風変わりな代表者
ドライブウェイの北側の終着点を越えるとそこから先は海水浴場となっている。その手前のレストハウスの敷地には既に完走したランナー達がお互いの走りやパフォーマンスを称えくつろいでいた。いくつかの露店も出ており、魚介やトウモロコシ等の焼けた匂いが香ばしく漂ってくる。これらは無論食事中以外はマスク着用、必要以上の大騒ぎや接触は控える……といった対策を十分に施した上だが、それにしても参加者が自発的にそうしたマナーを順守している様に見受けられることに不破は驚かされた。
「リレーそのものの参加費は徴収していないのですけど、その分こうした露店で活動資金を賄っているんですよ」
「へぇ……」
志や勢いだけでは大規模なグループ活動を維持することは難しい。マナーの浸透は言うまでも無く、スケジュール管理や経理等々の事務にも十分に意識が行き渡っていないとコミュニティーは容易く瓦解するからだ。特に昨年、今年とイベントの場ではそうした経済活動がやりにくい環境となっているのでかなり苦労が伴ったはずである。どうやら彼らはそうした点において極めて計画的に運営してきているらしい。
「そうは言っても、毎回毎回ギリ赤字で終わっちゃうんですけどねー……完全な自転車操業です」
てへへ、と語尾につけそうな調子で恥じ入る思いを吐露した咲楽が頭を掻いた。
「いやぁ、IT企業やネット発の企画は発案に実行性が伴わなかったり、理想と現実に乖離を生じるものも多い。そうしたものに比べれば全然ちゃんとしている様に見えるよ」
「ありがとうございます、そう言ってもらえて嬉しいです。」
実際不破も驚いていた。急遽立ち上がったプロジェクトやコミュニティーの割に、出来過ぎな程組織の屋台骨がしっかり構築されている様に見受けられるのだ。
咲楽はスタッフらしき面々と軽い挨拶を交わした後、不破をその先の砂丘に案内する。砂丘と言っても雑草の生い茂る自然の土塁の様なものであるが、そこからの海水浴場の見晴らしはすこぶる良い。
そこで不破を出迎えたのは少し風変わりな二人の人物であった…。
一人は紳士然とした六十~七十代と思しき老人である。老人と言っても背筋はまっすぐ伸び、不破とそう変わらぬほど背も高いので老いや衰えを感じることは全くない。それどころかイングリッシュドレープに仕立て上げられたダークグレイのスーツに白い絹の手袋、アスコットタイを巻いた姿はなかなかの伊達男っぷりで、更にその顔立ちは精悍、眼にはギラギラした生気さえみなぎっている。まるでライオンの様な気を放つ人物……彼に対して不破はそんな印象を持った。
もう一方の人物は、それとは全く正反対の印象を不破に抱かせた。シックなワンピースに春物のカーディガンを肩に羽織った線の細い清楚な女性だ。
齢は不破と同じかもう少しだけ上だろうか、顔立ちが端正なため一見して年齢を判断することは困難だ。だが彼女をして「風変わり」と不破に感じさせたのはその容姿ではない。病気か障害でも抱えているのだろうか、彼女は老紳士が押す車椅子に掛けていたのだ。
そうした二人の取り合わせのコントラストも相まって、何か現実味に欠けた場違いな存在感を見ている者に与えているのだろう。
老紳士はこちらの姿を認めると軽い会釈をして迎え入れた。
「……!?」
そこでようやく不破は女性の様子に妙な違和感を覚える──あの女性……どこも見ていない。
こちらが近づいても女性の視線はそれに何の反応を見せることも無く海岸線に向けられたままなのである。まるで心ここに在らず、といった具合にその瞳はどこにも焦点を定めていない。
「ようこそ『裏聖火リレー』へ。僕がこのプロジェクトの代表を務めてます小山田俊一です」
改めて小山田と名乗った老紳士が不破に会釈する、まるでオペラ歌手の様な低く響きの良い声だ。
「会長、『裏~』じゃなくって『勝手に聖火リレー』ですよ?」
「うん? そうだっけ……まぁ、どちらでも良いでしょう」
「もぉ、適当なんですから!」
訂正を迫る咲楽を小山田はとぼけて受け流す。
「お世話になります。不破と言います」
不破も彼に応じて自己紹介を済ませる、今度はちゃんと相手の名刺が返ってきた。建設会社の社長というのがこの人物の本来の肩書らしい。続けて車椅子の女性を、本人に代わって小山田が紹介する。
「こちらは妻の瞳美です」
彼女を見る不破の視線をすぐに察した小山田は慣れた調子で紹介を続けた。
「妻は東日本大震災で被災しましてね……その際のショックでいまだにこのような状態でして。今日は皆さん海岸線を走ると聞いたので、何かの刺激になればと思い連れて来ました」
「そうだったんですか……」
こうした会話も耳に入っているのかどうか……ひょっとしたら人形なのではないかと錯覚しそうなほど彼女の存在感は希薄だが、その胸が静かに波打っていることで辛うじて生命を感じることが出来た。
「話は咲楽くんに伺いました。東京から取材にお越しになったと」
