亀裂
「本気か?」
いつになく真剣めいた顔で馬場園は不破を見上げた。
「至って本気ですよ」
見下ろす不破も相手を威圧するかのような視線を相手に落とす。
翌日の編集部。大阪から戻った不破は企画概要をまとめて馬場園に提出した。編集会議も通さずの、言うなれば独断専行である。ひと悶着は必至と周囲はひやひやと事の成り行きを見守っている。
「まったく、福島でせっかくの直接対峙を記事にもしねぇで、何をコソコソ動き回っているかと思えば……まさかそンな事企んでいたとはよぉ」
昨日大阪で取り付けてきた嘉納への独占インタビューの件である。不破は一通りの段取りを済ませてからデスクに直接企画をぶつけてきたのだ。確かにそれは自分好みの面白おかしい記事となろうが、デスクという立場的にはここは怒りを通り越した諦念で天井を見上げる他は無い。馬場園は一度ぎいっ、とくたびれた椅子を軋ませると、意を決したかがばりと身を起こして眼鏡の奥のぎょろりとした目を剥き不破を睨みつけた。
「お前、ちゃんと責任持てんだろうな?」
「成果という意味でなら。デスクが無責任な分はキッチリと……、ね」
ふんっ! といつもの調子で馬場園が鼻を鳴らす。
「次の見出しに告知入れとくぞ? 猶予期間は一ヵ月だ。言っとくが後からドタキャンされましたじゃ済まねぇからな?」
「それまでにスケジュールが決まっていることを祈ってて下さいな」
実はまだこの時点で嘉納からの連絡は来ていない。だが不破には確信めいた思いがあった……奴は、そしてその背後にいる何者かは、必ず連絡を取ってくるはずだ……と。肩越しに笑って見せて不破はデスク席に背を向けた。
「不破さん、嘉納に直撃取材するんですって!?」
「驚いた、思い切った事するもんだね」
高藤は不破のすぐ横まで椅子を滑り込ませてきて、また尾上は自分の机でお茶を淹れながら自分の机に戻る不破を出迎えた。
「……まぁな」
「不破さん、見積もりは明日までに出しておいて下さいね?」
「ん、了解だ」
鮫島の声を背で聞きながら必要書類をまとめだす。
「しかし、神出鬼没の犯人とよく接触出来ましたね? どんな魔法使ったんです?」
興味津々の高藤。
「只の統計作業だよ。奴の出現には何らかの法則……ってかルールがあるんじゃないかと睨んで、そいつを調べただけさ」
「え? そんなものがあったんですか?」
あまりに呑気な高藤のセリフに思わず頭を抱えてしまう不破。
「……お前ねぇ、アレが行き当たりばったりの犯行だとでも思ってたのかい?」
「え、いや……ヤだなぁ、そんな事思うわけないじゃないですか」
引きつった笑いでとぼけようとする高藤。高みの見物の尾上があまりに見え見えの誤魔化しをわざわざ看破する。
「思ってましたね?」
「……っ、ンっ!!」
風向きの悪さを咳払いで吹き払う。
「でも、そのルールって何なんです?」
「言うか、自分で調べろ」
同じ職場で仕事する者同士と言えども、それはあまりに依存心が強すぎると不破はにべも無く切って捨てる。まったく、こいつはスミ2号か? ……と──
「……?」
そう言えば、牧がいないことに今更気づく不破。一周ぐるりと編集部内を見回してみるがやっぱり姿は無い。不破は手にしたタッチペンで自身の額を小突いた。
「……いなきゃいないで……」
「はい? 今何て?」
不破の独り言を高藤が聞きとがめる、もちろん答えてやる義務は無い。
「まぁ、良いか……ん?」
モニターに目を戻すと差出人に見覚えの無いメールが入っていた。件名は「大阪の件に関して」──、書面を確認する不破の目に見る見る猟犬の瞳の様な光が揺らいだ。
半月後、不破は休暇を取って「旅行」に出かけることになった。行く先は沖縄、奇しくもその日聖火リレーは沖縄で開催される予定となっている。もちろん、偶然そんな場所に旅行に出かける訳がない。目的は聖火強奪犯「嘉納」への取材である。不破は一度編集部に寄り、その日偶然編集部にいた馬場園に挨拶してから出発した。
