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作者: 山田奇え
残酷な描写あり R-15
第19話「とある日の懇親会」


■■勇者宅にて■■



 家に帰ると、玄関の前にイドがいた。

 
「え、なにやってんの、こんなところで」

「あ……ユウ、おかえり。えっと、先に云っとくと……ごめんなさい」

「……?」


 今日はウチで懇親会がある。今回の『客人』については姿も気にしなくて大丈夫とのことで、イドも参加すると聞いていたが、なにかあったのだろうか。


「いや、私の話ではないの。むしろ、私の背景については思った通りに上手く受け入れてもらえたというか、受け入れられすぎたというか……」

「なんだ、随分はっきりしない云い方だな」

「まあ、見れば分かるよ」

「なんだそりゃ」


 僕はなんだかそら恐ろしい感覚を覚えて、玄関の扉ににじり寄った。

 家主の帰宅を悟らせないよう、少しだけ扉を開けて、中を覗き込んだ。

 そうすると信じられない光景が目に飛び込んできた。


わらひはこんらぃがんばれゆのり私はこんなに頑張ってるのにみんらみんらすきかってにみんなみんな好き勝手にいいらいこひょばっくぁりいいやがっるぇえ云いたいことばっかり云いやがって! わらひはらいいひおうじぅえらぞぉ私は第一王子だぞ!」


