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作者: 沖房 甍
──「市内からきました。聖火リレーランナーに応募していたんですけど、リレーの開催が中止になってしまったのでこちらでリベンジしてやろうかと思いまして」(参加ランナー:会社員)

 通称『裏聖火リレー』はその参加資格を問わない。参加したい人間はその人数だけ適時対応して走ってもらう……というのがその趣旨だ。
 当初は「走りたい者が、走りたい場所で、走りたい距離だけ走る」というのを目論んでいたらしいが、さすがに諸々の手続きの関係でそれは難しく、開催の度にその形式を微調整しつつ柔軟に条件を決定していた。
 もちろん走者は「自分の出身、または在住県民」に限られているわけだが、これもまた決して厳密ではなく、例えば対象県内の住民の親戚であるとか、職場がそこにある等の理由がある場合には例外も認めるというアマチュアイベントならではの、良い意味でのルーズさを心がけているのだそうだ。


──「トーチはこれ、家族みんなで作ったんですよ。目立とうと思って派手にしたつもりだったんですけど、もっと派手な人もいるんですね(笑) それに重たく作っちゃって……計算ミスです」(参加ランナー:印刷業)

 来るもの拒まずがモットーのこのプロジェクトにも一つ大きな参加条件がある。それが「トーチは自作・持参」の原則だ。
 もちろんこれは公式の様に定型のトーチを調達できないための窮余の措置だったのだが、それが逆に参加者の創作意欲に火をつける結果となり、服装同様趣向を凝らしたトーチを披露するショー的側面を花開かせたのである。この手作りトーチを終始個人が掲げても良いし、1グループ内でシェアしても構わない。最終的に次のランナーのトーチに火を繋げる責任さえ果たせばその間の一切の表現は法に触れない限り自由なのである。


──「若い子にネット詳しい子がいて、自治体でグループ参加しました。でも子供たちより私ら年配がはしゃいじゃってますよ」(参加ランナー:無職)

 当初は二十代~四十代……つまりSNSに直接参加していた者が中心だった参加ランナーは、今や老若男女を問わず広い世代に及んでいる。これはSNS参加者の紹介や宣伝の効果もあるのだろうが、特定のメディアや報道を介さないうちにこうした口コミが広がるのはネット時代の恩恵と言えるのだろう。


──「こんなご時世ですからマスクもしてきました。でも走っている最中ははずしても大丈夫そうですよね?」(参加ランナー:派遣社員)

 徐々にではあるが国内でも治療薬やワクチンの生産と接種の態勢は整いつつある。しかしながら現段階においても決して手放しで安心できる様な状況とは言えず、未だにオリンピックの開催そのものが危惧されているのが現状と言えよう。
 もちろん本イベントも屋外開催である事に胡坐をかかず、スタッフに対する定期的なPCR検査の徹底と開催の度に念入りな防疫対策や参加者への配慮を欠かしてはいない。先の参加者もその後スタッフに諭されてちゃんとマスクをして走る事となった。


──「立ち上げ前にSNSで意見求められてましたので、それをきっかけにスタッフとして参加するようになりました。特に道の使用許可を取り付けてくるのが毎回本当に苦労してます。公式の聖火リレーの方も各地で公道での開催が中止になってますし、最初の頃は門前払いも食らってましたので……」(申請担当スタッフ:法律事務所事務員)

 本イベントで何より目を見張るのは運営に携わるスタッフの多彩さである。その多くは準備段階のSNSから関わる人間が中心で、現在もその多くが各担当セクションの責任者となっているが、いずれもその道に通じた人間が多く、ネット特有の垣根の無さやしがらみの少なさを感じることができるのだ。
 各自治体に届ける申請等も全国各地で開催となると手続きが煩雑となるので、法律に明るいスタッフである蹲典也ウズクマル ノリヤの様な専門職の力が無ければ実現はまず不可能であった事だろう。


──「ランナーの安全管理に注意を払ってます。転んで膝を擦りむいた程度のアクシデントは茶飯事ですが、今のところは特に大きな事故やトラブルが無いので助かってます」(警備担当スタッフ:警備員)