……社を出るとロビーで牧が待ち構えていた。
今回の取材の件以降、牧とはほとんど会話を交わしていない。自身も彼女にこの件にはなるべく関わって欲しくなかったこともあるのだが、どうも今回の場合、彼女の方が不破を避けている様にも感じられる。そういう意味では彼女と面と向かうのは実に久しぶりに思えた。
「先輩、行くんですか?」
「ああ、土産楽しみに待っとけ」
旅行の体であしらってみるが、当然こちらの事情は知られている。社交辞令で誤魔化せはしない。
「……私も行きます!」
そう来ることは不破も内心判っていた。
牧は行く手を塞ぐように不破の前に進むと掴みかかるように同行を願い出る。相手の勢いが思ったよりも強く、不破は思わずキャリーケースなど倒してしまう。
「犯人と会うんでしょ? 私も助手としてついてきます」
ずいぶん思いつめた顔しているな……と、不破は感じた。
「……ダメだ、俺一人だけで会うというのが取材の条件だ」
「じゃあ、別の場所で待機してます」
「同じことだ。それにお前、他の仕事もあるだろうが? 今回はおとなしく東京で待ってろ」
「そんなの帰ってきてから片づけます、連れてって下さい!」
自分の声に比べて牧の声ばかりが大きくなるので、周囲が聞いたらまるで痴話喧嘩みたいに見えることだろう。ロビーには受付もいれば来客もいるのだから、体面というものもあろうに……。だがそんな事お構いなしに牧の方はどんどん声を荒らげてゆく。
「何で行っちゃダメなんですか!? 理由を言ってくれないと納得できないです!!」
「ダメだったら、ダメだ!」
それでも食い下がる牧。あまりのしつこさに不破はいいかげん顔をしかめる。
「……お前さ、何か焦ってんじゃないか?」
一瞬彼女の肩がびくん! と震える。
──そういうことか……。
不破は瞬時に彼女の心境を理解した……が、だからといって甘やかすわけにはいかない。
「……仕方が無ぇな……」
急に不破は表情を変貌させて言い放つ。
「だが、ヤなこったね、こいつは俺のネタだ」
「……そんな……」
独善的とも取れるそのセリフは彼女にとってよほど意外だったらしい。
「まぁ、人には分相応ってのがある。諦めて自分の為すべき事探してそれに専念してるんだな」
不破に寄りかかったまま彼女の動きが止まる……否、正確には小刻みに震えているように見える。もちろん先のセリフが本心から言ったもので無いのは言うに及ばずなのだが、そんな見え透いた演技さえ真に受けてしまう程今の彼女は、どうやら何かしらの焦燥感で追い詰められているらしい。少し言葉が過ぎるか? とも思ったがこの状況だ、致し方が無い。
「……為すべき事……って、何ですか……」
先程までのトーンが失せ、低く呻くような声で牧が呟く。
「……ぃ…す……」
「……あん?」
よく聞き取れなかった不破は思わず身を屈めて耳をそばだてる……と、不意に牧に突き飛ばされた。
「もう……、いいですっ!!」
最後は絶叫に近かった。不破を振り返ることもなく、牧はそのまま外に飛び出して行く……そして一人ロビーに取り残されてしまう不破。呆けた顔を周囲に向けると受付嬢と目が合ってしまった……気まずそうに目を逸らしている。
はぁ~、と大きなため息をついて倒れたキャリーケースを持ち上げる。本当はこういう時は追いかけて行って、(たとえ無駄でも)ちゃんと面と向かって話し合いをするのが大人ってものなのだろうが、残念ながら飛行機の時間が迫っているし、それをしたら元の木阿弥だ。何よりも、今は彼女を突き放しておいた方が良いという思いもある。下手な説得よりはいっそ軽蔑されてしまっている方が都合が良い。
タクシーを待つ時間、不破は先日元同僚である皆守から聞いた話を思い出していた。
