残酷な描写あり
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第3話「勇者ターナカの独白」
■■ターナカの自身の症状についての独白■■
ADHDは『注意欠如・多動症』という――所謂、発達障害に分類される症状だ。
症状としては『不注意』と『多動・衝動性』がある。具体的に述べると、ケアレスミスが多かったり、時間の管理が下手だったり、人の話を聞くのが苦手だったり、突飛な発言や行動を取ったりする。
ADHDを持っている人は、脳の発達や神経伝達物質の分泌に問題があると報告されている例もあるそうだが、明確な原因は分かっていないらしい。
症状だけを見れば、「ちょっとうっかりしている変わり者」という、ただの気質上の問題で片付けられてしまうことも多く、周囲の理解を得難かったり、そもそもその人自身が自分をADHDだと気付いていなかったりする。
僕こと勇者ターナカが自身の症状に気付いたのは、大学生の頃である。
友達に誘われて始めた居酒屋のバイトで、僕はADHDの症状を遺憾なく発揮した。
ホールに出れば、オーダーミスをして、お客さんやら机やらにやたらと体がぶつかり、キッチンに入れば、ピザを窯に入れっぱなしで焦がして、頼まれたキュウリの千切りが明らかに使い切れないほどの山となって目の前にある。
とりわけ問題だったのは、自分の「うっかり」に気を配るようになってからも、それが全く改善できなかったことだ。
ミスしないよう意識して行動しても、気付けば自分の意識はどこか別の場所に向いてしまっており、日に何度も同じ失敗を繰り返した。そして、大きなミスをした日にはそのことが気になって更にミスを重ねる負の連鎖に陥った。
そうしたことに明らかな異常を感じた時、僕は自身の性質について調べ、ADHDという発達障害を知った。
――医者から正式に診断を受けた時、僕は治療の道を選択しなかった。自分の人生でこの症状に助けられたことも多くあると気付いたからだ。
ADHDの人間には『過集中』という、普通の人にはない性質が表れることがある。
これは一度興味を向けた事柄に対して、人一倍の高い集中力を発揮できるというもので――例えば、僕の場合のそれは、時には睡眠時間すら無視して一つの物事に没頭できるという、ある種の長所だと云えた。
思えば、読書や漫画、ゲームにばかり明け暮れていた自分が、学業においてはそれなりの高い成績を収められていたのも、実はこの性質に依るところが大きかったのだろう。
ADHDを知って以降、その症状が「天才病」なんて呼ばれ方をしていたのもよく見かけたが、『多動・衝動性』に伴う様々な事柄への興味関心と行動力に、この『過集中』が合わさった時、ADHDの人間は、他人には真似できない能力を発揮することがある。
だから、僕は上手くやっていけると思っていた。
実際、社会人になってからも、ちょっと工夫しさえすれば、苦手なこともどうにかならないこともなかった。
煩雑な事務処理も、スケジュール管理も、日々変わり続ける顧客ニーズへの対応も、最初の頃こそ苦労はしたが、要領さえ掴めればルーチン化することはできる。そうして、ようやく自分の得意な領域にリソースを費やせるようになった時、僕に付きまとってきた病理はよい方向に性能を発揮するようになった。
――上手くいくはずだった。
最後の最後に僕へと牙を剥いたのは「思い込みの激しさ」という症状だった。
周囲の誰よりも上手く仕事をやれるようになった時、環境の現状維持バイアスが僕にとって悪い方向に働いた。
僕は、目の前で起こっている問題に気を取られて無視できないほどに――優しすぎた。
当たり障りなく、要領よく世の中を渡っていきたい人たちにとって、僕は格好の『人柱』だった。
分からなければ僕に訊ねることが彼らにとって一番簡単な方法で、できなければ僕に丸投げすることが彼らにとって一番楽な方法だった。
自分の所掌とは違う仕事ばかり降ってくるようになり、時には僕のやったことが他人の成績として計上されるようなこともあり、しかし、時間を奪われる中で自分自身の成績はどんどん下がっていく。
そんな状況に追い込まれても尚、頼まれてしまうと断ることができない。それを特定の誰かの所為にすることもできず、多動性があるばかりに上手く無視することもできず、「みんな僕を都合よく利用しようとしている」という主語の曖昧な考えが、いつの日にか脳裏をかすめて離れなくなっていた。
一番決定的だったのは、やはり最後にいた会社でのことだったのだろう。
新任でやってきたパワハラの噂が付きまとう箇所長に気に入られてしまった僕は、彼のキャリアにとっての道具にされた。
彼が会社から表彰を受けたあの取り組みも、最終的には上手くいったことで上層部からの𠮟責を免れたあの出来事も、全て僕が肩代わりしてやったことのはずだった。
――だけど、彼だけが賞賛や評価を受ける中で、僕自身にはなにも残らなかった。
いや、違う。一つ残った。
既往歴だ。僕は鬱病になった。
結果的に自分にとって最後となってしまったあの選択をしたのは――それから半年もしないうちのことだ。
元から飲めもしないのに、まるでなにかを乞うようにして度数の高い酒瓶に手を伸ばした。
その時のことは、半分事故のようなものだったとはいえ、誰にも魔が差した僕を咎める権利はなかったはずだと、今でも思う。
しかし、そのあとになって僕に贈られた日々は、もしかするとあの選択を後悔するために与えられたものだったんじゃないか、とも思う。
――「ただ上手くいかなかっただけ」。
それはかつて僕を苛んだ、ひどく倒錯した思い込みとかけ離れた――至って単純な事実だ。
僕はただ幸せになりたかった。
背負うなら、それだけで充分だったのだ。
▲▲~了~▲▲