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作者: 沖房 甍
すれ違いと巡り合わせ
 決然として山梨の裏聖火リレー会場を訪れた牧を待っていたのは、目当てとしていた不破の不在という肩透かし状況だった。

「……が……びぃ~……ん……」

 まるで漫画の擬音の様な、普通の人生においてはまず口にしないであろう間抜けなセリフが口から漏れ出る、……間抜けだが今の彼女の心境をこれ以上無く表現した言葉が他に存在しないのも間違いない。

「申し訳ありません。不破さんは昨日から所用で東京に戻っているそうですよ」

 対応したのは朝一で会場設営の打ち合わせに来ていた九品礼だった。

「……完全に……すれ違ってる」

 運命やら呪いやらは信じないタチだが、この救いようのない自身の間の悪さにほとほと愛想が尽きて牧はがっくりと肩を落とした。放っといたらその場で膝から崩れ落ちそうなほど落ち込む来客を放置しておくのもさすがに気が引けたか、九品礼はその背を支えて力づける。

「まぁ、せっかくここまで足を運んでくれたんですから、こっちでお茶でもどうぞ。不破さん、数日でまた来ると言ってますし……」
「うぅ……お世話かけますぅ……」

 九品礼はこの哀れな来客をスタッフ控室用のプレハブへと招き入れた。熱~いお茶を一杯飲み干し、牧はようやく冷静な判断力を取り戻す。

「すみませんでした、九品礼さんもお忙しい中でしたでしょうに……」
「気にしないで下さい。ちょうどこちらの作業も一区切りついたところですから。牧さんでしたっけ? どうしますか、東京に戻られるようでしたらタクシー呼びますけど?」
「ん~……そうですねぇ……」

 お茶うけの餅菓子にきな粉と黒蜜をたんまりまぶすと、牧はその手を止めてしばし熟考を始めた。

──入れ違いになったならば東京に戻るのがセオリーだろう。しかし、果たして東京に戻ったところで先輩に遭遇することが出来るだろうか? 何をしているのかは分からないが、恐らくはあちらこちら動き回っている事だろうからそうそう簡単に会えるとは思えない。大体からして、こないだ一度戻った際にもほとんど自室には留まらなかった事を考えるとここで待っていた方が──

 尚も難しい顔のまま餅菓子をぱくりと口の中に放り込む。

──待て待て、昭和のカップルじゃあるまいし、待ち伏せ、待ちぼうけって時代じゃあないだろう。電話なりメールなりすりゃ良いだけの話なんだ──

 すぐに牧はバッグからスマホを取り出し……思い直して引っ込めた、不破の悪い癖を思い出したのだ。電話などまずリアルタイムで取ることは無い上、留守電残してもそれを聞くのはいつになる事やら……だ、メールも然り。伝言を残すのであればむしろ部屋のファックスの方である……が、部屋に戻らない可能性があるならばそれも望み薄だ。

──このまま行方の確証無く追いかけても、遭遇の確率さえ怪しいもの。聞けばこの裏聖火リレーとやらは今後関東地方に開催場所を移していくそうだから、確実に先輩を捕まえるなら自分は動かず待ち構える方が得策かも知れない──

 再びバッグを開けて今度は自分の財布を覗き込んだ……ビジネスホテルなら何とか二泊は出来る……。

「うん、それがベター……いや、ベストだ!」

 牧はそう呟くとおもむろに九品礼に向き直ると勢いよく頭を下げた。

「失礼を承知でお願いします。もしお邪魔でなければ……いえ、働き手が必用ならお手伝いしますので、先ぱ……じゃなくって、不破がこちらに戻るまでしばらく通わせてもらって良いでしょうか?」

 相手の急な懇願に今度は九品礼の方が考え込んでしまう。いくらかの逡巡はあったが不破の前例を思い出す。

「え……まぁ、私の一存じゃ決められないですけど、後でスタッフの皆さん来ますのでまずは紹介しましょう」
「本当ですか!? 助かります」
「……でも、そうね……」

 九品礼は牧の荷物をちらりと覗き込んだ、体格に似合わぬ無骨な荷物は嫌でも目立つ。

「そっか、不破さんのアシスタントやってたって……カメラマンだ」
「はい」
「だったら、もしかしたらホームページに使用する撮影要員……ってことで手伝って貰うことが出来るかも知れません」

 それは企画担当としてのひらめきだった。これまでHPで公開している画像の多くは咲楽が撮影したものと、参加者の画像を許可をもらって使用させてもらうものがほとんどで、特に誰かが専任しているわけではない。いずれも素人撮影故にそのクオリティーもそれなり……というのが現状であるため、やはりHPそのものの見栄えが一段落ちるのは否めなかった。ならばこれは絶好の機会、今後のクオリティー向上の一つの参考としてプロのお手並みを拝見するのも悪くないのではないか? ……そう考えたのだ。

「それでしたらお安い御用です!」

 牧が快諾してくれることは確信していた。打算ではあるが、どうやら相手にとっても渡りに船の様なので……。

「それじゃあ、それも込みで話してみましょう」
「ありがとうございますっ、嬉しいです!!」

 感謝感激の牧はがばり、と立ち上がり九品礼の両手を取って握りしめた。

「ひゃあっ!??」

 勢いあまって九品礼に圧し掛かる形になってしまった牧、九品礼は咄嗟にのけ反って後ろにひっくり返りそうになる。それを牧が咄嗟に受け止める……が、そのまま二人してぐらりと傾く……。がしゃん、と大きな音を立てて九品礼が掛けていたパイプ椅子が倒れた。後方のテーブルが支えとなって双方共倒れの惨劇は回避したが、スーツ姿の九品礼をスカートの牧が支えるちぐはぐなパ・ド・ドゥは見ていて様になるものではない。

「九品礼さんって……いい人だァ……」
「いえ……そ、そんな大袈裟な……」

 おかしな姿勢のまま、それでも感極まっている牧の様子にすっかり腰が引けちゃってる九品礼、顔は笑っているが頬に汗が伝っている。どうやら自分が思っていた以上に相手にとって有難い展開だったらしい、何だか逆に申し訳ない気持ちも芽生えてしまったりする。

「おはよーございまーす……って、うわ!?」

 正にその時、声も朗らかに咲楽がプレハブに入って来る……なり、目の前で展開されていた光景に絶句する。女性同士がもつれ合うようにテーブルに倒れ込んでる様子は見方によっては何やらアヤシい光景にも映った。

「く、く、く……、九品礼さんっ!? 朝っぱらからこんな所で何をして……!?」
「え、えぇっ!?」
「ち……違うの咲楽さんっ、これは……!!」
「あわっ、ちょ……九品礼さん動かないで……わぁっ!?」

──がちゃん!

「あっ熱ぅうっ!?」
「だ、大丈夫ですか!? あぁ、お茶が……何か拭くもの……」
「あ、ダメ! 咲楽さんそれ今日の配置表……」
「……重……っ、……もぉ……保たな……ぃ……」

──どんがらがっしゃぁん!!

「わぁ、しっかりして下さい!? 牧さーん!!!」


 ……誤解とアクシデントの多重衝突によるプチパニックが収束するまで、その後30分を要した。
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