▼詳細検索を開く
作者: 沖房 甍
追及
 牧が再び福島のJヴィレッジ駅に到着したのはもう日が傾き始めた頃だった。

「ホンっ……ト、人使いが荒いんだから、もー!」

 さすがにその後に「ぷんぷんっ!!」とまでは口にしなかったが、子供の様に頬を膨らませて……もちろん周囲に人の目が無い事を確認した上でだが……肩をいからせずんずんとスタジアムに向かって歩を進める。時間帯もあるのだろうが、今日は特に開催されるイベントも無いため周囲に人の姿はほとんど無い閑散とした状況。施設内には辛うじて練習上がりの地方サッカーチームらしき選手の姿が認められたが、それも程なく帰途につこうといった様子だ。
 不破が犯人とひと悶着起こしたのは敷地内を越えた更に奥、そこまで来るともはや人の気配も感じられない。冷え込みからではないうら寒さに一瞬身を震わす牧。彼女がわざわざここまで足を運んだのは別に彼女の自発的意思というわけではない。事件の日、不破は犯人との格闘の際にスマホを落としてしまっていたのだ。
 咄嗟の事だったので何が記録されているのか確認してみないと分からないが、不破の話では犯人の素顔が捉えられているかも知れないというのだ。だとしたら特ダネも良いところである。その後はすぐに不破自身が病院に移送されてしまったため回収も叶わず今に到る。
 そうした重要な情報を現場検証で奪われるのもシャクなので不破がその事を警察に話す事は無く、また幸いにして発見されていない事も事情聴取中、相手の警官にカマをかけて確認済みだった。そこで不破は彼女にその捜索と回収を託したのである……が、

「普段、人にはデータは常にバックアップ取って隠しとけー……とか言ってるくせに、自分はこれなんだから……」

 思い返す度にふつふつと怒りが沸いてくる、大体からしてスマホの紛失は完全に不破の落ち度だ。それなのに自分が使いっパシり扱いされてここにいるのだ。

「仕返しに帰りは仙台で豪遊して領収書全部先輩にツケてやるからっ!」

 ささやかな復讐を目論みつつ、それだけをモチベーションに高らかにパンプスを鳴らす牧だったが、そんな気持ちも長い時間は続かず、そのうちひと気の無い施設を歩くそこはかとない背徳感に軽く高揚したりなんかして、結局探偵気取りで現場を捜索し始めている。

「ん?」

 やがて不破から聞いていた話からこの辺りだろうと見当をつけた茂みに近づいた牧は、何やら前方にうごめく人影を認めて身構えた。

「……人?」

 そう小声で呟いてから、それも無意味な推測だと思った。
 確かに日も翳ってきているのでこの距離だとその容姿や表情はまるで読み取れないが、どう考えてもそれが人であるのは間違いない……そうでなかったらそれはそれで怖い。
 その相手はまだこちらの存在に気づいていないらしい、遠目のシルエットからでも明らかに分かるような必死の様子で低木などかき分けている。

「……もしや、犯人……? まさか先輩のスマホ探しに?」

 犯人は現場に戻る…みたいな定説は刑事ドラマでもよく聞く話。相手が不破のスマホの存在に気づいていた事も既に知っている。ならばほとぼりが冷めた今、犯人がその奪取に再び現れても決して不思議な事ではない。
 冷静に考えれば身の危険を想定し、その場を一旦離れるべきところであろう…が、彼女なりのジャーナリスト魂なのか、はたまた今この場にいる怒りのぶつけどころを探していた勢いか、牧はそっと身を低くして茂みの陰に寄り人影への接近を試み始めた、無謀な行動であると自制する気持ちは欠片も無い。
 草を踏む音を和らげるためにパンプスを脱ぎ、それを武器代わりに両手に構える。本来なら今日は単に不破を迎えに病院に行くだけの予定だったこともあり、動きにくいスカートを履いて来てしまった事に若干の後悔が湧くのだが、そこは割り切って牧は立ち木沿いに迂回し人影の背後へとそっと廻りこんだ。

 マスクを着けているので顔は判らないがどうやら自分と変わらぬ程度の若い男性のようだ。背格好は牧に比べたら当然一回り以上大きいが、それでも不破に比べたらずっと華奢な印象を受ける。服装はこんな状況で遭遇するにはカジュアル過ぎる格好なのだがどこと無く流行ズレした野暮ったさも感じる。流行からズレている点においては不破も同様なのであるが、ポリシー的に流行になびく気のない不破に比べて、どちらかというと流行に追いつけない……といったタイプの身なりだ。

