事態急変
皆守から託された鍵も気になるところではあるが、旭川で再合流する予定の裏聖火リレーでは少々穏やかでない状況が発生していた。不破がそれを知ったのは成田で受け取った小山田からのメールだった。
送信元:小山田 俊一
本日旭川で皆さんと合流すると聞き及んでいました
ためご連絡を。
現在スタッフ内で厄介ごとが発生している模様。
僕はどうしても外せない仕事があって現地に向かえ
ませんが、予め話は通してあるので君が皆さんの力
になってあげて下さい。
年配らしい飾り気のない実に事務的で簡潔な文章だ……、メールが初めて受け取るアドレスからであった事と、タイトルに【緊急】と銘打っていなければいつものようにリストだけ読み流して済ますところだった。一体何が起こったのやら……、自身も相手の小山田もスタッフ間で主立った連絡ツールとしているLINEは用いていないため詳細は現地に到着するまで確かめようが無い。
……尤も、不破はあくまで外様──スタッフから見れば客人に過ぎないので、よほどのことが無い限りスタッフ間のLINEなど使わないのは当然なのだが、代表である小山田が使わないのは如何なものか? と首を捻ってしまう。そんな要らぬ思惑が機内で一時間ほど続いた後、ようやく新千歳空港を出たところで出迎えの咲楽と落ち合い事のあらましを聞くことが出来た。
◆
「実は先日からSNSで不審な書き込みが続いてるんです」
「書き込み?」
「はい。それが少々悪質になってきていて、さすがに看過できない状況じゃないか? って話になりまして……」
まるで相槌でも打つかのようにがたん、と車体が大きく揺れた。彼女の愛車は先日砂浜を走行して以来サスペンションの機嫌が良くないのか、時折耳障りな音とともに車中が振動に見舞われるようになっている。
「このプロジェクトが福島でスタートを切った頃か、その少し後くらいに頻繁に書き込みをしていた人がいたんです。最初の内はこの企画とスタッフを称賛するような内容だったんですよ。でも次第に企画内容に意見を入れる様になってきたんです……」
「ん? それ自体は悪いものじゃ無かろうに」
「そうですね。掲示板はそうした企画のブラッシュアップを図る場でしたので……。でもその人の意見の場合……何て言うか……内容が他所の企画の模倣だったり、具体性を欠く様な曖昧模糊としたものだったりして。当然意見を吟味するのも掲示板の役割だったので参加している皆さんがそこに指摘や対案などをぶつけるわけです……」
「あ~、そういうことか」
不破は何か合点がいったかの様に頷いた。
「よくあるパターンだな。『俺様の意見は絶対正しいのだから口を出すな』だろ?」
「はい。終いにはこの企画自体が社会に害悪だ……とか、自分に企画の全権を与えろ……とか、もう傍若無人っ! ヒドイ話だと思いません?」
当時よほど嫌な思いでもしたのか、心底うんざりといった表情を浮かべる咲楽。それを部外者の自分に随分簡単に明かしてしまうのだな……などと不破は思うのだが、まぁ、それだけ彼女に信頼されているのだろうと思えば決して悪い気はしない。
「それで? そいつを君らはどう対応したんだ?」
「まずは企画の意図や主要スタッフになっている人たちがそれ相応の労力を払って参加しているかを説明して、権限を持つにはあなたも綿密なコミュニケーションと発言の責任をまず持って下さい……ってお願いしました」
「そしたら今度は『俺に指図するな』だったろ?」
「……お察しの通りです。もちろんそこまで直接的な言い方では無かったですけど」
「よくあるパターンだな。そいつは皆で協力して何かを成し遂げたいわけではなくって、自分の要求を通して思い通りに事を運びたいだけ……ってタイプなのだろうよ。そういう相手に下手に妥協を見せて十分な相互理解無しの参加を許せば、いつかトラブルの種になりかねない」
どこの世界にもトラブルメーカーはいるものだ。特にネットの世界でそれは日常茶飯事で、知識や経験、他者への配慮の不足といった理由から諍いを起こすのも決して珍しい話ではない。中にはそうした手合いを扱いかねて放置したりなだめすかしたりするコミュニティーもあるのだが、それは事勿れ主義に過ぎず功を奏した試しは無い。最悪の場合、そうして野放しにしている間に周囲にシンパが発生し、結果コミュニティーを乗っ取られたり崩壊させたりする場合もある。それも当人同士の間でそれが完結するならまだしも、誰かがどこかで歯止めをかけない限りそうした人種は方々で同じことを繰り返すのだ。
こうした例はネットの普及により表面化したに過ぎず、はるか昔から大なり小なり存在しているものだが、もちろんそうした輩がネットの普及に比例して急激に増える傾向にあるのも紛れの無い事実なのだ。加えて昨年~今年にかけて加速的にそうしたトラブルが増加しているのは、やはりここでもコロナの影響が大きく、自粛のストレスに耐え切れず内在的に持っていたそうした性質を暴発させてしまう人間が数多存在している点も見逃せない。
