明かされる計画
それにしても、麻臣が小山田夫妻と共に山下公園に着いたのが4時半過ぎと考えてもそれから2時間近く……一体何のためにここに留まっているのか? 先を急いで走りながらも不破の思考にはどうにも腑に落ちることのない疑問が浮かび始めていた。
「先輩っ!」
そうした不破の錯綜する思考を断ち切ったのはシーバス乗り場に差し掛かった辺りで合流してきた牧が自分を呼び止める声だった。彼女はバラ園周辺の捜索と公園内を出入りする人間をチェックしつつ不破らの到着に備え待機していたのだ。
「麻臣さんはいたか?」
問いかけに牧は首を振る。
「いえ、全然。でも、さっきこの周囲で車椅子を押した人を見たって話を聞きました」
「パーキングにバンを置きっ放しだから、夫人を連れてそんなに遠くに行くとは思えない。おまけに車椅子を押しての移動だから決してフットワークも軽くはないはずだ」
「ですね」
念のため不破はシーバスのチケット販売員に聞き込みをするが、該当する人物が船に乗ったという証言は得られなかった。
「船というなら氷川丸の中にいる可能性は?」
「いや、本家のリレーもあった事だろうから公道は走らなくとも保安上の問題であの手の施設は今日一日休館日になっているはずだ。それに乗船口は階段で車椅子での乗船は困難だろうし、一度中に入ってしまったら完全な行き止まりだ……。そんな場所に留まっているとは到底考え難い」
「そりゃ、そうか……」
だからと言ってこんな長時間公園内を徘徊しているというのもまた現実味の無い話だ。そう考えると公園に絞って捜索している行為自体が無駄なのではないかと不破の脳裏には迷いが生じていた。
「もしもパーキングに車を置いて公園の外を移動しているのであれば、可能性としては中華街か付近の公営施設なんだが……」
その時懐で鳴り響く携帯の呼び出し音が再び思案に暮れる不破の意識を現実に引き戻した。
『不破さん、現れました! 麻臣さんです、瞳美さんも一緒ですっ!』
「何だと!? 車を取りに来たのか?」
『はい、でも私たちの顔を見るなり逃げてしまいました。蹲さんが追ったんですが……どうやら撒かれてしまったみたいです』
「分かった、俺たちもそちらに向かう……スミっ!」
「大体分かりました、パーキング方向ですね?」
「いや、お前はこの先左手に山下埠頭のバス待合所があるから、そっちを封鎖してくれ。何かあったらすぐ連絡だ!」
「はい!」
二人はそこで分かれ、牧は山下埠頭方面へ、そして不破はパーキングのあるマリンタワー方面の公園入口へとそれぞれ向かう。途中不破は咲楽と梶山に遭遇、彼らもマリンタワー口方面からバラ園に捜索範囲を広げようと移動しているところを九品礼からの連絡を受け引き返してきたところだ。更にパーキング方面に向かうとそこでうろうろと周囲を伺う蹲……不破たちの姿を見つけると息を切らせながら駆け寄って来る。
「ハァ、ハァ……す、すいません、見失いました……。でも入り口付近には警官がいたので、公園内に戻って行ったと思うんですが……」
青梅が連れてきた警官らはそのまま公園各所の入り口付近に配備させてある。普段ならそんな所を長時間警官がうろうろしていようものなら後ろめたさを持つ人間からは警戒されてしまいそうなものだが、今日は本家聖火リレーの警戒の名目で違和感無くその場に止まることも出来る。
「いや、助かります。俺たちは今こっちから来たところで、ここまでそれらしき姿は見かけなかったから、恐らく麻臣さんがこの先向かうのは山下埠頭かポーリン橋のどちらかの出口のはず……」
「じゃあ、そのどちらかの出口に先回り……ですね?」
