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作者: 沖房 甍
爆破
 空は既に夏の夜の港街特有の、纏わりつく様な湿度と密度を持ったそれへと変わりつつあった。山下公園通りから82号に入り一路本牧埠頭方面へ……、助手席に不破、後ろの簡易的なシートには牧を乗せた咲楽の小型車は時折咳込む甲高いエンジン音を唸らせてひた走る。

「急げ、横浜港シンボルタワーだ。恐らく麻臣さんはそこに爆弾を仕掛けている……!」

 本牧船舶通航信号所……一般的には横浜港シンボルタワーと称される施設は本牧埠頭の突端に位置する船舶用の信号所を兼ねた公園施設である。象徴的且つ特徴的なデザインの建造物でありながら知名度がいまいち低いのは繁華街から外れたその所在地に因るところが大きく、つい最近までは磯釣りの客が訪れる程度だった「知る人ぞ知る」観光名所なのである。

「麻臣さん、万が一犯行が発覚した際のミスリードとして山下公園にいたんですね。だから捕まってもあんなに余裕を持っていられたんだ……」

 牧が遣る瀬無げな気持ちを漏らす。実際、そのもう一つのタワーの存在を知らなかったら不破も危うく騙されるところだった。

「先輩、良く知ってましたね? そんな場所」
「……あー、実は高校の頃に暴走族ゾクと一戦交えたことがあってな……。その時乗り込んだのがそいつらの集会場になってたソコだったんだわ」

 本当の話なのか口からの出まかせなのか……まるで気の無い返答をする不破の後頭部を牧はジト目で睨みつけ、だがどうツッコんだら良いものだか困って黙り込んでしまう。不破も牧も今はそんな話をしている場合じゃない事くらい解ってる……が、軽口でも叩いていないと不安と焦りで気がどうにかなってしまいそうなのだ。そんな車内の雰囲気に喝を入れる訳でもなかろうが、急なカーブに車体が大きく横に引っ張られる、サイドピラーに頭を打ちつけた不破は「痛っ……」と、やはり無感情に呻いた。
 時折不安になる様な咲楽のハンドルさばき。それは別に彼女の運転が荒っぽい訳では無く、度が合わない眼鏡が運転を困難にしているせいであるのだが、もちろんそれだけが原因ではない。何しろここ数日の徹夜作業明けの早朝から拉致され、夏場の炎天下にコンテナに監禁、ようやく救出されたと思ったらそれが身内の犯行という事実による心理的ダメージ、更に爆弾騒ぎと畳みかける様なトラブルの連続……今日一日の咲楽の心理的・肉体的な負担は計り知れない。ただでも疲労困憊の所を運転に駆り出したのだから、恐らくは現場に到着した時点でもう咲楽は戦力として期待は出来ないだろう。
 考えてみれば爆発物のスペシャリストでもない自分たちが急行して何が出来る訳でも無いのだが、あの時点で駆けつけられる唯一の存在が自分達だったので行動せずにはいられなかった……それが正味の所だったのだ。そうした無策な状況であるが故、次から次へと不安ばかりが湧きあがるのだが、結局思い惑っていたところで何も解決しない。小難しい事は現場に到着してから考えよう……自分がそういう結論に達する事を、不破自身無意識のうちに理解していたのかも知れない。逸る気持ちとは裏腹に目的地が近づくにつれ不破の心は冷静さに似た静けさに満たされつつあった……。


 車は埠頭の一番奥に続く道に侵入、右手に真っ暗な闇に染まる水平線が広がり、煌々とした光を湛えた大小の船舶がその上を滑って行くのが確認できる。

「不破さん、ゲート閉まってますよ!?」

 タワーを含む公園施設の入り口に設けられたゲートの遮断バーが眼前に迫って来る、既に営業時間は過ぎているのでそれが自動的に開いてくれるとは思えない。

「構わねぇ、突っ込め!」

 半ばヤケクソ気味に不破は突破を指示した。

「………責任、取って下さいよね?」

 運転する咲楽の方もすっかり理性が麻痺してしまっているのか口元に笑みでも浮かべながらアクセルを踏み込む、バーが勢いよく上方に弾けて黄色い小型車がその下をすり抜けて行く。
 やがて群青色の空に入出港自由を示す「F」の光文字だけ浮かび上がらせたタワーのシルエットが見えてくる、駐車場に入ると咲楽はタワー正面の小高い芝生マウンド前に停車させた。

