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作者: 沖房 甍
白日の下に
 神奈川県警察本部内、その一角にあるこじんまりとした会議室は以前不破が事情聴取を受けた場所なのであるが、青梅と不破の他に今日は牧と松原もその場に同席していた。

「何で君がここにいるの?」

 何が嬉しいのかにこにこと彼女の横に着く男を何とも冷淡にあしらおうとする牧に対しその相手、松葉杖を立てかけたパイプ椅子に座した松原は不満を露わにする。

「えー、それはひどいよ牧さん。俺だってこの事件の当事者だよ?」

 牧としてはできればこの能天気な男の頭でも小突いてこの場のヒエラルキーを知らしめたいところであるが、そうは言っても相手は病み上がりでまだ職場復帰も果たせない元重傷者であるので、あまり邪険に扱うことも出来ないのが口惜しいところだ。ついでに言うのであれば、今日の彼は保護者同伴であるため出過ぎた真似も出来ない事も癪の種だったりする。

「まぁ、二人は嘉納の件で陰でコソコソ動き回っていた連中の重要な目撃者だ。だからちょいとばかり面通しに付き合ってもらおう……って事でお出で願った訳だ」

 のっけから巻き起こった子供のケンカを一通り見届け、気の済んだところで両者を呼んだ理由を説明する不破。その姿をちらりと見て牧は小さなため息をついた。先日の肉離れがまだ完治していない不破はまるで松原と申し合わせた様に松葉杖を傍らに置く身である。改めて両者を並べて見る彼女からすると、どちらも同レベルな様な気もしてくるのだ。

「……ん、何だ?」
「いえ、別に……」

 妙に冷めた表情で牧はそっぽを向く。その不毛なやり取りにしびれを切らした青梅がテーブルを指で弾いて一同の注目を誘う。

「そろそろ本題に入って良いかな、不破さんよ」
「ああ、そうだな。そんじゃあ早速始めようか」

 一連の事件において今まで不破とその周辺の人間が入手してきた情報は何よりも核心に迫るものだった。とりわけ誰よりもその核心に近づき、結果自らも被害者の一人となってしまった皆守の取材記録は事件の裏に隠された影の部分を白日の下に晒す正に切り札となるものと言えよう。今日はヴェラティの件や中林・麻臣の件など裏聖火リレーに関わるトラブルで延び延びになっていたこれらの情報を突き合わせ、総合的な分析と手がかりを探ろうという不破の提案によってこの場を提供してもらったのである。
 警察側は余人を介さず青梅一人である。もちろんこの場で明らかとされる情報は全て証拠や手掛かりとして警察でも共有される事になるのだが、その窓口として彼以外の警官を介さないのは彼なりの敬意と礼儀なのだろう。その点に関して有難くも不破はこれまで随分と助けられたりお目こぼしなども受けてきた訳だが、署内の備品の操作にもたついているのを見ているとそれもメリットデメリット半々だなぁ……などとも思うのだ。結局プロジェクターの操作を持て余した青梅は牧や松原の手を借りてようやく画像の投影に漕ぎつくことが出来た。

「……さて、まずは何から手を付けていこうかね?」
「当然奴らからですよ!」

 慣れない手つきでノートPCを操作する青梅に応じて松原が息巻いてテーブルに身を乗り出す。

「何者だか知らないけど、牧さんを危ない目に遭わせたあいつらを許しておくもんかよ!」

 怒りに握りしめた拳をどん、とテーブルに叩きつける。危ない目というのであれば自分の方が余程危険な目に遭ったクチであるのだが、お人好しなこの青年はすぐに自身の事を忘れてしまうようで、案の定あまり激しい動きをするとまだ傷に響く事をすっかり失念しているようだ。

「あ痛たた……」
「バカね、興奮して傷が開いたらどうする気よ?」

 昂る松原を冷静にたしなめる牧。そのやり取りを横目に苦笑顔の青梅が広島で撮影された嘉納と刺客が繰り広げた死闘を写した画像と動画のファイルを開いた。

「それにしても、あの時機材は奴らに持ってかれちゃったのに、よく画像が残ってたね」
「先輩に散々叩き込まれましたからね。……もしも特ダネ撮ったらデータはバックアップ取って肌身離さず隠しとけ……ですよね?」

 実は意識してバックアップを取っていたわけでなく、急いで広島の現場から立ち去る際にほぼ無意識でSDカードを服の下に隠して置いた事が幸いした結果であり、そういう意味では福島の時の不破とどっこいどっこいなのであるのだが……、手柄には間違いないのでそこは棚に置いた牧が不破に自慢げな視線を送る。それを受け流すかの様に不破が「はいはい、よくやったよ」と頭をなでると、その子ども扱いが気に障ったか彼女は急に不貞腐れてまたそっぽを向いてしまった。そのままの状態で画面に目も向けず牧は補足を付け加える。