いつもの眼鏡を紛失してしまったため急場凌ぎの100円均一ショップの眼鏡をかけ、その微妙にずれたピントと収まりの悪さを気にしながらの咲楽が頷く。
「そうだ、詩穂ちゃんと蹲さん、梶山さんはマリンタワー口から外を回ってポーリン橋口に向かってくれ。俺は山下埠頭口に先行したスミ……牧と合流する」
「分かりました、それじゃ咲楽さん、蹲さん、行きましょう!」
梶山が二人を促しマリンタワー方面へと走るのを見送ると、「さて…」と自身に気合を入れた不破もまた牧を追って山下埠頭口に駆け出した。
この辺りになると公園の端に当たることもあり、ひと気もずっと少なくなる。不破が大階段脇の傾斜の浅いスロープに差し掛かると更に脇の道から唐突に牧の声が上がった。
「待って、麻臣さん! 止まって下さいっ!!」
「スミっ!!」
不破が声の上がった先に向かって叫ぶ。
「先輩ですか!? そっちに麻臣さんが──」
彼女の声から逃れる様に脇道から飛び出して来たのは車椅子を押した麻臣だった、車椅子には瞳美夫人……気でも失っているのかぐったりとして背板にもたれかかっている。
鉢合わせで動きが止まる両者。一瞬時間が止まったかの様にそのまま正面切って双方対峙する形となる。不破が間合いを取って前傾姿勢を取ると、それを見て一歩後退った麻臣は夫人の肩をがしりと掴んで不破を威嚇する。
「おっと、動かないで下さい。……この時のための人質なのですから」
「……この……っ!!」
「あなたもですよ、牧さん?」
「……いっ!?」
背後からじわりじわりと気取られない様に接近していたつもりの牧だったがその行動は見抜かれ牽制されてしまう。人質を取られた不破と牧、一方で前後を塞がれた麻臣……膠着状態が生まれていた。
「もっと早いうちから気づいとけば良かったと今、後悔しているよ」
膠着打破のため口を開いたのは不破だった。
「詩穂ちゃんの塩入りコーヒー……構わず飲み干したのはあんたが気遣いで我慢していたものかと思っていたが……違ったんだな。麻臣さん、あんた味覚を失っているんだろ?」
「……どこに目をつけられるか分からないものですね。そんな所を見られていましたか」
驚嘆か嘲笑か、麻臣は例の皮肉交じりの笑みを浮かべると頭を振る。
「去年コロナを患いましてね、それ以来いまだに味覚が戻っていません。でもそれが判ったから何だというのです?」
「大黒埠頭で中林さんの境遇を聞かせて貰ったんでね……そこからの想像に過ぎないが、あんたもそれで何らかの理不尽を受けたんじゃあ無いのか? それで中林さんと意気投合して犯行に至った……違うか?」
「ご明察……と言いたいところですがせいぜい及第点といったところでしょう。確かに不用心な医者がコロナに罹った、クラスターの温床になったと随分叩かれたものです。それを話したら中林さんは随分熱っぽく語ってくれましたよ……世間を騒がせでもしないと世の中の人間は目が醒めない……とね」
話を聞きながら不破は麻臣の態度に違和感を感じていた。共犯の関係にありながらどうも中林とこの人物とではその犯行動機に温度差があるような気がしてならないのだ。
「それで思いついたのが爆弾かよ? 学生運動って世代でもあるまいし……」
「案外発想が古いんですね。私よりも若いというのに」
「昔気質なんだよ。ブンヤやってた頃にゃ武闘派と呼ばれてたらしいしな」
どちらも不破本人にとっては決して本意では無い評価なのだが、この場は敢えてそれを逆手に取って虚勢と変えてみせる。
「ならば理解できるでしょう? ある種の思想を伝える手段としてアピール力やインパクトという面で、破壊が一番効果的だとは思いませんか?」
麻臣は夢想家が語るような口調で世にも物騒な持論を披露する。