「で、会長はよ? そういった手合いの扱いは得意そうに見えるが?」
「確かにあの人ならどうにかしてくれちゃいそうですよねぇ~……」
何だか含みのある言い回しで咲楽は空笑いを漏らす。
「会長は顔が見えない場では話が拗れるだけだよ……って言ってました。まずはダイレクトに、それも一対一じゃなくって関係者全員が顔を合わせられる場で話し合えるようにすべきだと。でも掲示板がアドレス非表示が可能な仕様だったのと、相手がオフでの連絡を拒んでいたこともあって……そうして手をこまねいているうちに掲示板に姿を現さなくなっちゃったんです」
咲楽がそこで大きなため息をつく。
「そこで終わってればまだ何にも問題は無かったんだけど……」
「最近になって、また現れて暴れだした……ってことか」
「……はい。その際にはもう最初から喧嘩腰で、まるでこちらが諸悪の根源とでも言わんばかり……その後も言動はエスカレートする一方です」
「なるほど、ね……」
ふむ……と呟いて不破が黙り込んだ。片手で顎を支え一点を見つめて何事かを考えこんでいるその様子を、咲楽が運転の合間にちらちらと覗き込む時間が暫し続く。車内は沈黙に支配されサスペンションが軋む音とがたごとという振動だけが不規則に響き渡っていた。
やがて不破はぽつりと疑問を口にする。
「一点、確認なんだが……」
「はい?」
「その最初の頃にゴネていた人物と、今また暴れている人物は同一人物なのかな?」
「……えっ?」
想定外の問いかけだったのか咲楽は信号の待ち時間じっと考えこみ…、そして何かしらの納得でも得たか、決然と自身の考えを口にした。
「………別人である可能性は……低いと思います。もちろんネットの書き込みですから絶対とは言えませんけど……」
少々心理と言語の扱いに長けた人間であれば、文字だけのコミュニケーションの場において他人に成りすますのは難しいことではない。それを見抜くにはこちらも相応の知識と経験、そして違和感を見逃さない鋭い勘と洞察力が必要となるのだ。
恐らく咲楽の判断が多く勘に頼っているであろうことは否めないだろう。だが不破はそこに異論を挟まなかった。この世で女性の勘ほど侮れないものは無いからだ。
「そうか。それじゃあまずは他のスタッフの見解と、書き込みそのものを見てから考えようか」
「お手数おかけします」
奮い立たせる意気込みが足下に入ってしまったか、うっかり踏み込み過ぎたアクセルで車体が急加速する。黄色い小型車は唸りを上げ一路旭川へと北上していった。
送信元:小山田 俊一
本日旭川で皆さんと合流すると聞き及んでいました
ためご連絡を。
現在スタッフ内で厄介ごとが発生している模様。
僕はどうしても外せない仕事があって現地に向かえ
ませんが、予め話は通してあるので君が皆さんの力
になってあげて下さい。
年配らしい飾り気のない実に事務的で簡潔な文章だ……、メールが初めて受け取るアドレスからであった事と、タイトルに【緊急】と銘打っていなければいつものようにリストだけ読み流して済ますところだった。一体何が起こったのやら……、自身も相手の小山田もスタッフ間で主立った連絡ツールとしているLINEは用いていないため詳細は現地に到着するまで確かめようが無い。
……尤も、不破はあくまで外様──スタッフから見れば客人に過ぎないので、よほどのことが無い限りスタッフ間のLINEなど使わないのは当然なのだが、代表である小山田が使わないのは如何なものか? と首を捻ってしまう。そんな要らぬ思惑が機内で一時間ほど続いた後、ようやく新千歳空港を出たところで出迎えの咲楽と落ち合い事のあらましを聞くことが出来た。
◆
「実は先日からSNSで不審な書き込みが続いてるんです」
「書き込み?」
「はい。それが少々悪質になってきていて、さすがに看過できない状況じゃないか? って話になりまして……」
まるで相槌でも打つかのようにがたん、と車体が大きく揺れた。彼女の愛車は先日砂浜を走行して以来サスペンションの機嫌が良くないのか、時折耳障りな音とともに車中が振動に見舞われるようになっている。
「このプロジェクトが福島でスタートを切った頃か、その少し後くらいに頻繁に書き込みをしていた人がいたんです。最初の内はこの企画とスタッフを称賛するような内容だったんですよ。でも次第に企画内容に意見を入れる様になってきたんです……」
「ん? それ自体は悪いものじゃ無かろうに」
「そうですね。掲示板はそうした企画のブラッシュアップを図る場でしたので……。でもその人の意見の場合……何て言うか……内容が他所の企画の模倣だったり、具体性を欠く様な曖昧模糊としたものだったりして。当然意見を吟味するのも掲示板の役割だったので参加している皆さんがそこに指摘や対案などをぶつけるわけです……」
「あ~、そういうことか」
不破は何か合点がいったかの様に頷いた。
