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作者: 沖房 甍
祭りの後に…
 牧が川崎のウィークリーマンションに咲楽を訪ねると、丁度彼女はひと通りの荷造りを終えたところだった。

「あ、牧さん!」
「えー、もう荷造り終わっちゃったんだ。手伝おうと思ってきたんだけど、手遅れだったかぁ……」

 玄関先で牧はがっくりと肩を落とす。

「いえ、荷物ったってほんのちょっぴりだから。さ、どうぞ上がって下さい。こういう状況ですからペットボトルのお茶くらいしか出せませんけど」
「大丈夫。そうくると思って、コンビニで差し入れ買ってきたから」
「いいですね~、じゃあ最後の晩餐としゃれこみましょうか」

 そう言って咲楽は牧を室内へと促す。荷造りと言っても各地を転々とする関係上さほど大荷物では無く、精々段ボール箱にして五箱程度である。搬出の手間を省くため玄関先に積み重ねたそれを体半分に避けつつ牧はリビングへと通された。
 荷造りを終えた咲楽の私物は既に室内には無いが、ウィークリーマンションの性質上家具調度品や食器等は元々備え付けなのでそのまま室内に残っている。掃除も終えた後なので二人はなるべく散らかさず汚さずを心掛けつつ自身の収まり所を探る。

「もう少ししたら宅配の人が来るんで、荷物を預けたらそのまま出発しようと思ってます」
「……そうなんだ、やっぱり帰るんだね」
「うん。残念だけど、もうここにいる理由も無くなっちゃったので……」

 先日の中林と麻臣の一件、不破たちの奮闘で爆弾の被害だけは何とか防いだ形となったが、逮捕者が出た事を考慮すると事件を内々に済ます事は出来なかった。当然裏聖火リレーは続行不可能となり、スタッフも解散と相成る。だが事はそれだけでは済まず、事件を知らせる報道が出た途端ネットでは様々な憶測や中傷、それにかこつけた本来無関係な政治的・思想的コメントが飛び交い、中にはスタッフや参加者に対する脅迫染みた書き込みやDMなども多数寄せられるようになる。
 こうしてもはや収拾のつかなくなってしまった状況結果、コミュニティーの屋台骨を担っていたSNSもまた閉鎖する運びとなったのだった。

「……そっか、ごめんね」

 牧は申し訳無さそうに俯く。

「何が?」
「私たちが関わらなければ、すぐには警察沙汰にはならなかったかも知れなかったのに……」
「バカな事言わないで下さい、むしろあの時不破さんが警察呼んでくれなければ被害者が出ていたかも知れないんですよ? 私だってお二人が奔走してくれたからこそ、こうして怪我無く済んだんですから」

 咲楽は牧の手を握って自分の顔の前に引き寄せた。彼女の言うところの被害者とは麻臣の仕掛けた爆弾の……という意味なのであろうが、そこに咲楽も含まれていた可能性だってあったはずである。たとえ中林自身に彼女を傷つける意思が無かった事は信用出来ても、あの場面で思いもしない展開にだってなっていたかも知れないのだ。

「二人がいてくれて良かった……私はそう思ってます」

 もちろんそうした可能性は彼女も十分理解していただろう。だがその全てを飲み込んで咲楽は晴れ晴れとした顔を牧に向ける。それでも裏聖火リレーが続けられなくなった事には悔しい思いがあるはずである。牧はそれでも気丈に振舞う咲楽が何とも愛おしくなり思わず抱きしめてしまう。

「……ま……牧さん? ………その、……暑いです……」
「ああっ、ゴメンっ!!」

 思えばすっかり梅雨も真っただ中、ただただ蒸し暑いこの季節にこういうシチュエーションは本当に似つかわしくないな……などと牧は思うのだ。


 荷物を宅配で送り終えると、牧と咲楽はペットボトルのお茶とコンビニおにぎり、そしてカップのスイーツで別離の盃を交わした。僅か一週間にも満たない短い時間であったが二人の交流は濃密なものであったと牧は考えている。反面その構築の時間と同様、別れの時があっという間に訪れた事を皮肉に感じ、残念でもならないのだ。二人はその短い時間を反芻するかの様に、話に花を咲かせた。