 ──確か先輩は、相手が小柄な男だと言ってたっけ……。

 牧本人は犯人と直接対峙していないので確認のしようがないが、ここでコソコソ探し物をしている時点で十分に容疑はある。そんな推測を巡らせているうちにだいぶ気持ちに余裕が出てきた牧は息を殺しつつ、だが獲物の寸前で一度だけ大きく深呼吸……そして──

「ご……っ、御用だァーっ!!」

 若干ズレた掛け声を上げると、大きくパンプスを振りかぶって人影に踊りかかった……!


                   ◆

「──で?」

 疑いというよりも些か呆れているといった表情で牧は氷の溶けかかったアイスラテを一気に飲み干した。準備万端(?)で挑んだ相手は、予想に反してあまりに呆気なく白旗を揚げたのだった。些か拍子抜けしてしまった捕物に加え、さすがにあの場で問い詰める気にもなれなかったので、牧は尋問場所を移すことにしたのである。
 もちろん素性も知れない人間と接触を取るのだから彼女としても決して二人きりにはなりたくはない。この場合できるだけ大きな街の飲食店辺りを選ぶのが妥当であろう。そこでJヴィレッジからいわき駅までわざわざ戻り、現在駅前の商業ビル内の喫茶店に二人はいた。
 割と洒落たインテリアで飾られた店内は時勢がら必要最低限の席しか設けられてはいないが、それでもそこそこ客の入りは良い。大体は高校生や若い社会人のカップルだったりするわけだが、意外に牧と「容疑者」の二人もその中に紛れても違和感は無かったりする。斯様な環境であればこの場で多少強めの問答があっても、きっと周囲からは痴話喧嘩か何かにしか思われないだろう……などという計算が彼女の頭にあったかどうかは謎だが、いずれにしろ場所のチョイスに関しては極めて適切であるとは言えよう。

「あなたは一体あそこで何をしていたの?」
「何って……いや、な…何も……」

 どうにも歯切れの悪い返答。テーブルを挟んで目の前に座る男は先ほどから不貞腐れた様子で顔を背けているが、どこと無くばつの悪さを感じてか肩身狭そうに、それでもシラを切り通そうと必死だ。怪しいことこの上ない。

「何も? 私には何か探していたように見えたけど?」

 牧は牧で、ブラフも誘導尋問も無く直球勝負で相手に詰め寄るが、半ば座っちゃった視線で下から睨み上げる様は案外こういう手合いには有効と見える。

「何も探してないって。……というか、何か具体的なブツを探していたわけじゃ……」
「本当ォ?」
「ほ、本当だぞ! 特にアテなんか無かった」

 そう言うと男は牧の視線を避けるように斜め上に目を向ける、心なしか顔色が赤い。

「あの辺りを探せばまだ何か証拠品が出てくるんじゃないかと思ったんだ」

 自白。結局いとも簡単に陥落した。

「ふぅ~ん……」

 まだ若干疑念の残る顔で牧は相手を値踏みするように眺めた。初見通り年の頃は自分と対して変わらなさそうだが、幼い…否、ガキっぽいかな……とさえ感じる。先にも述べた野暮ったさも相俟って、先入観無く見たなら大学生程にしか見えなかったであろう。……それにしても……、

「ちょっと待って。証拠品って……あなた、一体何者?」

 どうやら事件の状況を比較的把握しているようだ。話しっぷりから推測して事件をニュースで知ってやってきた野次馬の類で無い事は明白、何しろニュースそのものが無かった事にされているのだから。

「そ、それは……っ…」

 企業秘密です! とでも言いたげに口を濁す男。

「……言いなさい……!」
「…う……」

 古今東西の例に漏れず、こと人を問い詰めることに関しては女性の方が圧倒的に男性よりも強い。尤も、彼女の前にいる容疑者はずいぶんと追求に弱そうだが。
 既に観念してか、男は渋々懐から黒い身分証明書入れを取り出した。実物こそ目の前で見る機会は無いが、それはTVドラマではよく目にするものによく似ていた。

「……って、あなた警察官ーっ!?」
Twitter