ディーラー
オリンピック開催直前の緊急事態宣言は目に見えた効果を上げる事叶わず、相も変らぬ不毛なオリンピック開催是非論争にただ拍車をかけるだけで、都内の往来はむしろ何某らへかの当てつけに増加の一方を辿っている様にも見受けられた。そんな緊急事態宣言下の白昼、西新宿に不破の姿があった。
焼け付く様な炎天下の中歩きまわった末ようやく指定された雑居ビルを探し出す。そこで管理者に自分の名を告げるとその屋上へと案内された。建物内の冷房にほっと息をついたのもつかの間、最上階で外気の熱をじわりと放つ鉄の扉を開くと再び炎天下の空の下に引きずり出される事となる。
不破が小山田から呼び出しを受けたのは黒スーツたちとの立ち回りを繰り広げてから三日ほど後の事である。既に青梅からは彼が何者であり、また現在警察にはその足取りが不明である旨を聞いているため、不破は一瞬青梅への連絡も考えたのであるが、結局単独で彼に会う事に決めたのである。屋上に出た不破は呼び出した張本人である小山田の姿を捜して歩きまわるがそれらしき姿はどこにも認められない。そうして途方に暮れているところあらぬ方向から声がかけられた。
「こちらですよ、不破君」
声は頭上から降ってきたのである。不破が見上げると彼が現在いるビルよりも二階層ほど高い隣のビルの屋上からであった。もちろん声の主は小山田である。彼はこれまで不破が見てきた姿とは異なるラフな服装で心地良さそうに吹き抜ける夏の風を満喫していた。
抜け目のない男だ……不破は相変わらず本心のまるで読めない余裕しゃくしゃくの笑顔を見上げ、この炎天下の下にも拘わらず、背筋に冷たいものが流れるのを覚えた。それは仮に不破が何かしらの画策をした場合、または不破自身が望まぬ形であった可能性も踏まえて警察が同行して来た場合の備えだったのであろう……、容易に身柄を確保されぬ様小山田自身は隣のビルでこちらを見下ろすポジションを確保していたのだ。
「おや、どうしちゃったのですか、その顔は?」
手すり越しにしゃがみこんだ小山田は何とも不可思議そうに不破の顔を覗き見下ろしている。……一体どこまでこちらの動向を把握してどこまで把握できていないのかその言動からではまったく推し量ることが出来ない。
「こちらにも色々あってね……」
不破は絆創膏だらけの自分の顔を忌々し気にさする、しつこい腫れは今朝がたようやく引いたところだ。
「警察があんたを捜してますよ」
あれこれ考えるとかえって混乱するばかりだ、不破は結局腹芸は用いず単刀直入に彼に迫る事に決めた。
「おやおや。まったく呆れかえるほど不器用ですね、あなたという人は。……けど、あなたのその誠実さにはずっと好感を持ってましたよ、不破さん」
その一言で不破が余計な人間を連れて来なかった事を確信したのだろう、大いに満足した顔でそれに応える小山田。それとは反対に軽い苛立ちを覚えた不破は懐からICレコーダーを取り出し、それを彼に突き付けると言い放った。
「だったら、あんたも誠実さを持って答えてはくれないものですかね? 我々が嘉納と呼んでいた聖火トーチ強奪犯……それを陰からずっとサポートしてきたのはあんただったんだろ? 小山田さん……いや、元法務省官僚、神崎総司郎さん! あんたはかつてSSと称された地下競技を取り仕切っていた『ディーラー』と呼ばれた人間だ!」
「……そう、そして何よりもあなたはとても優秀な方です。尊敬と脅威に値するほどにね……」
自身の素性が看破された事などさして驚く仕草も無く、小山田……いや、神崎総司郎は感慨深げに目を細めるのだ。
「よくよく思い返してみればあんたは以前嘉納の事件を聖火強奪と言っていた。聖火トーチではなくって聖火……と。以前から薄々Jヴィレッジに嘉納が現れた目的が、トーチではなくって聖火そのものにあったのではないか? と考える事はあった。だが、その時はその犯行の意味が全く分からなかったから記事には敢えて『聖火トーチ強奪犯』と記していたんだ。それをあんたはさらりと聖火強奪と言ってのけた……あの時すぐにその違和感に気付いておけば、もっと早く真相に辿り着いていたのに……と今、後悔しているよ」
