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作者: 山田奇え
残酷な描写あり R-15
第33話「パンドラボックス」


■■【黒箱城】寝室■■



 客人用の寝室。

 一人で使うにはだだっ広い部屋の中、ふかふかのベッドの上に腰かけて、僕は窓のない壁を見つめている。


「【銀狼】……勇者ハーミットねぇ」


 考えているのは、純が客間で最後に云っていたことについて。


「僕と純と……仮にイドの手を借りたとして、三人がかりでもキツイ相手だよなー。あいつ、『女神イディア』の権能はもう持っていないって話だし」


 とすると、やはりシアさんの『魔力詰まり』の快癒が現行最優先の課題ということになるだろうか。

 彼女の圧倒的な制圧力、騎士としての戦闘経験は間違いなく今後の僕たちに必要なものとなってくるだろう。

 なにより、本人の強い意志に応えてあげたいという気持ちもある。
 

「ふむ、【勇者】というのは複数人存在するのだな。純というのはたしか――クルオスとかいうあれか。あの蜘蛛女でも持て余すというのであれば、そのハーミットとやら、只者ではないと見える」

「そうなんですよねぇ。正直、僕は純の実力の全貌を知っているわけではないんですけど、【銀狼】の強さなら見たことがあります。【勇者】として同じ括りにされていることが卑屈に思えてくるくらい化け物じみているというかなんというか……」

「ワッハッハ、随分と後ろ向きだの」


 いつの間にか眼前に立っていたその青髪の青年は、おもむろに僕の隣に座って、そのまま足を組む。

 近寄ってきて分かったが、彼はかなり上背があるようだ。こうして並んで座っていても、顔を眺めるために見上げるような形となる。

 彼の一連の動作を眺めている間、どこか時間がゆっくりと流れていくように感じた。

 なにやら過去に見覚えのあるような仕草だと思ったら、そういえば、これはシアさんの振る舞いに近いのだと気付いた。

 木綿の服に身を包んでいる割に、一挙手一投足にいちいち気品があるというか、おそらく彼は、騎士や貴族のように気位の高い立場にある人なんだろうと僕は思った。


「『女神イディア』というのはそんなにも戦力として期待できない者なのか? もしそれが、余が考えているほうの『イディア』であれば、彼女は単独でこの国最強の戦力とまで云われていた実力者だったはずだが」

「本人が云うには『容れ物』の問題なんだそうですよ。今のイドの姿は【女神の意志】のとして与えられた仮の身体だとかで、女神の力を扱うどころか、生前の彼女にさえ遠く及ばないスペックなんだそうです」


 本人曰く、『引き継いでいるのは、知恵と知識と経験と、あと可愛さくらいのもんですかね』とのことだ。

 記憶に関しては一部混濁している部分があり、明確に思い出せるのは彼女がフテルシア島に移り住んだ前後まで。

 彼女自身は、おそらくその時期に自分と【女神の意志】(あるいはそう呼ばれているもの)の間に接触があったのだろうと推測している。
 

「なるほど、その口振りからするに、やはり我が妹のほうで合っていたか。ふーむ、それはたしかに難儀だのう。……して、貴公、イディアとはどういった関係だ?」

「恋仲ですね。病める時も健やかなる時も富める時も貧しき時も、愛慕と敬愛と慈愛を真心に誓い合った関係です」

「えっ!? それはまことか!?」


 彼は見るからに目を丸くして驚嘆の声を上げた。

 そのまま、まじまじと僕の横っ面を覗き込んでくる。

 こうされると反対に彼の表情もよく見えた。

 彼に対する僕の印象は『無邪気』だ。

 堀の深い顔立ちにきりっと尖った眉――意志の強さが垣間見えるその面持ちと、先ほどからの落ち着きのある大人びた振る舞いは、僕の印象とは正反対のものであるはずだったが、なんというか……表情が特徴的なのだ。

