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作者: 沖房 甍
ありがちな話
 テーブルの上には白い皿に見事に盛り付けられた料理が並ぶ、これに牧は少しだけ湯気を付け足してからシャッターを切った。その傍らではフライパン片手のモデルがキッチンで調理の「振り」を決め込み、尾上があれこれ会話を交わしながら彼女を撮影している。東京、白金の高級住宅地にほど近いビジネス街へと向かう大通り沿いにある料理スクールでは女性購買層の拡大を目論んでの特集として、売り出し中のモデルを主役に夏バテ対策の一品を紹介──そんな内容で取材と撮影が行われている真っ最中だ。
 裏を明かせば料理はこのモデルが作ったものではなくスクールの講師の手によるものなのだが、記事は主役のモデルが作った「体」で構成されることとなる。この特集記事、発案は馬場園なのだが慧哲はそもそも「オヤジ層」が読者の主体の雑誌である。

「これで一体どれだけ女性の目を引くことが出来るんですかね~……?」

 極力周囲に聞こえぬ音量で率直な感想を口にしてみる。もちろん感想は感想、仕事は仕事、手を抜いた撮影はしない、プロとして。

「はーい、どうもご苦労様でした。撮影協力感謝いたします」

 撮影終了を告げた尾上が関係者への挨拶に回っている、その間キッチンの隅で牧は機材の片づけを行っていた。
 窓の外には洒落た街路樹と歩道を闊歩するOLや主婦たち、一瞬自分の身なりを見返して牧は大きなため息をついた。……自分とは縁遠い風景だ……。

「退屈だった?」

 その様子がかったるそうにでも映ったのだろうか、一通りの挨拶を終えた尾上が無糖紅茶のペットボトルを差し出す。

「いえ、退屈だなんて!!」

 牧がぶるぶると首を振って否定した。別に食品のブツ撮りやグラビア記事が初めてなわけではないし、仕事はキッチリ遂行したつもりである。

 ……いや、そういう気持ちが全く無いと言えば嘘になるが……。

 そんな彼女の内心を察してか否か、尾上はただ満面の笑顔でそれに応じる。

「不破君に付いてたらヒヤヒヤする仕事ばかりになるものねー、それに比べたら平和なもんだよ」

 別に尾上がひがみや嫌味で言ったのでは無いことぐらい理解はしている……が、なぜか胸にぐさりと刺さる思いだった。まぁ、これまで仕事の八割がたが不破の手伝いだったわけだから、そこは笑って誤魔化すしかない。牧は力任せにキャップを捻ってペットボトルをぐいとあおった。

「……先輩は……」
「ん?」

 こちらも一息……と、缶の甘酒を口に含んだままで尾上がこちらを向く。

「あ、すいません! つい独り言が出ちゃって……」

 余計な気を削がせてしまったと謝罪する。

「……急に気になっちゃったもんで。先輩は何で慧哲で仕事するようになったのかな……って?」
「あれっ? てっきり聞いているもんだと思った」

 意外とばかりに尾上が驚いてみせる。

「なーんだ不破君、牧ちゃんにも話していなかったのかー」

 編集部では一番の古株である尾上はどうやらそこら辺の事情もリアルタイムで知っているらしい。

「前の新聞社で揉めた……って聞いてましたけど?」
「まぁねぇ……そんな茶飲み話に話すような内容じゃあないけど……。まぁいい機会だ、教えてあげるね」

 何だかあまり愉快な話では無さそうだ。

「不破君が慶朝にいたのはもちろん知ってるよね? そこで彼はとある議員の番記者をしていたんだ──」

 番記者は取材対象者に密着して継続的に取材を行う。それによって取材対象に関しての速報性が高くなり、情報もより深く詳細になるというメリットがある一方、時にはその対象者の日常にも深く関わる場合もあることから癒着が生じるという問題も抱えている。

「その過程で不破君はその公設秘書の娘さんと仲良くなってね。聞くところでは当時その人と婚約も……って話も持ち上がっていたらしい」
「えっ……!?」

 牧は口にしていた紅茶を吹きこぼしそうになるのを慌てて抑えた。

「……そんな事……知らなかった」
「ショック?」

 気遣っているのか面白がっているのか、尾上が半目で彼女の顔を窺う……少し口元を緩ませているからもしかしたら面白がっているのかも知れない。

「ちょ…っ、ちょっと驚いただけです!」

 いや、実際のところかなり衝撃的だったことは否めない。

「……もしかして、その事……皆守さんも知って……ました、よね?」
「そりゃあ、同僚で親友だったからねぇ」
「私……そんな話、皆守さんや恵子さんからも聞いたこと無かった……」