「詩穂ちゃんは万が一に備えてここに待機してくれ」
「……でも……」

 よろよろと、自身も車から降りようとする咲楽を不破が制する。

「役割、だよ。兵隊全員が前線に出ちゃあ締まらないだろ?」
「……はぁ。分かりました……」

 何だか上手くまるめこまれた様でイマイチ釈然としない咲楽は、だがそこで遂に限界に達したかへたり込んでしまう。そんな彼女を残して不破と牧は階段を駆け上って行く。並んで走る不破の横顔をちらりと覗き見た牧が意味深なにやけ顔を送って寄越した。

「気遣いですか? 無理するなって言っても咲楽さん、きっといて来ちゃいますもんね~」
「……お前も言ってほしかったのか?」
「全然。私は勝手に前線出ちゃう人間ですから」
「……そりゃたくましい事で……」

 二人は巨大な貝殻の形のモニュメントを通り過ぎて展望室入り口に辿り着く。営業時間を過ぎた扉は当然のように堅く閉ざされており中には入れない。

「これ、もしも中に仕掛けられていたらアウトですね」
「下の階に信号局の事務所があるはずだから俺はちょっとそちらに行ってくる。お前はこの周辺の探索を頼む」
「了解で──あれっ?」

 展望塔側面をU字に囲む展望ラウンジに向かおうと身を翻した牧が声を上げた。階下に向かおうとする不破を引き止めるとモニュメントの裏を指差した。

「先輩……もしかして、これじゃあ……?」

 モニュメントの陰の暗がりに点滅する小さな赤いLEDの光……それは2ℓサイズのアルミ製水筒を二つ並べた物体の上に取り付けられた回路から発せられているもので、間隔はキッチリ1秒刻みでリズムを打っていた。
 不破は恐る恐るその装置らしき物体に手を伸ばすと、配線の辿る軌跡を追う。最終的にその大部分を占める二つの水筒につながるわけだが、基盤の数や大きさ、回路の配線の入り込み具合から素人なりの結論を下す。

「どうやら話の通り時限式の爆弾の様だな。水平や高さを感知するセンサーや物理的な仕掛けが無いところを見ると触ったり動かしたりしたらいきなりドカン! ……なんてことは無さそうだが……スミ、今何時だ?」

 牧は腕時計を覗き込んで……引きつった顔を向ける。

「6時58分……、大変っ、もう残り2分もありませんっ!!」

 もちろん不破も牧も爆弾の解除作業など出来るような工学知識は持っていない、たとえ持っていたとしてももはやこの短時間での解除など不可能である。この状況に至って採るべき方策として最も適切なのは極力遠くへ全速力で逃げる事であろう。だが万が一この施設にまだ職員が残っていたらどうなるだろうか? もちろん放って逃げ出したくは無いし、その人たちを伴って逃げ果せる時間的な可能性もまた絶望的に低い。何よりも一番間抜けなのは事務所に誰もおらず、それを確認しているうちに爆発に巻き込まれてしまうことだ。
 一瞬にも満たない僅かな逡巡の末、目の前の不破が取った行動に牧は驚愕する。彼は爆弾を肩に担ぎ上げると正面階段に向かって突如走り出したのだ!

「せ……っ、先輩!? 一体何を……!?」

 牧の叫びなどまるで耳に届いてはいない。サイズに比してかなり重かろう一塊の爆発物を担いだ不破は施設正面の芝生に覆われた小高いマウンドへと転げ落ちるように階段を駆け下りて行く。走りながら不破の脳内では驚くほど目まぐるしい思考が駆け巡っていた……。


──うわぁ……何も考えずにこんな事してしまったが、コレ正しい判断だったのだろうか?

──でも警察が間に合うわけ無いし、来たところでどうする事も出来ないもんなぁ……。

──それにしても重てぇな、この爆弾。

──この水筒の中身がTATP爆薬か、この重量だときっとたんまりと詰め込まれているんだろうな。

──今爆発したら絶対死ぬな、俺……。

──あれ? 何だかさっきから時間がゆっくりと感じるぞ?

