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作者: 沖房 甍
駆け引き
 自分の置かれた状況を理解したのか、相手の顔が血の気を失っていくのがありありと判った。手製のトーチを両手で強く握りしめているが、その手は小刻みに震えている。その様子を半分は痛ましく、半分は疑い深げに咲楽が見つめる。
 改めて見てまず感じたのがその女性は何と奇妙な格好をしているのだろうかという事だった。元がランニングウェアであることは判別つくのだが、フリルやカラフルな編み物、パッチワークの小物で飾られた過度なデコレーションは走るのに適した格好とは到底思えない。尤も、参加者には仮装やコスプレで出走する者もいるので、格好そのものは決して会場で浮く様なものではない。だが、彼女をしてそうした扮装と大きく毛色を違えているのは、そこに普段から着用しているであろう使用感であったり着崩し感が醸し出されている点である。つまり、彼女は……恐らくだが、これを普段の生活の中で着ているのだ。
 そして、その奇妙さに更なる拍車をかけているのが服装と比して彼女の顔だちから感じる年齢的イメージのギャップである。これがまだ十代そこらの少女が着るのであれば多少の違和感があったとしても現代であればさして気に留められることは無いだろう。だが彼女の顔だち……肌や服から露出する喉元、二の腕から感じる彼女の年齢は控えめに見ても四十は越えていると思われるのだ。にもかかわらず、彼女はその格好に恥じらいを感じている様子はない。現に十代後半にしか見えない実年齢二十代の咲楽の前で、彼女はまるで年下の少女の様な振る舞いを見せるのである。

「……な、何の話でしょう? 言っている事がさっぱり分からない……」

 おどおどした口調、相手に視線を合わせずくぐもった声での呟きは独り言の様にも聞こえる。身体はそわそわと落ち着かない様子で常に揺れていた。両腕はトーチをしっかりと抱えて、右手でずっと下唇に触れる。不破か麻臣が診たらそれが何らかの心理を示している行動だと看破するのだろうが、咲楽にはその意味するところが全く判らない。だが、少なくとも相手がこちらを警戒している事だけは間違い無く理解できた。

 ヴェラティが参加者として会場に潜伏していると睨んだ不破はすぐに現地にいるスタッフらと連絡を取り、このダミーの点火スペースを設けて貰ったのだが、そこでヴェラティに一人で対応したいと申し出たのは咲楽自身の意思からだった。もちろん今回の一件を知る古参スタッフ達からは反対の声が上がる。中林は相手が開き直った時何をしてくるか分からないと彼女の身を案じ、朝臣は一貫して警察に連絡すべきだと主張した。双方思惑は異なるが、彼女一人で相手と対峙させるのは危険だというのは共通するところ、その点は他のメンバーも同意を示す。そうした中、事前に彼女の意思を聞いていた不破は何も言わず状況を静観していた。
 これに対し、咲楽は参加者の窓口役としての責務としてまず自分が事に臨むべきと主張、結局頑として譲らず意思を押し通したのだった。

「あなたがハンドルネーム『ヴェラティ』さんであることは既に調べが付いています」
「……え、なぁに? 一体何を言っているのか?」

 ヴェラティはあくまでしらを切り通す気らしいが、咲楽は追及の手を緩めない。手にしたクリアファイルから何枚かの書類……不破と捜し出したここ数日のリレー会場の記録画像をプリントアウトしたもの……を取り出すとそれをヴェラティに突き付けた。

「この『勝手に聖火リレー』は事前申請が無い限り、原則的には自分の出身地域のみでしか参加出来ない決まりになっています。にもかかわらずこの写真の人物は服装や髪形を変えて何度も別の会場に姿を現しています」

 プリント用紙に印刷された画像は特定の人物を拡大し、赤丸で囲まれている。いずれも異なる服装に身を包んでいるが顔つきをよく見るとそれが同一人物であることが判る。梶山をはじめとする警備担当は予めこの画像を渡され、参加者の中からヴェラティを特定することが出来たのである。

