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作者: 沖房 甍
事後処理
 ヴェラティ確保の後、彼女の処遇について不破を含めた主要なスタッフの間で論議が交わされた。
 危うく大事となるところを未然に防いだとは言え、実際には彼女は何もしていないも同然なので警察に引き渡すわけにもいかない。仮に引き渡すにしても彼女は注意を受けるに止まり、恐らく送検という段階には至らないであろう……というのが蹲の見解だった。もちろん細かく追及するのであれば脅迫であったり威力業務妨害であったりと色々適用することも可能であろうが、現状そこまでする必要はあるだろうか? という意見がスタッフ間で上がる。
 旭川の時と同様、意見は真っ二つに分かれたが、やはり今回一番の重責を担った咲楽が彼女を赦そうと主張したことと、事が急に動いたとの連絡を受けて、押っ取り刀で駆けつけた小山田の鶴の一声で今回は不問にしようという流れとなったのだった。

「……結局誰も怪我はしなかったんだよねぇ? だったら良いでしょう、事を荒立てなくってもさ……」

 そう言った小山田の表情はいつもの通り穏やかな笑みを湛えていた。それがかえって不破に相手の本心や感情を読むことをさせて貰えなかったのだった。
 かくしてヴェラティは二度とイベントやコミュニティに関わらない事を条件に放免となる。

「どうしてあたしばかりこんな目に遭わなくちゃいけないの? あたしはただ平和主義で少しだけ繊細なだけなのに……」

 憐れみを乞う被害者であるかの様に悲痛な声を上げるヴェラティ、参加者から距離を置いた場所で対応したことが幸いしていた。もしも参加者の中で彼女とひと悶着起こしてしまっていたら、騒ぎになるばかりか事情を知らぬ参加者らの同情を呼び込み、より最悪の展開にもなっていたであろう。あくまで自分に非が無いかの如く振舞う彼女を見る限り決してこれで一件落着とは言えないが、確かに小山田が言うようにこれ以上事を大きくするのは得策ではなかった。

「あんたたちが挑発したんだからね!? あたしの言うこと聞かない奴らにはいつかバチが当たるんだから!!」

 今度は脅迫めいた怒声を上げている……ころころと口調や語気が変わる様子はまるで多重人格者だ。

「……?」

 往生際悪く車に乗せられるヴェラティ。さすがに彼女と直接対決した当事者である咲楽が送っていくわけにもいかず、渋々麻臣がその役を引き受ける事となる。ヴェラティも暫くはごねていた様であったが、やがて彼女を乗せたアルミ色のライトバンは人目に触れぬように会場を離れて行く。その様子を仮設プレハブの窓越しに見送っていた不破は、だが彼女の捨て台詞にそこはかとない違和感と胸騒ぎを覚えていた。

「ようやく、行きましたか……」

 大きく安堵のため息をついて咲楽が不破の横から窓の外を眺めた。

「ご苦労様、お茶でも入れようか?」
「……はい、じゃあお言葉に甘えまして。…お茶菓子なんかも出ると嬉しいな?」
「図々しいな……」

 咲楽の言葉に不安の色が消えたのを感じ取り、不破は背中越しでほくそ笑む。

「……けど、私には理解できません。あれが……あんなのが『正義感で動いていた人間』の姿だったんですか?」
「正確には、自分の中でだけの『正義』なんだがな。似て非なるもんだから本来は別の言葉で表現しなきゃいけないのだが」
「……ですね」

 咲楽は不破から差し出された紙コップのお茶を両手で包み込んで口に運ぶ。

「どう思います? 結局赦しちゃいましたけど……あの人はこれで反省してくれるのでしょうか?」
「そりゃ無理だな」

 不破は咲楽の楽観的願望をバッサリと切り捨てた。

「人間、そう簡単に考え方が変わる訳が無い、まして自分の行動が『正義』と微塵も疑っていないなら尚更だ。反省どころか恐らくは今回の件でより恨みを大きくしたことだろうさ……」
「私が意見押し通しちゃったみたいでこれ言うのはおかしいんでしょうけど……本当にこれで良かったのかなぁ……?」
「まぁ……また何かしでかすなら今度こそ容赦する必要は無いさ。そのために彼女の動向は今後も監視することが可能にしてあるわけだし、その気になれば相手の素性も調べることが出来る。今回のは、言わば警告と執行猶予だ」

 結局、二人は彼女の正体を看破した根拠となった数々のSNSやサイトの下調べに関して、ヴェラティ本人には明かさなかった。それらの情報は元々彼女が自発的に公開しているものであり、それを覗き見している行為自体は何の違法性も無い。更にこの事実を知らせることで今後彼女が自身の情報を眩ましてしまう可能性は十分あり得るので、わざわざ伝える必要は無いと判断したのだ。

「……でも、何だか空しいですね」

 咲楽は大きな眼鏡をはずしテーブルに置くと遣る瀬無さげに項垂れた。

「カラまれた側ばかりがこんなに気を遣って、結局嫌な思いばっかり残って……。それなのに向こうからしたら私たちが悪、だなんて……」
「今回に限った事じゃなく、世の中は得てしてそんなもんだよ。だが、こっちが気に病むのはそれはそれで良い事だ」
「えー!? 良いんですか?」

