二つのファインダー
その日から牧は不破が合流するまでの間、コミュニティーのHP用画像の臨時撮影要員としてスタッフに加わる事となる。牧が加わることに関しては、主要スタッフの一人である九品礼からの提案もあったことにより不破の時と同様さほどもめる事も無く(麻臣が例のごとく少し難色を示した程度で)すんなりと受け入れられた。実は他のスタッフが気付かないレベルで、若干一名あまり面白くなさそうな顔をした人間もいたのだが、それが露わになることはこの時は無かったのである。
早速その日の午後から牧は撮影スタッフとしてコミュニティーに参加する。時にランナーたちの輪に入り、時に遠く離れた位置から俯瞰してリレーの様子を記録する。
本当は午前中で戻って次の開催計画を立てる予定だった九品礼は、まだ現地に留まって牧の撮影作業を見守っていた。休憩を入れにプレハブに戻ってきた彼女を迎えると、タオルとスポーツドリンクを渡す。
「あ、どーも、いただきます」
7月前とは言えもうすっかり夏の日差しが差し始めている、まして雨天の合間にこうして一日ピーカンの晴天になると湿気が余計に暑さを増幅してしまう。ランナーと変わらぬほど汗だくの牧は首元をタオルで拭うとパイプ椅子に腰かけスポーツドリンクを飲み干した。
「何だか年配の方のランナーが多いんですね」
撮影してきた画像を自身のノートに転送しての確認がてら、外を回っての感想を口にする。牧もまた不破同様、これがSNS発のイベントと聞いていたので参加者に年配者が多い事に少なからず驚きを感じていた。
「ご年配の方の中には既にワクチン接種終えている人も増えだしましたからね。こうやって解放感を味わっているのかも知れませんね。……どれどれ……」
そんな事を答えつつ、牧が撮影してきた画像をチェックしているのを覗き込む九品礼。
「なるほどねー。これは参考になります」
ほとほと感心した様子で嘆息を漏らした。
「ん、写真の事ですか?」
「ええ、今まで自前で撮っていたのと比べて、やっぱり劇的に違うな~……って…あ、プロに対してそれ、失礼か」
九品礼は悪戯っ子の様な笑みでわざとらしくこつん、と自分の頭など小突いてみせた。
「ちゃんとメリハリのついたスナップショットを撮るには、やっぱりあっちこっち動いて撮影ポジション探さないといけないんですね」
そうした相手に対し牧も照れくさそうに返す。
「先輩に……あ、不破の事ですけど……、口酸っぱく言われてきましたから。ベストショットは足で探せ……って」
それを聞いて九品礼はぷっ、と噴き出した。
「どうしたんですか?」
「……いえ、あの人何でも足で探せー! ……なんですね?」
「あ~! そーなんです。今どき根性論なんですよ、技術よりもまず心構えだー! ……ってね」
「そういえば、先日ちょっとしたトラブルがあったんですけど、その時不破さんが協力して下さって、うちの咲楽にもそんなこと言ってたらしいですよ?」
「どこ行ってもそうなんですね……あの人」
「私たちに同行してすぐの頃にも、ランナーと一緒に走ってましたから。しかも全力疾走で!」
僅かの時間ですっかり意気投合してしまった二人は、本人不在をいいことにその言動を上げ連ねて大笑い。ひとしきり笑って牧はようやくホッとした表情を浮かべた。
「よかった、九品礼さん良い人で」
「私が?」
「さっき初めて会った時、ちょっと冷たい感じのとっつきにくい人かな……って思っちゃったんで」
「ああ、よく言われます」
九品礼はちょっと自嘲気に白い歯を見せる。
「事務職やっている関係から普段からスーツばっかりで、あんまりスカートとかワンピースとか着ないんですよ。だから周囲から堅物に見られちゃって……」
「でも最初の印象よりずっと可愛らしい人でホッとしました」
屈託のない笑顔で牧が先の発言をフォローする、それが思わぬ持ち上げられ方だったものだから不意を突かれて九品礼は頬を赤くする。
「や、やだ、よして下さい……可愛いって歳じゃもう無いです。……三十過ぎてるんですから……」