「これはあなた本人で間違いないですよね?」

 一瞬の狼狽えを見せたヴェラティだったが、やがて何を思いついたか薄ら笑いを浮かべた。

「こんなボケた写真、見ただけじゃ分かんなくない? うん、分かんないよね?」

 相変わらずぼそぼそとした自己完結的口調で、ヴェラティは一方的に結論付けて納得する。

「ヒドくない? そんなフェイク写真でイチャモンつけるの。うん、卑劣。」

 決して咲楽に視線を合わせないためそれはまるで独り芝居の様であるが、言葉を向けられている咲楽にはそこにちくちくとした攻撃意思を強く感じ取る。……あまり良い傾向ではない。口調こそ変わらないがヴェラティの言葉が力を帯びつつある、余裕が生じてきている兆候だ。それとは対照的に咲楽の表情は徐々に焦燥感が浮かべ始めていた。

「……そんな、何の得があって私たちがフェイク写真なんて……」

 思わぬ反撃を受けたといった様子で怯みを見せる咲楽。もちろん相手の焦りを見逃す手はない、ヴェラティはこれ幸いとばかりに攻撃に転じる。

「だって写真の加工なんて今時普通にできるじゃない? ダメダメ、そんなんじゃダマされない」

 完全に画像を偽物として押し通すつもりだ。咲楽はうっかり気が昂りそうになるのを懸命に抑え、努めて冷静に語りかける。

「ではこれまであなたは一度もこの会場へ来たことは無いと言うんですか?」
「あなた、あたしをバカにし過ぎ。決まりぐらい知ってるわよ」

 言い返そうとして言葉に詰まる咲楽はそれでも苦し紛れにも聞こえる様な反論で相手に食い下がる。

「……いえ、あなたの姿を私、弘前で見ました。あなたは何べんも下見に来ていたんです!」
「はいそれも嘘~。そうやってカマかけたって、あたしあなたとは初めて会うんだから見ているはず無いよね? うん、無い」
「……っ……!!」

 逆に追い詰められた形となり咲楽の表情が崩れる、実際、会場の様子を撮影したのは咲楽だけではない。画像にヴェラティの姿を捉えていたのも偶々であり、決して狙ってファインダーに収めていたわけではないので、彼女の認識として初対面であることは事実だった。

「誘導尋問のつもりですかね? そうやって嘘つけばオトせるとでも思ってた? 少し頭が足りないんじゃない? あなたバカなの? バカなの? バカなの? バカでしょ!?」

 咲楽の表情が次第に苦悶の色が濃くなり、今にも泣きだしそうになってきているのをいいことに、相手の口調は段々愉悦の色を帯びてくる。

「人を陥れる気なら訴えちゃいますよ~?」

 いつの間にかヴェラティは咲楽の顔を覗き込んで喋るようになっていた……が、彼女は少々口を滑らせてしまった様だ。先程まで泣きそうになっていた咲楽の表情と声色は一転、毅然さを取り戻す。

「……では初めて見たあなたの写真をどうやって偽造したとおっしゃるんでしょう?」


「……………は……?」


 ヴェラティは相手の反論の意味をすぐには理解できなかった。その様子を見て咲楽は念を押すように言い直す。

「仮にこの画像が加工されたものだったとしても、あなたと初対面である私が何故事前にあなたの顔を知っているのでしょう? お答えいただけますか?」

 引きつらせた笑みを顔面に張り付けたままヴェラティはその場で凍りついた。勝機を掴んでこのままなし崩しに事をうやむやにしてしまおうという彼女の青写真は、その瞬間消え失せたのだ。