「その先、嘉納と道着姿に目出し帽の連中をロングで捉えている画像の左下に黒いバンとそこから出てきたと思われる黒服サングラスの一団が写っているはずです。彼等はどうも嘉納やそれを襲撃している連中を監視していた様に見えました」
「牧さんよ、あんたの部屋に押し入った連中も同じ連中だったのかい?」
「………間違いありません。その中のスキンヘッドは私たちが撮影していたことに最初に気付いた奴で、私も記憶に強く残っていたんでよく覚えてます」

 青梅の確認に牧は確信持って答えるのだが、その時の恐怖でも思い出されたのだろうか、少し険しい表情で自分の腕をぎゅっと抱きすくめた。

「こいつらが嘉納って奴と謎のアスリート軍団とのバトルを監視しているとして、だとしたら何かの組織ですかね?」
「……その場末のゲーム設定みたいな言い方……っ!」

 そう言って牧は顔をしかめるが、内心その言い回しが存外ぴったりとイメージを捉えている事に感心などしていたりする。それだけ嘉納を巡る一連の状況は現実離れしている証拠なのかも知れない。一方、より現実的に事に当たらねばならない青梅の方はそれを素直に感心してやることは出来ない。関わるのであれば確実な確証を得ない事には済まない立場なのだ。眉間にさらに深いシワを寄せて、青梅は画像の人物に目を凝らす。

「望遠での写真を更にクローズアップしている画像だけじゃ手がかりとしては心許無ぇな……。他にはこいつらが写っている写真は無ぇのかい?」
「ちょいと待ってくれ。……ひょっとしたら」

 何か心当たりがあるのか、青梅の不破が脇から手を伸ばしてキーボードを叩くと新たなファイルが開かれる。それは福島で不破が撮影したバックヤードでの騒ぎの画像だった。

「騒ぎが起こり始めたあたりの画像だ。嘉納が会場裏に侵入した事でこの後バックヤードが大騒ぎになるのだが──」

 不破は画像を何枚も表示させ、取っては変えまた取っては変え……といった具合に何度も画像を見返している。やがて一枚の画像で彼の動きが止まった。

「………見つけた、こいつだ!」
「あ、コイツ……!?」

 不破と重なる様に牧も声を上げた。嘉納に翻弄されて右往左往するセレモニーのスタッフ。その中に混じって愕然とした表情のスキンヘッドの姿がそこにあったのだ。

「間違いない。……牧さんの部屋に侵入したアイツだ……! Jヴィレッジにも来ていたんですね」

 奇しくも同じくその場にいたはずである松原も仇敵を発見して呻く。画像にこそ写り込んではいないが彼も現場の周辺でやはり右往左往としていたはずなのだ。

「でもこいつら、最初からずっと嘉納を監視していたんだよね? その割にここでは随分彼の襲撃に慌てふためいている様に見えるんだけど……これって一体どういう事なんだ?」

 確かに松原の感想通り、画像内にはスキンヘッド……そしてその仲間と思しき数人の黒服サングラス姿の男たちも散見できるのだが、見たところ突然の出来事に狼狽えている姿を晒しており、その表情は到底演技とは思えない。

「それは、嘉納の存在自体がこの時点では全くの想定外だったからじゃないかな? ……こいつはあくまで俺個人の推測なんだが──」

 この事件を最初から、そして誰よりも近い視点で見続けていた不破はその経緯を振り返り、独自の推測に基づいた事件のあらましを語りだす。

「──元々あの聖火リレーの陰で繰り広げられていたSS擬きのゲームは、嘉納の存在とは関係無く緊急強化選手と呼ばれた存在しないはずのアスリートたちで繰り広げられる予定だったと俺は推測している。そのスタート地点が聖火リレーと同じこのJヴィレッジだったんだ。ところがそのスタートの矢先に嘉納が現れた。それが連中からしたら全くの想定外の事態だった事はその画像に写った混乱ぶりからも判るだろう。そして嘉納が何故トーチを奪ったのか? なぜ出没の際には必ずトーチを手にしていたのか? それは恐らくこのトーチがSS擬きのクリアーアイテム……つまりこいつの所持がゲームの勝利条件だったのではないか? だからそれを奪われた時点でゲームは嘉納を追う緊急強化選手という構造に変貌したのだと考えられるんだ」
「なるほど。それで嘉納は行動するのに邪魔であるにも拘らずいつもトーチを持っていたってワケか……」

 心底得心した様に大袈裟に頷く松原。シチュエーションが元よりゲーム性の強いものである事からむしろ青梅よりも松原や牧の世代の方が理解は早いらしい。

「ともあれ、今は嘉納よりもこのグラサン軍団だ。こちらの画像はスミの撮ってきたものよりも近距離で捉えてある。これだけしっかり顔を押さえてあれば照合も可能だよな?」
「偶然の産物なのに随分と得意げで……」