 僕は一旦扉を閉めた。

 
「イド、あれは誰だ」

「多分、撫民王の長兄グレン・プロトス

「多分て」


 もう一回ちょっと開けた。


そうらそうらぁいっへやれおうじぃそうだそうだ云ってやれ王子! ふひゃひゃひゃひゃふひゃひゃひゃひゃ


 閉めた。


「シアさんにも飲ませた?」

「ちょっとだけ」

「どんくらい」


 イドはずっと抱えていた一升瓶を見せびらかして横に振った。中身は空のようだった。


「……それはちょっととは云わない」


 僕は額に手をやって、とりあえずそのままイドの隣に座った。

 少しアルコールの匂いがしたので、彼女もそれなりに飲んではいるらしい。

 しかし、ここに退避しているということは、多少酔っていても、流石にあのテンションには付いていけなかったのだろう。
 
 
「……一服したい」

「どうぞ」


 イドは慣れた手つきで僕の胸ポケットから煙草のケースを取り出して、一本咥えさせてくれた。


「ちょびっと【イグニス】」


 彼女の指先に点いた小さな魔法から火をもらって、「ふひゅー」と、イドと反対の方向に紫煙を吐き出す。


「……僕、これからあそこに顔を出さないといけないのかあ」

「出さないという手もあるね、どうせ明日まで記憶残らないよアレ」

「そういうわけにもいかないだろ」


 そのまま、イドに無言の視線を送った。

 彼女は双眸を右へ左へきょろきょろさせながら、冷や汗の伝う頬を拭った。

 やがて圧に屈したのか、突然体育座りしていた膝に顔を埋めて、「しくしく」と口に出して云い始める。

 露骨な嘘泣きだった。
 
 
「ウッ、慰労のつもりだったんだよう。二人とも、普段から頑張ってるから、たまには羽目を外させてあげようと思って……」

「ああ、それは大事なことだな。でも、外させすぎだ。キャラ崩壊しちゃってるじゃないか」


 ようやく僕の勇者人生にもシリアス担当の人間が登場したな、とか少しワクワクしていたのに。

 知略謀略陰謀ひしめく、王家と勇者の水面下の駆け引きみたいなの期待してたのに。

 僕はもうあの人のことを、これからずっと「実は裏ですごい苦労してる中間管理職の人」という目でしか見られないのだろう。

 不遇キャラだったのかよ、あの人。全然そんな素振り見せなかったじゃん。腹に一物抱えてそうな雰囲気出してたじゃん。

 
「ああ、目に焼き付いて離れない。ふにゃふにゃになっちゃったグレン王子の姿が……」


 なんだったらもう、そんな人に剣を抜こうとした過去の自分の行動を思い返して、申し訳なさすら感じてきた。

 
「これからもっと忘れられないことになるかもよ」

「うるさい。君は反省してなさい」


 イドはもう一度膝に埋まって「びえええ」と泣きの姿勢を再開する。

 もうちょっとどうにかならないのかなあ、と思うような棒読みだった。


「……【イグニス】」


 残った煙草の芯を手の中で丸ごと灰にする。
 
 ようやく決心して、僕は立ち上がった。


「ゆくのですね、勇者よ」

「頑張ってきます」

「その道程に女神の祝福があらんことを」
 
「むしろ君が残してきた呪いと戦いに行くような気分なんだが」

 
 家の中に入ると大きな歓声が僕を出迎えた。


「おお。ゆうひゃたーらか勇者ターナカ! きょうはごかつやふんらったようれ今日はご活躍だったようで! おまひひへほほほお待ちしておりましたぞ

「いらっしゃいグレン王子。遅れてすみません。わざわざ来て頂いてありがとうございます」

ありあとーごひゃいまーひゅありがとうございます!」


 挨拶すると元気いっぱいなシアさんもそれに続いた。

 部屋の中にはシアさんとグレン王子、それから他の二名が強烈すぎて気付かなかったが、先日も見かけた王子の側近の騎士もいた。


「先日はどうも、ユウ・ターナカです」

「ああ、これは失礼。エギス・シュペーアだ。よろしくターナカ殿」


 差し出された手を握り返す。やたら大きくて無骨な手だった。
 
 浅黒く焼けた精悍な顔付きに、麻の服の袖から覗く丸太みたいな両腕。

 背はシアさんと比べても頭一つ分は大きいから、下手したら二メートルくらいはあるのだろうか。椅子に座っていても顔の位置が僕とそんなに変わらない。


「うーわめちゃくちゃ強そう」

 
 『武人』という言葉がよく当てはまるような、鍛え上げられた肉体と、堂々とした居振る舞い。

 こんな人が側に付いていたら、それだけでも箔が付きそうだ。
 

「ははは、これは恐れ多い。ターナカ殿の武功に比べれば、自分なんぞはまだまだです」

 
 しかも謙虚。これにはただでさえ人よりも劣等感の強い僕の心が大いに揺さぶられた。
 
 こんな場でもちょっとしたことからネガティブさを芽吹かせてしまう自分に内心で笑いながら、先日買ってきた牛乳をコップに注いで口に含んだ。
 
 
「おや、勇者殿はお酒は嗜まれないので?」


 云いながら、注いでくれようとしていたのか、手に持っていたウイスキーの瓶を机に戻しつつ、エギスさんが質問してくる。

 
「ええ、不調法ですみません。弱いのもあるんですが、ここに来る前の世界で少しやらかしちゃったもので」

「それでは致し方ない。いやしかし、勇者でも酒で失敗するようなことがあるんですな」

「ははは。恥ずかしい話です」

 
 多分、エギスさんが思っている失敗とは違うのだろうが、あえて口にすることでもないので、別の話題を探した。

 するといつの間にか現れたシアさんがエギスさんに突然掴みかかって呂律の回らない舌で怒り出す。
 

ころこの! たーらかにおしゃけをしゅしゅめぅなターナカにお酒を勧めるな!」
 
「こら、シアさん! めっ!」

「……わっ……しょんもり」


 𠮟り付けるとしょんもりして、シアさんは自分の席に戻っていった。

 僕は少し慌ててエギスさんに謝る。

 
「すみません、ウチの従者が」

「いえいえお構いなく。彼女の父上には私もお世話になっていますし、元々知らない仲ではありませんから。それに……それを云うなら我が主君もあの状態です。むしろご迷惑をおかけしてしまって申し訳ない」

「いや、楽しんで頂けているならなによりです」

「うむ、しゅごくたのひぃーすごく楽しい! こんらりらのしぃろはひしゃしうぃらぁこんなに楽しいのは久しぶりだ

わらひも私もー!」

「「…………」」


 酔っ払い二人はそのまま「「かんぱーい」」とお互いのグラスをぶつけていた。
 
 僕は少しおかしくて思わず笑みがこぼれた。

 まあ、最初こそ戸惑いはしたけども。

 楽しそうにしている人を見ているのはそう嫌いではない。

 
「そうら、ゆうひゃたーらか、じぇひきくんろぶゆうれんをうかがいたいれすなあ! くらりびとろいららきはろうやってせいはしたろれすか。なんれもめがみいりあとはそこれこうろうをともにすることになったろか。しかし、めがみよりちょくせちゅちょうあいをうけるらんてたーらかはすごいらぁ」

「……?」

 
 ちょっと長文すぎて上手く聞き取れなかった。

 すると、エギスさんが横からフォローを入れてくれる。


「【下り人の頂き】をどうやって制覇したのか、と云っているようです。先ほど女神イディアから軽く話を聞きまして」

「イド……イディアが自分から素性を晒したんですか」

「いえ、我が主君が気付いたのです。王家には彼女の遺した『木版画』の原画が保管してありますので、恐らくそれで」


 あー、なるほど。プロトス人に魔法を伝えるために作ったっていうアレか。

 イドが今回は姿を晒しても問題ないと云っていた理由にようやく察しが付いた。
 
 なにも知らない人間からすれば、彼女の群青色の毛髪は【魔王】か【魔族】の特徴そのものでしかないが、一部彼女の素性がちゃんと分かる人間もいるにはいるわけだ。
 
 
「しかし、女神イディアと恋仲とは――その実在だけでも驚きましたが……、ぜひ私も話を伺いたいところです」

「いやいや、そんな大した話じゃないですよ。むしろいくつもの失敗があって、ようやく成し遂げたことというか――まあ、そんな話でもよければ、簡単に話させてもらいますけど」