『証拠を突き付けるだけじゃ弱い、いいか? 相手から言い逃れできない自白を引き出すんだ』

 咲楽は不破の言葉を反芻する。


「自白……ですか?」
「そうだ。そのためにはまず相手の論理に生じる矛盾点を明確な言葉で相手自身に語らせるんだ」
「そう簡単に言われても……どうすればそんな事言わせることが出来るんです?」
「なぁに、ちょっとした心理の隙を作ってやりゃあ良いのさ。人間てな自分の優位に酔った瞬間に隙が生まれるもんだ。だから意図的に相手を優位に立たせるんだ。例えば、わざと失言して相手に反撃の機会を与えてやる……とかな」
「うわ……、ワルっ!!」


 咲楽は行きがけの車中で不破からこの秘策を授かっていた。もちろん、策があってもそれを実践することが出来なければ効果は無い。これほど目論み通りに事が運んだのは偏に咲楽の真に迫る演技力あってこその成果である。
 対して、自身の発言の矛盾を突かれたヴェラティは唇をわなわなと震わすがそこから言葉は出てこない。元々自身が事前に何度か会場を下見に来ていたのは事実であり、それを「事実ではない」と主張すること自体が矛盾の根幹であるのだ。だがそれを認めてしまったならば、潔白を主張するのにその行動の説明責任が生じる。また、事実を認めた上で別の理由で言い逃れをしようにも手遅れで、既に攻勢に転じてしまった時点でその正当性は著しく低下してしまっていたのだ。

「……………へ……」

 ようやくヴェラティが言葉を絞り出した。

「……へぇ~……、そう……あたし、まんまとあんたのペテンに引っかかっちゃったわけだ……」

 ヴェラティは半ば開き直ったかの様にふてぶてしく不貞腐れてみせる。

「はいはい、良く出来ました。そうでーす、そこに写っているのはあたしでーす」

 一本調子でそう言うと、わざとらしい拍手で称賛の芝居を見せる。

「だから、何? それで何を証明しようって言うの? あたし楽しくて何度も来ちゃっただけだもん」

 ヴェラティは今度はその行動に潜む意図をはぐらかすつもりだ、今や正当性が低くともそちらの戦略を取る以外方法は無いからだ。自分の行動には悪意は無いと押し通せれば、行為そのものは酷く責められるいわれは無いと主張できる。それに対し、咲楽は再び冷静に相手に詰め寄る。

「でも、あなたはさっき決まりくらい知っているって言いましたよね? それでも何度も会場に姿を現した理由は何です?」
「……だから楽しくって、よ? バカなの、あんた?」

 侮蔑と嘲笑交じりでヴェラティは再びまくし立てるが、もちろんそれも虚勢である。咲楽は心の中で大きなため息をついた……ダメだ、この人。自意識に凝り固まって自分を客観視することも失敗から学習することも出来ていない……と。

「その度に扮装を変えて、ですか? その必要性は何でしょう? ひょっとして同じ格好で何度も来ていたことがバレない様に着替えていたんじゃないですか?」
「……そ、それは…ほら、あれよ……えぇっ……と………」

 咲楽の指摘が正鵠を射ていた事もあり、何か合理性を持った理由を捻り出そうとするが出てこない。

「時には連日参加していた証拠もあります。だとしたら予め数着のコスチュームを用意しないといけません。あなたは刹那的な感情ではなく、以前から計画的にここに足を運ぶことを計画していたんじゃないですか?」
「……あ…、うっ……」

 追い撃ちを受け再び視線を床に落とし言葉に詰まるヴェラティ。ありとあらゆる反論が間髪入れずに跳ね返され、まるで眼前の大きな壁を相手にボールを打ち続けている様な感覚に囚われる。実はまだこの時点でも「悪意」を否定すること自体は可能なのであるが、どうやらまだそのことにまでは気づいていないらしい……咲楽は彼女がその事実に気付く前に決着をつけることにした。

