樹を背に斜向かいに落ち着く。皆守は不破に勧められた煙草をくゆらせ語り出した。
「時期的にはバブル景気真っただ中、まだ日本が狂乱の上り調子に我を忘れていた頃だ……。東京の土地価格が急騰したことを機に60年代に一度検討が試みられたまま立ち消えになっていた首都機能移転案が再燃し、それを追い風にして一つの計画が提案された……それが『首都再開発計画』だ」
「バブル……ね。尤も、その狂乱もわずか数年のうちに文字通り水泡と化す運命だったわけだな」
不破の茶々入れに皆守が皮肉交じりの苦笑を浮かべる。
「話の腰を折るなよ。まぁ、社会的認知こそされていなかったが、バブル景気という呼称自体が当時から一部で用いられていたのも、それがその名の通り結局弾けてしまったのも何とも皮肉な話だったがな」
「正直、その頃にはまだ中流家庭の鼻たれたガキだった俺らにゃ、絵物語みたいな話であまりピンとこない時代だ」
「……違いない。で……だ、当時まだ社会に勢いのあった頃、その推進力を利用してある事業を日本に根付かせようというプランが立案されていたんだ……東京を母体としてな」
「あるプラン?」
「……国営カジノ、さ」
「……は…ン」
不破の口から呆れとも失笑ともつかない嘆息が漏れる。どんな大悪事が飛び出すかと構えていたら、あまりに俗っぽいキーワードが飛び出したので拍子抜けしてしまったらしい。
「今でもIRとかその手の話題に付き物の様に出てくる話だな? 要は『首都再開発~』ってな首都機能移転後の東京の抜け殻をどう利用してやろうかって話かよ?」
「概ねではその認識で正解だ──表向きは、な」
「引っかかる言い方するなぁ、何かウラでもあるのか?」
壮大な構想に裏の事情が伴うことくらいは不破にも予想はつく、皆守がこうした回りくどい話しぶりをするからには相応のネタであるだろうことを推察して、不破は少しばかりの高揚感を覚えた。
「……いくら浮かれていたとしてもそれが永遠に続くものではないことぐらいは察しがついたことだろう、計画の骨子はモナコ公国やラスベガスをお手本にしたカジノ事業を導入することで安定した収入源を確保する……といったものだった。その大箱として首都機能移転で空洞化した東京という巨大都市を用いる訳だな」
「まるで博覧会都市だな」
博覧会を開催し続けることにより観光収入で維持される国家……確かSF小説か何かの一遍だった筈だが、不破はそれが誰の作品だったか思い出せない。
「……さて、それから数年後バブルは見事に弾けてこの国の経済は長い低迷期に突入していく訳だが、それでもまだまだ余力が残されていた1992年にはこのカジノ事業の試験的導入が試みられたらしい」
「確かJリーグ発足の年か? だがそんな事実は知らんぞ?」
「知らないのも無理はない、それは『地下』で開催されたのだからな」
皆守が言うところの『地下』とは地面の下という意味ではない、非公式的に……という意味だ。
「……つまり、まっとうなギャンブルではない……と?」
そうした流れには不破も察しが良い。
「そうだ。一部の裕福層や政財界の大物……海外の顧客もいたらしい。形式はいわゆるブックメーカー的な予想賭博、そこで対象となったのが東京という街の中で行われる競技だ」
「ストリート……か、いかにもアンダーグランドっぽいな。それでステゴロの勝敗でも予想するのか?」
「競技、と言ったろ? 一応ルールとゴールが存在するゲームだったとされている」
詳細は記憶しきれなかったか、皆守は懐から手帳を取り出す。走り書きで埋め尽くされたページは本人にしか解読できないほど複雑怪奇な文字で彩られていた。
「競技の正式名称は不明だが、通称『SS』と呼ばれていたらしい。競技参加者はチーム制で、各自が多用途情報端末……今で言うところのスマホだな、そこからの情報を頼りに一個のボールを奪い合い、最終的にそれを毎回ランダムに指定されるゴールポイントに入れたチームが勝利となる」
