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作者: 沖房 甍
議事の場の面々
 駅前の貸し会議室では既に今日のリレー開催を終えて引き揚げてきたばかりの古参スタッフが集まっていた。集まっていると言っても今回は議事を円滑に進めるため特に重職を担っているメンバーのみに限定され、その面子は──

企画立案担当の九品礼綾香
各種申請担当の蹲典也
救護担当の麻臣直樹
経理担当の中林芳江
警備担当の梶山徹

──この5名に広報担当の咲楽と不破を加えた7名となっている。


「遅れてすみません」
「いいのよ、詩穂ちゃん。みんなほんの少し前に来たところなんだから」

 到着するなり開口一番、メンバーに頭を下げる咲楽を中林がおおらかに迎え入れる。

「時間通りに来た人は麻臣さんだけでしたっけ?」

 中林の言葉を受けて、九品礼はとぼけてみせる、どうやらメンバー間ではこれが毎度の事であるらしい。

「ええ、おかげ様でゆっくり仮眠が取れましたよ」

 対する麻臣もさして腹を立てている様子もなく冷めた調子の皮肉で返す。

「でもおかしいですよね? 麻臣さん、私たちと一緒に会場にいたのに、何でこんなにいち早く戻って来れるんですかね?」
「あなた達みたいにいつまでも現地で世間話をしていないからですよ」
「まぁまぁ、ようやく揃った事ですし、さっそく始めましょう。ささ、不破さんもこちらへ」
「あ……はい」

 不破は梶山に勧められるまま一同の輪の中に加わる。この場に揃ったメンバーはいずれもここまでの取材の過程で既に面識のある人間であったことから、不破の飛び入り参加はさほどの抵抗感も無くすんなりと受け入れられた。唯一、門外漢を加えることに難色を示した麻臣の言い分も、周囲が言うところでは「この人はこれが普通だから」とあっさり聞き流される。

「会長の推薦あっての例外だということを忘れないで下さい」

 ……どうやらこれがこのコミュニティでの形式的な儀礼みたいなものらしい。麻臣も忠告はしましたよ、と話を打ち切ってそれ以上問題を蒸し返そうとはしなかったのだった。

「さて、既に事情はご存じの事と思いますが……」

 事の始まりがSNSの掲示板であるため議事進行は広報担当の咲楽の役目だ。

「以前から問題のある発言を続けていたハンドルネーム『ヴェラティ』なる人物からの書き込みが既に看過できない段階にエスカレートしていると判断しました。これが私が気になった書き込みなんですが──」

 咲楽はそう切り出して手元のタブレット画面を一堂に向ける。画面には掲示板のスレッドが表示されている、その一つを咲楽は拡大して表示させた。


1448602無題 ヴェラティ 21/06/12(土)22:12:50ID:MoNNg-lAHa04
泣いてもわめいても愚者は目覚めた人の命令に逆らっちゃいけないのわかる?

1448602無題 ヴェラティ 21/06/12(土)22:28:14ID:MoNNg-lAHa04
ワロタwやっぱり低能の考える事はいつまでたっても低能www

1448602無題 ヴェラティ 21/06/12(土)23:10:34ID:MoNNg-lAHa04
私は愛を持って言ってあげてるんだからあんたたちは黙って私のいう事を聞いてればいいの
口ごたえしたって後で後悔する事になるんだからね

1448606無題 ヴェラティ 21/06/12(土)23:42:03ID:MoNNg-lAHa04
うるさいあんたたち低能なれあい軍団のへりくつもうまっぴら
痛い目見るよりも私に従った方がハッピーにすごせるのなんで理解できないかな?バカなの?

