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残酷な描写あり R-15
暴君の報い
※このエピソードには激しい暴力シーンがあります。
 カクトが『ワープホール』を潜り抜けると、そこは空中だった。そのまま落下し、強かに背中を打ちつける。その衝撃で右肩に刺さった矢が、めり込むように肉に食い込んだ。

(クソッ! いてぇ……ここは、ここはどこなんだ!?)

 カクトは周囲を見渡す。黄色の地面、粗末な小屋が街路の左右に並んでいる。焼けてボロボロになった家屋も目に入った。

(ここは……貧民地区か。クソッ! 俺は誰もいない山の中をイメージしたはずなのにどうなってんだよ!)

 そして肩に刺さった矢に視線を移す。異世界に来てから自分が傷を負ったことなど初めてだった。

(クソがクソがクソがッ! アーサスのクソボケがッ! 何でパーフェクトガードが発動しねぇんだよボケがッ!)

 カクトは矢の柄を握りしめ、力任せに引っ張りだそうとする。だがギチギチと骨にヒビが入る音が鳴り、肩甲骨に激痛が走った。その痛みに堪えきれず、思わず手を放してしまう。

(クソッ、いてぇ……。何で俺がこんな目に遭わねぇといけねぇんだよ!)

 そしてフラフラとカクトは立ちあがる。だがその時だった。道を通りかかった貧民地区の男と目が合う。お互いに一瞬目を丸くしてピタリと静止する。だが次の瞬間、男が叫んだ。

「カクトがいるぞぉ! 肩に傷を負ってるぞぉッ!!」

 わらわらと小屋の中から貧民地区の住民たちが現れる。男もいたし、女もいたし、老人もいたし、子供もいた。だが全員目の色がおかしい。カクトに対して、獲物を見つけたハイエナのような鋭い眼光を送っていた。

(なんだこいつら……何でこっちに向かってくるんだ?)

 カクトは異様な光景に目を囚われて立ち尽くす。最初に叫んだ男は小屋に立てかけられたスコップを手に持つと、いきなりカクトに向かって襲い掛かってきた。

 カクトは反射的に『クラフトニードル』を唱える。だが手のひらからは何も出ない。他の住民たちも鎌や木の棒など、各々武器を持ってゆっくりと迫ってきた。

(クソがッ! あいつら俺を殺す気かよ!)

 身体を180度回転させ、カクトは逃げ出す。だがそれと同時に背後から、自分を追ってくる足音が無数に響く。

「逃がすなぁッ!! 殺せぇッ!! 俺たちの家族を奪ったカクトを許すなぁッ!!」

 殺してやるッ! 殺してやるッ! 殺してやるッ!! 

 怨念の籠められた叫び声が津波のようにカクトの耳に何度も押し寄せる。魔法を上手く使えなくなったカクトは、もはや戦意を失い逃げることしか頭に浮かばなかった。

(とにかく逃げねぇと。クソッ! 一旦どこかに隠れるしかねぇ!)

 そしてカクトは命からがら追手を撒く。不幸中の幸いなことに貧民地区の者たちは体力がなかったのだ。それでもあちこちから「カクトを探せぇっ!!」という殺意を剥き出しにした恨みの声が響いてくる。

 カクトは声が聞こえてこない方角を進み、狭い路地裏に入る。そこで日影となった壁際に沿って移動すると、ボロボロな木の扉があった。カクトは警戒しながらそっと取っ手を回す。

 開けた瞬間、何か腐臭が立ちこめた。薄暗い部屋の中で目を凝らすと、中央から少し左にズレた位置に、8歳ぐらいの少女が床に正座して項垂れていた。そしてその隣には――包帯を全身に巻いた人間が仰向けになっていた。その天井を見上げていた人間の首が、ゆっくりとカクトのほうへ振り返る。

「カクト……タナカカクト」

 女の声だった。顔が包帯で覆われており目元しか見えない。だがよく観察すると、その辺りから覗く肌は赤く爛れ、ブクブクと蟻の卵のように膨れ上がっていた。ギラギラと光る瞳孔は見開かれ、血走っている。よく見るとその女には下半身がなかった。