「ほぉ……案外ちゃんとしているんだな」
「どうだかな? 基本的なルール以外はアバウトな面も多く、例えばチームのメンバー数に決まりはない。一人で参加しても構わないし、何十、何百と兵隊を動員しても構わない……何しろ広い東京全体がフィールドだ、いくら動員したって足りるような規模じゃない」
それは尤もだ、上限の無いチーム戦であれば物量に物を言わせた人海戦術に勝るものはない。
「そして競技者同士のボールの奪い合いに関してもルールは設けられなかった。暴力的な手段が認められているのは当然の事、ゲーム中であれば殺人も咎められないときている」
「実質的な無差別格闘か。要するに現代日本にコロッセオを再現しようってことか?」
……と、口にしてみたものの俄かには信じがたい話である。
「地下とは言えそんな物騒な競技、よくも国家プロジェクト下で行えたもんだな」
「だから眉唾物にも聞こえる……と最初に言ったろ? 事実としたらとんでもない話だ」
「まぁ、血と熱狂を求めるのは人間の性であるのも事実だし、現代であろうとそこら辺はまるで変っていないとも言えるか……。だが競技者がいかに一般人じゃなかったとしても、人間が突然命を奪われたりしたらさすがに警察が──」
そこまで口にして不破の血の気が引く……。
「……まさか……!?」
「そうだ。このSSって競技、途中から『緊急強化選手』が登用されるようになったんだ」
元よりシャバの外にいる人間だ。突然いなくなってもほぼ社会に影響は無い。
「何てこったよ……それじゃあ喩えどころじゃなく、まるっきしコロッセオじゃねぇか……!」
軽く目眩を覚え、不破が呻く。
「……文明社会のやることじゃ無ぇ……」
皆守は咥えていた煙草を地面に落とすと靴先でそれを擦り消した。
「人間、景気が良くなった時に限ってロクなことを考えないものさ。この計画は、言うなれば国家単位で浮かれた末に手を出してしまった火遊びとも言えるかも知れない」
両者の間に重い沈黙が垂れこめる。
「……で?」
ようやく気を持ち直した不破が口を開いた。
「今回の聖火リレーの裏でもそんな事が行われている……と?」
皆守はかぶりを振った。
「さてな。だがかつてSSに関わっていた人間たちは今もまだ少なからず政財界に残って居るのは事実だ。そして当時の火遊びがバレないものかと戦々恐々として日々を過ごしている。特に見過ごしてはいけない事は、緊急強化選手なる存在を社会に放つことが出来るのは、その『権限を持っている人物』であるという事実だ」
「注意を向けるべきは緊急強化選手の存在よりも、そうした権限を持つ人間たちの方……って事か」
「そうだ。彼らは探られたくない過去を無かった事にするためなら多少の荒事も決して辞さないだろう。地位への固執とはそういうものだ」
ゆらりと前に進み出た皆守はそのまま不破の横を通り過ぎ、その場を後にした……かつての盟友への警告を最後に残し。
「この件、こちらでももう少しだけ探っておこう。お前もまだこの件を追うのならば努々気を緩めないことだ。家族……は、いないんだったな。だが牧ちゃんがいるんだろ? それに友人や大切な仲間がいるならなるべく関わらせない事を奨めるよ」
「……お前がそれを言うなよ」
怒りとも苦しさともつかない表情で不破は皆守に一瞥をくれる。
「お前の方こそ、家族に心配は心配かけるなよな?」
「……肝に銘じときましょ」
去ってゆく皆守がこちらを振り返ることは無かった。
「聞いたことは無いな? 何かの土木事業か?」
「…まぁ、大枠としちゃ似たようなもんだがな……少しばかし眉唾物にも聞こえる話だ……っと、その前に──」