 牧からするとそちらの方がよほどショックだったかも知れない。不破を通じて知り合ったとは言え、牧もそこそこ彼とその夫人とは親しくしていたつもりであったからだ。そう考えるのは自意識過剰なのだろうが、何だか自分だけのけ者にされていたような……そんな疎外感を感じてしまったのだ。

「でも、不破君本人が言わなかったんでしょ? じゃあ皆守君たちから君に話すわけにはいかなかったんじゃないかな。……と、言うか……う~ん……」

 少し言い淀む尾上、腕を組んで天井を仰いだりなんかしている。

「?」
「……皆守君の口からはそれを話すのがはばかられたのかもね」
「それはどういうことです?」
「ちょうど同じ頃だったかな……皆守君は大手ゼネコン企業代表者の巨額脱税事件を追っていたんだ。ところがその彼のスクープから代表による政界への多額の贈収賄が判明してね……」
「……あ! それって『律命建設事件』……!?」

 それは牧がまだ高校生の頃、ワイドショーを賑わせた事件であった。

「そう、その事件ね。それで賄賂を贈られた政治家のリストの中に不破君が付いていた議員の名前があったんだ」
「……ちょっと待って。……それってまさか……」

 話を聞いているうちに牧の脳裏に不穏な予感が浮かぶ。

「大体察しはついたかな? その議員にかけられた疑いは、その後公設秘書……つまり彼が付き合っていた女性の父親が受け取っていたものとして家宅捜索を受ける……って展開になっちゃうんだね」
「そんな見え透いた身代わりが──」
「──まかり通っちゃうことも往々にしてあるんだよねぇ、政治の世界では」

 こんな話題でも尾上はその穏やかさを絶やさない、これも一種のポーカーフェイスなのだろうか? などと彼と話す度に牧は考える。

「その後逮捕された秘書は取り調べに何も語る事無く、保釈中に自らの命を絶ってしまうのだけど……、この事件の尤も悲劇的なところはここからなんだよね。それから程無くして、今度は議員の方が亡くなってしまうんだ……それも特に疑いの無い急性心筋梗塞でね」

 その話も耳にしたことはある……が、その頃にはすっかり事件の話題も下火で新聞等で事後確認的に報道されただけだった。

「まぁ、これは仮に……の話なんだけど……」

 そう前置きして、尾上はこうした事件に「ありがちな話」を語り始めた。

「もしも秘書が議員の罪をかぶるとしても、さすがに無条件では応じたりはしないよねぇ? 自分にだって家族はいるのだから。でも議員がその後の家族の面倒を見る……と約束していたならどうだろう?」
「……そんな取り交わしが……あった……と?」
「仮に、の話だけどね」

 尾上ははぐらかすが、あってもおかしくは無い話だ。
 もちろん自分だったらそんな条件死んでも呑めないと牧は思うのだが、政治の世界では昔の主従関係にも似たこうした取引が成立してしまうのかも知れない。

「……けど、だとしたら、相手が死んじゃったらその約束も叶わないことに……」
「そうだね、だから悲劇的なんだよ。秘書は罪をかぶったまま無駄に命を落とし、後は何の保証も無くなってしまった家族が残されるわけだからねぇ」

 そうした犯罪者(またはそうとされる者の)家族のその後は語られる機会が無いが、多くの場合そうした家族が穏やかに、あるいは幸せに暮らせる例はついぞ聞かない。

「不破君も彼女と連絡が取れなくなって、ずいぶんと行方を捜したらしいよ。でも結局それっきりだったそうだけどね……」

 尾上はそう言うが、報道に関わっていた人間が本気になって人捜しをして見つからないなんて事があるだろうか? そんな疑問も浮かぶ……ひょっとしたら──
 次から次へと浮かんでくる物騒な考えを、牧は頭を振ってかき消した。

「そんな事があったんですか……」

 牧はその後の彼の心中をおもんばかってみるのだった。

「それからすぐ、不破君は慶朝を辞めちゃったわけだけど、それでもそのきっかけになった皆守君との関係は続いていたり、完全に報道の世界から離れる道を選ばずうちと契約したり……きっと彼も色々な思いや葛藤があって今に至っているんだろうねぇ……」
「何だか理不尽で救われない話ですね……」

 そんな話はこの仕事に就いてからいくらでも耳にしてきたはずなのに、それが身内が関わっているとなると実感が違ってくる。そうだねーと、締めくくって尾上は休憩の腰を上げた。

「まぁ、でも何だよ……彼が牧ちゃんを突き放すようなことするのは、きっと危ない事件にはあまり関わらせたくないからなんじゃないかな~……なんて僕は思うよ? でなきゃ最初っから関わないし、面倒なんか見ないものね」
「……はぁ……」

 最後の私見はどうやら尾上なりの気遣いであるらしい。だがそんな事より牧は不破が今もその件をずっと抱え、何を思って生きてきたのだろうか? などと考え始めていた。
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