「いやいや、私だってもう二十七ですけど、まだまだこれからが花盛りで──」
牧のセリフに妙な間が空く。
「……ま……牧さん?」
一体何を思ったのか、牧は九品礼の顔をまじまじと見つめている。よく分からないが正面から顔を凝視されて九品礼は気恥ずかしさと不安を覚えた。
「あ……あのぉ~……?」
……うんともすんとも言わない。
ちょっとした沈黙の時間が過ぎ、やがて何か思い立ったのか牧がようやく口を開く。
「……………九品礼さん……彼氏とかいます?」
キョトンとなる九品礼。今度は自分の方が妙な間を作ってしまう番となる。
「え……何の話……!?」
「いえ、お付き合いされてる方がいるならいいんですけど……」
話の方向性が皆目見えない九品礼ではあったが、そこは根が真面目なのであろう、戸惑いつつもつい答えてしまう。
「いやぁ……私そんなパッとした感じじゃないし……。それに色々細かい性格なものだから相手が逃げちゃうのよね……」
「じゃあ、今度合コンしましょー!! ……年下の警官なんて、どう思います?」
「……は!?」
まるで昭和のご近所お見合いおばさんみたいな台詞で迫る牧に九品礼はあんぐりと顎を落とした。何だってそういう話の流れになるのかちっとも理解できない。さもありなん、どさくさ紛れに牧はロクでもない画策を始めていたのだった。
◆
キツネにつままれた様な表情のままの九品礼を駅で見送った後、牧は地元のタクシードライバーに案内を頼んで眺望の良い高台へと向かった。
「折角山梨まで足を運んだんだから、今後の素材ストック用にも富士山は写しとかないとね」
特にコンセプトも無い、理由はそんな至って安直なものだったが蝉時雨の林道を抜けて展望台に到着すると、そこには記憶も新しい知った顔が先客として来ており、その先客もまた牧の姿を認めて意外そうな顔で迎える。
「……牧さん?」
「……あ。ええっと……確か咲楽さん……でしたっけ?」
どうやら同じ発想でここに来ていたらしい。咲楽はキャンディーカラーのコンデジを手にしていた。
「もしかして、HPの画像に必要でしたか?」
「……ええ、まぁ……」
「何だ、言って下されば同行しましたのに」
セールストークみたいな謙りで相手に語りかけながら、牧はケースから取り出した一眼レフに手早く広角レンズを取り付けながら咲楽に話しかける。
「……いえ、私の個人的な思い付きでプロの手を煩わせるのも失礼かと思いまして……」
遠慮がちな言葉にも聞こえるが、何だかよそよそしい……というか、どことなく言葉に棘を感じる。そう言えば午前中スタッフでスタッフを紹介された際にも彼女はどこかつんけんした気を自分に突き付けている様な印象を受けていた。ところがそういう人なのかと思ったら、他のスタッフと喋る時にはさほど刺々しい感じは無く、むしろ素直で明るい感じだったので、牧は自分が何かの勘違いをしたものと思っていたのだったが……。
どうやら自分は彼女に歓迎されていないのかな? ……などと邪推などしてみる牧は、だからと言って理由もわからぬまま反発しても何の得も無いとすぐに省みる。そもそもこのコミュニティーにおいて自分は外様の身、幼稚な自己主張で初日からわざわざ角を立てても損するのは自分なのだ。穏やかな笑顔は崩さず、牧は大人の姿勢に徹することにした。
「そうでしたか。では私は私で自分用として撮影してますので、何か必要があったら声かけて下さい」
「……はい……」
そうしてしばらくの間二人は各々撮影に没頭していたわけだが、ふと横に目を移せば咲楽の撮影は遅々として進んでいない事に牧は気づいた。どうも先程から彼女は撮影に苦戦している模様である。コンデジとスマホを取っ換え引っ換えかえしながら、それでもファインダーが定まらないでいるらしい。
「……あ、そっか」
牧が小さく呟く……自身もカメラを持ち始めた頃に心当たりがあった。まだ悪戦苦闘している咲楽に歩み寄る。
「これ、使ってみます?」