「──そう言えば昨日九品礼さんと会ってね、ちょうど事情聴取を終えて帰るところだったって言ってた。咲楽さんの方はもう終えたの?」
「……え、………うん……」
「……あ、そういう話はマズかったかな?」

 急に歯切れの悪い返事で流れが途切れてしまった。逮捕された中林は牧がこのコミュニティに関わる以前からずいぶん咲楽を可愛がっていたと聞いているので、牧はその件には触れるべきでは無かったかと気まずい思いで顔色を曇らすのだが、それを見た咲楽にかえって気を遣わせてしまったのだろう、彼女は取り繕う様に笑顔を見せる。

「ううん、大丈夫。ここ数日色々大変だったし、今後の事も考えなきゃいけないからちょっとボーっとしちゃっただけ」
「ホント? それなら良いんだけど……」

 大丈夫とは言うがそんなはずは無いだろう事は牧も判っていた。昨日会った九品礼はコミュニティの解散に関してもずっと割り切っていた様であるし、明るく別れも交わすことも出来た。それこそ軽い気持ちで近いうちの再会を約束したほどだ。だが牧が思うに咲楽は他のスタッフよりもずっとコミュニティに対する思い入れを強く持っている様に思える。それがこんな形で終わりを迎えた事に何のショックも抱いていないとは考え難いのだ。

──このまま別れちゃって良いものだろうか? このまま彼女を見送ってしまったら煙の様にふっと消えてしまって二度と会えなくなってしまうのではなかろうか?

 牧は咲楽の様子を窺いながら、彼女の行く末に対するそんな漠然とした不安を感じていたのである。

「……って、ねぇ、聞いてる? 牧さん!」
「へっ!?」

 いつの間にか覗き込んでいた相手から逆に覗き込まれていた。何やら話しかけられていたらしく、咲楽は少々むくれた様子でこちらを見上げている。

「ああ、ごめん、今度はこっちがボーっとしちゃってた」
「牧さんこそ大丈夫ですか? まだ疲れが残っているんじゃないですか?」

 気遣うべき相手に心配されちゃ立つ瀬が無い。

「平気だよ。少なくとも肉離れ起こして身動き取れない誰かさんとは違うから」

 もちろん不破の事である。あの日爆弾抱えての無茶な大立ち回りで肉離れを再発させ、結局その後医者から安静を言い渡されているのだ。この場にいない人間を話題に持ち出す事で、牧は今この場の二人の気遣い合いの落としどころにすることとした。

「まぁ、あの人はいつもあんなだから、それこそ心配する必要も無いけどね。……で、うっかり聞き逃しちゃったけど、何の話だっけ?」
「……え、うん。……麻臣さんの事なんだけど……」
「麻臣さん?」

 不破経由で聞いた青梅の話によれば、麻臣は身柄を確保されてからずっと黙秘を貫き通しているのだそうだ。そのため犯行の動機に関しては山下公園で自分と不破に語った話に頼るしかないというのが現在の状況だという。

「私あの後ずっと考えていたんだけど……麻臣さん、本当は爆弾を爆発させる気なんて無かったんじゃないかなぁ……って」
「その気が無かった? 何でそう思うの?」
「うん、あの人医者でしょ? ものすごい皮肉屋だったけど自分の職務にはプライドを持っていた人だったと思うのよ。だから少なくとも誰かを傷つけようだなんて望んではいなかったような気がするんだけどなぁ……」

「……そう……なのかな……?」

 牧には咲楽の言い分を俄かに肯定することが出来なかった。山下公園で対峙した際の彼の言動からはそうした医者のプライドであるとか害意が無いような含みは全く感じられなかったからだ。

