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作者: 沖房 甍
黎明
 今週発行号から開始される特集記事では、まずこれまで嘉納が引き起こした騒動と以前の対談記事を絡めた複数犯説に触れ、次回に何かしらの組織的な関与を匂わせる様な内容でまとめられた。本号では明かされなかった真相は次号以降から切り込む『予告編』の体裁を取ることとなった。
 その校了をようやく終え、一切を印刷所へと送り込んだ慧哲編集部は各自ごく短いの休養のため退勤の途に就き、今は不破とデスクの馬場園の二人を残すのみだった。

「お先に」
「………おぅ」

 毎度の事だが妙にぎすぎすした空気を漂わせた短いやり取りで馬場園と挨拶を交わすと、不破は特に手荷物など持つこと無く編集部を後にした。空はまだ夜も明けぬというのに既にアスファルトからはじりじりとした熱が上がり始めている。耳を澄ますとこの都会の真っただ中にも拘らず蝉の声さえ聞こえてくるのだ。
 徹夜明けの梅雨明け即真夏日という不快極まりない東京の早朝に辟易しながら、不破は大通りを嫌がって一本内の裏通りを選んで歩く。しばらくひと気の無いビルの谷間を歩くうちに、不破はいつの間にか前後に人の気配があることに気付いた。見ると一区画向こうの建物の陰から姿を現した二人の人影が彼の行く手を塞ぐ。姿を現した男たちはこの暑さにも拘らず黒いスーツに身を包み、顔には揃いのサングラスをかけている。あまりに芝居がかった悪役ファッションであるが、その現実性の無さはいざ警察に証言しても俄かには信用してもらえ無さそうだという意味では極めて効果的なのかも知れない。
 その片割れには見覚えがある……牧の部屋に侵入して松原に重傷を負わせたというあの画像に映っていたスキンヘッドだ。隣の男も恐らくだが、その時一緒に犯行に加わっていた仲間だろう。更にちらと後方に視線を飛ばすと、やはり一区画後ろから接近して来る二人組の黒スーツサングラス男たち、どうやら完全に挟み撃ちに遭ってしまった様だ。

「仕事熱心なこったな。……見習いたくも無ぇが……」

 寝不足も相まってひどく機嫌を損ねているのか不破は小さく悪態をついた。応答も反応も無し……相手に問答をする気は無いらしい。四人はサングラス下で目くばせを交わすと無表情で走り出し、一気に不破との距離を詰めようと接近してきた。
 その瞬間唐突にV型四気筒の重低音を響かせた大型バイクが飛び出し、後方から迫る二人組と不破の間に割って入ってくる。バイクの乗り手は不破を背に、後方二人組のスーツ男の前に立ち塞がるとヘルメットを外す。

「こちらは私たちが阻止します。不破さんは前の二人を」

 実に事務的で無愛想且つ無機質な口調……それは先に退勤していたはずの鮫島だった。同時に、黒スーツたちの二人組の更に後方から高藤と尾上が駆け付け挟み込むことで後方の黒スーツ二人組の退路を断つ。

「助かった。そっちは任せるぜ」

 口端だけで笑って見せて不破は前の二人の黒スーツに視線を戻した。二人は思っても見なかった展開にこのまま襲撃を続けて良いのか、それともこの場は退くべきなのだろうか考えあぐねている様にも見える。だがその判断がまとまる前に黒スーツたちの置かれる状況は更に変化を見せた……それも彼らにとって最悪の状況に。
 一体どこに隠れていたのか、つい先ほど彼らが姿を現した建物の角から幾人もの警官たちが駆け込んできたのだ。その視界の向こう、大通りからは数台のパトカーも一方通行表示無視で入り込んでくる。それは後方も同様だった。高藤や尾上に続いて……というか、彼らを追い抜いてゆくように警官隊が出現する。

「……さぁて、果たして待ち伏せされていたのは一体どっちだったんだろうな?」

 たちまちのうちに逆転してしまった戦況に勝ち誇るかの様な不破の台詞を聞く余裕ももはや無く、統制を失った四人は思い思いの判断で逃走を始めていた。後方二人のうち一人はあっという間に警官隊に取り囲まれ取り押さえられている。もう一人は高藤や尾上の姿を見てそこが突破口と見て取ったか猛然と彼らに襲いかかってきた。

「ひえぇええっ!?」
「わわわ……っ!?」

 元から戦力としては数えられていなかったが、何しに現場に出てきたか首を傾げたくなる程怖気づく二人。やはりここが突破口と見たか彼らに掴みかからんとする黒スーツの腕は、だが寸前で伸びてきたライダースーツの鮫島の腕に阻まれた。
 黒スーツは身を反転させて標的を高藤らから鮫島に切り替え殴りかかる。それを身を屈めて躱すと鮫島は垂直に跳躍、身体を独楽の様に回転させると横なぎの蹴りを黒スーツの延髄に叩きこんだ! 腰が抜けて地べたに座り込んでいる高藤、尾上の目の前にどさりと身を倒した黒スーツ。高藤はそれを為した女性の雄姿を見上げて感嘆の声を漏らした。

「……素敵だ……」
「ええっ!?」

 何でこの状況でその台詞? と隣の呆け顔を二度見する尾上。鮫島は「好意的評価として承っておきます」と返答して手の埃をはたき落とした。


 一方、不破の前方を塞いでいた側の二人組。その片方は不破には目もくれず通りに向かってがむしゃらに中央突破を図るが多勢に無勢、やはりあえなく警官隊に取り押さえられることとなる。もう一方のスキンヘッドは建物の陰に飛びこみ、そこから別の通りに抜けて脱出を図っていた。……が、通りに出たところで外で待機していた警官に見つかり再び建物の陰に身を隠す。