1448624無題 ヴェラティ 21/06/13(日)01:17:22ID:MoNNg-lAHa04
>>申し訳ありませんが運営へのDMにてご対応したいと思います
なにそれ個人情報搾取必死すぎて草不可避wなれあい糞運動会一度血を見ろ

・・・・・・・・・・

 ……こうした文章が延々と表示されてゆくディスプレイを見ているうちに、早くも一同の顔はげんなりとしたものに変わってゆく。

「会話する気なんてこれっぽっちも無いな」

 梶山がもう辟易といった表情を浮かべる。

「そうなんです。……どうしましょう?」

 他の面々も一様に不快さを表す中、麻臣は他よりもう少しだけ冷静に文章を解析しているようだった。

「挑発的な書き込みなら以前からもあった訳だが、咲楽さんが気にしているのは今回『血』というワードが含まれている事かな?」
「はい」
「なるほど。だがこれだけではまだ何とも判断しかねるな。『血を見せる』というのであれば相手の能動的な意思がそこに含まれている可能性もあるが、『血を見ろ』だけでは害意と解釈するのに十分とは言えない。確かに語気は荒くて好戦的だが、文章の限りでは必ずしもこれが脅迫行為とは断定出来ないだろう。これで団体意志としての即時対策を……というのは些か時期尚早だと思うのだが?」
「それは正論だけどねぇ……、こうも粘着されると不安になるなというのが無茶な話よね」

 麻臣に比べて中林は咲楽に同情的だ。その彼女の口にした「粘着」というワードを受けて蹲が咲楽に確認を求めた。

「粘着ですか……咲楽さん、この人は大体一日の間にどのくらい書き込みをしてきているんですか?」
「えぇ……っと、平均すると200回前後ですね。多い時には400回以上も連続で書き込まれていた事もあります」
「確かにそれは尋常な数では無いですね。ですが今の段階ではこれもまだ感情的行動の範疇を越えない程度で、麻臣さんの仰る通りそれだけでは決め手に欠けるな……というのが個人的な印象ですね」
「ただ、私には刹那的な感情だけではなく、どこか偏執的なものを感じます。……ところで、不破さんに伺いたいのですが──」

 蹲の見解に続いて口を開いた九品礼の問いかけに、一同の視線が不破へと向けられた。

「──こうした攻撃的になった発言の主の行動がさらにエスカレート……例えば実際に麻臣さんが言うような何らかの脅迫行為に及んだり、直接的な妨害行動に抱てくる可能性はどのくらいあるものなんでしょうか?」

 スケジュールが本家に追いついたこともあって裏聖火リレーの開催はほぼ毎日に及ぶ。実際に開催のGOサインを出すのは代表である小山田であるのだが、立案に関わる九品礼としてはこうしたトラブルを踏まえた対応を迅速に進めたい思いがある。

「もちろん相手の性格によるが……」

 不破は一度口をつぐんでロジックを組み立てる。

「相手がどういった目的……いや、心理で書き込みを行っているかがまず重要だな。それが日常のストレス発散で行っている事であれば放って置いてもやがて飽きて離れていくだけだろう」

 ネットの世界で多くの悪質な書き込みがこの部類に属している、つまりコミュニティが憂さ晴らしに利用されているのだ。こうした場合相手はあまりそのコミュニティに対して深い思い入れを持っていないパターンが多く、そのため暴言以上に行動がエスカレートする例は比較的少ない。

「この手の人間は日常では内向的な性格が多い。リアルの世界では出せない自分の感情をネットで爆発させてる悪い意味での典型だな」

 だからと言って笑って許せるものでもなく、当事者にとっては迷惑極まりない存在であるのは間違い無いのだが……。

「一方、何かしらの明確な恨みや妬み……時として過剰な正義感を持って書き込みをしているというのであれば、そちらは深刻だ。そうした人間は自らが納得出来る状況が達せられない限り執拗に粘着を続け、放置しておけば行動をどこまでもエスカレートさせる傾向にある」

 九品礼が更に踏み込む。

「それで、不破さんの見立てではこの人物はどちらだと?」
「後者である可能性が強いな」

 ……誰かがごくりと喉を鳴らす、緊迫感でその場が一瞬凍りついたように沈黙した。

「……あのぉ、警備担当として提案したいのですが……」

 沈黙を破ったのはおずおずと挙手して発言を求めた梶山だった。

「行動がエスカレートするというのであれば今後の警備が難しくなります。……例えばプロジェクトの中止や休止、延期などは考えられないものでしょうか?」
「その可能性があるのなら、私も中止の可能性を検討する必要があると思う。参加者の安全が第一だ」

