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作者: 沖房 甍
きょうだい
「──オリンピックの開催延期が発表される直前の昨年の春、Jヴィレッジで開催されたスタートセレモニーを遠巻きに眺める見物人の中に僕はいました。ある人物の殺害を目論んでいたのです……」

 小山田こと、元法務省の官僚であった神崎総司郎はぽつぽつとこれまでの経緯を語り始めた。

「今から二十七年前、当時まだ愚かだった僕はSSという裏世界の賭博場を母体とした地下競技を取り仕切る『ディーラー』を務めていました。自身の持つ職権を利用して無期懲役や死刑判決を受けた囚人の中から突出して運動神経の優れた人間を選出してゲームに投入したこともあります」
「……緊急……強化選手……」

 不破の喉から無意識のかすれた声が漏れる。神崎はそれを無言で肯定した。

「ノウハウは既に戦前から存在していました。故に法務省には公表されない役職が存在しており、万が一その必要が迫られた際に備えてその記録を秘密裏に保管してきたわけです。当時僕がSSのディーラーに任じられたのはそうした経緯からでした。ですがSSとそれを用いた賭場を運営していた組織は思わぬ所から亀裂が生じ、崩壊してしまいました……ある一人のプレイヤー──それも一般から参加してきたまだ十代の女子高校生が、SSのゲームシステムの綻びを利用して開催者側を破産させてしまったのです」
「そこは俺も気になっていた。開催者側の破算だなんて、一体そんな事が可能なのか!?」
「その点はいつかまた機会があったら……にしておきましょう。専門分野の知識が必要になりますので話すと長くなりますし、本筋から離れてしまいますから」

 神崎はおどけた様子で両の手を広げた。そこら辺の人を食ったような……まるで道化回しの様な仕草は小山田と呼ばれた彼の仮の姿そのものである事から、それが演技では無く彼にとって素の姿なのだろうと不破は認識する。

「……さて、そうしてものの見事に一般人によって組織は壊滅させられ、一連の計画が明るみに出た事を機に僕も自らの罪を認めて刑を受ける事でこの馬鹿げた遊戯を終わらせようと考えました……終わる…はずだったのですよ、本当はね……」

 そこまで朗々としていた彼の語り口に急に陰りが差した事で、不破の表情にも訝しみの色が浮かぶ。舞台役者の如く一人語りを繰り広げていた老紳士は今度は悲愴感漂う口上を展開させるのだった。

「……ですが当時…僕の他に実はもう一人、大きな実権を握る人物がいたのです。僕がゲームの運営を取り仕切る『ディーラー』であるように、その男は賭博に参加する客への対応と社交場としての賭場の管理を受け持つ『プロモーター』と呼ばれていました。僕はてっきり組織に関わる人間は皆逮捕されたものとばかり思っていたのですが……違ったのですね。その男は組織崩壊後も捜査の網を逃れたばかりか、その後国会議員から大臣職にまで成り上がり、現在においても政財界に大きな発言力を持つに至っていました。知らぬ間にその男の犯罪行為は一切が私に擦り付けられていた事を知ったのは長い長い懲役期間を終えて十年前出所してからの事でした。もちろんその事実には愕然としたものですが、既に疲れ果ててしまってもう異を唱える気力も無く、権力と金にまみれた世界にもううんざりしていた僕はそこから一線を引き、ひっそりと余生を過ごそうかと思っていたんですよ……2013年に東京オリンピック開催が決定し、その大会運営に関わる人物の中にその男の名前を見るまでは……ね」
「それじゃあ、あんたはそのプロモーターと呼ばれた人物に対しての怨恨と復讐の念で?」
「嫌な予感がして昔のツテを用いて調べてみたら案の定でした。あの男は事もあろうに今回のオリンピックの機会を利用して再びSS紛いの地下競技と賭場を開こうと画策していたのです。しかもそのキャスティングに利用したのはいつの間にか我が物としていた緊急強化選手運用のノウハウでした。……お恥ずかしい話です。あの男は私が行った贖罪を無意味なものにするに止まらず、それで私腹を肥やそうとしているというのですから。その事実を知ってよほど頭に血が上ってしまったのでしょうね……それで僕はどうすれば一番あの男を絶望的に葬れるのかを考えて、結局最も安直な決断をしてしまったんです。あの男が喜びの絶頂にある晴れの式典の場で命を奪ってやろう……と。ところが、運命というものは実に数奇に出来ているものなのですね。あの日、僕は出会ってしまったのですよ……」
「嘉納に……か!?」
「はい。正確には『彼』に、ではなくって『彼ら』きょうだいに、ですけどね」