牧は自分のカメラを咲楽に差し出した。
「……え?」
呆けた顔で咲楽は目の前の一眼レフと牧の顔を交互に、何度も確認する。
「被写体が横に広がり過ぎてて構図に納まりがつかないんでしょ?」
よくあることだよね? と牧はにっこりと微笑んだ。
「遠景とは言ってもこれだけ山に近い場所での撮影だと被写体が大き過ぎるから、コンデジやスマホだと裾野までイイ感じで収まらないのよねー」
そう言って牧は指で画枠を象って正面の山体を覗き見る。
「だからといって裾野合わせで距離取っての撮影だと今度は上下に間延びした空間が出来ちゃう。手っ取り早いのはパノラマモードで撮影することなんだろうけど、それだと被写体がこじんまりして迫力が無くなっちゃう。こういう時はレンズでアレンジできる一眼レフの方がイメージ通りの画が撮れるのよ」
「……そうなんですか?」
「ええ。口で説明するより論より証拠、覗いてみると分かりますよ?」
そう言って咲楽に自身のカメラを押し付けると、彼女の前でてきぱきと三脚を組み立て始める。
「お……重た……」
「まーまー。重さに見合う性能は保証するから、試しに使ってみて。折角だから私の写真も共有しましょ?」
「……あ、ありがとう……ございます」
手にしたカメラの重量に困惑気味の咲楽は恐る恐るファインダーを覗き込んだ。自分のコンデジよりもずっと情報量の多いディスプレイ表示に一瞬気後れしたが、確かにそこに映し出される風景は先程まで自分が覗いていたものとは一味も二味も違っている事は理解できた。
「眼で見る風景ともスマホの画像とも何となく違うでしょ? なのに何故かそのカメラの画の方がしっくりと感じる……そう思わない?」
牧に言われて咲楽はファインダーから目を外して裸眼で山を見て、そして再びファインダーに目を移す。明らかに違うはずなのにフィーリング的にはこちらの方が納得できる。
「……本当だ」
「人間の目のイメージって写真とはズレが生じちゃうものなの。だからこうしてレンズやフィルターでアレンジして、イメージに近づけるのよ」
「確かに。……でも何故?」
「う~ん……私も実地で憶えちゃったもんだから理屈はうまく説明できないんだけど──」
腕組みをした牧は少し考えこんだ後、不意に格言めいたことを口にした。
「──『リアルであることが必ずしもリアリティーにはつながらない、時には人が手を加えた作品の方が物事の本質を捉える事もある』……かな?」
一瞬目をしばたたかせる咲楽……やがてその口元が緩みを見せた。
「……それ、何だか不破さんが言いそうなセリフですね」
「………正解」
牧は少し含みのある自嘲を浮かべた。
「実は先輩の受け売り。でもこれは写真にも通じる事だから今でも心得として留めてるのよ」
会話の中、咲楽は何となく不破と彼女との距離感と関係を察した。それはそれでまた彼女に対して湧いてくる別の感情もあるわけだが、ひとまずの共感を見出した事で自身の漠然とした警戒心がほどけていくのを感じていた。
「牧さんは……どうしてこちらへ?」
咲楽の質問に牧は腕組みで天を仰いだ。
「う~ん……本当は先輩に仕事で渡さないといけない物があって、それを届けに来ただけのつもりだったんだけどね……」
「生憎と行き違い……ですね?」
「そうなのよ。それでいきなり腰を折られたのもあるんだけど……」
こめかみを指で押さえ落胆を見せる牧、だがその表情は一瞬後に晴れ晴れとしたものに変わる。
「まぁ、せっかく来ちゃったからね。先輩が戻るまで私もここでその追体験させてもらおうかな……ってさ!」
随分割り切った顔をするんだな……と咲楽は呆れた。
もちろんそれが決して無垢の感情ではなく、いくつかの苦悩と逡巡を乗り越えた末の一周回った屈託の無さである事など彼女は知り得るはずは無いのであるが、それでも浅からぬ思慮が含まれている事だけは理解できた。そうした達観染みた彼女の言動が眩しく、羨ましく、そして少し恨めしくて咲楽は精一杯の皮肉で返すしかなかったのだ。