「よくあるパターンだな。『俺様の意見は絶対正しいのだから口を出すな』だろ?」
「はい。終いにはこの企画自体が社会に害悪だ……とか、自分に企画の全権を与えろ……とか、もう傍若無人っ! ヒドイ話だと思いません?」
当時よほど嫌な思いでもしたのか、心底うんざりといった表情を浮かべる咲楽。それを部外者の自分に随分簡単に明かしてしまうのだな……などと不破は思うのだが、まぁ、それだけ彼女に信頼されているのだろうと思えば決して悪い気はしない。
「それで? そいつを君らはどう対応したんだ?」
「まずは企画の意図や主要スタッフになっている人たちがそれ相応の労力を払って参加しているかを説明して、権限を持つにはあなたも綿密なコミュニケーションと発言の責任をまず持って下さい……ってお願いしました」
「そしたら今度は『俺に指図するな』だったろ?」
「……お察しの通りです。もちろんそこまで直接的な言い方では無かったですけど」
「よくあるパターンだな。そいつは皆で協力して何かを成し遂げたいわけではなくって、自分の要求を通して思い通りに事を運びたいだけ……ってタイプなのだろうよ。そういう相手に下手に妥協を見せて十分な相互理解無しの参加を許せば、いつかトラブルの種になりかねない」
どこの世界にもトラブルメーカーはいるものだ。特にネットの世界でそれは日常茶飯事で、知識や経験、他者への配慮の不足といった理由から諍いを起こすのも決して珍しい話ではない。中にはそうした手合いを扱いかねて放置したりなだめすかしたりするコミュニティーもあるのだが、それは事勿れ主義に過ぎず功を奏した試しは無い。最悪の場合、そうして野放しにしている間に周囲にシンパが発生し、結果コミュニティーを乗っ取られたり崩壊させたりする場合もある。それも当人同士の間でそれが完結するならまだしも、誰かがどこかで歯止めをかけない限りそうした人種は方々で同じことを繰り返すのだ。
こうした例はネットの普及により表面化したに過ぎず、はるか昔から大なり小なり存在しているものだが、もちろんそうした輩がネットの普及に比例して急激に増える傾向にあるのも紛れの無い事実なのだ。加えて昨年~今年にかけて加速的にそうしたトラブルが増加しているのは、やはりここでもコロナの影響が大きく、自粛のストレスに耐え切れず内在的に持っていたそうした性質を暴発させてしまう人間が数多存在している点も見逃せない。
「で、会長はよ? そういった手合いの扱いは得意そうに見えるが?」
「確かにあの人ならどうにかしてくれちゃいそうですよねぇ~……」
何だか含みのある言い回しで咲楽は空笑いを漏らす。
「会長は顔が見えない場では話が拗れるだけだよ……って言ってました。まずはダイレクトに、それも一対一じゃなくって関係者全員が顔を合わせられる場で話し合えるようにすべきだと。でも掲示板がアドレス非表示が可能な仕様だったのと、相手がオフでの連絡を拒んでいたこともあって……そうして手をこまねいているうちに掲示板に姿を現さなくなっちゃったんです」
咲楽がそこで大きなため息をつく。
「そこで終わってればまだ何にも問題は無かったんだけど……」
「最近になって、また現れて暴れだした……ってことか」
「……はい。その際にはもう最初から喧嘩腰で、まるでこちらが諸悪の根源とでも言わんばかり……その後も言動はエスカレートする一方です」
「なるほど、ね……」
ふむ……と呟いて不破が黙り込んだ。片手で顎を支え一点を見つめて何事かを考えこんでいるその様子を、咲楽が運転の合間にちらちらと覗き込む時間が暫し続く。車内は沈黙に支配されサスペンションが軋む音とがたごとという振動だけが不規則に響き渡っていた。
やがて不破はぽつりと疑問を口にする。
「一点、確認なんだが……」
「はい?」
「その最初の頃にゴネていた人物と、今また暴れている人物は同一人物なのかな?」
「……えっ?」
想定外の問いかけだったのか咲楽は信号の待ち時間じっと考えこみ…、そして何かしらの納得でも得たか、決然と自身の考えを口にした。
「………別人である可能性は……低いと思います。もちろんネットの書き込みですから絶対とは言えませんけど……」
少々心理と言語の扱いに長けた人間であれば、文字だけのコミュニケーションの場において他人に成りすますのは難しいことではない。それを見抜くにはこちらも相応の知識と経験、そして違和感を見逃さない鋭い勘と洞察力が必要となるのだ。
恐らく咲楽の判断が多く勘に頼っているであろうことは否めないだろう。だが不破はそこに異論を挟まなかった。この世で女性の勘ほど侮れないものは無いからだ。
「そうか。それじゃあまずは他のスタッフの見解と、書き込みそのものを見てから考えようか」
「お手数おかけします」
奮い立たせる意気込みが足下に入ってしまったか、うっかり踏み込み過ぎたアクセルで車体が急加速する。黄色い小型車は唸りを上げ一路旭川へと北上していった。