「事件や事故、あるいは災害……世の中に何らかの主張を広めるには、その契機となる花火が必用なのですよ。実際この疫災で人間が晒してしまった浅ましさは、当分元に戻ることは無いでしょう……何か大きな衝撃でも体験しない限りはね。爆発一つで世の中がすぐ変わるとは思いませんが、それでもやり方次第で深層意識に訴えることはできましょう。恵まれていた事に自分の医者という立場を活かせば材料にはさほど困る事もありませんし、こうして全国を巡りながらどこでどうやってその小さなクサビを打ち込むのが最もセンセーショナルなのかを考えて過ごす事も出来ました」
「恵まれただぁ? そいつぁ自己顕示欲に正気を失った犯罪者のセリフだぜ? そうやって選びに選んだ舞台が横浜って時点で目立とう根性が見え見えじゃねぇか」
不破としては精一杯の皮肉なのであるがそれも麻臣にはまるで暖簾に腕押しで、受け流され、切り返される。
「いいえ、本当ならゴール地点の都庁に乗り込んで、そこで爆破させるのが計画でした。……知ってましたか? 会長もああ見えて……いえ、見た目通りなのでしょうか……なかなかの野心家なのですよ? 何しろ裏聖火リレーのゴール地点を本家聖火リレーの都庁での到着セレモニー会場と密かに決めてたそうですから。折角ですからそれをそのまま利用させて頂こうと考えていたのですよ」
「初耳だな…そんなゲリラ行為を考えていたとはね……」
真偽の程は定かではないが、あの人物ならば考えかねない……。内心不破は麻臣の言葉に妙な納得を覚えてしまう。
「けど、その計画を台無しにしてくれたのは咲楽さんと、そこにいる牧さんですよ?」
蚊帳の外になっていた牧がいきなり名指しされて思わず身構える。
「おかげでこんななし崩し的なみっともない犯行になってしまった。正直私は落胆しているところなのですよ。……責任取って頂きたいものですね」
「わ……悪いこと考えるからですっ! あなたに咎められる言われはありませんっ!」
「………悪い事……ですか」
牧の反論を受けて麻臣は相手を見下した様な視線を向ける。
「別にあなた方と善悪をどうこう論議する気はありませんが、私は確固たる目的を持った行動は万難を排して徹底的に完遂すべきだと考えてます。如何なる立場であれ中途半端な覚悟で行動する人間ほどみっともないものは無いですからね」
そう口にして、ふと気づいた様に二人がここにいる事を麻臣は再認識した。
「そう言えば、あなた達がここに駆けつけてきたという事は中林さんは結局しくじったという事なのでしょう? ……まったくもって中途半端な話です。仏心を出して咲楽さんを生かして閉じ込めておこうなんて考えるからそうやって土壇場で破綻を起こすのですよ」
「あんたって人は……っ!」
麻臣に乗せられたつもりは無いが、怒りに突き動かされた不破が麻臣との距離を詰める……が、それも読まれていたのか麻臣は夫人の手を掴んで引きずり上げると空になった車椅子を不破に向けて蹴り出した。
「うわっ!?」
横倒しになった車椅子が不破の行く手を塞ぐ。麻臣は引き止めていた夫人をそのまま肩に担ぐと側面の植え込みに飛びこんだ……その先へと続くスロープへとショートカットする気だ。
「先輩、大丈夫ですか?」
「構うな、麻臣を追え!」
「……はいっ!」
牧が不破の脇を抜けて左のスロープに回り込む。不破も崩された態勢を立て直すとすぐに駆け出すが、その先の逃走ルートを見越して彼女の追うスロープの脇を過ぎると中央の大階段を駆け上る。その大階段を走る視線の先……階下からは窺えないが、階段を上りきったところで唐突に「ぎゃっ!?」と叫び声が上がった。
不破が上に到着すると、そこには昏倒し倒れ伏す麻臣の姿が……。そしてその奥、瞳美夫人を抱えて立っていたのは意外な人物の姿であった。
