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作者: 沖房 甍
推測
 嘉納が再び姿を現したのは栃木の一件から10日ほど過ぎた後、愛知県にて目撃報告がなされる。
 さすがに期間が空いたこともあり、完全にノーガードだったコース上に本番1時間前に現れ、本来のランナーを差し置き完走して見せたのだった。
 彼が出現しなかった間、ネットでは様々な憶測が飛び交い、中には自分がトーチ強奪犯本人であると騙る者たちまで現れ、勝手に犯行終了宣言や政府や警視庁に要求等の声明を行ったりしていたのだが、これも数日と経たないうちに書き込み主が特定されることで鎮静化していった。

 また、犯人に替わって有志で非公認の聖火リレーを行おうという呼びかけも持ち上がり、こちらは今なお匿名掲示板を中心に話題が弾んでいるらしい。

 いずれにしろ姿を消していた犯人……嘉納が出現したことにより、再び世間はその劇場型犯罪へと目を奪われてゆくのである。

「だからさ、僕は嘉納の正体は聖火リレーの一般申し込みの選に漏れた人間じゃないか? ……って推理するんだよ。そいつが自分の欲求を満たすために聖火リレーを荒らしているんじゃないかな……って思うんだ」
「つまり動機は選ばれなかった憂さ晴らし? そんな単純な理由でそこまでやるのかな? 意味わかんない」
「じゃあ何で最初に聖火トーチを盗んで、しかもわざわざそれを持って現れるわけ? 絶対あの行為は何かしらのアピールだと思うんだけどなぁ?」
「う~ん……私はもっと人の情念みたいなものを感じるんだけどなぁ?」
「情念? それって恨みとか妬み、みたいな? だったらさっき僕が言ってたことと同じなんじゃないか?」
「そーゆーのじゃなくって……何てゆーのかな? 誰かに対する哀惜とか鎮魂みたいなもっと複雑な心理……って気がするのよね」
「え~っ、それこそ意味が分からないよ」
「そーかなぁ? 分っかんないかなー???」

 慧哲編集部の応接用テーブル(……と言っても書類屑や空き缶、ドリンク剤の空き瓶等でとてもじゃないが来客をもてなせる状態ではないが……)では牧と高藤が嘉納の正体と目的について議論を交わしていた。尤も、それは記事を練り上げるためのディスカッションなどではなく、単に彼の再出現を受けたワイドショー番組でのコメントを発端にした口論に過ぎないのだが……。

「何をしているんだお前たちは?」

 白熱する議論を些か呆れた表情でいつの間にか戻ってきていた不破が見下ろしていた。

「あ、先輩。先輩は何だと思いますか、嘉納の目的って?」
「知らんよ、本人に聞いてくれ」
「聞くことが出来ないからこうして議論しているんじゃないですか!」
「そーですよ! こーして私たちが真剣に予想しているっていうのに、先輩はフマジメです!」
「あー、そーかい。そりゃ仕事熱心な事で何よりだねっ」

 牧、高藤の両者からステレオサラウンドで反論を受けて不破は思わず耳を塞ぐ。

「まぁ、目的は知らないけどな、一つ分かったことはある」
「えっ!?」
「マジですか!?」
「何が分かったんです、先輩?」
「奴は──嘉納は、単独犯じゃあない」
「えっ? 何か証拠でも入手したんですか?」
「今までの経緯と状況を見ての単純な推測だよ」
「今までの……?」

 首を傾げる高藤。

「最初の福島。会場では犯人を取り逃がしたわけだが、地理的に考えたら徒歩で逃げ続けるのは恐らく不可能だ。まして足取りを残さず……となるとなおのことな」
「あ、確かにそうかも……」
「Jヴィレッジ駅ってな本来オリンピックが開催されるはずだった昨年、春に開業したばかりだ。その時点ではまだ周囲に十分なインフラが整ってはおらず、その後すぐにコロナの騒ぎがあったものだから今になって尚、ほとんどその環境は変わっていない」

 聞きつつ牧は先日訪れたJヴィレッジ周辺の光景を思い返す、そういえば当日その風景をして「辺ぴな所」と言ったのは他でもない自分だった。

「そうした意味では確かに現場からの離脱は容易だったのだろう。だが、そのインフラが不十分ってところがネックでな……なぁ、誰か福島周辺の地図出してくれないか?」

 近くにいた鮫島に大きめの縮尺の地図を持ってきてもらうと、不破はそれを取っ散らかったままのテーブルに広げた。

「離脱は出来ても、そこから遠くに離れるのは厄介だ。真っ先に思いつくのは車で会場手前の道路から逃走する方法、これなら単独犯でも十分犯行は成し遂げられる、……が」

 牧と高藤が覗き込む地図の上で不破が駅と交差するように伸びる道路に指を走らせた。

「日本の警察だってそこまでザルじゃない。もしも検問で上下を封鎖されたらそこで一巻の終わりだ。ついでに駅単位で封鎖が利く鉄道も同様の理由で現実的な逃走手段とは言えない」
「徒歩での逃走は無理なんですか? 山越えの方が足が付かないと思うんですが?」

