ノコサレシモノ
横浜から東京、大手町に出た不破はなるべく雑然とした喫茶店を選んでそこで今後の対策を練ることにした。
最優先は皆守が遺した鍵であるのだが、預かってはみたものの今日に至るまでそれが一体どこの鍵なのか不破にはさっぱり分からないままでいたのだ。見たところ決して複雑な鍵ではなく、むしろどこにでもある様な至極単純なシリンダー錠の鍵であることは明らかで、だとしたら秘密にしたい「何か」を隠すにはあまりにも不用心というものだ。
「……だが、裏を返せばそれだけ隠し場所に関しては自信を持っている……他者には到底分からない、皆守だけが知る隠し場所……という事か?」
そうなってくると尚更難題である、彼は同僚である不破にもそうした秘密を簡単には明かさない性格なのだ。いよいよ考えに窮してしまった不破は助言を求めることにした、相手は恵子夫人である。
『そうねぇ、あの人ったら私にもそういう事は教えてくれなかったのよね』
そう言って恵子は思案に暮れているのだろうか押し黙る気配だけが電話越しに伝わってくる。分ってはいた事だったがやはり恵子にも心当たりは無い様だ。
「直前まで俺はあいつから調査の進捗を聞いていたんだ。だとしたらこの鍵の示す場所にあるものはその先……それに関する取材記録や証拠なのではないかと考えることが出来る」
沈黙を紛らわすように不破は独り言めいた考察を口にする。
「……IRが絡んだ汚職問題の情報……そんな事も言っていた。もしもあいつを手にかけた連中がそうした証拠を手に入れることが出来ていないとしたら、こいつはそれにつながる手がかりかも知れない。だからこそあいつはこんな手の込んだ隠し方をしていたと考えられるんだ」
『そうよね……』
ようやく恵子からの応答が戻ってきた。
『でもね、あの人は誰にも解けない様な独りよがりな謎を遺す人では無かったと思うのよ。ちゃんと前もって誰かには必ず分かる様に布石は打っておく……そういう人よ』
「……そうだな。俺たちにそれを遺したならば俺たちならば分かる答えにしてあったはずだ……」
『ねえ、昂明君? あの人は何であなたの名前で郵送してきたのかな? もちろん差出人が自分である事を隠すためだったり、君宛ての情報だから……っていうのは分かるんだけど、もしかしたら他にも意味があるんじゃないかな?』
「確かに、言われてみれば別に架空の人間の名義を使っても良いはずだし、この件で俺の名前で送るのはむしろリスクが高かったはずだ。それだけじゃない、郵送先にしたって日時を置いたとしても自宅に送るのはやはり危険だと普通は思うはずだ……皆守が、恵子の所へ、俺の名前で郵送する……という事は──」
『隠し場所は私たち三人に共通するどこかって事……あ、そうか!』
何やら恵子が心当たりを見出したらしい。
『昂明君、憶えてる? 君があの人を私に紹介してくれた日の事……』
「……ああ、確か新宿で待ち合わせの予定だったのがなかなか三人とも落ち合うことが出来なくって……当時はまだ俺が携帯を持ってなかったからな。それであまりにすれ違いが続くんで君がとうとう怒り出しちゃって……」
『え、そうだったっけ? 昂明君が面倒臭いって言いだしたんじゃなかったっけ?』
とぼけるでもなくやけに確信めいた口調で恵子はそういうのであるが、同じく当人である不破には実際どうだったのかさえもはや思い出せない。
「ちょっと待て、ケンカの責任追及をしたいわけじゃ無いだろ? 話を元に戻してくれ」
『ああ、ゴメン……そうね。そしたらあの人が私たちの大学が見たい……って事でそこで待ち合わせになったのよね』
「そうだったな。正門でようやく三人揃って……それから教授に挨拶に行ったり、ゼミ室覗いたり……」
記憶を蘇らせる中、不破の脳裏に電気が走ったようなひらめきが降りてくる。
