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作者: 沖房 甍
実験場
「うっちぃ!」

 運ばれてきたほうじ茶の湯呑をうっかり直握りしてしまった青梅は危うくそれをテーブルから落としそうになる。わざとらしく手をさすりながら青梅は対面に座る不破を睨み上げた。

「ほぉ……するってぇと何かい、かつてその『SS』とかいう地下競技に関わっていた連中……しかも現在も政財界に大きな影響力を持った人間、あるいは団体がこの東京五輪の陰で何やら企てている……と、そう言いたいのかい、不破さんよ?」

 青梅は苦虫噛み潰したかの様なしかめっ面を露骨に晒して大きなため息をつく。話の内容によほど呆れたのか苛立たし気にテーブルをこつこつ叩いて何事か思案している。

 静岡から戻った不破は翌日神奈川県警に電話をかけ、名指しで青梅警部補とのアポイントメントを取り付ける。自室にあったこれまでの嘉納の一件に関する取材記録一切を持って横浜に向かうと野毛の古びた喫茶店で待ち合わせた。熟考の末、不破はこの刑事にここまでの経緯を明かす事にしたのだ。
 一方の青梅も、この記者がまだ何やら隠し事をしている事など先刻お見通しなわけだが、明かされた事実が殊の外大ごとで、しかも傍目から聞けば酷く荒唐無稽な内容であった事に困惑を隠せずにいた。

「……で、だ。お前さんはこのSSとやらと、それを対象とした裏カジノが皆守さんの死亡とうちの伸介の件……ひょっとしたら公安が追っているであろう一件にも深く関与している……と?」
「そうだ、言っとくがこれでも大マジメに話しているんだぜ?」

 荒唐無稽に聞こえるのは百も承知だ。こんな話を信じてもらうためには理屈をこねるよりもありのままの情報を伝えて熱を持って話さなければならない……否、それ以外の選択肢は無い。
 しばらく頭を抱え込んでいた青梅は「むぅ……」と一言唸って黙り込んでしまう。相手が虚偽を語る意味もメリットも無いことは既に承知している。

「これを話したのは青梅さん、別にあんた方警察に自分らを守ってもらいたいって魂胆なんかじゃあない。俺は、この一件に巻き込まれた同じ被害者としてのあんた個人に、事実を知って、その上で判断してもらおうと思って明かしたんだ」

 ぐいと不破が身を乗り出すと手前のカップががちゃりと音を鳴らした、中に満たされていたはずのブレンドはとっくに飲み干されている。

「それに刑事としてのあんたにとっても有益な話だろう? 場合によっては公安に先んじて手がかりを得るチャンスだ」

 公安の名を出されて青梅はうんざりした表情を浮かべ、ようやっと口を開いた。

「勘弁してくれや。場末の刑事ドラマじゃあるまいし、公安出し抜いたっていち刑事にゃ何の得にもなりゃしないよ。正直、何聞かせてくれてんだ……って気分だよ……」

 再びの沈黙に落ちる青梅、少し暗めの照明に溶け込んでしまう様な重苦しい緊張が店内の一隅に立ち込める。

「……たぁ言え……」

 青梅は呟くと自分の湯呑を一気にあおるとかったるそうに腰を上げた。

「知っちまったからには何かせんわけにもいくまい。……不破さんよ、ちょっくら付き合ってもらえますかな?」



                    ◆

 壁一面を占めるのはいくつもの据え付け型の液晶モニター。中央のひときわ巨大なモニターには色とりどりの光で表示された幹線道路のラインが表示され、その混雑状況をリアルタイムで把握できる様になっている。それを囲む二回りほど小さなモニター群は各所の現在の状況を画像で伝えていた。……ここは県警の交通管制センター、道路交通網の情報収集と安全管理を行う施設である。青梅に連れられた不破は見学の体でここに入館した。

「恥ずかしい話だが、私も街の信号がここでコントロールされているって知ったのは、つい最近の事でしてね……」

 ばつが悪そうに頭を掻く青梅。

「ひき逃げや交通事故だけじゃなく、近頃はひったくりや殺人事件の捜査でもこうした施設で管理している情報や映像が役立っておるわけなんですな」
「ええ、よく聞きますよ。もちろんこうした交通情報だけじゃない、商店街や一部の住宅地に設置された防犯カメラの映像も犯罪捜査に用いられているって事もね」

 ガラス越しに見下ろす交通管制室は想像していた程人がせわしく動き回る様子も無く、ごく粛々と事務的にシステム管理が行われている。

「困ったもんで私ゃ、その手のハイテク捜査にはすっかりついていけなくなりましてね……、なので聞きかじりの知識で申し訳ないが──」

 そう前置きして青梅はぽつぽつと語り始めた。

「そういうのはSSBC捜査と呼ばれているそうでしてね、犯人の逃走経路や犯行前後の動向を膨大な数の防犯カメラ等から割り出し追跡する捜査方法なんだそうな」
「最近とみに増しているあおり運転での立証に車載カメラの記録が役立っているのもその一つと言えるんだろうな……」
「……情報化社会……ってヤツなんでしょうなぁ……」