「ははは、それはそれは……、いや失敬。実はあの時はちょっと悪戯心でカマをかけてみたんです。もしかしたらあなたが何かを探りに裏聖火リレーを運営する僕たちに接触を図って来たんじゃないか? ……ってね。だって、直前まで『彼』に肉薄してきていた記者がいきなり僕たちに取材を申し込んでくるのですから、疑ってしまっても仕方ありませんよね?」
こうして当時の考えを聞けば彼が疑念を持ったのも無理なからぬ話だが、不可解に思うのも当然で、これは偶然の結果に他ならないのだ。元々裏聖火リレーのネタを持ち出してきたのは馬場園である。奇しくも不破はその関係性に気付かぬまま彼ら裏聖火リレーと、そして小山田こと神崎に接触を取ってしまっていたのだ。
「あなたの事はあなたが裏聖火リレーに同行する事になってから『彼』から聞きました。僕は最初危険だからあまり関わらせない方が良いと言ったんですけど、『彼』の方から自由に取材させてあげて欲しいと請われましてね……」
「あんた達以外の誰が嘉納に関わっていたかは分からないが、彼のバックアップを裏聖火リレーが担っていたと考えれば合点がいく事がいくつもある。まずは裏聖火リレーで用いていた炎……あれもスタートからずっと灯し続けていたものと聞いていたが、あれは福島で嘉納が奪った最初の聖火だったという訳だ」
「はい、火種は絶やさぬため然るべき環境でして保管しておいた方が良い。それでどうせだったら活用させてしまおう……そう考えたのがそもそもこの裏聖火リレーを発案したきっかけでした」
神崎はどこか懐かし気に虚空を見つめる。裏聖火リレー発案の切っかけは単なる思い付きやもののついでには違いなかろうが、それはそれでこの短い期間に彼なりの思い入れは芽生えていたに違いないのだ。
「楽しかったですよぉ……、たとえかりそめのイベントだったとしても、それに携わって下さった方々は皆真剣でしたから。いつの間にか僕もその祭りの輪の中で夢中になっていました……」
「あんたは途中から代表者として参加したと言っていたが、本当はそうでは無かったんだな……。あんたは事の最初から『名も無い発案者』としてSNSに参加していたんだ」
「仰る通りです。言い出しっぺが代表者にそのまま君臨していたら何だか出来過ぎていて面白くないでしょ? ですから途中から噂を聞きつけて仲間に入れて貰った体で参加したのです。もちろん予め僕に代表者のお鉢が回ってくる様に段取りを整えて……でしたけどね」
それも一つの思い入れか……、不破は皮肉っぽい自嘲を浮かべた。
「顔の見えないSNSだからこそ可能だった自作自演だったわけだな」
「そりゃ少々印象の良くない言い方だなぁ……、せめて戦略的演出と言って下さい」
「まぁ、そこら辺は別にいい。ともかく、そうして全国を転々と出来る恰好の拠点を用意したあんたはイベントの裏で嘉納のバックアップを始めたんだ。逃走時の潜伏場所の手配から怪我の治療、聖火の管理、トーチのメンテナンスに警察の情報傍受なんてこともしていたのかも知れない。俯瞰的視点で彼にリアルタイムの情報を送っている人間がいるとは睨んでいたが、彼がインカムで連絡を取っていたのはあんただったんだ」
「そうですね……ほぼ正解、としておきましょうか。『彼』の行動そのものは本人の自由意思に任せてました。僕はあくまでそれを陰ながら支援するのが役目だったのです」
神崎は意味深に笑う。もちろん不破も自身の推理が完全だとは過信していない、嘉納が何者かの身を庇っている様に感じた自分の直感は恐らく概ね間違ってはいないはずである。だとしたらそれはこの男ではない……。
「だが分からないのはあんたと彼の関係だ。嘉納という男、一度対話したことがあるがその時の印象で判断する限り犯行は自身の意志で行っているように思えた。それは今のあんたの言葉でも確信を持てた訳だが、ならばあんた自身の目的は何だ? そもそもあんたはどうして彼の犯行のバックアップなんかしているんだ?」