 引き合いに出された牧の方はおいしい所を不破に持って行かれてしまって若干不満顔だ。青梅はふむ、と一度頷いて両者の顔を見上げた。

「そうだな。これでこの黒服どもの事件への関与は濃厚となった訳だ。牧さんよ、あんたの写真も補強材料を提供してくれてのお手柄だ、市街でこれを撮ったって言うのならどうしてどうして、なかなかの腕前じゃあねぇか……」

 牧に対しての労いに相好を崩してみせると青梅はこれらスキンヘッドの写っている画像の他に何枚かの画像をチョイスしてDVDにコピーする。こうしたデジタルの画像が必ずしも決定的な物証となるとは限らないのだが、それでも捜査の重要な足掛かりになるのは間違いは無いだろう。

「……さて、と。それで不破さんよ、次は皆守さんの遺したモノの方だが……何か分かったのかね?」
「ああ。こっちは俺も昨日初めて確認させてもらったよ」

 不破は手元からクリアファイルに収められた書類とUSBメモリーを取り出した。一瞬ちらりと牧の方を伺って少し表情を曇らせる。

「……正直、驚いたよ。事件としてではなく、いち個人として信じ難い事実がそこに記録されていたんでな……」

 不破はホワイトボードに書類をマグネットで留めて掲示する。こういう場合本当はその場にいる人数分コピーを取って配布するものだが、ものが事件の証拠になるものなので無用な散逸や流出を恐れて敢えて現物だけで済まそうと考えての事だ。

「これらは既に青梅さんに話してあったSSと首都再開発計画に関する補足みたいなものだ。当時の関連業者や企業、またそこでダイレクトに関わった人物等がリストアップされてある。事によったらさっきのスキンヘッドもここに記録されている業者や企業の関係者である可能性も考えられるわけだ。そしてUSBメモリーの方にはSSを巡る当時の顛末について、皆守の追加リサーチが記録されていた。そこには当時撮影されたであろう写真も収められていたのだが……」

 不破は解説をしながら手元でPCを操作してプロジェクターで画像を投影させる。そこに表示されたのは隠し撮りされたような二人の人物のクローズアップ写真である。それを見た瞬間青梅の眉がぴくりと跳ね上がり、また牧は驚愕の表情を浮かべたのである。

「せ…っ、先輩……この人は……いえ、この人たちは………!?」

 激しく狼狽を見せる牧を制する様に一度目配せをした不破は、自身も動揺を見せまいと努めて冷静な口調でそこに記された調査記録を読み上げる。

「一枚はSSのゲーム進行を取り仕切っていた『ディーラー』と呼ばれた人物。そしてもう一人はSSのプレイヤーで、ゲームを運営していた組織壊滅のきっかけを作った当時一般高校生と思しき少女……登録コード『№193号』と呼ばれた人物だ」



                    ◆

 県警を後にした不破と牧は陰鬱とした表情で海岸通りを歩いていた。その間随分長い沈黙が続いたのであるが、やがて桜木町の駅が見え始めた頃に牧が口を開く。

「……何だか意地の悪い神様にでも運命操られているみたいですね……」
「そんなものこの世にいるなら世の中はもっと平和になっているだろうし、それが本当に人ならざる者の仕業なら、そいつは神なんかじゃ無いよ」

 不破はまるで色気の無い現実主義で運命論を切って捨てる。

「人の出会いなんてものは必然と偶然で編まれた結果に過ぎない。そこに意味を求めて苦しくなるなら今はそんなもの信じる必要など無いだろうが。それよりも俺たちは俺たちに出来る事を考えろ」

 そうぶっきら棒に言い放つと彼女の頭を軽くはたく。別に痛くも無いのに頭をさする牧は恨めしさに少しだけ甘えた感情を混じらせた視線を不破に向けると口を尖らせる。

「私たちに出来る事って、これ以上何する気ですか。事はもう警察に委ねられちゃっているんですよ?」
「青梅さんは何のために今日一人で応対していたと思ってるんだ? それと、俺たちの情報も押収すること無く『共有』したのは何故だと思う?」
「……え?」

 不意の疑問で足を止めた牧に身体ごと振り向いてみせると不破は彼女に顔を寄せ不敵な笑みを浮かべた。

「記者の武器はハナっから一つだけだろ? ……その前にまずはデスクを説得しないといけないんだから、お前も編集部に戻る前に何か面白おかしそうなゲスい口説き文句考えとけよ?」


 数日後、電車の中吊りの『週刊慧哲』の見出しには『独占スクープ!! 本誌記者が暴く、聖火トーチ強奪犯騒ぎの陰で暗躍する集団の正体』というアオリ文句が躍っていた。
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