「はい、しばらくは同行してご活動を拝見させて頂こうかと考えます」
「なるほど。いや、それにしても……はてさて……、そりゃあ難儀だねぇ」
「……何か差し障りでも?」
訝し気に訊ねた不破に、小山田は大仰に両手を開いてお道化た仕草を見せた。
「いやなに、果たして僕たちの活動なんぞのネタでそちらの雑誌の発行部数に貢献出来ますものかどうか……?」
そう言って小山田はニヤリとほくそ笑む。
「会長っ! もぉ、すぐそうやって人をからかう」
堪らず咲楽が割って入って小山田をたしなめた。
「ほら、不破さん困っちゃってるじゃないですか」
確かに、完全にこの老紳士に翻弄されている。
「いや、失敬。何しろ僕もこの通りコミュニティの体裁を整わすために担ぎ上げられた様な……云わばお飾りの代表ですから、あまり専門的な話は出来ないものでしてね」
その芝居染みた一挙一動に呆気にとられる不破に対し、小山田は白手袋を外し右手を差し出した。
「──もちろんこちらに出来る限りの協力は惜しみませんよ。どうぞ宜しなに」
挑発的な笑みで差し出された手は、そのまま動かず不破からの応答を待っている。
不破は基本的には安易に握手を求める人間を信用していない。特に積極的にこちらの手を両手で握ってくる人間は、経験上その後に何かしらの見返りを求めてくるタイプが多いと認識している。もちろん相互の利害というものはあろうからビジネスの上での適正な取引ならばそれも気にはしない。だが取引の外での譲歩や便宜を求めてくるような相手は後々トラブルの種に発展することも決して少なくはないのである。
では今、自分に手を差し出す小山田は……というと、どうやらそうしたタイプとは全く異なる人種のようである。彼はあくまでこちらが握手に応じるのを待っているようで、自ら相手の手を取りに来ようとはしない。
……つまり、こちらの能動的意思を窺っているのである。
──こいつは、なかなかのタヌキだぞ……。
別に敵対している訳でもないので警戒する理由も必用も無いのだが、少なくとも油断のならない相手であることは間違いなさそうだ。不破はしばしこの人物の目の底に揺らぐ何かしらの意思を探り、差し出されたその手を力を込めて握り返す。すると、あらぬところからもう一人の手が伸びて二人の手に重なった。
「!?」
「……おや、これは……」
瞳美夫人である。もちろん明瞭な意識の下でそうしたのではないだろう……相変わらず虚ろな表情で不破の顔を覗き込んでいる。一歩下がって控えていた咲楽も言葉を失い、信じられないといった表情でこちらを凝視していた。
「……いや、驚きました。珍しいのですよ……、こんな事は」
素の表情の小山田は、呆気にとられながらも微かな笑みで彼女の手を包んだのだ。
「リレーそのものの参加費は徴収していないのですけど、その分こうした露店で活動資金を賄っているんですよ」
「へぇ……」
志や勢いだけでは大規模なグループ活動を維持することは難しい。マナーの浸透は言うまでも無く、スケジュール管理や経理等々の事務にも十分に意識が行き渡っていないとコミュニティーは容易く瓦解するからだ。特に昨年、今年とイベントの場ではそうした経済活動がやりにくい環境となっているのでかなり苦労が伴ったはずである。どうやら彼らはそうした点において極めて計画的に運営してきているらしい。
「そうは言っても、毎回毎回ギリ赤字で終わっちゃうんですけどねー……完全な自転車操業です」
てへへ、と語尾につけそうな調子で恥じ入る思いを吐露した咲楽が頭を掻いた。
「いやぁ、IT企業やネット発の企画は発案に実行性が伴わなかったり、理想と現実に乖離を生じるものも多い。そうしたものに比べれば全然ちゃんとしている様に見えるよ」
「ありがとうございます、そう言ってもらえて嬉しいです。」
実際不破も驚いていた。急遽立ち上がったプロジェクトやコミュニティーの割に、出来過ぎな程組織の屋台骨がしっかり構築されている様に見受けられるのだ。
咲楽はスタッフらしき面々と軽い挨拶を交わした後、不破をその先の砂丘に案内する。砂丘と言っても雑草の生い茂る自然の土塁の様なものであるが、そこからの海水浴場の見晴らしはすこぶる良い。
そこで不破を出迎えたのは少し風変わりな二人の人物であった…。
一人は紳士然とした六十~七十代と思しき老人である。老人と言っても背筋はまっすぐ伸び、不破とそう変わらぬほど背も高いので老いや衰えを感じることは全くない。それどころかイングリッシュドレープに仕立て上げられたダークグレイのスーツに白い絹の手袋、アスコットタイを巻いた姿はなかなかの伊達男っぷりで、更にその顔立ちは精悍、眼にはギラギラした生気さえみなぎっている。まるでライオンの様な気を放つ人物……彼に対して不破はそんな印象を持った。
もう一方の人物は、それとは全く正反対の印象を不破に抱かせた。シックなワンピースに春物のカーディガンを肩に羽織った線の細い清楚な女性だ。