──そう言えば火事場の馬鹿力なんて言葉があったっけ。

──確か普段はリミッターのかかっている筋力が緊急時に開放されてあり得ないほどの力を出せる現象だったな。

──人間の思考の速度もそれと同じなのかな? アドレナリンか何かの作用で脳が極度に活性化して思考速度が速くなるとか……。

──走馬灯ってヤツも同じ理屈なのだろうか……ああ、縁起でも無ぇ事考えちまった。

──冗談じゃないぞ、こんな所で死んでたまるか、考えろ……どうするのがベストな選択だ?

──駐車場の真ん中まで持って行ってそこで爆発させれば被害は軽くなるのだろうか?

──あ、ダメだ。距離的に駐車場の手前までが時間的にも体力的にも限界だ。それに駐車場には詩穂ちゃん置いて来ちゃってる。

──何か他の方法を……。どこか爆発の被害を抑えられる場所を……。


……………





「先輩っ! こっちです!!」

 唐突に側面から思考に割り込んで来た声で不破の意識は現実へと引き戻された、すぐ脇に目を落とすと牧が走って追いついて来ていたのだ。

「スミ……っ!? 馬鹿っ! お前何で……」
「そっちじゃありません……先輩、海です、海ぃ─っ!!」

 並走しながら牧が左側を指差す。マウンドの左側を降りたすぐ先に防波フェンスが設けられているのが目に入る。その先には真っ暗な闇に染まった海が広がっているはずだ……! 不破は身体ごと直角に曲がると芝生マウンドをロクな減速もせずに駆け降りる……ここで転倒したらそれこそ一巻の終わりだ……。何とか足がもつれる事も無く下まで降りると、なおも勢いのついたままフェンスのコンクリート壁まで走り、肩に担いだ爆弾を砲丸投げの要領で壁の向こう側へと投げ捨てた。
 荷物を放逐した不破は、だが走ってきた勢いを殺しきれず体当たりさながらそのままコンクリ壁に衝突すると、倒れこむ様にその陰に伏せる。直後に上から何かが覆いかぶさってきたのだが、それが何なのだかその時点では判らなかった。
 一方、空中に放り出された爆弾は一度壁の向こうの護岸ブロックにぶつかり跳ね上がり、そのまま海面へ──


 次の瞬間、轟音と共に大爆発が起こり海面に巨大な水柱が上がった!!


 スコールの様な水しぶきが二人の頭上に降り注ぐ、コンクリート壁によって守られたので爆発による衝撃は受けずに済んだが、巻き上がった海水を強かに浴びて全身ずぶ濡れになってしまう。身体を起こした不破は自分の上に覆いかぶさっていたのが諸共駆け降りて来ていた牧である事にこの時ようやく気付いた、その牧もまた完全な濡れ鼠状態だ。

「お前っ、バカヤロォ……………何で逃げなかった!?」
「先輩が真っ直ぐ駆けてっちゃうからですよ! あのままじゃ咲楽さん巻き込んじゃってたでしょ!」
「……っ!?」

 後輩に𠮟りつけられて文字通りぐうの音も出ない不破、確かにあの時点で海に投棄するという考えは浮かんでいなかったのは事実だった。

「不破さん! 牧さん! 大丈夫ですかァ!?」

 危険は去ったと判断した咲楽もすぐに駐車場方向からふらふらと走って来る。目の前のずぶ濡れの二人を目にし、無事を確認すると緊張の糸が解けたか、安堵と可笑しさの入り混じった表情で二人を指差し笑い出していた。

「何ですか、二人ともその姿……ッ!!」
「笑ってんじゃないの。……タオルか何か無いか?」
「持ってませんよ。どうします、買ってきますか? それとも一度山下公園に戻りますか?」
「……そうだな、まずは青梅さんに連絡して後は警察に任せるとしようか……」

 そう言って立ち上がろうとした不破の足に引き裂かれるような激痛が走り、またへたりとびしょ濡れの地べたに尻もちをついてしまう。

「痛たたぁ……っ、あー、ダメだ。……治ったはずの肉離れ、また再発したみたいだ」

 間違いなく先程までの火事場の馬鹿力の反動であろう。限界を超えてしまった不破の脚はそれ以上の労働を完全拒否してしまったのだった。

「あー、もう。二人とも今日は無理し過ぎてポンコツなんだから……。やっぱりここで救援来るまで待ちましょう!」

 海水の滴る前髪をかき上げて牧も笑い出す。情けなくも両脇を牧と咲楽に支えられ、不破は車が置いてある駐車場へと運ばれて行くのだった。
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