 驚きで目を見開く不破に、隣のビルから見下ろす神崎はそれに不敵な笑みで応じた。

──実際昨年もあの場所に自分は来ていて、タイミングが合えば決行する寸前だったのは事実だ。それが余儀無く中断されたのは……ちょっとしたアクシデントがあったから──

 そう言えば確かにインタビューの時嘉納はそう語っていた。彼の語った「ちょっとしたアクシデント」とは、つまりこの事だったのだろう。だが『彼』ではなく『彼ら』とは、つまり……。

「彼らの目的も僕と同じでした。聞けば彼らの父は興信所を営み、とある依頼からその後のSS関係者を追う事となったのですがその調査の最中に原因不明の事故で亡くなったのだそうです。きょうだいは父親の残した調査記録を手掛かりに父親の死にかつて『プロモーター』と呼ばれたあの男の存在が関わっている事を突き止め、あの日図らずも僕と同じ行動を起こそうとした矢先に同じく父親の記録にあった僕を発見して接触を図ってきたのだそうです」

 そう言って神崎は両腕を広げると芝居がかった仕草で天を仰ぐ。

「その後僕は彼らの母親と引き合わされました。彼らの母親は夫を亡くしたショックに加え、折しも2011年の震災で被災してしまった事で精神に大きな傷を負ってしまったということでしたが、ああ……それはなんという運命の悪戯なのだろうとその時思いましたよ。その彼らの母親こそかつて僕の愚かな野心を打ち砕いた『彼女』だったのです」
「……あんたが妻と偽って連れていた車椅子の女性……、彼女こそ嘉納の母親であり『№193号』と称された人物だったんだな?」
「はい。それで僕の心は決まりました。同じ復讐であるならば、彼らきょうだいに手を貸して成就させてやる事こそ天命なのだ……とね」
「そうして、あんたたちが遭遇を果たしたことでその男の殺害計画は一旦のリセットを見た……という訳か」
「ええ、その通りです。幸い直後にオリンピックの開催延期が決まった事もありましたが、お互い同じ行為に及ぼうとする他人を見てしまった事で冷静さを取り戻したのでしょう。僕も彼らと組むことでもっと効果的な復讐方法があるのではないか? と考えるようになったのです。些か不謹慎ですが、彼らと僕の持つスキルを合わせればもっと面白いことが出来る……そんな気がしたのですよ」
「それで思いついたのが聖火強奪だった……と?」
「正確にはあの男が目論んでいた聖火を用いたSS紛いの地下競技への介入と最終的には破壊、ですね。かつて僕が『彼女』によって受けた敗北の構図を再現させようと思ったのです。元々あの男が計画していた競技は個々の競技者によるトーチの争奪戦でした。だからそのトーチを奪い取り、同時に競技の勝利条件を『トーチを持つ獲物役を最初に捕え、トーチを奪い返した者の勝利』と提示したのです。つまりは人間で行うドッグレースですね」

 それがあの日Jヴィレッジのバックヤードで不破が遭遇した嘉納乱入による騒乱劇だったのだ。開催側にもプライドがあるだろうからああも大胆に乱入されてしまっては確かに何も無かった事としてしれっと競技を再開する事は出来ないだろう。斯くして嘉納はまんまとSS擬きに参加を果たし、且つその主導権を手にしたのだ。……だが一方でまだ腑に落ちない点もある。

「何故競技内容の変更なんて相手に提示したんだ? そのままのルールでも事足りるだろうに」
「それは『彼』がトーチを奪われた先の展開を作りたくなかったからですよ。なまじ先があるとどうしても手強い『彼』との直接対決を避け、様子見に走る輩も現れる。トーチの奪取……つまり『彼』の敗北が即競技の終了となれば事は早い者勝ち、否が応にも参加する競技者は彼と対峙せねばならなくなる。僕としては競技者の徹底殲滅を望んでいたのでその勝利条件に異論はありませんでした」
「理屈は分かるが自ら獲物役ダミーヘアを引き受けるとはね。……およそ正気の沙汰じゃない」
「そこら辺に関しては特に『彼』の方がそれを望んでました。きっと『彼』も徹底的な破壊で『彼ら』やその父母の運命を翻弄した過去の呪縛を断ち切りたかったのだろうと思います」

 そこまで語ると神崎はふと物憂げに視線を落とす。

「……ひょっとしたら『彼』は僕の事も許しはしないかも知れませんね……。だから事がすべて終わって、もしも『彼』が僕の死を望むのならば、僕は喜んでこの命を差し出すつもりでいます」
「そんなんであんたは良いのかよ?」
「ええ、それこそ望むところです。僕にとってこれは復讐であると同時に贖罪でもあるのですから。それが『彼女』の子供たちの手で果たされるのであれば、むしろこんな救いはありません」