 大規模なイベントを開催するにあたって、スタッフにエキスパートがいるのはこの上なく心強い。特に不測の事態に対する対応の柔軟さは経験値の有無が大きく影響するのだ。
 「心強いだなんて、とんでもない。実はこうした機会にこちらも経験値を積ませてもらっているようなもんですよ」と警備スタッフの梶山徹カジヤマ トオルは笑った。


──「スケジュールは基本的に本家(公式聖火リレー)の日程に合わせて開催してます。他の手続き担当者の負担にならない様に迅速に計画を練るのが現在の仕事ですが、最初は本家の日程と随分離されていたんでスケジュールのやりくりは非常にタイトでしたね。でも無理だから止めよう、中止しようという短絡的な考え方は好きではないんです。状況が苦しければ苦しいなりにギリギリまで努力するのが人間の知性であって、そこに生まれる創意工夫が人としての喜びだと考えてます」(企画担当スタッフ:事務員)

 事務的な運営に携わるスタッフはほとんど会場に姿を現すことなく、デスクワークに追われているので参加者が彼らの姿を見る機会はまず無い。
 「でも場の雰囲気をライブで楽しめる現場スタッフが時々うらやましく思いますよ。最初は自分もみんなと一緒に楽しめるつもりでいたので」と企画担当の九品礼綾香クホンレイ アヤカは苦笑を漏らしていた。
 彼等の仕事はイベント終了直後から始まり、イベント開催直前まで終わらない。華やかなイベントの裏には相当な人数の、こうした裏方がいることを忘れてはいけない……その大小に関わらず、だ。


──「PCR検査や感染対策も含めて、これだけ多数の人間が参加したり運営に関わっていたりするので、やはり常時現場に滞在できる医者は必須ですね。うちの医院からも数名助っ人に来てもらって交代で診ています。必要経費は頂いてますけどほとんどボランティアみたいなものです」(救護担当スタッフ:医師)

 昨年は医療従事者にとって大変な一年となった。その状況は今もって変わらないが、それでもこうしたアマチュアの開催イベントに人員を割くことが出来るようになったのは果たして世の中が元に戻りつつある証であろうか。
 「みんな『新しい生活形態』とやらに幻想を抱きすぎているように思えますね。最前線の人間はいつでも出来る事を出来る限りなんですから、新しいだの古いだのは気にしていられません。それでも動かずにはいられないのが人間なんですけどね」と医療スタッフを取り仕切る医師の麻臣直樹アソウミ ナオキは肩を竦めた。


──「資金繰り? よろしくは無いですよ(笑) みんな要求ばっかりでこちらの財布事情の事なんてまるで考えてくれないんですもの。こんな事なら大手製菓会社のスポンサーの件、断らなきゃよかったのに」(経理担当スタッフ:税理士)

 当然の事であるが、基本はアマチュアのイベントなので決して潤沢な資金に恵まれているわけではない。露店等の収入と、ごくわずかな寄付、そして有志の物資提供などで細々と活動を維持している様なものである。
 実はこれまでの間にもスポンサーの話が2~3件はあったそうである。だがアマチュアリズム……と言うよりもアンダーグランドの意地と矜持がそれを頑なに拒絶させた経緯があったのだというのだ。
 「実はここだけの話ですけどね──」と、経理スタッフの中林芳江ナカバヤシ ヨシエが耳打ちしてくれた。毎回赤字が出た分は小山田会長が自腹を切っているらしい。


──「コロナがあって仕事がものすごく減ってしまいまして……、こんなご時世だから去年は外に遊びに行くことも頻繁には出来ないものでしょ? だからと言って自宅に籠って暇を持て余しているのも不健康なので何かしようと思ってスタッフに応募しました。今更ながらこんな事でも自分が社会の一員として機能している喜びに気付きましたよ」(会場案内・誘導担当スタッフ:キャビンアテンダント)