 施設の周囲はほとんどが森林地帯だ。実際に嘉納はまずそちらに逃げ込み姿をくらましたことも判っている。

「難しいだろうな、舗装もされていない道では距離が稼げない。どこかの時点で移動距離を稼げる逃走手段を調達する方が効率的だ」
「むぅ~……ん」

 頭を抱え込んでしまう二人。やや投げやり気味に牧が答えを求める。

「んじゃあ、先輩だったらどー逃げます?」
「そうだな……俺だったら──、こうだな」

 と、不破は施設から森を抜け指を真東に進める……常磐線を横切る先は……。

「海……!?」
「ここでモーターボートか何かを待たせて海岸沿いを北上……」
「ちょ…っ、待って下さい不破さん、その先って……」

 地図上には左右二本の腕が上下に伸びた歯車のマーク。ここ十年の間で何度もチェックしたのであろう、擦り切れるほど赤いベールペンで丸く囲まれている。


「そう、福島第一原子力発電所だ……!」


 何だか話が突拍子もない方向に展開しつつある気がして牧と高藤は顔を見合わせる。

「げ……原発に隠れるんですか!?」
「まさか。別に施設内に立ち入ろうってわけじゃあない。この周辺は未だ一般市民の立ち入り禁止区域が数多く点在しているから、それを利用して移動して行けばだいぶ追跡の目を誤魔化せるはずだ」

 感嘆か驚愕か、牧は一度「うわぁ……」と呻いて口を覆ってしまった。

「もちろんこのプランでの逃走計画となれば単独で事を成すのは極めて困難だ、最低1~2名のサポートが要るだろうし、それなりの資金も必要だ」
「う~ん……完全に納得はできないけど……、確かに理にはかなってる様な……?」

 高藤は若干半信半疑の様子だ。だが、不破の複数犯説の根拠はそれだけではなかった。

「それとあのトーチだ。栃木に現れた時炎が灯っていただろ? あえてトーチを持って出没するということから考えて、あの炎は十中八九福島で奪ったオリジナルの聖火だ」
「そうなんですか?」
「お前さっきトーチ持って走るのは何かのアピールだ……って言ってたじゃないか? その点に関しては俺も同意見だ。だったら犯人は大義名分で本物の火を使うだろう? 聖火トーチを盗むだけ、あるいはそれに伴う示威行為が目的であれば事は福島で終わってもおかしくなかったはず……だが、栃木で示された通り犯行には続きがあった、そして今度は愛知だ」

 指折り数えて犯行を列挙する。二度あることは三度あるとも言うが、この事件はおそらく片手五本の指では収まらないだろう。

「あれが福島で奪ったトーチそのままの火であるならば、犯行中は当然どこかで火種も保管しておかなければいけなくなる。しかもあのトーチは水素を燃料にしている。犯行中とその直後、水素燃料と火種の管理やメンテナンスを任されている人間がいると考えるのが自然だろ?」

 実はここまでの推測で不破自身も不確定だった疑念が形を成し始めているところであった……「嘉納が盗んだのはトーチではなく、やはり『聖火』そのものだったのでは?」……と。
 しかし、それならばまた新たな疑念も生じる……が、それはまだあまりに漠然としていて取っ掛かりの一つもない段階……現時点においての突破口はどうやらこの複数犯説なのかも知れない。付け加えるのであれば、先日皆守に聞いた『緊急強化選手』もそうした複数犯説の根拠なのであるが、それはまだ他人に漏らす段階ではないと判断していた。

「決定的だったのは耳につけたインカムだ。たぶん奴に周囲の状況を伝え、指示を出している人間が──」
「……黒幕!? 裏で糸を引いている人間がいるんですね!?」

 言い終わらぬうちに高藤が割って入って来た。どうやら何かのスイッチが入ってしまったらしい、その目が急速に輝きを帯び始めている。一瞬気圧され……いやドン引きして不破が断言を避けた。

「……いや、あくまで推測だ。誰が主犯格かは見当つかないけどな、ともかく──」

 何だかおかしな方向に話が進みそうな予感がした不破は咳払いなんかして場の空気を整える。

「それら雑多な準備や管理をクリアーした上で、もしも今後全国のリレーコースを辿って各地に出没するとなれば、移動拠点とそこに控える共犯者は必須……ということだ」
「なるほど……」

 牧は口に当てていた手を顎に添えてうんうんと頷いた。

「それにしても……」

 まだ腑に落ちない事でもあるのか、腕組み姿勢の高藤が渋い顔で天井を見上げる。

「そこまでリスキーな思いをしてまで、彼……いや彼らですか? は、一体何をしたいのでしょうね?」
「……さぁて、何がしたいんだろうな?」

 さすがにそこまでは不破も推し量れない。

「結局そこが分からなければ何も真相には近づいてはいないって事だよな……こればかりは本人に聞いて確かめるしか無いか…………」

 後半はほぼ独り言に近い。牧は不破の口元にみるみる不敵な笑みが浮かぶのを見て悪寒が走った。


「この際だ、聞いてみるか?」


 何だか嫌ぁ~な予感しかしない……。
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