皆守は気怠そうに立ち上がると一度大きく伸びをうち、「場所を変えよう」と不破を促した。公園施設としては決して大きくは無いながらも、車道からは陰になる奥まりに二人して歩くとそれぞれ別々の樹を背に斜向かいに落ち着く。皆守は不破に勧められた煙草をくゆらせ語り出した。
「時期的にはバブル景気真っただ中、まだ日本が狂乱の上り調子に我を忘れていた頃だ……。東京の土地価格が急騰したことを機に60年代に一度検討が試みられたまま立ち消えになっていた首都機能移転案が再燃し、それを追い風にして一つの計画が提案された……それが『首都再開発計画』だ」
「バブル……ね。尤も、その狂乱もわずか数年のうちに文字通り水泡と化す運命だったわけだな」
不破の茶々入れに皆守が皮肉交じりの苦笑を浮かべる。
「話の腰を折るなよ。まぁ、社会的認知こそされていなかったが、バブル景気という呼称自体が当時から一部で用いられていたのも、それがその名の通り結局弾けてしまったのも何とも皮肉な話だったがな」
「正直、その頃にはまだ中流家庭の鼻たれたガキだった俺らにゃ、絵物語みたいな話であまりピンとこない時代だ」
「……違いない。で……だ、当時まだ社会に勢いのあった頃、その推進力を利用してある事業を日本に根付かせようというプランが立案されていたんだ……東京を母体としてな」
「あるプラン?」
「……国営カジノ、さ」
「……は…ン」
不破の口から呆れとも失笑ともつかない嘆息が漏れる。どんな大悪事が飛び出すかと構えていたら、あまりに俗っぽいキーワードが飛び出したので拍子抜けしてしまったらしい。
「今でもIRとかその手の話題に付き物の様に出てくる話だな? 要は『首都再開発~』ってな首都機能移転後の東京の抜け殻をどう利用してやろうかって話かよ?」
「概ねではその認識で正解だ──表向きは、な」
「引っかかる言い方するなぁ、何かウラでもあるのか?」
壮大な構想に裏の事情が伴うことくらいは不破にも予想はつく、皆守がこうした回りくどい話しぶりをするからには相応のネタであるだろうことを推察して、不破は少しばかりの高揚感を覚えた。
「……いくら浮かれていたとしてもそれが永遠に続くものではないことぐらいは察しがついたことだろう、計画の骨子はモナコ公国やラスベガスをお手本にしたカジノ事業を導入することで安定した収入源を確保する……といったものだった。その大箱として首都機能移転で空洞化した東京という巨大都市を用いる訳だな」
「まるで博覧会都市だな」
博覧会を開催し続けることにより観光収入で維持される国家……確かSF小説か何かの一遍だった筈だが、不破はそれが誰の作品だったか思い出せない。
「……さて、それから数年後バブルは見事に弾けてこの国の経済は長い低迷期に突入していく訳だが、それでもまだまだ余力が残されていた1992年にはこのカジノ事業の試験的導入が試みられたらしい」
「確かJリーグ発足の年か? だがそんな事実は知らんぞ?」
「知らないのも無理はない、それは『地下』で開催されたのだからな」
皆守が言うところの『地下』とは地面の下という意味ではない、非公式的に……という意味だ。
「……つまり、まっとうなギャンブルではない……と?」
そうした流れには不破も察しが良い。
「そうだ。一部の裕福層や政財界の大物……海外の顧客もいたらしい。形式はいわゆるブックメーカー的な予想賭博、そこで対象となったのが東京という街の中で行われる競技だ」
「ストリート……か、いかにもアンダーグランドっぽいな。それでステゴロの勝敗でも予想するのか?」
「競技、と言ったろ? 一応ルールとゴールが存在するゲームだったとされている」
詳細は記憶しきれなかったか、皆守は懐から手帳を取り出す。走り書きで埋め尽くされたページは本人にしか解読できないほど複雑怪奇な文字で彩られていた。