 煮え切らない目で咲楽が見上げる。

「何が正義で何が悪かなんて知らないが、こちらもこちらで守りたいものはある。確かに非暴力の平和主義は尊重されるべきだが、時にその理屈がまるで通じない人間が存在するのもまた事実だ。そうした相手に対しては、やはり抵抗の意は示した方がベターではあるし、延いてはそれが後々の被害者を増やさぬ予防策となる。そのために時には拳を上げなきゃいけない事だってあるだろ?」
「はい、……そりゃあ不本意ながら……」
「でもそれで相手を殴って気分が晴れました……ってのも何か人として歪んでるよな。たとえそれがどんな相手でもどうしても罪の意識は持ってしまう。それが人として健全なんだよ」
「………そうですね」
「だから致し方が無く振るった拳で、残ってしまった罪の意識は一生抱えるつもりでいれば良いし、それがしんどい時は周囲に頼れば良い……それで、良いんだ……」

 話し相手の持論が少し熱を帯び始めてきた様な気がして咲楽は相手の顔を凝視する、……何故か不破は、自分に言い聞かせているかのように語っていた。

「ちゃんと自身に向き合っているなら、きっと周囲も黙って肩を貸してくれるし、やり方を間違えていれば叱責だってしてくれる」

 言い切ってふぅ、と一息。不破が自分のカップを手にするのを見て咲楽もそれに合わせて自分のお茶を含み、そして同じタイミングでほぅ、とまた一息……。

「いずれにしろ、正義なんて理念は秘めている間だけが純度を保てるってもんだ。それを安易に口にしたり、まして他者に押し付けた時点で歪んだ暴力になっちまう」

 聞いていた咲楽は、自分の胸に手を当て少し考えこむような素振りを見せてから、一人得心いった様な表情で頷いた。

「正義は秘めるもの……か。ふふっ、何だかカッコいいですね、それ」
「茶化すなよ。大体からして世の中どいつもこいつも正義を振りかざし過ぎるんだ。正義感の大バーゲン状態の現代にあっちゃ、それはもう幻想みたいなもんだ」
「ですね」

 窓の外、港ではぽつぽつと一般参加のランナーたちがゴールしてきている。ここからが稼ぎ時と露店スタッフが慌ただしく動き出していた。

「あ、そう言えば……、何でヴェラティの素性を調べるのにあんなアナログな手を使ったんですか?」

 それも相当に労力をかけて、である。咲楽が疑問に思うのも無理はない。

「まぁ、一番の理由はしらみつぶしのローラー作戦ってのが一番確実で早かったからだな」
「……あれで、早い……って」

 書類の海に溺れそうになった苦労を思い出し、咲楽はうげっと顔をしかめた。

「だが、情報請求に訴えるとかよりもはるかに迅速だったろ?」
「そりゃ、まぁ……」

 ……合法的な範疇では、ね……などと反論もしたかったが、そこはさすがに口にはしない。

「それに、現代の情報ツールを使いこなしている気になっている人間に対しては、これが一番警戒の隙を突きやすいんだよ」
「そういうもんなんですか?」
「そういうものさ。デジタルに依存するほどその優位性に振り回されるし、それ故アナログな手段で簡単に足元をすくわれるからな」

 う~んと一瞬腕組みをして考え込んだ咲楽であったが、確かにそういう側面もあることは認めざるを得ない。

「……そうかも、ですね……。正直、勉強になりました。こんなアプローチがあったなんて」

 割り切ったように笑顔を見せる咲楽。

「良かったです、不破さんに協力を仰いで。正解でした」
「そうかい、ならこちらも何よりだ」

 その様子を眺めながら不破は、彼女に何となく感じていた心地良さ、懐かしさの正体にようやく思い至った。


 ……それはずっと自分の後を付いてきた後輩の姿だったのだ……。



「おくつろぎのところ悪いけど、ちょいといいかい?」
「うわあっ!?」

 いつの間にか仁王立ちの中林が二人の背後にそびえていた。

「詩穂ちゃん、ちょいとお小言させとくれ。今回は大事に至らなくって良かったけどね……あなた少し無茶が過ぎるよ、分かってる?」
「あ……はい……」
「あんただけがこのコミュニティ背負ってんじゃないんだから、ダメだよ、一人で抱え込んじゃ」
「………ごめんなさい」

 中林に詰め寄られて咲楽はたじたじと小さくなる。それでもこの女性は単に腹を立てているのではなく、咲楽の身を案じてなのだろうというのは言葉の端々から感じる暖かさからも察せられる。

「……で、あんたもあんただよ、不破さん!」
「えっ、俺?」

 今度は矛先が不破に向けられた……明らかに、そして単に腹を立てている。

「女の子一人にあんな危険な真似させて! それと、計画があるなら私にもちゃんと事前に相談してくんなきゃ困るじゃないのさ!!」
「……はぁ、申し訳ない。何しろ急だったもんで……」
「大の大人が言い訳しない!」
「は、はいっ!!」


 二人はそれから小一時間ほど、中林にこってりとしぼられることとなった。
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