いつになく真剣めいた顔で馬場園は不破を見上げた。
「至って本気ですよ」
見下ろす不破も相手を威圧するかのような視線を相手に落とす。
翌日の編集部。大阪から戻った不破は企画概要をまとめて馬場園に提出した。編集会議も通さずの、言うなれば独断専行である。ひと悶着は必至と周囲はひやひやと事の成り行きを見守っている。
「まったく、福島でせっかくの直接対峙を記事にもしねぇで、何をコソコソ動き回っているかと思えば……まさかそンな事企んでいたとはよぉ」
昨日大阪で取り付けてきた嘉納への独占インタビューの件である。不破は一通りの段取りを済ませてからデスクに直接企画をぶつけてきたのだ。確かにそれは自分好みの面白おかしい記事となろうが、デスクという立場的にはここは怒りを通り越した諦念で天井を見上げる他は無い。馬場園は一度ぎいっ、とくたびれた椅子を軋ませると、意を決したかがばりと身を起こして眼鏡の奥のぎょろりとした目を剥き不破を睨みつけた。
「お前、ちゃんと責任持てんだろうな?」
「成果という意味でなら。デスクが無責任な分はキッチリと……、ね」
ふんっ! といつもの調子で馬場園が鼻を鳴らす。
「次の見出しに告知入れとくぞ? 猶予期間は一ヵ月だ。言っとくが後からドタキャンされましたじゃ済まねぇからな?」
「それまでにスケジュールが決まっていることを祈ってて下さいな」
実はまだこの時点で嘉納からの連絡は来ていない。だが不破には確信めいた思いがあった……奴は、そしてその背後にいる何者かは、必ず連絡を取ってくるはずだ……と。肩越しに笑って見せて不破はデスク席に背を向けた。
「不破さん、嘉納に直撃取材するんですって!?」
「驚いた、思い切った事するもんだね」
高藤は不破のすぐ横まで椅子を滑り込ませてきて、また尾上は自分の机でお茶を淹れながら自分の机に戻る不破を出迎えた。
「……まぁな」
「不破さん、見積もりは明日までに出しておいて下さいね?」
「ん、了解だ」
鮫島の声を背で聞きながら必要書類をまとめだす。
「しかし、神出鬼没の犯人とよく接触出来ましたね? どんな魔法使ったんです?」
興味津々の高藤。
「只の統計作業だよ。奴の出現には何らかの法則……ってかルールがあるんじゃないかと睨んで、そいつを調べただけさ」
「え? そんなものがあったんですか?」
あまりに呑気な高藤のセリフに思わず頭を抱えてしまう不破。
「……お前ねぇ、アレが行き当たりばったりの犯行だとでも思ってたのかい?」
「え、いや……ヤだなぁ、そんな事思うわけないじゃないですか」
引きつった笑いでとぼけようとする高藤。高みの見物の尾上があまりに見え見えの誤魔化しをわざわざ看破する。
「思ってましたね?」
「……っ、ンっ!!」
風向きの悪さを咳払いで吹き払う。
「でも、そのルールって何なんです?」
「言うか、自分で調べろ」
同じ職場で仕事する者同士と言えども、それはあまりに依存心が強すぎると不破はにべも無く切って捨てる。まったく、こいつはスミ2号か? ……と──
「……?」
そう言えば、牧がいないことに今更気づく不破。一周ぐるりと編集部内を見回してみるがやっぱり姿は無い。不破は手にしたタッチペンで自身の額を小突いた。
「……いなきゃいないで……」
「はい? 今何て?」
不破の独り言を高藤が聞きとがめる、もちろん答えてやる義務は無い。
「まぁ、良いか……ん?」
モニターに目を戻すと差出人に見覚えの無いメールが入っていた。件名は「大阪の件に関して」──、書面を確認する不破の目に見る見る猟犬の瞳の様な光が揺らいだ。
半月後、不破は休暇を取って「旅行」に出かけることになった。行く先は沖縄、奇しくもその日聖火リレーは沖縄で開催される予定となっている。もちろん、偶然そんな場所に旅行に出かける訳がない。目的は聖火強奪犯「嘉納」への取材である。不破は一度編集部に寄り、その日偶然編集部にいた馬場園に挨拶してから出発した。