「………そうだ、サークル室の個人ロッカー! 俺が卒業の時鍵を返却し忘れたんで今でもそこは開かずのロッカーになっているって話をして、今後三人で密談がある時はそこにメッセージを残そうって話になったんだっけ!」
『それよ! そのロッカーの鍵……合鍵作って三人で持っていようって……昂明君? 聞いてる? ……もしもーし!』
通話も切らずにジャケットかどこかにスマホを押し込んだのだろう、ガサゴソとくぐもった音だけが耳に入って来る。恵子への礼もそこそこに不破は既に店を飛び出していたのだった。
◆
不破や恵子が学生時代を過ごした大学校舎は当時から変わらぬ佇まいをそのまま残していた。蔦の絡まる古風で荘厳な正門棟を抜けた不破は、ピロティ―に大口開けている吹き抜けの地下階に降りてサークル室が並ぶバラックの様な一角へと踏み込み進む。もちろん彼がここを訪れるのは卒業以来という訳では無い。先の話でも触れた通り不破は卒業後もここへちょくちょく出入りしていたのでさして懐かしいという訳では無いのだ。それでも皆守夫妻の結婚を機にすっかりご無沙汰となっており、不破自身がここを訪れるのは実に五~六年ぶりとなる。なので正直な処、件のロッカーが健在なのか否かも実際に確認してみない事には分からない。
郵送された鍵は恐らく皆守の持っていた合鍵であろう。恵子の持っていた物はもちろん自宅に大切に保管してあるが、不破のは散らかしっ放しの部屋の中、一体どこに行ってしまったか分からない有様である。もちろん送られてきた合鍵の存在そのものが隠し場所のヒントだったのであるが、きっと皆守はそこら辺も見越してわざわざ送り付けたのだろう……残された二人が困らない様に。
1階ピロティ―から下って続くコンクリ打ちっ放しの空間をしばらく進むと、薄暗がりに雑然と並んだ錆の浮いた個人ロッカーの一角が当時そのままの姿で残されていた。手前は今でも学生たちが使用しているのだろう、年季こそ入っているが日頃利用されている動態保存的な馴れが留まっているのだが、奥に行くにつれて目に見えて長い間使用されていない廃れ感漂う遺構が並ぶ。そのとことん奥まった先に不破が利用していたロッカーが姿を現す。
皆守の鍵を取り出した不破はおずおずとそれを鍵穴に差し込む……その朽ちた外観に似合わず意外な程硬質で歯切れの良い金属音を立てて鍵は開いた。中にはいつ入れたのかも定かでないレポートの山や講義のノート、暇つぶしのためのグローブやボール、だいぶ草臥れたハロウィンの衣装に加え、一体何に使うつもりだったのか大型のハンマーやバール状の何かまで詰め込まれている。そうした当時そのまま、ガラクタ同然の古い荷物に埋もれて出てきたのは割と新しいクリアファイルに挟まれたUSBメモリー……不破自身にそれを置いた記憶は無いし、明らかに他の荷物とは時代的にそぐわない。
「……こいつだ!」
不破は発見を恵子に報告しようと懐からスマホを取り出す。……既に先程の通話状態は気を遣った恵子によって切られ、スリープタイマーも設定されていたため不破は慌ててそれを解除すると通話記録がそのまま表示される。そこには一件別の受信記録が残されていた。送信先を見ると相手は咲楽……先日の件もあることだし何事かと胸騒ぎを覚えた不破はまずそちらへ電話をかける事にした。……呼び出し一回でつながった相手は聞き馴染んだ、だが意外な人間だった。
『先輩っ! どこで何しているんですかっ!!』
「す……っ、スミぃっ!?」
何で咲楽の電話から牧が喋っているのか、不破は訳も分からず取り乱す。
「何って、馬鹿、お前こそ何で詩穂ちゃんの携帯から……」
『詩穂……ちゃん……?』
……………失言。
「あ、いや……、これはだな……」
『いや、今はそんな事どーでもいいです、ともかく大変なんです。今、私たち横浜に来てますので大至急来て下さいっ!!』
普通なら噛みついてくるところだが、彼女はそれを聞き流す。思いの外その声は切迫していた。