「そうですね……、それを語るには少しだけ話を遡る必用がありますが──」
神崎はそう言うと自身の記憶を辿る様に目を閉じる。
「──まずは、あるきょうだいの話をしましょうか……」
焼け付く様な炎天下の中歩きまわった末ようやく指定された雑居ビルを探し出す。そこで管理者に自分の名を告げるとその屋上へと案内された。建物内の冷房にほっと息をついたのもつかの間、最上階で外気の熱をじわりと放つ鉄の扉を開くと再び炎天下の空の下に引きずり出される事となる。
不破が小山田から呼び出しを受けたのは黒スーツたちとの立ち回りを繰り広げてから三日ほど後の事である。既に青梅からは彼が何者であり、また現在警察にはその足取りが不明である旨を聞いているため、不破は一瞬青梅への連絡も考えたのであるが、結局単独で彼に会う事に決めたのである。屋上に出た不破は呼び出した張本人である小山田の姿を捜して歩きまわるがそれらしき姿はどこにも認められない。そうして途方に暮れているところあらぬ方向から声がかけられた。
「こちらですよ、不破君」
声は頭上から降ってきたのである。不破が見上げると彼が現在いるビルよりも二階層ほど高い隣のビルの屋上からであった。もちろん声の主は小山田である。彼はこれまで不破が見てきた姿とは異なるラフな服装で心地良さそうに吹き抜ける夏の風を満喫していた。
抜け目のない男だ……不破は相変わらず本心のまるで読めない余裕しゃくしゃくの笑顔を見上げ、この炎天下の下にも拘わらず、背筋に冷たいものが流れるのを覚えた。それは仮に不破が何かしらの画策をした場合、または不破自身が望まぬ形であった可能性も踏まえて警察が同行して来た場合の備えだったのであろう……、容易に身柄を確保されぬ様小山田自身は隣のビルでこちらを見下ろすポジションを確保していたのだ。
「おや、どうしちゃったのですか、その顔は?」
手すり越しにしゃがみこんだ小山田は何とも不可思議そうに不破の顔を覗き見下ろしている。……一体どこまでこちらの動向を把握してどこまで把握できていないのかその言動からではまったく推し量ることが出来ない。
「こちらにも色々あってね……」
不破は絆創膏だらけの自分の顔を忌々し気にさする、しつこい腫れは今朝がたようやく引いたところだ。
「警察があんたを捜してますよ」
あれこれ考えるとかえって混乱するばかりだ、不破は結局腹芸は用いず単刀直入に彼に迫る事に決めた。
「おやおや。まったく呆れかえるほど不器用ですね、あなたという人は。……けど、あなたのその誠実さにはずっと好感を持ってましたよ、不破さん」
その一言で不破が余計な人間を連れて来なかった事を確信したのだろう、大いに満足した顔でそれに応える小山田。それとは反対に軽い苛立ちを覚えた不破は懐からICレコーダーを取り出し、それを彼に突き付けると言い放った。
「だったら、あんたも誠実さを持って答えてはくれないものですかね? 我々が嘉納と呼んでいた聖火トーチ強奪犯……それを陰からずっとサポートしてきたのはあんただったんだろ? 小山田さん……いや、元法務省官僚、神崎総司郎さん! あんたはかつてSSと称された地下競技を取り仕切っていた『ディーラー』と呼ばれた人間だ!」
「……そう、そして何よりもあなたはとても優秀な方です。尊敬と脅威に値するほどにね……」
自身の素性が看破された事などさして驚く仕草も無く、小山田……いや、神崎総司郎は感慨深げに目を細めるのだ。
「よくよく思い返してみればあんたは以前嘉納の事件を聖火強奪と言っていた。聖火トーチではなくって聖火……と。以前から薄々Jヴィレッジに嘉納が現れた目的が、トーチではなくって聖火そのものにあったのではないか? と考える事はあった。だが、その時はその犯行の意味が全く分からなかったから記事には敢えて『聖火トーチ強奪犯』と記していたんだ。それをあんたはさらりと聖火強奪と言ってのけた……あの時すぐにその違和感に気付いておけば、もっと早く真相に辿り着いていたのに……と今、後悔しているよ」
