▼詳細検索を開く
作者: 沖房 甍
納火
 あちこちと歩きまわった一日の最後に不破が牧と落ち合ったのは、程なく日付が変わろうという深夜になってからであった。それは別に彼女がそうしたかったからという訳では無く、不破の方がその時間しか体を空けられなかったためである。緊急事態宣言の再延長も検討されている時勢がらもあってかこんな時間に街に出たって何も楽しめそうな場所など無いのだが、その時間しかスケジュールが空かないのであればそれも致し方が無い……無いから二人はそこら辺をそぞろ歩く事にした。

「結局閉会式は観たんですか?」
「そんな時間は無ぇよ。まぁ、録画撮ってあるからもうちょい落ち着いたらゆっくり鑑賞するさ……」
「それはもう観ない事決定ですね」

 あなたの行動などお見通しですとばかりに牧はすまし顔で不破を見上げ、すぐに真面目な表情へと切り替えた。

「それで、今日青梅さんと会ったんでしょ? 咲楽さんの行方は分かった?」
「残念ながら警察の方では彼女に関して何も把握は出来ていない様だな」

 ……いや、先日咲楽の行方が掴めないといった情報を自分に提供してくれた時点で、ひょっとしたら青梅は咲楽が神崎や嘉納の共犯者であることに気づいていたのかも知れない……と不破は推測していた。だからこそ日中会った際、あの老刑事は彼らに対する心情を自分に吐露したのかも……と。
 青梅が今後警察官として如何に振舞うかは分からないが、それはもう自分たちが干渉できる話ではないと不破は思うのである……ただ自分は自分で、その良心と意思に基づいて動けば良いのだから。
 ともかく、まだ牧には大規模ハッキングの件は伏せることにした。それがまだ咲楽の手によるものなのか……限りなくその可能性は高いが……まだ不確定なのだから今話すべき事では無いし、話したところで無用な心配をかけるだけである。

「神崎さんは……ああ、その話は少し長くなりそうだから後にするか。それとな、結局新宿御苑で検挙した人間の中に嘉納はいなかったらしい」
「……そうなんだ。何か変ですね、犯罪者なのに私、今ちょっとホッとしてるなんて……」
「どうやらこの件に関わった連中はみんな揃ってあの犯人たちに共感みたいなものを抱いてしまったらしいな」

 牧の抱いた奇妙な心情に、何ともさばさばした様子で答える不破。しかし牧の方はその反面どこか釈然としない思いも心に引っかかっている。

「ねぇ、先輩……」
「何だ?」
「嘉納も、小山田……いえ、神崎さんも、それから咲楽さんも、やった事は犯罪、なんですよね?」
「……そうだな」
「中林さんも、麻臣さんも」
「そうなるな」
「ヴェラティって人も……、あの黒服サングラスたちも……」
「言うに及ばず、だよ」
「きっとどこかにいる、この事件の黒幕も」
「あのな、お前一体何が聞きたいんだ!?」
「う~~~ん……」

 何かを確かめるように次々と犯行に関わった人物の列挙を始める牧。そして最後にはすっかり考え込んでしまう。

「……これで良かったのかなぁ……?」

 どうやら昼間の不破や青梅と同じ考えに至ってしまったらしい。同じ問答をするのも面倒臭いと思ったか、不破は彼女の頭に手を乗せるとただ都会の光を薄っすら反射させる雲の垂れ込めた夜空を見上げた。

「さぁな、こればかしは本人たちが結論を出すしか無い……一生かけて、な」
「そりゃ仰る通りなんでしょうけど……何だかこう、モヤモヤが残るんだなぁ……」
「………そうだな」

 納得する外は無いにしても、やはり牧にはそれで割り切ることが出来なかった。

「ああ、そうそう。モヤモヤすると言えばな、さっき出がけに小耳に挟んだ話なんだが──」

 ……と言いかけて、何を思ったか不破は顔をしかめてこう付け足した。

「まぁ、こいつぁ身内情報なんだが……」

 それが誰を真似た仕草か気付いた牧がぷっ、と噴き出す。

「はいはい、他言無用ですね!」
「そういうこと。……でだな、オリンピック開催期間中の話なんだが、実はロンドンのテムズ川で男性の水死体が上がっていたんだそうだ。それがどうも先月から行方不明になっていたIOCの重鎮役員だって話でな……」
「えー!? まさかそれも嘉納がらみの……?」
「さぁ? それはまだ皆目見当つかないが。まぁ何だな、オリンピックも結局どこまで行っても金と政治が蔓延した世界だった……って話なのかもな。さる筋から聞いたところではオリンピック招致を巡る汚職や談合の噂もあってな、今後もあっちこっちの企業や団体で逮捕者が出るんじゃないかって話だし……まったく、クーベルタン男爵が草葉の陰で泣いている事だろうよ」
「くー……べるタン……? 誰それ???」
「『近代オリンピックの父』と呼ばれるIOCの創立者の一人だよ。今のオリンピックはアマチュアリズムを掲げたクーベルタン男爵の理念とは大きく乖離している……って話さ。お前なァ、もーちょっと勉強しとけ!」
「ぅわひゃアっ!?」

 くしゃくしゃと髪をかき回され思わず路上で変な声を上げてしまう牧。文句言いたげに肩越しに相手を睨みつけるのだが、その先にあった光景に彼女の目は奪われた。

「……あ、見て。閉会式」

 牧の指差す後方、不破も体を向けるとビルの壁面の大型ビジョンが先程まで中継していた閉会式のダイジェストシーンを引き続き流している。

 ……本当にここまで色々あった二度目の東京大会、その閉会式は開会式と同様に国立競技場にて厳かに執り行われた。当初の形からは随分と簡素化が図られたのだろう式典はハイテクを駆使した演出が盛り込まれてはいるが、ここ数回の大会の中では一番華やかさに欠けるものとなった。だがそうした中にも随所に1964年の前東京大会を意識した不思議な雰囲気を醸し出すプログラムを完成させたのである。くつろぎの空間を演出したとされる芝生が敷かれたトラックに、激闘を終えリラックスした表情の各国の選手らが入場して来る。その様子を感慨深げに見上げながら、不破がぽつりと漏らした。

「こうやっていつも自らの不器用さから艱難辛苦かんなんしんくに見舞われ、方々に叩かれ、罵られてもそれでも何とか切り抜けてしまう……もしかしたらそれがこの国の本質なのかも知れないな……」

 やがて式典はクライマックスへと移ってゆく。女優と子供らによる歌唱パフォーマンス、そのラストは『月の光』のメロディーと共に納火、花弁の様な聖火台モニュメントが静かに閉じて球形に戻ってゆく……。
 『星巡りの歌』……その消えゆく炎の陰、後方の闇に不意に不破の視線が留まった。

「……!?」

 画像は粒子が荒く焦点も定まらないため細かい部分までは明瞭に表示されないのであるが、薄暗がりに包まれた観客席に人影を見た様な気がして思わず息を飲む。





 それはじりじりと蒸せる真夏の夜が見せた幻影だったのだろうか。不破はその光と闇の揺らめきの中に静かに佇む嘉納の姿を見たのだった………。



[完]
Twitter