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作者: 沖房 甍
東京全土火災計画
『計画的な東京全土火災計画ですって!?』

 さすがに面食らったような声がスマホの向こうから返って来た。相手は恵子夫人である。不破は青梅と別れた後、皆守と情報交換を行っていた公園に足を向けた。そのいつものベンチに今日は一人座って恵子へと電話をかけていたのである。

「ああ、神崎総司郎が俺に託したDVDには過去の首都再開発計画に関するデータだけではなく、それを補完するサブプランとして人為的な東京全土の火災を企てた計画が記録されていたんだ」
『どういう事? 首都再開発計画って、首都機能移転によって空になった土地や箱モノをカジノ化に活かそうって計画でしょ? それが何で東京を火の海にしちゃおうなんて途方も無い話になっちゃうわけ?』

 相手が不破なので恵子の口調も普段の上品な物腰ではなく、すっかり学生当時さながらの素に戻ってしまっている。

「話は最後まで聞けよ。こいつは一見本筋である首都再開発計画とは真逆な話に聞こえるけどな、当然両計画とも目的は同じだ。このサブプランは本来の首都再開発計画が円滑に進まなかった場合に半ば強行的に目的を達するための補助的措置だったらしい」
『円滑に進まなかった場合……つまり、そうした計画を妨害するファクターが当時から存在していたわけね?』
「そういう事だ。そもそも東京をカジノ化しちまおうなんて話になった時、一番それに反対するのは何だと思う?」
『それは当然地元の住民、つまり東京都民ね……。呆れた、酷い話! つまり反対勢力になり得る都民を焼き討ちで締め出してしまおうって魂胆なの!?』

 普段表では決して見せないであろう激しい怒気を恵子は遠慮も無くぶつけてくる、これも相手が不破であるからだ。

「身もフタも無いが要約するとそんな所だ。もちろん計画は秘密裏に実行され、後にそれは偶発的事故として発表されることだろうよ」

 不破の物言いは恵子とは対照的に冷ややかだが、当然内心は怒りに満ちたものだった。ただしこちらは情報を伝える側、一緒になって感情的になっても話が進まないのでここは抑えて伝達に専念している。

「何しろ反対勢力を一掃した上、焼け残った土地を……まぁ、地権関係で少々手間取るだろうが、有効活用することが出来るんだ。荒唐無稽な計画に思えるが実は極めて効率的な開発計画とも言えなくは無いがな……」
『やろうとしていた事は地上げ屋と大して変わらないじゃない』

 スマホは厭味たっぷりの恵子の呟きをしっかりと拾い上げて不破の耳元に届ける。すぐに何かに思い至ったかの様な息づかいが聞こえたかと思った途端、向こう側の恵子がその心に浮かんだ疑問を口にした。

『でも、大規模火災ったってどうやって? 確かに江戸の頃から東京は火災にめっぽう弱いと言われているし、現代でもまだ昔の街並みや区画割りが残されている下町なんかは火災延焼の危険性が大きいけど、だからといってこれだけ都市整備が進んだ東京全土を焼き尽くす様な火災なんて、本当に起こせるものなの?』
「そう、この計画の肝はそこだ。計画ではその都市整備が進んだ東京の構造そのものを利用する事にあるんだ」
『都市整備……そのもの?』
「つまりだな…、大規模火災の被害を拡大させる最大原因である延焼を防ぐ方法として、各区画の間隔を開けることで飛び火を防ぐのが最も有効な手段とされるわけだが、そのために設けられたインフラがある……」
『それって……道路交通網!?』
「その通り、東京全土に文字通り網目の様に張り巡らされた交通網……コイツを導火線として利用しようというのがこの計画の骨子なんだ!」

 電話の向こうでごくりと息を飲んでいる音が聞こえてきそうなほどの沈黙の間があった。不破は彼女のリアクションを待つつもりで話を一旦止める。程なく、些かの狼狽を含んだ恵子の更なる疑問が投げかけられる。

『でも、待ってよ。導火線と簡単に言うけど、その火種は何? それに導火線だって燃焼の糧が無ければ火は伝わらないものよ?』
「あるじゃないか、道路には常によく燃える燃料が──」