 梶山の提案に麻臣も同意の意思を表した。

「常識的に考えるならここは警察へ相談する選択肢も考慮すべきだろう」
「そんな、中止なんて……!」

 中止論に真っ向から反対の意思を示したのは咲楽だった。

「確かに警戒の必要があると思って議事にしましたけど、その結論はちょっと乱暴過ぎるんじゃないでしょうか?」
「私もそう思います。先程同様、現時点では相手に害意があるとも確定できないのですから、でしたら今はまだ中止や延期を論ずる段階では無いと考えます」

 蹲も咲楽に概ねの同意を示す。

「あなたは何か起きるのを憂慮してこの場を設けたのでしょう? 確かに私は時期尚早とは言いましたが、一方で万全を期すに越したことは無いとも考えます。大事が起こってからでは遅いですからね」
「そ、それは……そうですけど……」

 麻臣の反論に言葉を詰まらせる咲楽、中林は堪らず助け舟を出した。

「まぁ、検討するに越したことはないかもね。でもあくまでそれは選択肢の一つに留めといて、今はあらゆる可能性を考えてみるべきじゃないかい? 開催に難があるので即刻中止っていうのはちょっと感情的で短絡的だよねぇ……」
「やはり警察に相談だけでもしてみるのが良いのではないでしょうか?」

 中止を強く推す気は無い様だが梶山は麻臣の方針に寄った折衷案を推す。

「現段階で警察に相談したところで、根拠がネット掲示板の書き込み一つでは本腰を入れてくれるとは限らない」
「え?」

 不破の不穏な発言にまたもや一同は言葉を失う。

「いや、もちろん現段階では……という意味なんだが、こうしたネット上でのトラブルに対してまだ警察の対応が十分整っているとは言えないのがこの国の現状だ。おそらくこうした民間のイベントで発生した問題を警察に相談した場合、中止を勧告されてそれで終わりだろう」
「残念ながらそうなる可能性は高いでしょうね」

 法律に明るい蹲が不破の指摘を肯定する。

「このプロジェクトが各県を巡って開催されている点もマイナスに働きます。所轄の警察署は県を跨いでの対応をきっと嫌がることでしょう」
「それに相手は……ああ、この書き込み主が何か事を起こすのが前提の話だが……、開催を中止や延期したところで満足するとは思えない、文面から判断するに中止させることが目的では無さそうだからな。むしろそれに味をしめて更なる追い打ちを仕掛けてくる可能性もある」
「たらればの話をしていても仕方が無いと思うのだがね?」

 どんどん物騒になる不破の「可能性の話」に麻臣が横槍を入れた。

「つまりあなたは大ごとになるまでは何もするな……とでも?」

 二者の間にぴりりとした緊張が走る。

「いや、不破さんはそういう事を言っているんじゃないと思います」

 何だか対立構造が形成されているんじゃないか、そして先程中止を提案した自分もその渦中に含まれることを憂えた梶山が場を和らげようと割って入った。

「ここで最悪の可能性を想定したのには、不破さんに何か考えがあるから……ということですよね?」

 ふぅむ……と一呼吸、不破は腕を組み椅子にもたれた。

「……そうだな、九品礼さん?」
「はい」
「いずれにしろ今からここ数日のリレー開催を止めることは難しいわけだよな?」
「はい。一般の参加者への連絡もありますし、正直言って不可能です」
「参加者だけではありません。諸々事務的にも混乱が生じますし、こうした前例を作ってしまうと今後の開催にも支障が出るかも知れません」

 ……と、蹲も補足を入れる。

「ならば現実的なのは『現状維持』だと思う。もちろん最大限の警戒を心掛ける必要があるのでスタッフの負担は大きくなるが、ひとまずこの数日間のリレーは引き続き開催する他ないだろう」
「では書き込みの方はどうするつもりかな?」
「そちらは当面俺と咲楽さんで対応しよう」
「……へ?」

 急に指名を受けて間抜けた返事が口から飛び出す咲楽。思わず隣の記者の顔を仰ぎ見る。不破の口元には不敵な笑みがこぼれていた……。


「根拠が無いなら、まずは根拠を揃えるのが先決だ!」
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