「ひねくれ者なんですよ、あの人。私たちはいつもあの人のいう事を反対の意味で捉える事にしてたの。だからあの人がそんな他人を害するようなことを言っていたのだとしたら……それは本当はその気がないって意味だったんじゃないかなぁ……って、そう思うのよ。だって、爆弾を仕掛けたのが結局あんな一般人があまり来ないような場所だったなんて、考えてみればおかしくないですか? 誰かを巻き添えにしようなんて気は、きっと最初から無かったんですよ」
「……なるほど、言われてみれば……」

 改めて彼の言動を思い返してみると、確かにそう思えなくもない。だが、それならば余計に彼を凶行に走らせた事情が悲しく思えてもくる。
 そしてもう一点、麻臣に関してはいまだに明らかにされていない容疑が残っている。それは仙台の一件以来一切の音沙汰が無くなったヴェラティの件である。咲楽の話によれば彼女を最後に送り届けたのが麻臣であった。その後の彼女の動向が一切無くなった事との関係性は明らかにされなければならないのであるが、その件に関しても麻臣は未だに口を開いていない。真実が明らかにされるまではもう少しだけ時間がかかりそうだった。

「……まぁ、でもさ──」

 牧は何かを吹っ切る様に首を振る。

「──青梅さんの話によると、麻臣さんの方はもうちょこっと時間がかかりそうだけど、中林さんは情状酌量が認められる可能性が高いって事らしいから、たぶん早いうちに戻って来れるよ。だからその時はみんなでちゃんと迎えてあげて、しっかりと話し合えば良いと思うよ」
「………うん、そうだね……その時は、……ね」

 咲楽は何だか含みのある笑みで手元のお茶を見つめる。牧にはその本心が読み取れる程の交流の蓄積が無いことが悔やまれた。



                    ◆

 夕刻に差し掛かる頃、二人の姿は上野駅にあった。感染状況から察するに再び緊急事態宣言が出されることも予想できるのであるが、クラシックな鉄骨が建ち並ぶ改札口は相も変らぬ都会の雑踏がひしめき合い、さすがにマスク無しでは不安になる。牧は咲楽を新幹線改札まで見送ることにした。

「先輩には会って行かなくって本当に良かったの?」
「うん、きっと顔合わせたら号泣しちゃうから」

 本気とも冗談ともつかない口調で咲楽はおどけてみせた。改札口で最後の挨拶を終えると「じゃあね」と軽い挨拶で牧は咲楽を見送る。切符を自動改札に通して一度ホームに向かった咲楽は、だが何を思ったか急に引き返して鉄柵越しの牧に叫んだ。

「牧さん……私ね、本当は自分の方が不破さんのパートナーとしてぴったりだと思っているのよ!」
「……えっ!?」

 唐突なカミングアウトに牧は顔をひきつらせたまま固まってしまう。

「だって私の持っているスキルは丁度不破さんに足らない部分を補うことが出来る。車だって運転できるし、いざとなればハッキングだってしてみせる……。私の方があなたよりもずっとずっと、あの人の役に立つって自信があるんだよ? でもね、私はもう時間切れなんだ。この先一緒に行動することはきっと出来ない……」
「……咲楽さん……?」

 時間切れの意味が理解できなかった。彼女は一体何を言わんとしているのだろう? そんな牧の戸惑いの表情をしばらくの間真剣な面持ちで眺めていた咲楽は、だがそれを払拭するような満面の笑顔を添えて彼女なりの結論を相手に告げるのだった。

「……だからさ、これからは私の分も込みで不破さんの事、よろしくね!!」

 はたはたと手を振って咲楽は乗車待ちの人波の中へ混ざっていった。牧も彼女の姿が完全に消えるまでその姿を追って目を凝らすのだが見上げるホームに彼女の姿はもう、確認できなくなっていた。


 ……そしてそれが牧の見た咲楽の最後の姿となった。
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