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作者: 沖房 甍
プロファイリング
「……さて、今まで好き放題暴言を吐かせてきた訳だが、そろそろこの人物の全容と動向を把握しておくべきだろう……始めようか……」

 ここ数日の活動拠点と定めた仙台のウィークリーマンションの一室、不破と咲楽はそれぞれのパソコンに向かっていた。

「それで、まずは何を?」

 午前中、機材のセッティングと調整を任された咲楽は眼鏡を頭に引っ掛け、ゼリー飲料で簡易的な昼食を取りながら自前のノートPCを立ち上げる。

「今までの書き込みをリストアップしてくれ、できればプリントアウトしてくれると有り難い──」

 と、咲楽に指示を出した不破は皮肉交じりの笑みを浮かべてこう付け加えた。

「──何しろアナログ人間なんでな」

 もちろん謙遜だ、世間一般的には不破は決してアナログな人間とは呼べないだろう。仕事の場に限った話だがそこそこスマホやPCは使えているし、相応の知識も持っている。それでもあえて自身をアナログ人間と称したのは、相棒を務める咲楽が高い技術と知識を持っている事に対してのへりくだりであることと、これから行う作業に関する含みが込められていたからに他ならない。尤も、この時点で咲楽はそうした意図など知る由も無い訳で、だから彼女は不破の言を何かの嫌味か僻みであると解釈していた。

「プリンターは簡単なものしか用意できなかったんで時間かかりますよ?」
「構わないよ、その間にこちらも休憩を取るつもりだ」

 そう言って不破は台所に姿を消した。


 一時間後、一息ついたところで二人は既にプリントアウトされたヴェラティと名乗る人物が掲示板に書き込みした全文の書類の山を前に引きつった表情を浮かべていた。

「……お……、思ったよりも……量あるな……」
「わ……私も、そう思いました。……考えていたよりも、遥かに……です」

 膨大な枚数になるであろうことを予想していたはずの咲楽も実際の物量を前にして途方に暮れる有様だ。

「……で、これをどうするんですか?」
「まずはこいつで──」

 そう言って取り出したのは先程休憩中にコンビニで買ってきた36色セットのカラーペン。そこから1色取り出すと不破は書き込みの文章からいくつかの文字をピックアップしてチェックを入れてゆく。

「──こうしてリスクワードと語彙の癖を抽出していく」
「リスクワード……? いえ、何となく意味は判りますけど……それで語彙は何を手掛かりに?」

 不破の言うところのリスクワードとは「不適切な言葉」や「攻撃的、侮辱的な言葉」を指すものらしい。その中には遠喩的な書き方をしたり、連想ゲーム染みたアナグラムが含まれる場合もあるのでカテゴライズに難儀する所でもあるが、そこは感覚的にピックアップしてゆくしかないだろう。一方語彙はというと……、

「口ぐせと同様、人間には文章にも癖があるものなんだ。例えば無意識に多用してしまう言い回しや語調、好んで使う決まり文句などだな。ほら、小説でも文章読んだだけで作家が特定できちゃうような特徴ってあるものだろ?」
「……つまりこの人の言葉の特徴を分類してプロファイリングしてゆく……って事ですか?」
「まぁ、そういう事だ」

 事も無げに笑う不破を咲楽は少し恨めしそうに見上げる。

「……それはまた……アナログですねぇ……」

 半ば観念してプリントの山脈と格闘を始めた咲楽、黙々とした時間はそれから数時間続く。
 作業を始めるといくつかの発見もあった。そのうちの一つが初期の頃の書き込みは比較的丁寧な言葉遣いが多く、一貫した語彙が用いられていない点だ。これに関して不破の分析では「恐らく本音から出ている言葉ではないため、常套文句に他人からの受け売りが多用されているためだろう」としている。実際調べてみると、その前後に他者の書き込みで似た様な表現が用いられていたことが確認された。

「後半になってくると『正義』とか『善意』なんてワードが結構出てきますね。『世界をハッピーにする~』なんて言い回しもある……何だか思ってたよりポジティブなキーワードが多いんですね」

 ワードが出そろってくると更にその傾向は顕著になってゆく。最初は悪意に満ちた口汚い、グロテスクなキーワードで溢れかえるのを予想していた咲楽にとって、こうした前向きとも解釈できる言葉が頻繁に出てくる事実が不可思議に思えた。……だが、何だろう? 文字はポジティブなのに文章として読んでみるとどことなく病的な違和感を覚える。その違和感の正体も不破が説明してくれた。

「それは、本人がこうした一連の行動に後ろめたさを全く感じていないからだろうな。実際こうしたクレーマーや粘着に陥りやすいタイプは自身の正義感や善意を掲げることが多い。だがそれ故に他人のモラルに対して潔癖なほど厳しい。だからそれが攻撃心に容易にすり替わってしまうんだ」
「偽善的……ってわけでも無いんですね?」
「本人はこれっぽっちも自分の正義を信じて疑ってないからな。もちろんそんな正義や善意は酷く利己的、一方的なものだが」
面倒メンドい……。快楽的に人を傷つける様な、もっと分かりやすい悪人なら遠慮なく怒りをぶつけられるのに……」
「おいおい、それじゃ相手の理屈と同じだぜ?」