「競技の正式名称は不明だが、通称『SS』と呼ばれていたらしい。競技参加者はチーム制で、各自が多用途情報端末……今で言うところのスマホだな、そこからの情報を頼りに一個のボールを奪い合い、最終的にそれを毎回ランダムに指定されるゴールポイントに入れたチームが勝利となる」
「ほぉ……案外ちゃんとしているんだな」
「どうだかな? 基本的なルール以外はアバウトな面も多く、例えばチームのメンバー数に決まりはない。一人で参加しても構わないし、何十、何百と兵隊を動員しても構わない……何しろ広い東京全体がフィールドだ、いくら動員したって足りるような規模じゃない」
それは尤もだ、上限の無いチーム戦であれば物量に物を言わせた人海戦術に勝るものはない。
「そして競技者同士のボールの奪い合いに関してもルールは設けられなかった。暴力的な手段が認められているのは当然の事、ゲーム中であれば殺人も咎められないときている」
「実質的な無差別格闘か。要するに現代日本にコロッセオを再現しようってことか?」
……と、口にしてみたものの俄かには信じがたい話である。
「地下とは言えそんな物騒な競技、よくも国家プロジェクト下で行えたもんだな」
「だから眉唾物にも聞こえる……と最初に言ったろ? 事実としたらとんでもない話だ」
「まぁ、血と熱狂を求めるのは人間の性であるのも事実だし、現代であろうとそこら辺はまるで変っていないとも言えるか……。だが競技者がいかに一般人じゃなかったとしても、人間が突然命を奪われたりしたらさすがに警察が──」
そこまで口にして不破の血の気が引く……。
「……まさか……!?」
「そうだ。このSSって競技、途中から『緊急強化選手』が登用されるようになったんだ」
元よりシャバの外にいる人間だ。突然いなくなってもほぼ社会に影響は無い。
「何てこったよ……それじゃあ喩えどころじゃなく、まるっきしコロッセオじゃねぇか……!」
軽く目眩を覚え、不破が呻く。
「……文明社会のやることじゃ無ぇ……」
皆守は咥えていた煙草を地面に落とすと靴先でそれを擦り消した。
「人間、景気が良くなった時に限ってロクなことを考えないものさ。この計画は、言うなれば国家単位で浮かれた末に手を出してしまった火遊びとも言えるかも知れない」
両者の間に重い沈黙が垂れこめる。
「……で?」
ようやく気を持ち直した不破が口を開いた。
「今回の聖火リレーの裏でもそんな事が行われている……と?」
皆守はかぶりを振った。
「さてな。だがかつてSSに関わっていた人間たちは今もまだ少なからず政財界に残って居るのは事実だ。そして当時の火遊びがバレないものかと戦々恐々として日々を過ごしている。特に見過ごしてはいけない事は、緊急強化選手なる存在を社会に放つことが出来るのは、その『権限を持っている人物』であるという事実だ」
「注意を向けるべきは緊急強化選手の存在よりも、そうした権限を持つ人間たちの方……って事か」
「そうだ。彼らは探られたくない過去を無かった事にするためなら多少の荒事も決して辞さないだろう。地位への固執とはそういうものだ」
ゆらりと前に進み出た皆守はそのまま不破の横を通り過ぎ、その場を後にした……かつての盟友への警告を最後に残し。
「この件、こちらでももう少しだけ探っておこう。お前もまだこの件を追うのならば努々気を緩めないことだ。家族……は、いないんだったな。だが牧ちゃんがいるんだろ? それに友人や大切な仲間がいるならなるべく関わらせない事を奨めるよ」
「……お前がそれを言うなよ」
怒りとも苦しさともつかない表情で不破は皆守に一瞥をくれる。
「お前の方こそ、家族に心配は心配かけるなよな?」
「……肝に銘じときましょ」
去ってゆく皆守がこちらを振り返ることは無かった。