 彼はこの部屋に現れてからずっと笑っている。

 まるで自分の目の前で起こっていることを、あるいはこれから起こるかもしれないことを、いつだって心から楽しんでいるような。

 それは、悩むことを知らない無垢な子どものような顔だと――僕は思った。

 そして、ついでに生前の僕なら『自分とは正反対だ』と思っただろうな、なんてことも頭をよぎった。
 
 
「ほほー、あのじゃじゃ馬がなァ。蘇ってより、何故このような憂き目にばかり遭うのかと嘆いておったが、こうして生きながらえてみるものだ」
 
「……あのう、失礼を承知でお尋ねするんですが――あなた何者です?」

「余か? 余は】――イドラ・イデイン・プロトスだ」

「………………………………へー」


 へー。

 なるほど。

 なるほどなあ。


「………………………………」
 

 うわー。

 なんだろこの状況。

 僕、なんかやっちゃったのかなあ。

 あまりにも意味不明過ぎたからか、いまいち感情が追い付いてこない。

 
「あのう、魔王様がなんでこんなとこに?」


 こんな心中穏やかでないはずの出来事を前にして、僕が一番驚いたのは、自分自身の声色が普段と全く変わらなかったことだ。
 
 頭の中身が混沌としている分、変に整えられた状況より、こういう訳の分からない場面のほうが存外気楽なのかもしれない。

 目の前の青年の言葉を待ちながら、僕はぼんやりとそんなことを考えていた。
 

「ぬ? あの蜘蛛女から何も聞いておらぬのか?」

「ええ、聞いてません。僕のことは『仲間に大事なことを何も聞かされてないヤツ』だと思ってください」

「なんぞそれ」

「僕も同じ気持ちです」

「うーむ、そういうことであれば事情を話すが……」

 
 イドラさんは顎をさすりながら語り出した。

 
「余はこの世界に二度目の生を受けたのちに、【魔王】としての責務を全部放ったらかして、フテルシアで悠々自適に暮らしておったのだがな。ある日、そこに突然【愚勇】とかいう【勇者】が現れて、余のユートピアを大蹂躙。余が殿しんがりを務めたことで、眷属たちはどうにか散り散りに逃げ延びさせたものの、肝心の余自身は撤退中に『幼き騎士団長』と赤髪の娘蜘蛛女に横槍を入れられ、いつの間にやらこの場所で袋のネズミというわけだ」

「……『袋のネズミ』? どういうことです? 同じ建物の中にいるのに、イドラさんはまだ純たちに捕まっていないってことですか……?」

「そういうことだ。この建造物――【魔王城】の内部はちょっとした亜空間になっておってな。突如として脳裏に浮かんできた心の声に従い、余はここに逃げ込んできたのだが……、この城の中では、が存在しうる。それで同じ建物の中、今日まで延々といたちごっこを繰り返しておるのだ」

 
 そう聞いて僕はやっと得心が行く。

 そりゃあ純が【魔王】のことについて濁し続けるわけだ。

 自分が普通に寝泊まりしたことのある場所にそんなとんでもないトピックがあるなんて知ったら、多分僕の性質上他のことが何も手につかなくなる。

 だから、ある程度の決着がつくまでは伝えることを保留すべきだと考えたのだろう。

 実際、僕の頭の中から【銀狼】についての話はどこかへ吹き飛んでしまっていた。
 
 
「ぬう、本来はこの場所もそもそも入ること自体が難しいというか、許された者しか立ち入れないはずで、だから余もここに辿り着きさえすれば、あとはどうとでもなると踏んでいたのだがな……。彼奴きゃつら悠々と入って来おったどころか、何食わぬ顔で暮らし始めて、しっかりリノベーションまでしおった。羨ましい……余もこっちに住みたい……」

「えっと、それはなんというか同情の余地しかない話ではあるんですけど、そうすると僕のところへ現れた理由はなんなんですか……? 一応僕もフェレライ大公陣営というか……敵の前にみすみす姿を晒していることになってると思うんですが……」