「つまり……暇つぶしですか?」
「そうかもね。でもマジメに暇つぶすからよろしくね?」
自分でも驚くほどの余裕のある受け流しで牧が破顔を見せる、それを見た咲楽もうっかりつられて綻んでしまう。
ようやく二人の間に笑顔がこぼれた。
早速その日の午後から牧は撮影スタッフとしてコミュニティーに参加する。時にランナーたちの輪に入り、時に遠く離れた位置から俯瞰してリレーの様子を記録する。
本当は午前中で戻って次の開催計画を立てる予定だった九品礼は、まだ現地に留まって牧の撮影作業を見守っていた。休憩を入れにプレハブに戻ってきた彼女を迎えると、タオルとスポーツドリンクを渡す。
「あ、どーも、いただきます」
7月前とは言えもうすっかり夏の日差しが差し始めている、まして雨天の合間にこうして一日ピーカンの晴天になると湿気が余計に暑さを増幅してしまう。ランナーと変わらぬほど汗だくの牧は首元をタオルで拭うとパイプ椅子に腰かけスポーツドリンクを飲み干した。
「何だか年配の方のランナーが多いんですね」
撮影してきた画像を自身のノートに転送しての確認がてら、外を回っての感想を口にする。牧もまた不破同様、これがSNS発のイベントと聞いていたので参加者に年配者が多い事に少なからず驚きを感じていた。
「ご年配の方の中には既にワクチン接種終えている人も増えだしましたからね。こうやって解放感を味わっているのかも知れませんね。……どれどれ……」
そんな事を答えつつ、牧が撮影してきた画像をチェックしているのを覗き込む九品礼。
「なるほどねー。これは参考になります」
ほとほと感心した様子で嘆息を漏らした。
「ん、写真の事ですか?」
「ええ、今まで自前で撮っていたのと比べて、やっぱり劇的に違うな~……って…あ、プロに対してそれ、失礼か」
九品礼は悪戯っ子の様な笑みでわざとらしくこつん、と自分の頭など小突いてみせた。
「ちゃんとメリハリのついたスナップショットを撮るには、やっぱりあっちこっち動いて撮影ポジション探さないといけないんですね」
そうした相手に対し牧も照れくさそうに返す。
「先輩に……あ、不破の事ですけど……、口酸っぱく言われてきましたから。ベストショットは足で探せ……って」
それを聞いて九品礼はぷっ、と噴き出した。
「どうしたんですか?」
「……いえ、あの人何でも足で探せー! ……なんですね?」
「あ~! そーなんです。今どき根性論なんですよ、技術よりもまず心構えだー! ……ってね」
「そういえば、先日ちょっとしたトラブルがあったんですけど、その時不破さんが協力して下さって、うちの咲楽にもそんなこと言ってたらしいですよ?」
「どこ行ってもそうなんですね……あの人」
「私たちに同行してすぐの頃にも、ランナーと一緒に走ってましたから。しかも全力疾走で!」
僅かの時間ですっかり意気投合してしまった二人は、本人不在をいいことにその言動を上げ連ねて大笑い。ひとしきり笑って牧はようやくホッとした表情を浮かべた。
「よかった、九品礼さん良い人で」
「私が?」
「さっき初めて会った時、ちょっと冷たい感じのとっつきにくい人かな……って思っちゃったんで」
「ああ、よく言われます」
九品礼はちょっと自嘲気に白い歯を見せる。
「事務職やっている関係から普段からスーツばっかりで、あんまりスカートとかワンピースとか着ないんですよ。だから周囲から堅物に見られちゃって……」
「でも最初の印象よりずっと可愛らしい人でホッとしました」
屈託のない笑顔で牧が先の発言をフォローする、それが思わぬ持ち上げられ方だったものだから不意を突かれて九品礼は頬を赤くする。
「や、やだ、よして下さい……可愛いって歳じゃもう無いです。……三十過ぎてるんですから……」
「いやいや、私だってもう二十七ですけど、まだまだこれからが花盛りで──」
牧のセリフに妙な間が空く。
「……ま……牧さん?」