「それと、あなたは途中からずっと、ご自身が『ヴェラティ』であることを否定されていない事に気付いてましたか?」

 失念していた指摘を受けて、地面を凝視したヴェラティの眼がかっと見開かれた。トーチを抱える手に、俯く額に脂汗がぷつぷつと浮かぶ。混乱を来たす思考の中で、ヴェラティは自身の失敗の原因究明に憑かれていた──何でこんなことになってしまったんだろうか?
 目の前の女の猿芝居にまんまと乗せられてしまったのが直接の原因には違いない。だがその前からすでに自分は何かのトラップに捕えられてしまっていたような気がするのだ……一体それは何だ!? すっかり統制を失っている思考からヴェラティは記憶を巻き戻す……。
 確かに目の前の彼女の言う通り、そもそも自分がヴェラティじゃないとシラを切るのが最適解だったはず……いや、自分はそのつもりで話していたはずだったのに……?? いつの間にか自分は『ヴェラティ《真理》』なる至高の存在として目の前の女を追い詰める愉悦で我を忘れてしまっていたのだ。

 ……「目の前」……の………?

 唐突なひらめきに前頭葉が衝撃を受けた様な錯覚を覚え、彼女は脈の浮かんだこめかみを押さえる。ヴェラティはようやく理解した。

 ……そうか…そうだったのだ。目の前にいたのがだったからだ……!

 これが強面のむくつけき大男や理論武装した冷血漢であったなら、あるいは大勢が取り囲み袋叩きの構えであったのなら自分は慎重に相対していたことだろう。だがテントに入った瞬間、そこにいたのがこの小さな、何の歯牙も持ち合わせて無さそうな小娘一人だったため、自分は油断してしまったのだ……最初から。
 尤も、そんな事実を理解したとてもそれで現状が回避できるはずがない、本当は今考えるべきはこの苦境を脱する方策であるはずだからだ。それでも無意味な原因に思考を巡らせてしまうのはとうに相手を論破する足掛かりが無くなってしまっていたからに他ならない、それ程彼女は進退窮まってしまっていたのだった。正に『万事休す』、である。

 ……かくなる上は……。

 論破を諦めたヴェラティの目に、暗く歪んだ光が灯る。……そうだ、これは事を荒立てずに済ます手段を逸したに過ぎない。それによって不利になったのはあたし? いや違う……自分を論破していい気になっているこの女だ!
 破壊衝動にも似たどす黒い感情に突き動かされ、抱えているトーチにかかる手にさらに力がこもった……その時──

「そこまでだ、を抜いたらあんたは決定的な犯罪者になっちまうぞ?」

 いつの間にテントに入って来ていたのか、ヴェラティの後ろに歩み寄っていた不破がひょいとトーチを奪い取った。

「ちょっ、何を……!?」

 瞬間尋常でない狼狽えを見せるヴェラティ、トーチを取り返そうともがく様に不破に手を伸ばす。だが同時に梶山を先頭に警備スタッフたちがなだれ込みヴェラティと不破の間に割って入ったことで、その抵抗も阻止されてしまう。その間に彼女を挟んで不破の対面に立っていた咲楽が安心したような、泣き出しそうな複雑な表情で不破に駆け寄ってその背後に隠れた。
 不破や警備スタッフがこのタイミングで入ってきたのは偶然ではない。ヴェラティに対し咲楽一人で対応する事への妥協点として不破らがテント外に控え、何かあった際には即座に中に飛び込んで対処する……それが事前にスタッフ間で取り決められた約束であったのだ。
 不破はヴェラティから取り上げたトーチをざっと眺めまわし、すぐにグリップ部分に仕掛けが施してあるのを発見した。

「会場で写り込んでいたどの写真を見ても、そして先程からもトーチを大事そうに握りしめていたのがどうにも怪しいと思ってね……」

 不破がトーチのグリップを引き抜くと、中からナイフの刃が現れた。隠していた凶器が暴露されたヴェラティは今にも噛みつかんばかりの形相で不破を睨みつけている。それに臆する様子も無く、彼女と面と向かう不破は穏やかに、だがどすの利いた声で問いかけた。

「……物証だ。これは一体どういうつもりか、納得いく説明を聞かせて頂きましょうか?」
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