「いやなに、久々の来訪者の言動に聞き耳を立てていたら、懐かしい名が聞こえたのでな。退屈な毎日にしびれを切らしてうっかり出てきてしまった」

「うっかりって……」

「貴公、そんなに謀略に優れているようにも見えないし、万が一ガチバトルになったら余が余裕で勝つかなって」

「…………」


 露骨にナメられていた。

 いや、多分その認識は正解なんだろうけど。

 なんというか、オーラだけで手を出しちゃいけない相手なのが分かる。

 特に、さりげなくこの間合いに詰められているのがなによりマズい。

 
「……会いたいですか?」


 しかし、実力差があろうとなかろうと、僕は彼に手を出す気はなかった。
 
 それは、以前、イドから『についての話』を聞いていたから、というのが大きな理由だったかもしれない。
 

「ぬ、急にどうした。なんの話だ?」

「イディアです。妹なんでしょう? 多分、さっきの話で云うと、あなたはここから出た瞬間、純に捕まっちゃうんでしょうから、自分から彼女のところに足を運ぶことはできない。だから、僕が連れてきましょうかって話です」

「…………ほう」

「……なんですか、その含みのある顔」

「いや、随分変わった男だと思ってな。卑屈そうな顔をしている割に、どこかにはっきりと芯を持っておるというか……でなければそんな突飛な提案はできぬ」

「褒めているのか貶しているのか分からないセリフですね」

「いや、褒めておるのよ。……貴公は、我が母君に似ている。なるほど、イディアのやつが慕うわけだ」

 
 それから少し唸ってイドラさんは僕の問いに返答した。


「ありがたい申し出なのだが、今はまだその時ではない。【魔王】という立場は難しくてな、軽率に会えば、イディアの身に災難が降りかかるかもしれぬ」

「そう……ですか」

「あと、これは差し出がましい願いなのだが、できれば余と会ったことはあの元騎士長やクルオスとやらにも秘密にしてほしい。余はまだ自身の立場を測りかねておってな。もし承服してくれるのであれば、代わりに一つ手助けをしてやらないでもない」

「手助け? 一体なんのです?」

「東に【魔女の森】と呼ばれる針葉樹林があるだろう。その一番背の高い樹の下に青い脈の張った奇妙な葉が落ちていることがある。それを持って来れば、あの女騎士の『病気』とやらを治せる薬が作れるかもしれん」

「それ……は……」


 思いもよらぬ提案に、僕は数瞬思考停止する。
 

「……だからといって、余のことを黙っていることなどできぬ――か? それならば、別に構わぬ。貴公と会っていたと話をされたところで、余にとってさして状況は変わらぬからな。ただ、その場合、二度と貴公の前に余が現れることはないだろう」

「…………」


 僕は考える。

 考えて、そして――考えるまでもないことだという結論に至った。

 
「その話、了承します」

「ほう。意外と返答が早かったな。クルオスは貴公の親類だと漏れ聞いたが、それでも従者の身を優先すると?」

「……いえ、それぞれの気持ちに応える選択をしたまでです。シアさんは今この瞬間だって一刻も早く、僕の役に立てるようになりたいと思ってくれているでしょうし、純は純で、この件を僕に話さなかった以上、『自分とフェレライ大公だけでなんとかする』と考えているはずです。僕は彼女たちに期待して、それから信頼しています」

「ワッハッハ、そういうことであったか。ならば、余もますますこの隠身の日々に気を引き締めなければなるまい」

 
 イドラさんはベッドから立ち上がって、扉の方へ歩いていく。

 僕はこの時、どれだけ味のある表情をしていただろう。
 
 彼は最後に振り返って、とても楽しそうに笑いながら、云った。


「――息災でな、勇者ターナカ。また会う時を楽しみにしておるぞ」



▲▲~了~▲▲
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