「ははは、それはそれは……、いや失敬。実はあの時はちょっと悪戯心でカマをかけてみたんです。もしかしたらあなたが何かを探りに裏聖火リレーを運営する僕たちに接触を図って来たんじゃないか? ……ってね。だって、直前まで『彼』に肉薄してきていた記者がいきなり僕たちに取材を申し込んでくるのですから、疑ってしまっても仕方ありませんよね?」
こうして当時の考えを聞けば彼が疑念を持ったのも無理なからぬ話だが、不可解に思うのも当然で、これは偶然の結果に他ならないのだ。元々裏聖火リレーのネタを持ち出してきたのは馬場園である。奇しくも不破はその関係性に気付かぬまま彼ら裏聖火リレーと、そして小山田こと神崎に接触を取ってしまっていたのだ。
「あなたの事はあなたが裏聖火リレーに同行する事になってから『彼』から聞きました。僕は最初危険だからあまり関わらせない方が良いと言ったんですけど、『彼』の方から自由に取材させてあげて欲しいと請われましてね……」
「あんた達以外の誰が嘉納に関わっていたかは分からないが、彼のバックアップを裏聖火リレーが担っていたと考えれば合点がいく事がいくつもある。まずは裏聖火リレーで用いていた炎……あれもスタートからずっと灯し続けていたものと聞いていたが、あれは福島で嘉納が奪った最初の聖火だったという訳だ」
「はい、火種は絶やさぬため然るべき環境でして保管しておいた方が良い。それでどうせだったら活用させてしまおう……そう考えたのがそもそもこの裏聖火リレーを発案したきっかけでした」
神崎はどこか懐かし気に虚空を見つめる。裏聖火リレー発案の切っかけは単なる思い付きやもののついでには違いなかろうが、それはそれでこの短い期間に彼なりの思い入れは芽生えていたに違いないのだ。
「楽しかったですよぉ……、たとえかりそめのイベントだったとしても、それに携わって下さった方々は皆真剣でしたから。いつの間にか僕もその祭りの輪の中で夢中になっていました……」
「あんたは途中から代表者として参加したと言っていたが、本当はそうでは無かったんだな……。あんたは事の最初から『名も無い発案者』としてSNSに参加していたんだ」
「仰る通りです。言い出しっぺが代表者にそのまま君臨していたら何だか出来過ぎていて面白くないでしょ? ですから途中から噂を聞きつけて仲間に入れて貰った体で参加したのです。もちろん予め僕に代表者のお鉢が回ってくる様に段取りを整えて……でしたけどね」
それも一つの思い入れか……、不破は皮肉っぽい自嘲を浮かべた。
「顔の見えないSNSだからこそ可能だった自作自演だったわけだな」
「そりゃ少々印象の良くない言い方だなぁ……、せめて戦略的演出と言って下さい」
「まぁ、そこら辺は別にいい。ともかく、そうして全国を転々と出来る恰好の拠点を用意したあんたはイベントの裏で嘉納のバックアップを始めたんだ。逃走時の潜伏場所の手配から怪我の治療、聖火の管理、トーチのメンテナンスに警察の情報傍受なんてこともしていたのかも知れない。俯瞰的視点で彼にリアルタイムの情報を送っている人間がいるとは睨んでいたが、彼がインカムで連絡を取っていたのはあんただったんだ」
「そうですね……ほぼ正解、としておきましょうか。『彼』の行動そのものは本人の自由意思に任せてました。僕はあくまでそれを陰ながら支援するのが役目だったのです」
神崎は意味深に笑う。もちろん不破も自身の推理が完全だとは過信していない、嘉納が何者かの身を庇っている様に感じた自分の直感は恐らく概ね間違ってはいないはずである。だとしたらそれはこの男ではない……。
「だが分からないのはあんたと彼の関係だ。嘉納という男、一度対話したことがあるがその時の印象で判断する限り犯行は自身の意志で行っているように思えた。それは今のあんたの言葉でも確信を持てた訳だが、ならばあんた自身の目的は何だ? そもそもあんたはどうして彼の犯行のバックアップなんかしているんだ?」
「そうですね……、それを語るには少しだけ話を遡る必用がありますが──」
神崎はそう言うと自身の記憶を辿る様に目を閉じる。
「──まずは、あるきょうだいの話をしましょうか……」