 こうして参加者やスタッフの声を聴いて不破がつくづく感じるのは、人間の本能には社会の機能を果たすことに対する欲求が内在しているのでは? ということである。
 もちろん、そうした意識とは自分は無縁であることを標榜する御仁も少なくは無いが、それも所詮は程度の話であり、完全に社会と切り離された空間で独りで生きていける人間など存在しないという厳然たる事実を見て見ぬ振りしているに過ぎない。


──「SNSの管理と告知、連絡等を受け持ってます。デジタルな作業なはずなのになぜかヒューマンエラーが多いので笑ってしまいます。でも大変というよりは楽しいですよ」(広報担当スタッフ:オペレーター)

 未だ根強い自粛強要の風潮はこのプロジェクトでも時折見られ、立ち上げ当初からSNSでの悪質な書き込みをする者や、時には会場に直接乗り込んできてクレームや妨害を行う人間も存在する。広報を担当するスタッフはそうした矢面に立たなければならない場面に頻繁に直面する事になる。特に昨今は多くの人間が抱えているストレスのはけ口を求めており、ネットの場ではそうした攻撃心が露骨に発散される事例が絶えないためその気苦労は絶えない事だろう。
 ウィルスの感染以上に、人間の心に生じた澱みを払拭するのには、まだまだ時間がかかりそうなのである。


「お疲れ様です、不破さん」

 スタッフの控室兼、参加者の更衣室代わりに置いたプレハブで小休止していた不破に、咲楽が紙コップに注がれたお茶を差し出した。

「ありがとう、ちょうど一服したかったところだ」

 不破は懐から煙草を取り出すと指で弾いて一本取り出す。

「ダメですよ、ここ禁煙です」

 昨今はどこに行っても喫煙スペースは限られている、不破は渋々煙草を懐に戻した。

「咲楽さんは毎回開催地に出てきているんだな」
「リレーの様子やプロジェクトの裏側を毎回記録してホームページに載せなきゃいけないですからね」
「大変だな」
「いいえ~、他の人たちに比べればまだ気楽にやってる方ですよ?」

 そんな事は無かろうに……、苦労を微塵も感じさせない口調で咲楽は答えた。


──「たまたま調理師免許持ってたこともあって露店任されたんですよ。今は飲食店営んでる友人五~六人が協力してくれてるんで本業の合間に来れるようになりました。まぁ祭の巡業だと思えば楽しいもんです」(露店スタッフ:自営業)

 臨時営業の申請や営業許可書の取得等、一口に露店を出すと言ってもそう簡単な話ではない。更に各種の申請に加え事前に講習等も義務付けられているので、各所で連日の開催となるイベントにおいてはかなり事前の準備に時間が割かれることだろう。
 それでも参加者にとって一走り終えた後の飲食は格別である。そんな憩いも提供してくれる訳だから、一概に露店を利用した運営資金稼ぎを利益主義と決めつけるのは見当外れと言えよう。


──「大体は皆さん自分で出したゴミは持ち帰ってくれるんですけどね、やっぱり終わった後は多少ゴミが残されてたりしますね。最後に仲の良いメンバーで清掃を兼ねたアンカー走者してます」(清掃スタッフ:主婦)

 後始末に関しては参加者の協力が伴わないとスタッフの負担が俄然大きくなる。もしも後を濁すような真似をすれば、それはそのまま悪評として広まり、結果彼らの活動の妨げになるのだ。
 決して自由と無法をはき違えてはいけない。やはり参加者自身が各自出したゴミを持ち帰るというのが理想なのである。


──「スタッフの方々、皆さんよくやってくれてますよね。元々は立ち上げも今の事務や広報スタッフが先に進めていてくれたんで、そういう意味では僕は新参者の類ですから。まぁ、代表はいざという時に責任を取るのがその役目ですので出番が無いに越したことはありません(笑)」(開催責任者:会社経営)


