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作者: 沖房 甍
再びトウキョウへ…
 不破の襲撃を企てた四人組の黒スーツたちは既にそれを察知していた警察によって一網打尽となり、先の皆守英二殺害の容疑で逮捕された。不破によってノックダウンを食らったスキンヘッドもまた拘束後、担架に乗せられて運ばれてゆく。慌ただしく救急隊員と警官が走り回る中、満身創痍の不破と青梅は縁石に座り込んでその様子を眺めていた。

「なんて酷い顔してんだい。まったく、みっともねぇ暴れっぷりだったなぁ……」

 呆れ顔で青梅は不破にハンカチを渡す。不破の顔は散々殴りまわされ青あざやら鼻血やらでぐちゃぐちゃになっていた。そんな顔であるにも拘らず、それでも煙草はしっかり味わおうとするのだから全くその神経を疑う。

「そういうアンタはここで油売ってて良いのかよ? ……ゥ……!!」

 煙が目に染みる……なんて古めかしいフレーズはあるが、口内切った傷にはより染みるものなのだろう。無造作に吸った煙に不破は思わず頬を押さえた。

所轄外ここじゃ私ゃ部外者だよ。手伝うことなんざ何もありゃしないさね」

 青梅は肩をそびやかせて空の両手を宙に広げる。不破と違ってこちらは黎明の空にくゆらす煙が何とも心地良さそうだ。

「今ここにいる私たちゃ……そうだな、殺人事件の容疑者逮捕に協力した善意の一般人さね」
「……白々しい……」

 不破は顔をしかめるが殴られ放題の表情は既にしかめっ面みたいなものだから、傍目からはその表情の変化など全く判らない。
 部外者を装う青梅だが、一体どんな手を使ったのか、ここまでの段取り一切を整えたのはその青梅本人であるのだが、元を辿れば計画の言い出しっぺは不破の方である。
 以前一連の経緯を青梅に明かした際、嘉納関連の記事を止められたのが皆守が殺された翌日という早いタイミングであった件で、それが編集部判断では無く出版社の上から出た話だという事から何かしらの圧力がかかった可能性を指摘した不破は、ならばそれを逆手に取ってこちらがSS擬きに関わる組織の手がかりを掴んだことを匂わせ、ゲリラ的にそれを記事にする秒読み段階であるという情報を流せば連中は必ず不破を狙って動くのではないか……という思いつきを口にしたのである。この時はまだ相手の正体も判然とはしていなかったのだが、警察側にもある程度容疑が固まってきた事を受け、先日スキンヘッドをはじめとする黒スーツの一団をその手で確保できるのではないか……と青梅に持ち掛けたのである。これを受けて青梅は公安経由で本庁の捜査課を動かし、用意周到に今回のおとり作戦の準備を整えたのだった。
 とは言え警察も暇な訳ではなのだから、いつ襲撃して来るかも分からない敵に備えて不破を始終陰から警護している訳にはいかない。実のところ警察が張り込んでいたのは襲撃する側のスキンヘッドたちの方だったのだ。これは青梅ら神奈川県警捜査課が入手したスキンヘッドの顔写真から彼らが出入りする企業を突き止め、その動向を見張っていたのである。

「まぁ、あんたが裏で指示してくれたおかげでこうして奴らの接近や動きも逐一把握出来ていたわけだけどな」

 そう言って不破は耳から小型のインカムを外して青梅に返却する。血のりでべったりのインカムを受け取った青梅は汚らしそうにそれをつまみ上げて故障は無いか振ってみたりなんかしている。

やっこさんたちが出入りしていたのは表向きは聖火リレーの備品調達を請け負っていたリース会社という肩書だったがな、調べてみるとこいつが業務実態の全く存在しない会社でな……いわゆるダミー会社ってヤツだ。恐らくダイレクトな人物関係はその会社内で途切れっちまうだろうが、人間ってえのは動きを見せれば必ず足跡が残るってモンだ。こうして一度綻びが生じればどんな巨大な組織だって瓦解を始めるに違ぇ無ぇ」
「そいつぁ頼もしい限りだね」
「いやぁ、だがそいつをするのは私ら所轄じゃあない……ここからは公安の連中の仕事さ。尤も、緊急強化選手とやらは受刑者や収監者である可能性が高いって言うんなら、そいつを外に連れ出せるのはそれ相応の役職と権利を持った奴……または連中って事になる。公安も警察機構である限り、果たしてどこまでその深部に切り込めるのやら……だがね」
「鑑別所や拘置所……要するに法務省の管轄って訳か、そりゃ厄介だな。いわば飼い犬が飼い主に牙剥こうって話だからな」
「……その法務省と言や、こないだ横浜で会った人物……あんたらが小山田と呼んでいた人物の事だが──」

