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作者: 沖房 甍
再出現
松原伸介マツバラ シンスケ……大師署地域課巡査ね。良かったじゃないか、情報提供源ができたらもう一人前だ」

 紙コップに淹れたコーヒーをデスクトップ脇に置いた不破が一瞬くくっと喉を鳴らす、顔をディスプレイに向けたままで。

「それ、からかってるつもりですか?」

 牧は恨みがましくこちらに目を向けもしない先輩に牙を剥いた。

「警察官ったって、交番勤務じゃ大した情報は期待できませんよ!」

 翌日、『週刊慧哲』の編集部である。次号の校了が迫っているので日頃出払っている多くの編集者が作業に追われていた。

「いやいや、重要なのはツテを持つってことさ」

 茶化しているのか、それともいたって大真面目なのか、熱の抜けた様な口調で相変わらずデスクトップに向かってキーボードを叩き続ける不破。実は今、彼は口調ほどに余裕のある状況ではなく、入院していた分の仕事の穴埋めに追われていたのだ。余裕という意味ではむしろつい今しがたキッチリ仕事を終えてきたばかりの牧の方がよっぽど気楽な程である。おかげでこうして昨日の憂さ晴らしを果たせているわけだ。

「……で? そのお巡りクンは何だって現場にいたんだって?」
「何でもあの日……あー、事件のあった日ね……、その人も会場で増援に駆り出されていたんだそうです」

 頭の中で再現映像でも繰り広げられているのか、牧は身振り手振りを加えながら件の警官が聖火強奪に巻き込まれていった経緯を事細かに話し始める。

「ほぉ、そりゃ災難な事で……」

 一番の災難に遭った本人がそれをまるで他人事の様に受け流す。

「例の犯人はちょうど彼が配備されていた警備区域から侵入していたんですって。でもその場に居合わせた警官や民間警備の人間は完全にそれを見過ごしてしまった……って」
「ん? 発見出来なかったんじゃなくって、見過ごしたのか?」
「ええ、まさか会場に侵入するなんて想像していなかったって、言ってました」

 そう言って牧は両手を挙げて大袈裟に呆れる仕草をする。

「そいつぁ大失態だな」

 お気の毒……と、こちらもにべもない不破。残念ながら今は相手の不運を慮る精神的なゆとりも今は、無い。

「それじゃあその警官はさ、名誉挽回の為に何か証拠を探してやろうってまた福島に来たのかい?」

 そこに二人の話を聞いていた高藤が割って入ってくる、作業に難儀して逃避してきたらしい。

「けど、それだと越権捜査になっちゃわないか? 警官とはいえ所轄でもなけりゃ捜査担当でもない部署の人間なんだろ?」
「そーなんですよ」

 牧は高藤から差し出されたスナック菓子を一枚くわえる。

「本人もそこンところは、もちろん分かってたみたいです」
「運が良かったなぁ、スミ」

 相変わらずディスプレイに目を占有されたままの不破が少しトーンを落として呟く。

「相手が所轄か何かだったら、今頃お前さんブタ箱ン中だったぞ?」
「……そーですね」

 不破の口調はからかうようにも咎めるようにも聞こえた。それがやや気に障ったか、牧は半分拗ねたようにそっぽを向いてしまう。
 場の気まずさを察した高藤がたまらずフォローに回る。

「ん……まぁでも、結果オーライだったんじゃない? そうでなかったからこそこうして不破さんのスマホ、取り戻せたんでしょ?」
「そーですよ」

 そっぽ向いたまま牧が懐から取り出したのは不破が落としたスマホだ。いち早く松原巡査が発見していたものだが、ちょうどその現場を牧に取り押さえられたわけだ。
 話を聞くだに一体どちらが警察官だったのか判らない様相だが、恐らく牧も相手の素性を聞いた話の流れで管轄外云々につけこんで没収せしめたのだろう。

「出過ぎた事したのは反省してますけど、少しは感謝してくれたって良いじゃないですか……」
「それでよくやった……とは言えないなぁ。まぁ上手いことやったもんだな……という事にしとこうか」

 素っ気無く受け取ったスマホを傍らに置く。中身の確認がしたいところだが今は目の前の作業が最優先だ。
 その振る舞いが冷淡にでも見えたのだろうか、高藤がまた口を挟む。

「ちょっと不破さん、そりゃあんまりじゃないですか? 牧ちゃんだって一生懸命に──」
「コラァ! 休憩が長いぞ、スズノスケっ!」
「うひゃ……」

 折角の見せ場は彼方から落ちてきた馬場園デスクのカミナリで台無しにされてしまった。ここらへんのデスクの間の悪さはもう心得ていたつもりだが、いかんせんあの声の大きさである、無視することも受け流すこともかなわない。怒鳴られた高藤は渋々自分の作業に戻る他は無かった。
 ちなみに、「スズノスケ」とは馬場園デスクが高藤につけたあだ名だが、不破の「コウメイ」同様、用いているのは本人ばかりで周囲にはちっとも浸透していない。
 まだ不満げな様子の高藤スズノスケは、それでも気分を入れ替えてデスクトップに集中するためこきこきと首を鳴らした。その回した視界の片端に壁にすえ付けられたテレビが入ってくる。編集部の壁にはテレビが数台かけられており、通常報道番組なりワイドショーなりが流しっ放しになっている。もちろんテレビ局の報道とは異なり記者やライターが始終それを注視しているわけではなく、単に話のネタ探しに流しているだけに過ぎない。

「……あでゃっ!?」

 俄かにその画面を二度見した高藤が妙な奇声を発した。

「ふ、不破さん! で・で・で……っ、出たあっ!!」
「はぁ? 何がだよ?」

 ようやく仕事に専念できる時間を取り戻しかけた不破はまたもや気を削がれて苛立ちを露にする。実に鬱陶しげに視線だけ寄こすと、あわあわとこちらに顔を向ける高藤がテレビ画面を指し示したまま硬直していた。

「聖火トーチ持った男……、あ、アイツでしょ? は、犯人っっっ!!」

 しぼり出された声に促され画面に視線を移すと中継映像が放送されている。
 そして、その画面に映しだされていたのは正に先日遭遇したあの聖火強奪犯だったのだ……!
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