齢は不破と同じかもう少しだけ上だろうか、顔立ちが端正なため一見して年齢を判断することは困難だ。だが彼女をして「風変わり」と不破に感じさせたのはその容姿ではない。病気か障害でも抱えているのだろうか、彼女は老紳士が押す車椅子に掛けていたのだ。
そうした二人の取り合わせのコントラストも相まって、何か現実味に欠けた場違いな存在感を見ている者に与えているのだろう。
老紳士はこちらの姿を認めると軽い会釈をして迎え入れた。
「……!?」
そこでようやく不破は女性の様子に妙な違和感を覚える──あの女性……どこも見ていない。
こちらが近づいても女性の視線はそれに何の反応を見せることも無く海岸線に向けられたままなのである。まるで心ここに在らず、といった具合にその瞳はどこにも焦点を定めていない。
「ようこそ『裏聖火リレー』へ。僕がこのプロジェクトの代表を務めてます小山田俊一です」
改めて小山田と名乗った老紳士が不破に会釈する、まるでオペラ歌手の様な低く響きの良い声だ。
「会長、『裏~』じゃなくって『勝手に聖火リレー』ですよ?」
「うん? そうだっけ……まぁ、どちらでも良いでしょう」
「もぉ、適当なんですから!」
訂正を迫る咲楽を小山田はとぼけて受け流す。
「お世話になります。不破と言います」
不破も彼に応じて自己紹介を済ませる、今度はちゃんと相手の名刺が返ってきた。建設会社の社長というのがこの人物の本来の肩書らしい。続けて車椅子の女性を、本人に代わって小山田が紹介する。
「こちらは妻の瞳美です」
彼女を見る不破の視線をすぐに察した小山田は慣れた調子で紹介を続けた。
「妻は東日本大震災で被災しましてね……その際のショックでいまだにこのような状態でして。今日は皆さん海岸線を走ると聞いたので、何かの刺激になればと思い連れて来ました」
「そうだったんですか……」
こうした会話も耳に入っているのかどうか……ひょっとしたら人形なのではないかと錯覚しそうなほど彼女の存在感は希薄だが、その胸が静かに波打っていることで辛うじて生命を感じることが出来た。
「話は咲楽くんに伺いました。東京から取材にお越しになったと」
「はい、しばらくは同行してご活動を拝見させて頂こうかと考えます」
「なるほど。いや、それにしても……はてさて……、そりゃあ難儀だねぇ」
「……何か差し障りでも?」
訝し気に訊ねた不破に、小山田は大仰に両手を開いてお道化た仕草を見せた。
「いやなに、果たして僕たちの活動なんぞのネタでそちらの雑誌の発行部数に貢献出来ますものかどうか……?」
そう言って小山田はニヤリとほくそ笑む。
「会長っ! もぉ、すぐそうやって人をからかう」
堪らず咲楽が割って入って小山田をたしなめた。
「ほら、不破さん困っちゃってるじゃないですか」
確かに、完全にこの老紳士に翻弄されている。
「いや、失敬。何しろ僕もこの通りコミュニティの体裁を整わすために担ぎ上げられた様な……云わばお飾りの代表ですから、あまり専門的な話は出来ないものでしてね」
その芝居染みた一挙一動に呆気にとられる不破に対し、小山田は白手袋を外し右手を差し出した。
「──もちろんこちらに出来る限りの協力は惜しみませんよ。どうぞ宜しなに」
挑発的な笑みで差し出された手は、そのまま動かず不破からの応答を待っている。
不破は基本的には安易に握手を求める人間を信用していない。特に積極的にこちらの手を両手で握ってくる人間は、経験上その後に何かしらの見返りを求めてくるタイプが多いと認識している。もちろん相互の利害というものはあろうからビジネスの上での適正な取引ならばそれも気にはしない。だが取引の外での譲歩や便宜を求めてくるような相手は後々トラブルの種に発展することも決して少なくはないのである。
では今、自分に手を差し出す小山田は……というと、どうやらそうしたタイプとは全く異なる人種のようである。彼はあくまでこちらが握手に応じるのを待っているようで、自ら相手の手を取りに来ようとはしない。
……つまり、こちらの能動的意思を窺っているのである。
──こいつは、なかなかのタヌキだぞ……。
別に敵対している訳でもないので警戒する理由も必用も無いのだが、少なくとも油断のならない相手であることは間違いなさそうだ。不破はしばしこの人物の目の底に揺らぐ何かしらの意思を探り、差し出されたその手を力を込めて握り返す。すると、あらぬところからもう一人の手が伸びて二人の手に重なった。
「!?」
「……おや、これは……」
瞳美夫人である。もちろん明瞭な意識の下でそうしたのではないだろう……相変わらず虚ろな表情で不破の顔を覗き込んでいる。一歩下がって控えていた咲楽も言葉を失い、信じられないといった表情でこちらを凝視していた。
「……いや、驚きました。珍しいのですよ……、こんな事は」
素の表情の小山田は、呆気にとられながらも微かな笑みで彼女の手を包んだのだ。