『その咲楽さんが……誘拐されたんです!』
最優先は皆守が遺した鍵であるのだが、預かってはみたものの今日に至るまでそれが一体どこの鍵なのか不破にはさっぱり分からないままでいたのだ。見たところ決して複雑な鍵ではなく、むしろどこにでもある様な至極単純なシリンダー錠の鍵であることは明らかで、だとしたら秘密にしたい「何か」を隠すにはあまりにも不用心というものだ。
「……だが、裏を返せばそれだけ隠し場所に関しては自信を持っている……他者には到底分からない、皆守だけが知る隠し場所……という事か?」
そうなってくると尚更難題である、彼は同僚である不破にもそうした秘密を簡単には明かさない性格なのだ。いよいよ考えに窮してしまった不破は助言を求めることにした、相手は恵子夫人である。
『そうねぇ、あの人ったら私にもそういう事は教えてくれなかったのよね』
そう言って恵子は思案に暮れているのだろうか押し黙る気配だけが電話越しに伝わってくる。分ってはいた事だったがやはり恵子にも心当たりは無い様だ。
「直前まで俺はあいつから調査の進捗を聞いていたんだ。だとしたらこの鍵の示す場所にあるものはその先……それに関する取材記録や証拠なのではないかと考えることが出来る」
沈黙を紛らわすように不破は独り言めいた考察を口にする。
「……IRが絡んだ汚職問題の情報……そんな事も言っていた。もしもあいつを手にかけた連中がそうした証拠を手に入れることが出来ていないとしたら、こいつはそれにつながる手がかりかも知れない。だからこそあいつはこんな手の込んだ隠し方をしていたと考えられるんだ」
『そうよね……』
ようやく恵子からの応答が戻ってきた。
『でもね、あの人は誰にも解けない様な独りよがりな謎を遺す人では無かったと思うのよ。ちゃんと前もって誰かには必ず分かる様に布石は打っておく……そういう人よ』
「……そうだな。俺たちにそれを遺したならば俺たちならば分かる答えにしてあったはずだ……」
『ねえ、昂明君? あの人は何であなたの名前で郵送してきたのかな? もちろん差出人が自分である事を隠すためだったり、君宛ての情報だから……っていうのは分かるんだけど、もしかしたら他にも意味があるんじゃないかな?』
「確かに、言われてみれば別に架空の人間の名義を使っても良いはずだし、この件で俺の名前で送るのはむしろリスクが高かったはずだ。それだけじゃない、郵送先にしたって日時を置いたとしても自宅に送るのはやはり危険だと普通は思うはずだ……皆守が、恵子の所へ、俺の名前で郵送する……という事は──」
『隠し場所は私たち三人に共通するどこかって事……あ、そうか!』
何やら恵子が心当たりを見出したらしい。
『昂明君、憶えてる? 君があの人を私に紹介してくれた日の事……』
「……ああ、確か新宿で待ち合わせの予定だったのがなかなか三人とも落ち合うことが出来なくって……当時はまだ俺が携帯を持ってなかったからな。それであまりにすれ違いが続くんで君がとうとう怒り出しちゃって……」
『え、そうだったっけ? 昂明君が面倒臭いって言いだしたんじゃなかったっけ?』
とぼけるでもなくやけに確信めいた口調で恵子はそういうのであるが、同じく当人である不破には実際どうだったのかさえもはや思い出せない。
「ちょっと待て、ケンカの責任追及をしたいわけじゃ無いだろ? 話を元に戻してくれ」
『ああ、ゴメン……そうね。そしたらあの人が私たちの大学が見たい……って事でそこで待ち合わせになったのよね』
「そうだったな。正門でようやく三人揃って……それから教授に挨拶に行ったり、ゼミ室覗いたり……」
記憶を蘇らせる中、不破の脳裏に電気が走ったようなひらめきが降りてくる。
「………そうだ、サークル室の個人ロッカー! 俺が卒業の時鍵を返却し忘れたんで今でもそこは開かずのロッカーになっているって話をして、今後三人で密談がある時はそこにメッセージを残そうって話になったんだっけ!」