「……嘉納……!?」
軽々と夫人を抱え上げたまま、嘉納は相変わらず感情の抑揚を感じさせない視線を不破へと向けた。
「先輩っ!」
そうした不破の錯綜する思考を断ち切ったのはシーバス乗り場に差し掛かった辺りで合流してきた牧が自分を呼び止める声だった。彼女はバラ園周辺の捜索と公園内を出入りする人間をチェックしつつ不破らの到着に備え待機していたのだ。
「麻臣さんはいたか?」
問いかけに牧は首を振る。
「いえ、全然。でも、さっきこの周囲で車椅子を押した人を見たって話を聞きました」
「パーキングにバンを置きっ放しだから、夫人を連れてそんなに遠くに行くとは思えない。おまけに車椅子を押しての移動だから決してフットワークも軽くはないはずだ」
「ですね」
念のため不破はシーバスのチケット販売員に聞き込みをするが、該当する人物が船に乗ったという証言は得られなかった。
「船というなら氷川丸の中にいる可能性は?」
「いや、本家のリレーもあった事だろうから公道は走らなくとも保安上の問題であの手の施設は今日一日休館日になっているはずだ。それに乗船口は階段で車椅子での乗船は困難だろうし、一度中に入ってしまったら完全な行き止まりだ……。そんな場所に留まっているとは到底考え難い」
「そりゃ、そうか……」
だからと言ってこんな長時間公園内を徘徊しているというのもまた現実味の無い話だ。そう考えると公園に絞って捜索している行為自体が無駄なのではないかと不破の脳裏には迷いが生じていた。
「もしもパーキングに車を置いて公園の外を移動しているのであれば、可能性としては中華街か付近の公営施設なんだが……」
その時懐で鳴り響く携帯の呼び出し音が再び思案に暮れる不破の意識を現実に引き戻した。
『不破さん、現れました! 麻臣さんです、瞳美さんも一緒ですっ!』
「何だと!? 車を取りに来たのか?」
『はい、でも私たちの顔を見るなり逃げてしまいました。蹲さんが追ったんですが……どうやら撒かれてしまったみたいです』
「分かった、俺たちもそちらに向かう……スミっ!」
「大体分かりました、パーキング方向ですね?」
「いや、お前はこの先左手に山下埠頭のバス待合所があるから、そっちを封鎖してくれ。何かあったらすぐ連絡だ!」
「はい!」
二人はそこで分かれ、牧は山下埠頭方面へ、そして不破はパーキングのあるマリンタワー方面の公園入口へとそれぞれ向かう。途中不破は咲楽と梶山に遭遇、彼らもマリンタワー口方面からバラ園に捜索範囲を広げようと移動しているところを九品礼からの連絡を受け引き返してきたところだ。更にパーキング方面に向かうとそこでうろうろと周囲を伺う蹲……不破たちの姿を見つけると息を切らせながら駆け寄って来る。
「ハァ、ハァ……す、すいません、見失いました……。でも入り口付近には警官がいたので、公園内に戻って行ったと思うんですが……」
青梅が連れてきた警官らはそのまま公園各所の入り口付近に配備させてある。普段ならそんな所を長時間警官がうろうろしていようものなら後ろめたさを持つ人間からは警戒されてしまいそうなものだが、今日は本家聖火リレーの警戒の名目で違和感無くその場に止まることも出来る。
「いや、助かります。俺たちは今こっちから来たところで、ここまでそれらしき姿は見かけなかったから、恐らく麻臣さんがこの先向かうのは山下埠頭かポーリン橋のどちらかの出口のはず……」
「じゃあ、そのどちらかの出口に先回り……ですね?」
いつもの眼鏡を紛失してしまったため急場凌ぎの100円均一ショップの眼鏡をかけ、その微妙にずれたピントと収まりの悪さを気にしながらの咲楽が頷く。