一体何を思ったのか、牧は九品礼の顔をまじまじと見つめている。よく分からないが正面から顔を凝視されて九品礼は気恥ずかしさと不安を覚えた。
「あ……あのぉ~……?」
……うんともすんとも言わない。
ちょっとした沈黙の時間が過ぎ、やがて何か思い立ったのか牧がようやく口を開く。
「……………九品礼さん……彼氏とかいます?」
キョトンとなる九品礼。今度は自分の方が妙な間を作ってしまう番となる。
「え……何の話……!?」
「いえ、お付き合いされてる方がいるならいいんですけど……」
話の方向性が皆目見えない九品礼ではあったが、そこは根が真面目なのであろう、戸惑いつつもつい答えてしまう。
「いやぁ……私そんなパッとした感じじゃないし……。それに色々細かい性格なものだから相手が逃げちゃうのよね……」
「じゃあ、今度合コンしましょー!! ……年下の警官なんて、どう思います?」
「……は!?」
まるで昭和のご近所お見合いおばさんみたいな台詞で迫る牧に九品礼はあんぐりと顎を落とした。何だってそういう話の流れになるのかちっとも理解できない。さもありなん、どさくさ紛れに牧はロクでもない画策を始めていたのだった。
◆
キツネにつままれた様な表情のままの九品礼を駅で見送った後、牧は地元のタクシードライバーに案内を頼んで眺望の良い高台へと向かった。
「折角山梨まで足を運んだんだから、今後の素材ストック用にも富士山は写しとかないとね」
特にコンセプトも無い、理由はそんな至って安直なものだったが蝉時雨の林道を抜けて展望台に到着すると、そこには記憶も新しい知った顔が先客として来ており、その先客もまた牧の姿を認めて意外そうな顔で迎える。
「……牧さん?」
「……あ。ええっと……確か咲楽さん……でしたっけ?」
どうやら同じ発想でここに来ていたらしい。咲楽はキャンディーカラーのコンデジを手にしていた。
「もしかして、HPの画像に必要でしたか?」
「……ええ、まぁ……」
「何だ、言って下されば同行しましたのに」
セールストークみたいな謙りで相手に語りかけながら、牧はケースから取り出した一眼レフに手早く広角レンズを取り付けながら咲楽に話しかける。
「……いえ、私の個人的な思い付きでプロの手を煩わせるのも失礼かと思いまして……」
遠慮がちな言葉にも聞こえるが、何だかよそよそしい……というか、どことなく言葉に棘を感じる。そう言えば午前中スタッフでスタッフを紹介された際にも彼女はどこかつんけんした気を自分に突き付けている様な印象を受けていた。ところがそういう人なのかと思ったら、他のスタッフと喋る時にはさほど刺々しい感じは無く、むしろ素直で明るい感じだったので、牧は自分が何かの勘違いをしたものと思っていたのだったが……。
どうやら自分は彼女に歓迎されていないのかな? ……などと邪推などしてみる牧は、だからと言って理由もわからぬまま反発しても何の得も無いとすぐに省みる。そもそもこのコミュニティーにおいて自分は外様の身、幼稚な自己主張で初日からわざわざ角を立てても損するのは自分なのだ。穏やかな笑顔は崩さず、牧は大人の姿勢に徹することにした。
「そうでしたか。では私は私で自分用として撮影してますので、何か必要があったら声かけて下さい」
「……はい……」
そうしてしばらくの間二人は各々撮影に没頭していたわけだが、ふと横に目を移せば咲楽の撮影は遅々として進んでいない事に牧は気づいた。どうも先程から彼女は撮影に苦戦している模様である。コンデジとスマホを取っ換え引っ換えかえしながら、それでもファインダーが定まらないでいるらしい。
「……あ、そっか」
牧が小さく呟く……自身もカメラを持ち始めた頃に心当たりがあった。まだ悪戦苦闘している咲楽に歩み寄る。
「これ、使ってみます?」
牧は自分のカメラを咲楽に差し出した。
「……え?」
呆けた顔で咲楽は目の前の一眼レフと牧の顔を交互に、何度も確認する。
「被写体が横に広がり過ぎてて構図に納まりがつかないんでしょ?」
よくあることだよね? と牧はにっこりと微笑んだ。