 青梅は寂しげに肩を竦めた。

「……ですがね、そういう街中の防犯カメラは、実はまだ各地の自治体や行政機関、それにNPO法人で管理しとるんですな」
「警察はノータッチ……で?」
「いやぁ、もちろん防犯指導やアドバイザーの設置などはやっとりますがね。大体は見識ある人間に県警察が委嘱するのですわ」

 もちろんこうした制度も各都道府県や自治体によって区々だ、極めてシステマチックに発達している所もあれば、まだ制度自体が浸透しきれぬ地域もある。

「一部ではこうした映像記録を集中的に管理して広域的な保安能力を高めるべき……ってぇ意見も出ているらしくてね……。実際、そうしたシステムの試験運用が秘密裏に行われていたフシもある」
「物騒な話だな。都市開発ってのはそもそも市民のプライバシー保護と治安との板挟みが常にあるものだからな」
「そうしたシステムも一昔前だったら情報処理に無理が生じて実用までは至らない話だが、AIや5G技術の普及によるテクノロジー向上によって今や俄然現実味を帯びてきている」

 話が次第に不穏な色を帯びてくるに従って青梅の声にも何やら深刻なトーンが漂い始める。

「不破さんよ、あんたの言うところのSSってのぁ、ひょっとするとそうした広域監視システムの実験場として利用されていたんじゃあないのかね?」
「実験場……か、確かにあり得ない話じゃない。かつて東京マラソンも災害時の帰宅難民の動きのシミュレーションだった……なんて実しやかな都市伝説も囁かれていたくらいだからな」
「こいつはあくまで私の推測に過ぎないんですがね……、SSがお前さんの言う通り都市そのものをフィールドにした競技であると言うのならば……、そしてそいつが鑑賞されることを前提にしているってぇのなら、街中に設置された監視カメラはきっとショーアップの重要な媒体になるはずなんだ」

 不破は目の前の交通管制モニターに映る映像に目を戻し、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
 この管制室を凌駕する巨大な規模のディスプレイを備えたコロシアム。そこに映し出される競技選手たちは街中を無法者の様に走り、そして争う。その様を観覧して狂喜する客達、飛び交う金……、そんな光景を想起するだけでも気が遠くなりそうになる。

「だがそう考えりゃ地下遊戯や裏カジノ的な興行が政治的バックにつながっている理由も納得できる。……いや、それだけじゃあ無ぇ、そうした都市のインフラ情報ってなぁ昔から他所の国も欲しがっているもんさね」

 その他所の国……というのが何を意味しているかはおおよその見当はつく。

「物流の流れ、交通の脆弱性、人の集まりやすい所に都市機能のウィークポイント……、戦略的な意味での『価値』があるって事か」
「ならばそこんところを強化したいと考えている連中や、それをビジネスチャンスと捉えている連中にとっちゃ、今回のオリンピックはシステムの大規模検証にうってつけの機会なんじゃあないですかね? 何しろ大会期間中のテロ対策として大義名分も十分だ、大手を振って情報設備を整える事が出来るでしょうな」
「邪推してしまいそうだな。オリンピック断行の陰にはそうした陰謀染みた思惑が潜んでいないとは限らない」
「……はっは……、そこまでいくともうオカルトの世界ですけどな」

 笑う青梅の目は全く逆の感情を宿している、……そうそう、こんな話もある……と青梅はこんな身内の情報まで提供してきた。

「実際、オリンピックに備えて本庁ではラストマイルカメラってぇ最新型の防犯カメラの設置を急いでいるが、折角設置したものだ……大会が終わってそれでお役目御免……なんて、ちと考えられねぇよなぁ?」

──このオッサンもなかなかの食わせ者じゃないか。

 不破はこっそりと横に立つ刑事を睨みつける。こうした情報社会には疎いロートルと自称して油断を誘うが、どうしてしっかりとその本質を捉えているのだ。そうした不破の視線に気づいてか気付かずか、青梅はしれっとしたものだ。

「それに加えて当時の裏カジノがIRに絡んで現在も実現が推し進められているとしたら……いや、案外SSは最初からこうした展望を視野に入れていた計画だった可能性もある」
「実に笑えない話ですなぁ……」

 いつの間にか青梅の声のトーンは普段の調子に戻っていた。

「こいつをいち刑事と記者がどうこうするなんざ、えらくハードな話になってくるが……今のところ対抗する手立てが無いも同然だな。もっとも、手詰まりと断ずるにはまだ一つ気になるモノが残っちゃあいるがね」

 そう言って青梅は不破のジャケットの胸元を指さす。

「皆守さんの遺した……鍵でしたっけ? そいつぁ何なんですかね?」
「……いや、確認はまだこれからだが」

 不破は先日皆守夫人から預かった鍵を懐から取り出すと、それを自分の目の前に摘まみ上げてゆらゆらと揺らす。

「何しろその後すぐに急用が入ったもので……」

 先のヴェラティの件ですっかり放ったらかしにしていたのだ。

「何だいそりゃ。こっちは人死にが出てんのにそれを後回しにする程のことかい?」

 鼻で笑う青梅に不破は返す言葉も無い。

「この後、行って来ますよ」
「心当たりがあるんだろうね? 何か分かったらこっちにも知らせて欲しいもんですな」
「なるべく急ぎましょ……」

 言いかけて不意に咲楽や小山田の顔が浮かぶ……何故か心がざわめき立つような予感を覚えた。


「………出来れば、だがね……」
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