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作者: 沖房 甍
嘉納
 不破をはじめ、編集部の面々が押し迫る校了そっちのけで画面に見入っていた。

 中継カメラは建物の屋上からでも撮影しているのであろうか、やや俯瞰気味に見下ろす商店街の一角に小さな人だかりができているのが映されている。
 人だかりの多くは一様に赤いジャケットを着た大会役員と思しき人たち、それにまばらにガードマン風や警官が混じっている。一般の見物人は昨年からの新型コロナウィルスの影響で見物に規制がかけられていたこともあり決して多くはないが、遠巻きに人の輪を形成している他、窓から覗いている姿も所々に見られる。
 その中心で俄かに騒乱が上がり、人だかりから飛び出すように一つの人影が現れたのを不破は認めた。

「先輩、アイツ……ですか…?」

 いつの間にか不破の横に陣取っていた牧が伺いを立てるように呟く。

「ああ、間違いない」

 その問いに応じる不破。先日同様マスクをしているので顔の確認は出来ないが間違い様が無い、いでたちも身のこなしも紛う事無く件のトーチ強奪犯だ。それが証拠にとでも、ご丁寧に先日奪ったトーチを身分証明とばかりに所持し、その先端には赤々と炎までが灯されている。
 番組は元々昼のワイドショー番組のいちコーナーで、地方の聖火リレーの模様をリポートする内容だったはずだが、目的の撮影ポイント直前で出現した強奪犯の報告を受けて急遽それを追跡する実況中継となったようだ。
 図らずも特ダネに出くわした撮影隊はその様子を遠近双方から捉えるため手持ちのカメラ二台を二班に分けて撮影を開始、路上から追跡していた撮影班はまんまと撒かれてしまっている様だが、高い位置に陣取った班は幸いにして相手の姿を捉えるのに成功した模様である。
 その強奪犯当人は先日の出現時同様立ちふさがる警官隊を難無くいなし、たちまちのうちに包囲網を突破している最中だ。

「おぅおぅ、正に『まかり通る』と言わんばかりの大胆不敵ぶりだな」

 もはや仕事にならないと諦めたか、馬場園も観覧の輪に加わっていた。口ぶりは憎々しげだがその表情はどこか愉しそう、こうした世の中の不穏や騒乱を面白がるという意味ではあまり褒められた性格ではない。

「警官、発砲でもしてくれんモンかねぇ?」
「何を物騒な期待をしているのですか? デスク」

 鮫島女史が冷ややかなツッコミを入れる。

「仮にそんな事態になっても現状、うちのスクープの足しになるわけじゃないんですよ?」
「んヌぅ……」

 完全に言い負かされ言葉に詰まった馬場園はさも不服そうに腕組みで画面を凝視する。

「…ったく、また出し抜かれやがって……」

 果たしてそのセリフは画面の中の警官隊に言ったものなのか、それとも今ここで只のギャラリーと化している自社記者一堂にくれた嫌味なのか…?
 尤も、デスクが一番苦言を呈したかったであろう当人である不破はそんな雑音に耳を傾けることもなく、画面の賊の様子をつぶさに観察し……そのうちに眉間に皺を寄せ始める。

「……何で…火が点いてんだ……?」
「え?」

 思わずこぼれた意外な一言に牧がきょとんとした表情を向ける。

「……それに──」

 だが独り言はそれ以上音にならなかった。不破の視線の先、画面に映る賊の腕には先日遭遇した際には無かった白い包帯が巻かれていた。

「それでデスク、今更になりますけど誰か行かせますか?」
「どこだこの現場は……栃木ィ!?」

 結果の分かり切った鮫島女史の確認に馬場園はかぶりを振った。

「間に合わ無ぇよぉ。まいったね、こんなタイミングで面白おかしそうなネタをよぉ」
「うち、もしかしてこの事件と相性悪いんですかね?」

 高藤が無責任に感想を漏らすのを馬場園が黒ブチ眼鏡越しの眼圧で制する。

「やかましい、軽口たたく暇があるならさっさとジゴローの正体と次の出現場所でも探ってこい!」


 一瞬「は?」となる編集部。


「ジゴロー? ……ああ、嘉納治五郎か」

 無論画面の賊に冠したものであろう、例の如き馬場園のあだ名の引用元を不破は咄嗟に推察した。その脇で首を傾げている牧に気づき注釈を入れてやる。


嘉納治五郎〔かのう じごろう〕

1860年、現在の兵庫県神戸市で生まれる。

学生時代より柔術を学び、1882年に講道館を設立。
その後も日本のスポーツ振興や教育分野に尽力し、1909年に東洋初のIOC/国際オリンピック委員会の委員に、また1911年には大日本体育協会(現在の日本スポーツ協会)を設立、会長を務める。

1936年のIOC総会で、1940年の東京オリンピック招致に成功したがこれは日中戦争などの当時の日本をめぐる世界情勢を受け返上されることとなる。

1938年、77歳で死去する。

明治から昭和にかけて日本のスポーツの道を開いたことから「柔道の父」と呼ばれている。

(m-essa-diaより抜粋)


「要は昔の武術家だ。戦前日本のオリンピック招致にも関わった人物……ってところにかけてネタ元にしたんだろ」

 と、そこまで言って不破は牧の頭をくしゃくしゃと押し付けた。

「あひゃあっ!?」
「お前な、番組評くらいは目を通しとけ。国営の大河ドラマでも扱ってた話だぞ」
「いちいち解説せんでもいいっ!」

 馬場園が顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。自分の発想を思考回路ごと解説されたのが屈辱だったらしい。

「……だが、なるほど。そりゃ悪くない」
「?」

 乱れた髪を撫でつけ牧が恨みがましく見上げると、何を思いついたのだろうか、不破はほくそ笑んでいた。
 やがてビルからの撮影班も標的を見失い、賊の姿は現れたのと同様に忽然と消えてしまっていた。

「逃げられ…ちゃいましたか」

 観覧の輪から少しだけ距離を置いてた尾上がお茶をすすりながら呟く。番組は引き続き先程までの中継の録画映像をリピートさせてコメンテーターが憶測と持論を巡らせている。不本意ながら番組を見守っていた編集部内にもしばし呆けたような空白の時が漂った。

「……ふん、まぁ~こんなもんだろ。次からはヘリやドローンを飛ばす局も出てくるかもなぁ……」

 静寂を破ったのは案の定、デスクの濁声。こうなることは判ってましたと言いたげに画面に背を向ける。

「さぁ~て休憩は終了だ、さっさと仕事に戻れぃ! こんなんでモチベーション落としとったら承知せんぞぉ!!」

 腕をぐるぐる回して檄を飛ばす、実は内心他所の手柄が面白くなかったらしい。記者たちは渋々、そしてのろのろと各々の机へと戻っていった。



 週刊慧哲編集部内、そして以後の記事に於いて、件の聖火トーチ強奪犯はそれ以降、不破の提案が採用され『嘉納』と称されるようになる。……『ジゴロー』では無く。
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