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作者: 沖房 甍
行ってらっしゃい
「───きさん、……牧さんっ!」
「……えっ?」

 牧が我に返ると点滴を吊るしたスタンド片手の松原が牧を見下ろしていた。外科病棟のロビーである。診察を終えた松原が出てくると付き添いの牧が放心した様に窓の外を眺めていたので声をかけたのだ。

「え……あ、ゴメン、ぼーっとしてた……」
「そんなにハードだったの、今日の仕事?」
「ん……そーゆーわけじゃないけど……」

 昼間聞いた尾上の話をずぅ~っと考えていたのだ。からからとコロを鳴らして点滴スタンドを引きずる松原を牧が支えて病室への帰路を歩く。

「順調に回復しているみたいだね」
「まだ当分は自宅療養って事になりそうだけど、今週中には退院できそうだって、先生言ってた」
「……そっか、良かったね……」

 自分から話しかけておいて何とも感情のこもらぬ生返事、女性心理に疎い松原もさすがに怪訝な表情を浮かべる。

「……牧さん、何かあった?」
「え、いや別に……」
「嘘だ」
「………」

 こういう時に平気な振りが全然できないのだなぁ……と、牧は自分の至らなさを恥じる。決して自分が素直で正直だからそうなのではない、結局自分の都合が先立ってしまうから周囲に気を遣う行動がとれないのだ……と。

「……子供だなぁ……」
「またそれか……悪ぅございましたね、お子ちゃまで!」

 無意識に口を突いた呟きを、松原は自分のことを言われたと思ってむくれる。

「え? あ、違う違う! 松原くんの事じゃなくって──」

 牧は慌てて相手をなだめた。

「──自分の事だよ。……いい加減、ちゃんとしなきゃね、私……」
「……え??」

 相手の妙に決意を帯びた表情に、松原は何やら開いてはいけない扉をうっかり押し開けてしまった様な気がした。


 病室に戻ると松原がベッドに入る間に牧は彼と自分のマグカップを取り出す、それにお見舞いの生姜湯を淹れるとベッド脇の椅子に腰かけ、牧は今日の話をかいつまんで打ち明けた。不破の身の上に関しては随分端折ったが、要旨は十分伝わったらしい。
 聞いているうちに自分が何を言わんとしているのかを察した松原の顔が段々情けなく歪んでくるのを見ていて牧も辛かった……が、ここまで話してしまった以上自分の出した結論を告げないわけにはいけない。

「それでも私、先輩の手伝いしたいと思うの……」

 それが牧の答えだった。

「ごめん! 松原くん」

 前につんのめるかと思うくらいの勢いで頭を下げる牧。松原はその様を直視できずに視線をそらした。


 ……そのまま空気が硬直する……。


 牧は松原が何か言ってくれない事には頭を上げられない。また松原は松原でこういう時どう振舞ったら良いのか解らない。
 気まずい沈黙も五分以上続くと喜劇染みてくる。やがて根負けしたか松原が息を吐いた。

「……もう、いいよ……」

 恐る恐る牧が視線を上げる。

「いや、本当はまだ全然納得できてないし、すっごく理不尽だと怒ってるけど……何となく思ってたんだ」

 本当は大声で泣き喚きたい場面だけどそれじゃカッコ悪すぎるから、松原は努めて「良い人」風の言葉を絞り出そうとした、……人間の思考ってのはこんな時にもどこかがちゃんと冷静なんだな……と妙な感慨が浮かぶ。

「……入院している間、ずっと牧さんは俺を看ていてくれて……それはとっても嬉しかったけど、でも……違うんだよなぁ……って思ってたんだ」
「違う?」
「……うん、きっとさ、俺が惹かれてたのはそういう牧さんじゃなくって、バリバリと仕事している牧さんだったんじゃないかな……って思うんだ。それも、不破さんとタッグを組んでの仕事をね……」

 牧の瞳が大きく揺らぐ……それは頭の中の靄が一気に晴れてゆくような感覚だった。

「でもそれは俺と一緒にいたんじゃ見れないんだよ……悔しいけどさ……」
「松原くん……」

 松原は泣き出しそうな顔で精一杯できる限りの笑顔を牧に向ける。

「だから行ってきなよ、それで今度こそ自分が必用なんだ……ってあの人に思い知らせてやれ!」

 それが相当強がりが含まれた言葉であることは分かっていた……が、彼女の背中を押す言葉を切っ掛けに牧の目からは涙がぼろぼろと零れだす。

「松原くん……ごめんね……本っ当ぉ~~~に、ごめん!」

 謝りながら牧は何度も何度も頭を下げる、感謝と申し訳無さで紅潮した顔を見られるのが恥ずかしくってもう顔を上げられない。かたや松原もあんまり相手が真っ直ぐに謝るものだから、どう対処していいものだか判断つかない。

「……も……ぅ、いいって……」

 言いながら牧につられて松原も次第に涙がこみ上げて来てしまう。思えば今までの人生、何度も振られてきたものの大体は一方的な捨てられ方か自然消滅ばかりだったので、こんなに生真面目に謝られたのは生まれて初めての事だ。おまけに相手に貢献できる別れなんてのも味わった事の無い経験……それならば自身も報われる様な気がして何やら湧き上がってくる感情がある。あれこれ思いを巡らせるうちに、結局松原も泣き出してしまったのだった。
 その手を牧はぎゅっと握って、相手の顔を見つめる。

「……それと……ありがとう!」
「……うん、うん!」

 大泣きで互いに肩をたたき合う。相乗効果で感極まって何だか双方、おかしなテンションのスイッチが入ってしまっていた。

「君の気持には応えられなかったけど、これからもずっと私君の親友でいるからね!」
「うん、ありがとう!」
「君が良い人に出会えるまでいっぱい協力するから!」
「うん、俺もだ! 応援するっ!」
「いっぱい……い~っぱい、お節介してあげるからね!」
「嬉しいよ、でも無理しない程度にねっ!」
「君が幸せまみれで私の事必要無くなるまでずっとずっと!!」
「ありがとーぉ!! 俺頑張るから! 絶対カワイイ子見つけるから!!」

 ……もはや訳が分からない……。


 何事かと病室を覗きに来た看護師は見てはいけないものを見てしまったかのような表情でそっと顔を引っ込め、そそくさと退散していった。



                    ◆

 翌日、病室を訪れた牧は大きなカメラケースを抱えていた。

「……行ってくる!」

 そういってベッドの松原に入り口で挨拶だけして、もう一度だけ深々と頭を下げた。

「……行ってらっしゃい」

 少しだけ未練と憂いを残した笑顔で見送る松原を背に、牧は大きく深呼吸して一歩を踏み出した……。



 ……余談であるが、この時二人は大きな勘違いをしていたことに気付いていなかった。
 まるで交際していたかのような別れ話をしていた二人だったのだが、実のところ正式に交際の約束をしていたわけではなく、お互い病室での特殊な環境下の思い込みで付き合っているものと勘違いしただけに過ぎない。

 その事実に二人が気付くのは、ずっと後になってからである……。
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