 私見ながら、今日こんにちこの状況に関して、まずオリンピックの開催を目指す意思そのものは断じて責められるべきものでは無い。また政府や各地の役所、自治体の対応にも多くの不備は問われるものの、それがまるで感染を広めた根源であるかの様に揶揄されている事も冷静さを欠く認識であると考える。もちろん種々の問題が開催に伴う資金や事業の展開にある事には間違いは無いが、それにしても何やら国民の不満や苛立ちが、まるで魔女狩り裁判の様な偏狭的な感情論に転化されているのではないかという危惧を感じるのである。
 むしろ問われる必要があるのは、老若男女問わず不要不急の外出を安易に行う者、その中でも集団での会食・宴会をいまだに断行しようとする一部の人間(この内に政治家や官僚が含まれている事に関しては断固とした責任追及の必要がある)の無責任且つ、常識から逸脱した独善的意識と、それに加えて思想的観念からそうした行為を擁護・正当化しようとする一部の「善意の第三者」を騙る人間の潜在的悪意ではないかと思えるのだ。
 にもかかわらず、どうしてもオリンピックの存在や政府の対応が必要以上に槍玉に挙がるのは、そこに内在する政治的な意図の関与に加えて、ここまでの国民のストレスのはけ口として一番目につく象徴的存在が求められたからではないだろうか。そうした意味では常套手段とされる現政権に加え、オリンピックの存在は格好の生贄となった事は想像に難くない。

 こうした時期だからこそ国民一人一人がマナーと、主観的な憶測を排したウィルスに対する正しい知識を今一度しっかり見直すのが急務である。
 ことパンデミックに関しては、国境もカレンダーも存在しない。全ての国民が被害者であるのと同時に加害者になり得る可能性がある事から目を逸らす事無く、理性的な判断を心がけるべきなのではないだろうか?
 無論、そうした雰囲気や風潮を煽るが如き報道の側に携わる者の責任も今後しっかりと問われるべきであろう。
(※取材覚書より抜粋)


「どうです、取材は捗ってますか?」

 間もなく走者がスタートするというので参加者やスタッフへの取材をひと段落させた不破に小山田が声をかける。彼もまたそう頻繁には現場に出てこれない身であるはずなのだが、それでも極力顔を出すようにはしているらしい。

「ええ、おかげさまで。驚くほど役割分担が整ってますね」
「すごいでしょ? 僕も初めて彼らと顔合わせした時にはその結束力を目の当たりにして脱帽したものですよ」

 聞けば小山田はプロジェクトがある程度まとまってきた時期から参加した後発のメンバーだったそうだ。だが会社経営のノウハウを活かし、アマチュア作業に不足していた部分を補える知識と手腕を買われて代表に推されることになったのだという。
 そうした意味合いもあるのだろう……冗談めかして「僕は代表ですがリーダーじゃないんですよ」などと不破に語ったこともある。

「下地は準備段階からSNSで構築されていた……ということですか」
「ネットの世界……って言うのですか? そういうの、僕みたいな老人にはイマイチ理解しきれませんがね」

 それでも顎などさすりながら小山田は頷いている、成果に満足しているのだろう。

「今日は奥様は?」
「ああ、今日は病院ですよ。そう毎回外に連れ出してたら身体に障りますからねぇ」
「そうですか」

 二人が見上げる先……土手の上には今日の走者たちが集まり始めている。今日はいくつかのジョギングコースの使用許可が下りたのでそれらを繋いで川沿いに市街まで走るロングランが実現したのだ。

「ところで不破君、今日はもう取材は終わりですか?」
「え、……あーまぁ。全員ゴールしてからまだ時間に余裕があればもう一仕事……なんて考えてますが」
「そう、つまりしばらくは身体が空いているって事だね? そりゃあ良い」
「……?」

 何やら意味深な呟きで一人納得している小山田。

「郷に入れば郷に従え……って言いますよね。僕らを取材するならまずはその本旨に触れてみるのが一番だとは思いませんか?」
「本旨……ですか?」

 一体何を思いついたのやら、小山田はいたずらっぽい笑みを浮かべた。先日も見た人を煙にまくかの様なほくそ笑みである。


「どうです不破君、君もちょっと走ってみませんか?」
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