……社を出るとロビーで牧が待ち構えていた。
今回の取材の件以降、牧とはほとんど会話を交わしていない。自身も彼女にこの件にはなるべく関わって欲しくなかったこともあるのだが、どうも今回の場合、彼女の方が不破を避けている様にも感じられる。そういう意味では彼女と面と向かうのは実に久しぶりに思えた。
「先輩、行くんですか?」
「ああ、土産楽しみに待っとけ」
旅行の体であしらってみるが、当然こちらの事情は知られている。社交辞令で誤魔化せはしない。
「……私も行きます!」
そう来ることは不破も内心判っていた。
牧は行く手を塞ぐように不破の前に進むと掴みかかるように同行を願い出る。相手の勢いが思ったよりも強く、不破は思わずキャリーケースなど倒してしまう。
「犯人と会うんでしょ? 私も助手としてついてきます」
ずいぶん思いつめた顔しているな……と、不破は感じた。
「……ダメだ、俺一人だけで会うというのが取材の条件だ」
「じゃあ、別の場所で待機してます」
「同じことだ。それにお前、他の仕事もあるだろうが? 今回はおとなしく東京で待ってろ」
「そんなの帰ってきてから片づけます、連れてって下さい!」
自分の声に比べて牧の声ばかりが大きくなるので、周囲が聞いたらまるで痴話喧嘩みたいに見えることだろう。ロビーには受付もいれば来客もいるのだから、体面というものもあろうに……。だがそんな事お構いなしに牧の方はどんどん声を荒らげてゆく。
「何で行っちゃダメなんですか!? 理由を言ってくれないと納得できないです!!」
「ダメだったら、ダメだ!」
それでも食い下がる牧。あまりのしつこさに不破はいいかげん顔をしかめる。
「……お前さ、何か焦ってんじゃないか?」
一瞬彼女の肩がびくん! と震える。
──そういうことか……。
不破は瞬時に彼女の心境を理解した……が、だからといって甘やかすわけにはいかない。
「……仕方が無ぇな……」
急に不破は表情を変貌させて言い放つ。
「だが、ヤなこったね、こいつは俺のネタだ」
「……そんな……」
独善的とも取れるそのセリフは彼女にとってよほど意外だったらしい。
「まぁ、人には分相応ってのがある。諦めて自分の為すべき事探してそれに専念してるんだな」
不破に寄りかかったまま彼女の動きが止まる……否、正確には小刻みに震えているように見える。もちろん先のセリフが本心から言ったもので無いのは言うに及ばずなのだが、そんな見え透いた演技さえ真に受けてしまう程今の彼女は、どうやら何かしらの焦燥感で追い詰められているらしい。少し言葉が過ぎるか? とも思ったがこの状況だ、致し方が無い。
「……為すべき事……って、何ですか……」
先程までのトーンが失せ、低く呻くような声で牧が呟く。
「……ぃ…す……」
「……あん?」
よく聞き取れなかった不破は思わず身を屈めて耳をそばだてる……と、不意に牧に突き飛ばされた。
「もう……、いいですっ!!」
最後は絶叫に近かった。不破を振り返ることもなく、牧はそのまま外に飛び出して行く……そして一人ロビーに取り残されてしまう不破。呆けた顔を周囲に向けると受付嬢と目が合ってしまった……気まずそうに目を逸らしている。
はぁ~、と大きなため息をついて倒れたキャリーケースを持ち上げる。本当はこういう時は追いかけて行って、(たとえ無駄でも)ちゃんと面と向かって話し合いをするのが大人ってものなのだろうが、残念ながら飛行機の時間が迫っているし、それをしたら元の木阿弥だ。何よりも、今は彼女を突き放しておいた方が良いという思いもある。下手な説得よりはいっそ軽蔑されてしまっている方が都合が良い。
タクシーを待つ時間、不破は先日元同僚である皆守から聞いた話を思い出していた。