 僕の言葉を聞いて、三人の聴衆が嬉しそうに拍手をした。


「……そうですね。えーと、話はまず僕が初めて魔法の練習をした時、拠点にしていた宿を燃やしちゃったところから始まるんですが――」

 
 その夜はなかなかいい気分で過ごすことができた。

 僕の話をし終わった後もしばらく話題は絶えなかった。

 エギスさんがグレン王子の従者になった経緯を聞いたり。

 逆にシアさんと僕との出会いについて話したり。

 グレン王子の公務つらすぎブラック企業エピソードが披露されたり。

 いつの間にかイドも部屋の中に戻ってきていて、空が白み始めた頃、呂律が回るくらいにはグレン王子とシアさんの酔いも覚めてきたようだった。

 いよいよ宴もお開きという雰囲気が漂い始めたそんな頃、その話題が出た。

 シアさんの口から。

 
「ターナカはなにかを成し遂げる人です。【魔王】を倒すのだって、きっと――」
 

 あからさまな沈黙が流れた。

 なにか云うべきだったのかもしれない。嘘でもなんでも。


「自分のこの身を何度呪ったことか。ターナカもグレン王子もエギス殿も、話を聞くほどに羨ましくてしょうがない。私は戦いたかった」

「……シアさん」

「シア殿、勇者ターナカは貴方の働きぶりを高く評価していた。そんなに自分を卑下することは――」


 フォローを入れてくれようとしたグレン王子を僕は片手で制する。

 最後にポツリと本音を漏らしたシアさんは、云い終えて、その場で突っ伏すように眠ってしまっていた。


「おや、失礼。我々はどうやら長居しすぎてしまったようだな。――エギス、支度を」

「はっ」


 恭しく一礼して、エギスさんは帰る準備を始めた。


「いまいち記憶が判然としないのだが、非常に気分がよい。素晴らしい宴だったぞ、勇者ターナカ。礼を云おう」

「いえ、こちらこそありがとうございました。こんなに楽しい会は久しぶりでした」

「女神イディアよ、これで失敬します」

「ええ、また来るといいわ、撫民王の息子とその従者よ。勇者も私もシアも貴方たちを歓迎します」

「ありがたい言葉です」

 
 僕はそのまま王子とエギスさんを玄関外へと見送った。


「勇者ターナカよ、先ほどシア殿が口にされていたことだが……」

「まあ、僕の口から話しておきますよ。恐らく極めて近いうちに」


 僕はシアさんを一瞥する。

 グレンさんは頷いて、最後に一言だけ告げた。
 
 
「この先で待つのが、君と争うことのない未来であるとよいのだが」


 昨晩あんな姿を見たからか、その顔には威厳よりも寂しさのようなものが目立っていたように感じた。

 
「……僕も同感ですよ。努力するしかないでしょう、お互いに」

 
 順番に固い握手を交わすと、グレン王子とエギスさんは去っていった。

 部屋に戻るとイドがじっと僕を見つめていた。


「この子に話すの?」

「うん、いい機会だからね。従者をやっているのに主人の目的を知らないなんて、そんな寂しい話もないだろ」

「人を信じるのは苦手なんじゃなかった?」

「苦手さ」


 僕は衣装箪笥からブランケットを引っ張り出してきて、寝息を立てるシアさんにそっとかけた。


「でも、この人になら裏切られても納得できる気がする」

「裏切られるだけなら簡単でいいわ。それよりも、自分が好ましく思う人間に失望された時、あなたは耐えられる? なにより自分を信じていられる?」

「さてね。その時になったら考えるよ」


 イドはゆっくりと近付いてきて、今度は黙って煙草を口に突っ込んできた。

 火を点けようとしたところで、少し思い直したのか、一旦煙草を取り上げると、軽く口づけをしてくる。


「……なんだよ」

「きっと、どうにかなるわ。どうにかならなくても、私がいるもの」


 僕はイドから煙草を取り返して、自分で火を点けた。
 
 目を上げると――女神は既に姿を消した後だった。

 
 
▲▲~了~▲▲
 
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