「そうだ、詩穂ちゃんと蹲さん、梶山さんはマリンタワー口から外を回ってポーリン橋口に向かってくれ。俺は山下埠頭口に先行したスミ……牧と合流する」
「分かりました、それじゃ咲楽さん、蹲さん、行きましょう!」
梶山が二人を促しマリンタワー方面へと走るのを見送ると、「さて…」と自身に気合を入れた不破もまた牧を追って山下埠頭口に駆け出した。
この辺りになると公園の端に当たることもあり、ひと気もずっと少なくなる。不破が大階段脇の傾斜の浅いスロープに差し掛かると更に脇の道から唐突に牧の声が上がった。
「待って、麻臣さん! 止まって下さいっ!!」
「スミっ!!」
不破が声の上がった先に向かって叫ぶ。
「先輩ですか!? そっちに麻臣さんが──」
彼女の声から逃れる様に脇道から飛び出して来たのは車椅子を押した麻臣だった、車椅子には瞳美夫人……気でも失っているのかぐったりとして背板にもたれかかっている。
鉢合わせで動きが止まる両者。一瞬時間が止まったかの様にそのまま正面切って双方対峙する形となる。不破が間合いを取って前傾姿勢を取ると、それを見て一歩後退った麻臣は夫人の肩をがしりと掴んで不破を威嚇する。
「おっと、動かないで下さい。……この時のための人質なのですから」
「……この……っ!!」
「あなたもですよ、牧さん?」
「……いっ!?」
背後からじわりじわりと気取られない様に接近していたつもりの牧だったがその行動は見抜かれ牽制されてしまう。人質を取られた不破と牧、一方で前後を塞がれた麻臣……膠着状態が生まれていた。
「もっと早いうちから気づいとけば良かったと今、後悔しているよ」
膠着打破のため口を開いたのは不破だった。
「詩穂ちゃんの塩入りコーヒー……構わず飲み干したのはあんたが気遣いで我慢していたものかと思っていたが……違ったんだな。麻臣さん、あんた味覚を失っているんだろ?」
「……どこに目をつけられるか分からないものですね。そんな所を見られていましたか」
驚嘆か嘲笑か、麻臣は例の皮肉交じりの笑みを浮かべると頭を振る。
「去年コロナを患いましてね、それ以来いまだに味覚が戻っていません。でもそれが判ったから何だというのです?」
「大黒埠頭で中林さんの境遇を聞かせて貰ったんでね……そこからの想像に過ぎないが、あんたもそれで何らかの理不尽を受けたんじゃあ無いのか? それで中林さんと意気投合して犯行に至った……違うか?」
「ご明察……と言いたいところですがせいぜい及第点といったところでしょう。確かに不用心な医者がコロナに罹った、クラスターの温床になったと随分叩かれたものです。それを話したら中林さんは随分熱っぽく語ってくれましたよ……世間を騒がせでもしないと世の中の人間は目が醒めない……とね」
話を聞きながら不破は麻臣の態度に違和感を感じていた。共犯の関係にありながらどうも中林とこの人物とではその犯行動機に温度差があるような気がしてならないのだ。
「それで思いついたのが爆弾かよ? 学生運動って世代でもあるまいし……」
「案外発想が古いんですね。私よりも若いというのに」
「昔気質なんだよ。ブンヤやってた頃にゃ武闘派と呼ばれてたらしいしな」
どちらも不破本人にとっては決して本意では無い評価なのだが、この場は敢えてそれを逆手に取って虚勢と変えてみせる。
「ならば理解できるでしょう? ある種の思想を伝える手段としてアピール力やインパクトという面で、破壊が一番効果的だとは思いませんか?」
麻臣は夢想家が語るような口調で世にも物騒な持論を披露する。