 無意識に足元に吸いかけの煙草を押し付けようとした青梅は、ふと気づいて胸元から携帯灰皿を取り出してその中に煙草を収めた。
 不破は先日牧や松原を交えて情報の照会を行った際明らかになった事実を思い出した。かつてSSにおいて『ディーラー』と呼ばれていた人物を捉えた写真……そこに写っていたのは小山田と同一人物だったのだ。

「──山下公園で小山田なる人物を保護した時、彼を以前どこかで見かけたような記憶が薄っすら残っていたのを思い出しましてね。あの後調べたら小山田俊一なる人物も彼の経営する建築会社も、そんなモノぁ全く存在していなかったんですわ。それで顔の記憶を当てに該当者を捜してみたところ法務省官僚に件のディーラーと同一人物と思しき人間を見つけたんですな。その人物というのが──」
「何してるんですかっ、あんたはっ!!!」

 核心に触れようとした青梅の話は突然後方から浴びせかけられた怒声でかき消された。不破が振り返るとそこに腕組みで立ちはだかる怒り心頭の牧の姿があり、さらにその後ろには彼女をなだめるのに必死になっている高藤と尾上、そして一人素知らぬ顔の鮫島女史が控えていた。

「……あ」

 虚を突かれて思わず言葉を失う不破。

「何をしているのかと聞いてるんです! 何なんですか、編集部ぐるみで何か企んでると思ったらこんな夜も明けないうちからそんな顔にされちゃって! しかもこの期に及んで何で私だけのけ者なんですかっ!!」

 牧は怒髪天を衝かんばかり勢いでぼろぼろの有様の不破へと詰め寄って来る。青梅は不破の耳元に顔を寄せるとそっと囁いた。

「ひょっとして今日の事……話してなかったのかい?」
「……言ったら反対すると思って」
「何こそこそ話してるんですかっ! 青梅さん、ひょっとしてあなたも共犯者なんですか!?」
「え? あ、いや、私は……その……」
横浜ハマの刑事ならどんな非合法な捜査しても許されるとでも思ってるんですか!? 今日びの世論にはそんな甘い考えは通用しませんよ? 道理を守らなきゃ警察だってどーなるか、いい歳してそんな事も分からないんですか!?」

 もはや視界に入る先から誰彼かまわず無差別に噛みついてくるほど怒りで我を忘れた牧の矛先は青梅にもお構い無しに向けられる。ちなみに先程まで彼女のすぐ後ろにいた高藤と尾上はとっくに彼女から距離を置き避難してしまっているし、鮫島に至ってはいつの間にか帰宅してしまった様だ。

「おお、こりゃあおっかねぇや。不破さんよ、私ゃ退散させてもらいますよ……後はお二人ごゆっくり」

 これ以上とばっちりを食らっちゃ堪らないと青梅は苦笑交じりにそそくさと退散としけこむ態勢。「おっと、そうだ……」と思い出して最後に不破に耳打ちをする。

「そう言えば小山田と呼ばれていた人物の他にもう一人、現在足取りの掴めない人物がおりましてね……。実は──」
「……えっ? いや、そんな……」

 こんな状況で俄かに信じ難い事実を耳にして、一瞬真顔に戻った不破が慌ててその詳細を問い質そうとした……ところを牧に首根っこを掴まれ引き戻される。

「あ、待て、スミっ! 今はそんなことしている場合じゃ……、ちょっ……どこ行くんだ青梅さんっ! あんたっ、無責任だぞ!!」

 不破がもう一度青梅の方に振り向くと、既に彼は警官隊の中に姿を消していた。

「どこ行くんだ……はあなたの方です、不破昂明っ! ちょっとそこ座んなさいっ!! 高藤さん、尾上さんっ! あなたたちもよ!!」

 もはやそこには先輩後輩の順列は存在しなかった。そうして逃げ遅れた三人は職場で一番年若いはずの牧に路上で説教を延々受ける事となる。不破が彼女の怒りを鎮め、一応の納得と理解を取り付けるまではこの後一週間を要する事となる。



──聖火リレーはすでに東京に到達していた。
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