「そう簡単には逃がさないぜ?」

 いつの間に回り込んでいたのか、そこには不破が待ち構えていた。不破はネクタイを解くとそれをバンテージ替わりに右の拳に巻きつけスキンヘッドに突き付けた。

手前てめぇだけは直接ブン殴ってやろうって決めてたからな……!!」

 別にこのスキンヘッドが一連の事件の黒幕って訳でもあるまいが、それが怒りの矛先にはうってつけの相手だったがために自身よりも更に上背のある巨漢に対して拳を握り締める不破。スキンヘッドは戸惑いつつも目の前の相手を倒してからこの場を後にした方が後顧の憂いが無いと踏んだのだろう、こちらも両の拳を眼前に構えてファイティングポーズを取る。
 初手は不破、顔面に向けて放った右ストレートをスキンヘッドは難なく躱し、逆に返答代わりの左のジャブが不破の頬で弾ける。

「ゥ……ぷ……っ!?」

 一瞬目の前に火花散った様な眩みが走る。スキンヘッドの一撃はどう見たって軽く放ったパンチであるのに喰らってみると意外な程重く感じた。

「……ン…のヤロ…っ、思ったよりもやるじゃねぇか……」

 思わず咬ませ犬丸出しの台詞を口にしてしまった不破だが、当然その一撃で沈むのではあまりに格好悪いので足を踏ん張ってよろつく身を起こす。そこに容赦の無いスキンヘッドの蹴りが襲う。

「ゴ……ホぉっ……!!」

 蹴りはもろに不破の横っ腹に突き刺さり、喉の奥から生暖かい液体が噴き上がりかける。それが何なのか認識する前に必死でそれを飲み込む、吐き出してしまったらそれと一緒に立ち向かう気力も抜けてしまうような気がしたからだ。

「ん……ガァあっ!!」

 やけくその大振りで振り回した右拳が当たるはずも無く空しく宙を裂く。こんなにも圧倒的な戦力差があるものかと一瞬絶望感で心が折れそうになるのであるが、それを根性論以外の何ものでもない感情で抑え込んで何とか萎えかけた闘争心を引き戻す。だいぶ無様だが相手にしがみついてはすぐに引き剥がされ、それでも腕に、脚にしがみついてはその間に体力の回復を図る、途中何度か殴られたり壁に打ち付けられたりもしたが、最初程のダメージは自覚できなかったし、何よりももうどのくらい殴られ蹴られしたのか分からなくなってしまった。
 ほぼ一方的に不破がなぶりものにされている様相。だがそれにしてはスキンヘッドの表情は次第に余裕が無くなり始めていた。もちろん不破が手強いのではない。力量的には大人と子供ほども差があり、彼からすれば大した労も無く排除できる相手だった……が、それが何故か排除できずにいる。このしつこさは何なのだろうかとスキンヘッドの心に焦燥感が芽生え始めていた。何よりもスキンヘッドを焦らせたのはこの男を相手に費やしてしまった時間である。ここまで時間を浪費してしまうとは思わなかったのだ。このままでは先程撒いてきた警官たちにまた包囲されてしまう……。
 堪らずスキンヘッドは懐からコンバットナイフを取り出す。……そう言えば以前もしつこく食らいついてきた男を排除するのにこれを使ったな……などと不意に関係の無い記憶が甦る。もちろん今回はその時よりも更に時間に余裕がないのできれいに刺してやることは出来ないだろう。相手の指や手足を引きちぎるような醜い手際を晒す事になるかも知れない……スキンヘッドは愉悦の如き軽い興奮を抑えながら自分の身体にしがみつく男に刃を突き立てようと振りかざした……!

 直後、無防備な後頭部に強烈な衝撃を受けて一瞬スキンヘッドはその身をぐらつかせた。次にナイフを掲げていた右手にも一撃、思わずナイフを取り落とす。

 何が起こったのだ? 突然の出来事に視線を後方に向けたスキンヘッドの視線……その眼下に松葉杖を構えた見知らぬ小柄な老人の姿があった。

「今のは可愛い甥っ子の分だ、受け取って貰えたかい? ……ほら不破さんよ、次はあんたの番だ!」
「ありがとよ、青梅さん!」

 青梅から放り渡された松葉杖を受け取った不破は握りの側をハンマー代わりに、それをフルスイングでスキンヘッドの顎を目がけて叩きつける。ぐしゃりと鈍い音を立てたかと思った刹那スキンヘッドの口から血が噴き出した。口元を両手で抑えて言葉にならない悲鳴を上げるスキンヘッド。

「その程度で終わりだなんて思うんじゃ無ぇぞ!! 俺の方からも、まずこいつは後輩の分だ!」

 不破は更に追い打ちでスキンヘッドの腹に一撃、胸に一撃。遠心力を加えた頑丈な杖の槌はたった数撃で相手を戦闘不能寸前まで追い詰めた。

「おっと……最後は約束通りこの手でブン殴るっ! 俺の……親友の分だっ!!」

 不破は手にした松葉杖を放り出すと膝を崩したスキンヘッドのサングラスの顔面に、渾身の右拳を叩きつけた!
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