「事件や事故、あるいは災害……世の中に何らかの主張を広めるには、その契機となる花火が必用なのですよ。実際この疫災で人間が晒してしまった浅ましさは、当分元に戻ることは無いでしょう……何か大きな衝撃でも体験しない限りはね。爆発一つで世の中がすぐ変わるとは思いませんが、それでもやり方次第で深層意識に訴えることはできましょう。恵まれていた事に自分の医者という立場を活かせば材料にはさほど困る事もありませんし、こうして全国を巡りながらどこでどうやってその小さなクサビを打ち込むのが最もセンセーショナルなのかを考えて過ごす事も出来ました」
「恵まれただぁ? そいつぁ自己顕示欲に正気を失った犯罪者のセリフだぜ? そうやって選びに選んだ舞台が横浜って時点で目立とう根性が見え見えじゃねぇか」
不破としては精一杯の皮肉なのであるがそれも麻臣にはまるで暖簾に腕押しで、受け流され、切り返される。
「いいえ、本当ならゴール地点の都庁に乗り込んで、そこで爆破させるのが計画でした。……知ってましたか? 会長もああ見えて……いえ、見た目通りなのでしょうか……なかなかの野心家なのですよ? 何しろ裏聖火リレーのゴール地点を本家聖火リレーの都庁での到着セレモニー会場と密かに決めてたそうですから。折角ですからそれをそのまま利用させて頂こうと考えていたのですよ」
「初耳だな…そんなゲリラ行為を考えていたとはね……」
真偽の程は定かではないが、あの人物ならば考えかねない……。内心不破は麻臣の言葉に妙な納得を覚えてしまう。
「けど、その計画を台無しにしてくれたのは咲楽さんと、そこにいる牧さんですよ?」
蚊帳の外になっていた牧がいきなり名指しされて思わず身構える。
「おかげでこんななし崩し的なみっともない犯行になってしまった。正直私は落胆しているところなのですよ。……責任取って頂きたいものですね」
「わ……悪いこと考えるからですっ! あなたに咎められる言われはありませんっ!」
「………悪い事……ですか」
牧の反論を受けて麻臣は相手を見下した様な視線を向ける。
「別にあなた方と善悪をどうこう論議する気はありませんが、私は確固たる目的を持った行動は万難を排して徹底的に完遂すべきだと考えてます。如何なる立場であれ中途半端な覚悟で行動する人間ほどみっともないものは無いですからね」
そう口にして、ふと気づいた様に二人がここにいる事を麻臣は再認識した。
「そう言えば、あなた達がここに駆けつけてきたという事は中林さんは結局しくじったという事なのでしょう? ……まったくもって中途半端な話です。仏心を出して咲楽さんを生かして閉じ込めておこうなんて考えるからそうやって土壇場で破綻を起こすのですよ」
「あんたって人は……っ!」
麻臣に乗せられたつもりは無いが、怒りに突き動かされた不破が麻臣との距離を詰める……が、それも読まれていたのか麻臣は夫人の手を掴んで引きずり上げると空になった車椅子を不破に向けて蹴り出した。
「うわっ!?」
横倒しになった車椅子が不破の行く手を塞ぐ。麻臣は引き止めていた夫人をそのまま肩に担ぐと側面の植え込みに飛びこんだ……その先へと続くスロープへとショートカットする気だ。
「先輩、大丈夫ですか?」
「構うな、麻臣を追え!」
「……はいっ!」
牧が不破の脇を抜けて左のスロープに回り込む。不破も崩された態勢を立て直すとすぐに駆け出すが、その先の逃走ルートを見越して彼女の追うスロープの脇を過ぎると中央の大階段を駆け上る。その大階段を走る視線の先……階下からは窺えないが、階段を上りきったところで唐突に「ぎゃっ!?」と叫び声が上がった。
不破が上に到着すると、そこには昏倒し倒れ伏す麻臣の姿が……。そしてその奥、瞳美夫人を抱えて立っていたのは意外な人物の姿であった。
「……嘉納……!?」
軽々と夫人を抱え上げたまま、嘉納は相変わらず感情の抑揚を感じさせない視線を不破へと向けた。