 達観……そんな言葉が不意に過った。この人物が持っている一種独特の落ち着きと言うか穏やかさの正体は、きっと既に自身の死を受け入れた末に手に入れた献身と心安らかさであるのかも知れない。とは言えそんな境地、自分には一生理解出来ないと不破は思うのである。

「中林さんや麻臣さんの件は全くの計算外だったのだろうが、そうして聖火と嘉納というプレイヤーをあんたは東京に送り届けてその使命を果たした訳だ。結果的に隠れ蓑であった裏聖火リレーは消滅してしまったがな……」

 そう結論付けて話をまとめようとした不破。だがそれを神崎は真っ向否定してみせた。

「とんでもない、僕の裏聖火リレーはまだ終わっちゃいませんよ?」
「……何だと?」
「『彼』に彼なりの決着の形があるように、僕にも僕なりの決着の形があります、元よりこれはずっと以前から僕に課せられていた後始末の様なものですからね。無念な事にコミュニティという形での裏聖火リレーは無くなってしまいましたが、だからといってまだこの聖火を絶やす気などありません。不破さん、あなたにも是非見届けて頂きますよ?」

 横浜で嘉納に言われたのと同じ様な事を神崎にも告げられ不破は思わず言葉を失う。そう言えば麻臣は横浜で気になる事を言っていた。確か神崎──小山田は裏聖火リレーのゴール地点を本家聖火リレーの都庁での到着セレモニー会場と密かに決めてた……と。

「不破さん、あなたの足元……コンクリブロックの陰にDVDが置いてあります。そこには私が知っている限りの『プロモーター』の情報とこのオリンピックの陰で何をしていたのかが記されています。あなたにそれを託しますので、もしも僕が目的を果たし遂せなかった時にはそれを自由に使って下さい」

 言われた通り不破が足下を探ると果たして一枚のDVDが差し挟んであったのを発見した。それを確認した神崎は周囲を見渡してぽつりと呟いた。

「まったく、何という醜さでしょう……。貧すれば鈍ならぬ、瀕して貪してしまったこの二年、人はかくも無様で、したり顔で、浅ましくなるものかと冷ややかな目で眺めていたものです……。五年後、十年後の世界はこんな今の世の中を、大衆を……愚かな時代と哂うのでしょうか? しかしながら人は人に幻滅する様に、人は人に希望を見出すことも出来る。いい加減憂さ晴らしに敵を吊るし上げて、揚げ足取りばかりを狙うような色眼鏡を外し、どこかでしっかりと線を引いて、足元だけではなく前を向いて歩ける世界に変えてゆけると……いえ、戻してゆけると良いのですけどね……」
「……神崎さん……?」

 不破にはその老紳士の発言の意図が理解できなかった。なぜこのタイミングで、そして何に対してそうした怒りとも儚みともつかない感情の吐露があったのだろうか。だが当の本人は不破のそうした疑問に気づく事も答える事もせず、不意に話の打ち切りを告げるのだ。

「……さて、不破さん。これは僕の最初で最後のお願いですが──」

 そう口にして神崎は不破に向き直ると、眼下から自分を見上げている不破に対し深く、恭しく頭を下げる。

「願わくばあと数日、僕たちをただ見守っていて下さい。僕たちの為す事を、何も言わずにただ見届けて頂きたい……」
「……小山田会長……」

 既に意味を果たさなくなった呼称で、敢えて不破は神崎を呼んでみた。その意味するところを理解したのか、神崎は今まで見せたことの無い安らかな笑みを見せ、そしてもう一度深々と首を垂れるのだった。

「………それでは僕はこれにて失礼しますが、事が全て終わって、もしも……万が一にも、あなたがどこかで『彼ら』きょうだいと逢う事があったなら……、その時は是非彼らが幸せに過ごせるよう手を貸してあげて下さい。……おっと、もう最後のお願いはしてしまったのでしたね」

 これはうっかり……と、はにかむ神崎。最後の最後になってもやはりこの老紳士は道化の様に振舞って見せるのだ。

「不破さん……あなたはね、きょうだいの父親によく似ているのだそうですよ? 姿形がでは無く、その無鉄砲さとか不器用な誠実さとかが、ね……」

 そう言って後退った神崎はそのまま不破の視界から姿を消す。しばらくは軽い放心状態に囚われていた不破であったが、はっと我に返り慌ててビルの階段を駆け下りその行方を捜す。だがどうやって姿をくらましたのか、とうとう神崎を見つけ出す事は出来なかったのだった。
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