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作者: 沖房 甍
図星
「お時間ありますか? お話しがしたいです──」

 松原からの急なメールで牧が呼び出されたのは二時間ほど前の事である。──そして現在、二人は埼玉県内の遊園地にいた……。

「何故に遊園地……?」

 半ば放心状態の牧がうわごとのように呟く。前後にスイングする巨大な海賊船になすがまま揺さぶられ、虚ろな目は空を仰いじゃったままだ。

「えー? 何か言いましたぁー!?」

 相手は隣に座っているが激しい風圧と音で大声で話さないと聞こえない。

「いや、だからぁー、何でぇー、遊園地でぇー、会わなきゃいけないのォ!?」

 何でもなにも、この状況はどう考えても只のデートである。もちろん牧はデートとして会うのを承諾したわけでは無い、単純に双方の意図に乖離があった結果に過ぎなかった。てっきり事件の件で新たな情報が得られると期待した牧、バッグの中にはこっそりコンデジとICレコーダーなんかも忍ばせてきていた。
 足取りふらふらとタラップを降りると牧はぎろりと松原をにらみつける。

「……重要な話があったんじゃないんですか?」
「重要なんて言ってないですよ? 話たいことは山ほどあるけど」

 実に屈託のない満面の笑みで松原が答えた。改めてメールを見れば確かにそんなことは言ってない……要するに牧の早とちりの先走り、だったりする。さりとて今更自身の落ち度を認めるのも何だかシャクなので、牧としては不本意な現状容認で落ち着く他は無い。せめてもの抵抗に「お子ちゃま!」と、悪態をつく牧……もちろんこれも心の中で、である。

「ずいぶん交番勤務ってのはお暇なんですね?」
「暇なわけないよ、夕方にはまた勤務だからね。それにこれでもどの部署より忙しいんだから」

 牧の精一杯の嫌味に気づくこともなく、松原はここぞとばかり普段の勤務を語り出す。ダイレクトに地域住民と接し、まるで何でも屋のように雑多な役目をこなしてゆく……言わば警察の窓口みたいなものだからぞんざいな態度や横柄な態度も許されるものではない。そうして住民の信頼が高ければ高いほど、比例して忙しくなっていくのが「真っ当な」交番勤務の実態だ。確かにどの部署より忙しいのだろう、まじめな警官であれば尚の事。

 ──そう言えば先輩もいつもどこかに走り回っているけど、だったらあの人もまじめな記者なのだろうか……?

 休憩スペースでオレンジジュースを手に、牧はぼぉーっとそんな事を考えていた。テーブルの対面に腰掛ける松原は相変わらず喋り続けている。先日亡くなった母親の事、県警の刑事課に務める伯父の事、小さい頃からその伯父の背中を見て自分も警官になろうと志した事……。

「じゃあ、松原さんもいつかは刑事に?」
「ん~、どうかな? 確かに憧れるけど……」

 松原は少しはにかんで目をそらした。

「自分では今の部署が合っている気がするなぁ……。強盗とか、殺人とか、そういうの追いかけている自分はどうにも想像できなくってさ」

「ふぅ~ん、割と冷静に自己分析できているんだ? パッと見、出たとこ任せの猪突猛進タイプにしか見えないのに」

「……毒舌だね」

 引きつり笑顔の松原。

「牧さんの方は? カメラマンっていうからにはやっぱいつかはピューリッツアー賞を狙っている……とか?」
「無理無理っ! って言うか、写真やっている人間がみんな報道で名を上げたいって思ったら大間違いだよ」

 手をヒラつかせて松原の予想を否定する。

「……ったって牧さん、雑誌のカメラマンでしょ? それならどうしてそんな仕事を?」
「え、……それはまぁ、学生の頃にバイト気分で始めて……」
「でもそれだって何か将来の夢とか、やりたい事があっての事だったんでしょ?」
「……やりたい…事?」


 言葉に詰まってしまった。


「……私は……」

 将来とか考えたことが無い……なんてありがちな若者像みたいな事を別に言うつもりは無い。思い返せば学生時代にはそんな形にならない将来の夢を友人たちと飽きるほど語りあったものだ。確かに松原が言ったように酒の席で「ピューリッツアー賞獲ってやる!」なんて豪語したこともあった。フォトグラフ雑誌の専属に憧れた事もある。写真とは全く関係無く女子アナを目指す……などと素っ頓狂な事を言い出した時期もあった。今の仕事はそんなフラフラしていた時期に偶然巡りあったったものだ。
 ……そこに先輩がいて……。

「……今は…そうだなぁ、先輩の手伝いして何か達成感得られる様な仕事が出来れば良いかな?」
「先輩……って、不破って人? スマホの持ち主の」

 もちろん直接の面識はないが、その存在は福島で牧と会った当初から耳にしていた。

「でもそれって牧さん自身の人生じゃ無くない?」
「!!」
「牧さんは牧さんの人生観を持つべきだと思うけどなぁ」
「……………」

 夢見るように語り続ける松原は牧の表情が次第に曇っていくことに気付いていない。

「そんな他人のフォローじゃなくってさ、もっと大きな夢を……──」


「……他人っていうならあなたの方がよっぽど他人だよね?」


「……えっ!?」

 怒鳴り出すこともなく抑えた声で言われたのでさすがにこの鈍い青年も尋常ならざる怒気に気付く。が、既に時遅くテーブルの上は回復の余地もないほどの不穏な雲行きで満ち溢れていた。

「私の人生ですっ、放っといて下さい…っっっ!!」

 牧はテーブルに五千円札を置くと呆気にとられたままの松原を置いてつかつかとその場を後にする。

「……?」

 急展開にはまだ対応できていない松原、手元でアイスコーヒーの氷がからんと涼やかな、そして場違いな音を奏でた。

「……何か地雷踏んじゃった……??」

 やっぱり何も分かっていない。



                    ◆

「……入場料分合わせても五千円は出し過ぎちゃったかな……?」

 駅のホーム、電車を待ちながらどーでもいいお金の計算など愚痴って牧は大きなため息をついた。ちょっと泣きそうだけど怒りで泣くのもカッコ悪いと思って根性で涙をすすり戻す。あの場面で怒る自分も大人げ無いとは思った。それでも怒りを抑えられなかったのは正直、図星をつかれたのが悔しかった事もある。

「私の…将来の夢……やりたい事かぁ……」



                    ◆

「先輩は?」

 編集部に戻るとすぐに彼女の目は不破の姿を捜していた。ほとんどそれが条件反射みたいになっていたことを牧は初めて自覚する。

「不破さんなら国会図書館ですよ。何でも例の『嘉納』の件で調べ物があるのだそうで……」

 不破のみならずほとんどの人が出払っている、夕刊片手に留守番の尾上がのんびりとした口調で答えた。

「……そう、ですか……」

 心の中のモヤモヤが晴れないまま、はぁ……と肩を落とす。

「雑用なら言ってくれればやるのに──」

 そう小さく呟いて「………」しばし沈黙。



「…んン~……ぬアああぁ~~~っ!!」
「ど、どうしたんです? 牧ちゃん!?」

 唐突に頭を抱えて唸り声を上げた牧に尾上は読んでいた夕刊を床に落とした。

「……何デモ、ナイデス……」

 そのまま不破の机に腰を落とすと突っ伏し果てる。それは自分で口にしたセリフで「雑用=やりたい事」の公式が成立してしまったことに対する自己嫌悪だった。
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