『それよ! そのロッカーの鍵……合鍵作って三人で持っていようって……昂明君? 聞いてる? ……もしもーし!』
通話も切らずにジャケットかどこかにスマホを押し込んだのだろう、ガサゴソとくぐもった音だけが耳に入って来る。恵子への礼もそこそこに不破は既に店を飛び出していたのだった。
◆
不破や恵子が学生時代を過ごした大学校舎は当時から変わらぬ佇まいをそのまま残していた。蔦の絡まる古風で荘厳な正門棟を抜けた不破は、ピロティ―に大口開けている吹き抜けの地下階に降りてサークル室が並ぶバラックの様な一角へと踏み込み進む。もちろん彼がここを訪れるのは卒業以来という訳では無い。先の話でも触れた通り不破は卒業後もここへちょくちょく出入りしていたのでさして懐かしいという訳では無いのだ。それでも皆守夫妻の結婚を機にすっかりご無沙汰となっており、不破自身がここを訪れるのは実に五~六年ぶりとなる。なので正直な処、件のロッカーが健在なのか否かも実際に確認してみない事には分からない。
郵送された鍵は恐らく皆守の持っていた合鍵であろう。恵子の持っていた物はもちろん自宅に大切に保管してあるが、不破のは散らかしっ放しの部屋の中、一体どこに行ってしまったか分からない有様である。もちろん送られてきた合鍵の存在そのものが隠し場所のヒントだったのであるが、きっと皆守はそこら辺も見越してわざわざ送り付けたのだろう……残された二人が困らない様に。
1階ピロティ―から下って続くコンクリ打ちっ放しの空間をしばらく進むと、薄暗がりに雑然と並んだ錆の浮いた個人ロッカーの一角が当時そのままの姿で残されていた。手前は今でも学生たちが使用しているのだろう、年季こそ入っているが日頃利用されている動態保存的な馴れが留まっているのだが、奥に行くにつれて目に見えて長い間使用されていない廃れ感漂う遺構が並ぶ。そのとことん奥まった先に不破が利用していたロッカーが姿を現す。
皆守の鍵を取り出した不破はおずおずとそれを鍵穴に差し込む……その朽ちた外観に似合わず意外な程硬質で歯切れの良い金属音を立てて鍵は開いた。中にはいつ入れたのかも定かでないレポートの山や講義のノート、暇つぶしのためのグローブやボール、だいぶ草臥れたハロウィンの衣装に加え、一体何に使うつもりだったのか大型のハンマーやバール状の何かまで詰め込まれている。そうした当時そのまま、ガラクタ同然の古い荷物に埋もれて出てきたのは割と新しいクリアファイルに挟まれたUSBメモリー……不破自身にそれを置いた記憶は無いし、明らかに他の荷物とは時代的にそぐわない。
「……こいつだ!」
不破は発見を恵子に報告しようと懐からスマホを取り出す。……既に先程の通話状態は気を遣った恵子によって切られ、スリープタイマーも設定されていたため不破は慌ててそれを解除すると通話記録がそのまま表示される。そこには一件別の受信記録が残されていた。送信先を見ると相手は咲楽……先日の件もあることだし何事かと胸騒ぎを覚えた不破はまずそちらへ電話をかける事にした。……呼び出し一回でつながった相手は聞き馴染んだ、だが意外な人間だった。
『先輩っ! どこで何しているんですかっ!!』
「す……っ、スミぃっ!?」
何で咲楽の電話から牧が喋っているのか、不破は訳も分からず取り乱す。
「何って、馬鹿、お前こそ何で詩穂ちゃんの携帯から……」
『詩穂……ちゃん……?』
……………失言。
「あ、いや……、これはだな……」
『いや、今はそんな事どーでもいいです、ともかく大変なんです。今、私たち横浜に来てますので大至急来て下さいっ!!』
普通なら噛みついてくるところだが、彼女はそれを聞き流す。思いの外その声は切迫していた。
『その咲楽さんが……誘拐されたんです!』