「遠景とは言ってもこれだけ山に近い場所での撮影だと被写体が大き過ぎるから、コンデジやスマホだと裾野までイイ感じで収まらないのよねー」
そう言って牧は指で画枠を象って正面の山体を覗き見る。
「だからといって裾野合わせで距離取っての撮影だと今度は上下に間延びした空間が出来ちゃう。手っ取り早いのはパノラマモードで撮影することなんだろうけど、それだと被写体がこじんまりして迫力が無くなっちゃう。こういう時はレンズでアレンジできる一眼レフの方がイメージ通りの画が撮れるのよ」
「……そうなんですか?」
「ええ。口で説明するより論より証拠、覗いてみると分かりますよ?」
そう言って咲楽に自身のカメラを押し付けると、彼女の前でてきぱきと三脚を組み立て始める。
「お……重た……」
「まーまー。重さに見合う性能は保証するから、試しに使ってみて。折角だから私の写真も共有しましょ?」
「……あ、ありがとう……ございます」
手にしたカメラの重量に困惑気味の咲楽は恐る恐るファインダーを覗き込んだ。自分のコンデジよりもずっと情報量の多いディスプレイ表示に一瞬気後れしたが、確かにそこに映し出される風景は先程まで自分が覗いていたものとは一味も二味も違っている事は理解できた。
「眼で見る風景ともスマホの画像とも何となく違うでしょ? なのに何故かそのカメラの画の方がしっくりと感じる……そう思わない?」
牧に言われて咲楽はファインダーから目を外して裸眼で山を見て、そして再びファインダーに目を移す。明らかに違うはずなのにフィーリング的にはこちらの方が納得できる。
「……本当だ」
「人間の目のイメージって写真とはズレが生じちゃうものなの。だからこうしてレンズやフィルターでアレンジして、イメージに近づけるのよ」
「確かに。……でも何故?」
「う~ん……私も実地で憶えちゃったもんだから理屈はうまく説明できないんだけど──」
腕組みをした牧は少し考えこんだ後、不意に格言めいたことを口にした。
「──『リアルであることが必ずしもリアリティーにはつながらない、時には人が手を加えた作品の方が物事の本質を捉える事もある』……かな?」
一瞬目をしばたたかせる咲楽……やがてその口元が緩みを見せた。
「……それ、何だか不破さんが言いそうなセリフですね」
「………正解」
牧は少し含みのある自嘲を浮かべた。
「実は先輩の受け売り。でもこれは写真にも通じる事だから今でも心得として留めてるのよ」
会話の中、咲楽は何となく不破と彼女との距離感と関係を察した。それはそれでまた彼女に対して湧いてくる別の感情もあるわけだが、ひとまずの共感を見出した事で自身の漠然とした警戒心がほどけていくのを感じていた。
「牧さんは……どうしてこちらへ?」
咲楽の質問に牧は腕組みで天を仰いだ。
「う~ん……本当は先輩に仕事で渡さないといけない物があって、それを届けに来ただけのつもりだったんだけどね……」
「生憎と行き違い……ですね?」
「そうなのよ。それでいきなり腰を折られたのもあるんだけど……」
こめかみを指で押さえ落胆を見せる牧、だがその表情は一瞬後に晴れ晴れとしたものに変わる。
「まぁ、せっかく来ちゃったからね。先輩が戻るまで私もここでその追体験させてもらおうかな……ってさ!」
随分割り切った顔をするんだな……と咲楽は呆れた。
もちろんそれが決して無垢の感情ではなく、いくつかの苦悩と逡巡を乗り越えた末の一周回った屈託の無さである事など彼女は知り得るはずは無いのであるが、それでも浅からぬ思慮が含まれている事だけは理解できた。そうした達観染みた彼女の言動が眩しく、羨ましく、そして少し恨めしくて咲楽は精一杯の皮肉で返すしかなかったのだ。
「つまり……暇つぶしですか?」
「そうかもね。でもマジメに暇つぶすからよろしくね?」
自分でも驚くほどの余裕のある受け流しで牧が破顔を見せる、それを見た咲楽もうっかりつられて綻んでしまう。
ようやく二人の間に笑顔がこぼれた。