週刊慧哲
二日後、東京──
「コウメイはどこ行ったァっ!?」
ファイルの山に埋もれた事務机の街並みの最深部で『週刊慧哲』のデスクを務める馬場園啓司の怒鳴り声が響き渡る。決して大声を出すほどの広い室内ではないのだが、元々の発声量の大きさに加えて部下をどやしつけるのが日常化しているため今更それを指摘する者もいない。
怒鳴られている当の本人の姿は無いが、その代わりにデスク席の正面に当たる席で経理をまとめていた鮫島女史が事務的、且つ無機質にそれに応じた。
「デスク、不破さんはコウメイじゃなくてタカアキです」
「知っとるわいっ!」
只でもぎょろりとした眼を更に剥き出しにした馬場園は苛立たし気に天然パーマがかった頭髪を掻きむしると年季の入った椅子にぎしりと腰掛け直した。もちろん、鮫島の指摘は相手がそれを知っていることを承知でのあげ足取りである。
「あの…デスク……」
おずおずと島一つ離れた机から編集作業中の高藤が挙手する。
「何ンだ?」
「不破さんでしたら…ほら、一昨日の件で病院に……」
一昨日の件とは福島での事件の事である。
「ぬ…っ、……そうだったか」
もちろん報告は受けているわけで、ついいつのも調子で怒鳴り散らしてしまったに過ぎない…が、
「……にしても、ベッドの上でだってものは書けるだろうが! 未だに原稿の一枚も何も出してこないとはどういうことだっ!」
「いやぁ……僕にそう言われてもですねぇ……」
心ここにあらずといった体で高藤はデスクのぼやきを聞き流した。上司の感情発散につきあっていたらいつまで経っても自分の記事が終わらない。
「いつも思うんですが……デスク、何でフリーの不破さんにあんなに振り回されてるんでしょうね?」
いい加減うんざりしてデスクトップの陰に身を潜めると、高藤は隣席の古株である尾上に視線を流す。
「あ、そう。聞いた事無かったか……不破君な、デスクの大学の後輩なんだよ」
「後輩? それにしちゃ態度が大き……あ、いや……」
別に誰が睨んでいるわけでもないのに、つい辺りを見回す。
「まぁ、デスクが二浪三留だから不破君とは七つ以上も歳は離れているがね……力関係はあの通りだよ。彼、優秀だから」
「不破さん……元慶朝の記者だったんですよね? 噂では上と揉めて飛び出したって聞いてますけど……」
「う~ん……そうだね。まぁ、そういう事にしておこうか……」
尾上は少し含みのある笑みを浮かべている。古株だから絶対何か知っているはずなのだが、言えない事情でもあるのだろうか? と高藤は訝しむ。
「何ですかそれ? 訳アリってヤツですか?」
それを聞かぬ振りで尾上は茶を啜る。当たらずとも遠からじだが、そこは本人にしか理解できない事情と心情があるのだろうからあえて掘り起こすようなマネはしない。
「……ん? 後輩と言えば──」
唐突に何かを思い出した高藤が興味の対象を換える。
「牧ちゃんは不破さんのこと先輩って呼んでますよね? 歳なら更に一回りは離れてますけど、まさか彼女もデスクと同門……?」
「いやぁ、彼女は美術系の大学出身だよ。不破君の事を先輩って呼ぶのは……まぁ、あれは彼女なりの模索の結果さね」
尾上はこれまた少し意味ありげな苦笑を浮かべたが、いまいち鈍い高藤には全くその意味が理解できなかった。
「コウメイはどこ行ったァっ!?」
ファイルの山に埋もれた事務机の街並みの最深部で『週刊慧哲』のデスクを務める馬場園啓司の怒鳴り声が響き渡る。決して大声を出すほどの広い室内ではないのだが、元々の発声量の大きさに加えて部下をどやしつけるのが日常化しているため今更それを指摘する者もいない。
怒鳴られている当の本人の姿は無いが、その代わりにデスク席の正面に当たる席で経理をまとめていた鮫島女史が事務的、且つ無機質にそれに応じた。
「デスク、不破さんはコウメイじゃなくてタカアキです」
「知っとるわいっ!」
只でもぎょろりとした眼を更に剥き出しにした馬場園は苛立たし気に天然パーマがかった頭髪を掻きむしると年季の入った椅子にぎしりと腰掛け直した。もちろん、鮫島の指摘は相手がそれを知っていることを承知でのあげ足取りである。
「あの…デスク……」
おずおずと島一つ離れた机から編集作業中の高藤が挙手する。
「何ンだ?」
「不破さんでしたら…ほら、一昨日の件で病院に……」
一昨日の件とは福島での事件の事である。
「ぬ…っ、……そうだったか」
もちろん報告は受けているわけで、ついいつのも調子で怒鳴り散らしてしまったに過ぎない…が、
「……にしても、ベッドの上でだってものは書けるだろうが! 未だに原稿の一枚も何も出してこないとはどういうことだっ!」
「いやぁ……僕にそう言われてもですねぇ……」
心ここにあらずといった体で高藤はデスクのぼやきを聞き流した。上司の感情発散につきあっていたらいつまで経っても自分の記事が終わらない。
「いつも思うんですが……デスク、何でフリーの不破さんにあんなに振り回されてるんでしょうね?」
いい加減うんざりしてデスクトップの陰に身を潜めると、高藤は隣席の古株である尾上に視線を流す。
「あ、そう。聞いた事無かったか……不破君な、デスクの大学の後輩なんだよ」
「後輩? それにしちゃ態度が大き……あ、いや……」
別に誰が睨んでいるわけでもないのに、つい辺りを見回す。
「まぁ、デスクが二浪三留だから不破君とは七つ以上も歳は離れているがね……力関係はあの通りだよ。彼、優秀だから」
「不破さん……元慶朝の記者だったんですよね? 噂では上と揉めて飛び出したって聞いてますけど……」
「う~ん……そうだね。まぁ、そういう事にしておこうか……」
尾上は少し含みのある笑みを浮かべている。古株だから絶対何か知っているはずなのだが、言えない事情でもあるのだろうか? と高藤は訝しむ。
「何ですかそれ? 訳アリってヤツですか?」
それを聞かぬ振りで尾上は茶を啜る。当たらずとも遠からじだが、そこは本人にしか理解できない事情と心情があるのだろうからあえて掘り起こすようなマネはしない。
「……ん? 後輩と言えば──」
唐突に何かを思い出した高藤が興味の対象を換える。
「牧ちゃんは不破さんのこと先輩って呼んでますよね? 歳なら更に一回りは離れてますけど、まさか彼女もデスクと同門……?」
「いやぁ、彼女は美術系の大学出身だよ。不破君の事を先輩って呼ぶのは……まぁ、あれは彼女なりの模索の結果さね」
尾上はこれまた少し意味ありげな苦笑を浮かべたが、いまいち鈍い高藤には全くその意味が理解できなかった。