 不破が答えを口にする前にさすがに察しの良い恵子の閃きがそれを遮った。

『──車両…火災……!?』

 口調からは驚嘆というよりも、短い悲鳴のような響きの余韻が伝わってくる。

「頑丈な金属のフレームにガソリンやリチウムバッテリーといった燃焼剤を積んだタンクをプラスチックでパッケージした可燃物の塊……しかもそいつは移動が自由自在で運搬の手間要らずときている。計画によると信号網を操作する事で一時的に東京中の交通を渋滞状態に陥らせ、そこに起爆剤代わりに各所に配置した工作車両を同時発火させて短時間に『炎の網』を出現させるのだそうだ」
『それは……犯罪…いえ、テロよ…』

 まだ動揺の収まらない恵子がやっとの事で言葉を絞り出す。

『そんな計画、本当に……当時実行されかけていたって言うの? とてもじゃないけど信じられない』
「さぁな、計画の実行に関しては記録されてはいなかったんで何とも断言はできないが、その実行役として緊急強化選手が検討されていた事、SSそのものが計画のリサーチに用いられていたらしい……だが……」
『だが……?』
「……いや、……と言うか──」

 何やら思うところあってか、今度は不破が言葉を途切れさせる。

『何か気になる事でも?』
「うん……、仮に計画が実行されるとしても、SSや緊急強化選手が登用されるのであれば、その陣頭指揮を執るのは当時ディーラーと呼ばれていた神崎さんだ……俺にはあの人がそんな計画を実行する人にはどうしても思えなくてな……」

 尤もそれに関する不破の認識は神崎の人柄であり、決して当時の彼には当てはまらない。時の経過は人をも変える……事実、彼自身が当時の自分を「愚か」と評したことからも、彼が計画実行に手を染めていた可能性は限りなく高いのだ。
 だが、そんな不破の心情を気遣ったか、恵子の見解は意外な程楽観的なものだったのだ。

『その人も計画には反対だったんじゃないかな? だから当時のSSってゲームは崩壊したのかもよ』

 またひどく性善説的な考え方だ……が、彼と直に接してきた不破にとっては頭の片隅に「それでも良いのかも知れない、そうであったら良い」といった思いも過るのだ。

「そうだな……。まぁ、いずれにしろ当時、計画が実行に移される事は無かったんだ。なら、そういう事にしておくか」
『らしくないのね』

 自分からそう仕向けておいて、電話の向こう側の恵子がくすりと笑う……が、すぐにその口調は真剣みを取り戻した。

『それよりも問題なのはその火災計画が今回も進められていたら…ってことじゃない?』
「そうだな、そこら辺今後は警察の捜査に委ねることになるだろう。青梅さんの話じゃ例のサングラス連中の会社な、あそこは車両リース業務も行っていたらしいから計画の火種となる工作車両の調達は容易だった事だろう。ひょっとしたら連中が今回の実行役として準備されていた可能性は否定出来ないかも知れないな……」
『……どっちにしても、もう私たちが今回の事件に関してどうこうできる段階では無くなったわけね』
「そうでも無いぜ?」
『えっ?』

 既に事件は自分たちの手を離れてしまった事に諦念を抱きかけたところ、不破がそれをあっさり否定してみせた事に驚きを見せる恵子。

『……ひょっとして、また何か企んでる?』
「正確には、既に仕掛け済み……ってトコかな」

 まるでいたずらっ子が悪だくみを仄めかすが如き口調。他でもない、それは彼が慧哲に託してきた架空災害シミュレーションの件だ。不破がそのあらましを語って聞かせるうちに電話越しの恵子の声は、次第に呆れ果て、それでいてどこかわくわくした響きを帯び始めていく。

『キミって人は……まったく…』
「後は後輩共に任せてきたが、こいつばかしは新聞記者では出来ない事さ。云わばタブロイド誌ならではの戦い方だな。まだまだ今の写真週刊誌なんて存在は無責任に世間を煽りたてているだけの度し難い業界……ってのが一時そこに身を置いた人間としての実感だったがね。それでも使い方次第で本来の存在理由を示せる武器になる事は知っている。例えばこうしてフィクションの体で犯行計画を暴露してやることで世間に周知を促せる。本格的な警鐘は更に高尚なメディアに任せる事にはなろうが、最初の足掛かりくらいは担う事が出来るだろうよ。こうやって人民を欺き遂せたと高を括っている社会のフィクサー気取りの連中に言ってやるのさ……『俺たちは常にお前たちを視ているぞ』と……!!」

 そう語る不破の瞳にはもう、少し前までこびりついていた燻ぶった陰りは微塵も無かった。
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