 冗談めかす様に不破は咲楽をたしなめた。

「う、……確かに…。いかんいかん、反省します……」

 自分の頭をぽかりと小突いて咲楽は大袈裟に項垂れた。

「きっとこういう偏った文章に埋もれて自分の頭がマヒしちゃってるんだ」
「まぁ、そうやって自身を客観視し、常に自省の心を働かせることが出来るのはまだ健全な部類だよ。自分で自分を善人だと公言して憚らなくなったらもうロクな奴じゃない」
「承認欲求と自己正当化欲求が高いんでしょうね……何だか空しい。こういう人って言っても治らないのがパターンだもの……」

 もちろん頻繁に用いられているワードは一見ポジティブなものばかりではない。例えば「自分は政府に監視されている」とか、「みんな自分に嫉妬して攻撃してくる」等の被害妄想や「自分には霊感がある」とか「自分は神」等、自己の万能性を誇るような言葉も度々出てくる。
 こうして人物像を分析していると段々怒りより憐みの方が湧いてくる……が、だからと言って黙って見逃すのもそれはそれで問題だ、と不破は指摘した。

「この手の人間を放置しておくと、タチの悪い場合シンパが付いてしまう事もある」
「それ、昨日も言ってましたね。何でそうなっちゃうんでしょう?」
「全てがそうだとは限らないが、そうした人間に自身のアンモラルな部分や抑圧された欲求を投影させて正当化させたいという無意識下の願望があるのかもな……。メディアやネットの世界では割と極端な思考やアクの強い人間が持て囃される傾向があるだろ?」
「タレントやユーチューバーに多いですね、そういうの」
「それが演じられたキャラであれば良いが、真性だった場合はその人間の言動を更にエスカレートさせてしまう事にもなりかねない。その本人に責任があるのは当然だが、それを擁護する者、焚きつける者に責任が無いとは決して言い難い」
「そうなってくるとシンパの人たちも共犯者っぽく思えてきますね」
「まぁ、社会的な耐性を身につけるための必要悪……ってなあるのだろうが、そいつがグレーな存在であることは間違いは無い。それを律する方法も罰する法律も無いことだしな」

 世も末です、と言って咲楽は大きなため息をついた。

 夕食はこういう時勢ということもあるが、作業に中てる時間を減らさぬため外食ではなくデリバリーで済ますとまたひたすら地道な作業が続く……、どうやら作業は到底一日で終わるものでは無さそうだった。
 途中咲楽がホームページの更新作業で自室に戻ったりという咲楽不在の時間や、中林や九品礼らが陣中見舞いに現れて、そのついでとばかりに手伝いに引き込む……などという時間もあったのだが、不破はその間も一人取り憑かれた様に作業を進めていた。
 夜は責任もって咲楽を自室へと帰らせること……これに関しては古参メンバー達からしっかりと念を押されていたこともあるのだが、当の不破にしたって元よりうら若き独身女性を夜通し付き合わせる気など毛頭無い。咲楽自身は「徹夜くらいへっちゃらです」とか「不破さんは信用できる人ですから」などと居残りを切望するのであるが、社会人の常識云々よりも単純に体裁上ハイそうですかと要求を通してやるわけにはいかない。そうした理由で、夜間は半ば強制的に咲楽は不破の部屋から追い出されることとなった。


 翌朝、不破の部屋を訪れた咲楽は部屋のドアをノックした……返事がない。

「……ほら、やっぱり寝てる」

 咲楽はスマホを取り出すと不破の番号に電話をかける……数度の呼び出し音の後に留守電につながる、同じことを五回繰り返して咲楽はいい加減諦めた。
 仕方が無くドアのノブを回すと一瞬だけ手元に気圧差の重さが伝わった後、あっさりとドアが開いてかけっ放しのエアコンの冷え冷えの空気が流れ出る……そもそも鍵がかかっていなかったのだ。

「あぁもう! 不用心なんだか、ずぼらなんだか……!」

 思わず愚痴もこぼれようものだが、それでも中に入れたのは彼女にとっては幸いだった。玄関を通り抜けて一度ベッドルームを覗き込むがそこに求める姿は無い。もしかして買い物かどこかに出かけたのか? などとも思ったのだが、玄関口に靴がある事から外に出ている可能性も薄い……と、いう事は──
 咲楽は昨日作業を行っていたリビングの扉をそっと開いて覗き見て、そこでようやく不破を見つけた。彼は床に就く事無く、そのままテーブル上の書類の海に突っ伏し果てていたのだった。
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