 やがて女は包帯が巻かれた両腕をカクトに向かって伸ばし、上半身しかない身体を引きずって動き出す。埃塗れの床にガタガタと震えた手のひらを、叩きつけてはにじり寄り、叩きつけてはにじり寄り、カクトに向かって這いながら近づいてきた。

「タナカカクト! タナカカクト! タナカカクトッ!!」

「お母さんッ! しっかりして!!」

 隣の少女が悲鳴のような声を上げた。だが包帯の女はそんな制止の声など聞こえもしない様子で、どんどん這う手の動きを速める。カクトに猛烈な勢いで迫ってきた。

「タナカカクトォッ!! タナカカクトォッ!! タナカカクトォォォォッッ!!!」

 口から唾液を撒き散らしながら、喉が張り裂けそうなほど女が叫び散らす。女がカクトの足元に辿りつく直前になって、ようやくカクトの身体の硬直が解けた。咄嗟とっさに踵を返したカクトは、開けっ放しだった扉を出てすぐに閉じる。

「開けろォォッ!! 開けろォォッ!! お前のせいでッ! お前のせいでェェェェッ!!」

 バンバンバン! バンバンバン! バンバンバン! 

 何度も扉が激しく叩かれる振動が背中を伝う。扉がギシギシと軋み、今にもぶち破られそうだった。カクトは扉から飛び退いて、茫然としたまま扉を見下ろす。

(何なんだ……あの気持ち悪い化け物……)

 身体が勝手に震えだし、急に寒気を覚えた。あの包帯女の姿が頭にこびりついて離れない。こんな身の毛のよだつ思いを抱いたのは、この異世界に来てからはじめてだった。額から皮膚が溶けそうなほど汗が流れ出て、膝がガクガクして立つことすらままならない。そこでようやくカクトは、自分が殺されるかもしれない未来をまざまざと実感した。

(ッ!!)

 背後から何者かの気配を感じた。瞬間、黒い両腕が自分の脇を潜り抜け、全身が宙づりになる。慌てて振りかえると、ブラカイア族の若者が自分を羽交い絞めにしていたのだった。蝋で出来た人形のように、瞳に光が宿っていない。ただその黒い目玉の奥には、静かな殺気だけが感じられた。

「クソッ!! 放しやがれクロ野郎ッ!!」

 カクトは錯乱しながら上擦った声をあげる。だがブラカイア族の若者は屈強であり、何度カクトが暴れ回ってもびくともしない。やがてブラカイア族の若者はカクトを路地裏から引きずり出すと、地面に乱暴に投げ捨てた。

「うぐッ」

 強かに体の前面が打ち付けられ、蹲って腹を押さえる。直後、頭蓋を蹴り飛ばされた。カクトの身体が樽のように転がり、一瞬意識が鈍痛とともに暗くなる。気が付くと、仰向けになって倒れていた。

「カクトだぁッ! カクトがいたぞぉッ!!」

 遠くからまた複数の叫び声が聞こえた。反射的に脳が「逃げろ!」という命令を出す。だが起きあがろうとした瞬間、股間に鋭い蹴りを入れられた。

 ビチャッ! 

 陰嚢が破裂して精巣の中身が飛び散った。

「ぐぎゃああああッ!!!」

 カクトは激痛のあまり股間を押さえながらのたうち回る。履いていたズボンがどんどん血に染まる。カクトの脳裡には死の予感が過り、這いつくばったまま芋虫のように体を捩らせて逃げようとした。

 だが尻の間から再び蹴りが入れられる。カクトはまた血だらけの股間に衝撃が走った。陰茎の中身が弾け飛び、そして管には血栓が詰まる。狭い尿道からはチョロチョロと、血と激痛の混じった尿が漏れた。

「や、やめてくれぇ……やめて……やめてぇ」

 カクトは股間を押さえてわななきながら、地面に額を擦りつけて命乞いをする。だがやがて近づいてくる複数の足音がピタリと止んだ。そして直後、カクトの全身に一斉に衝撃が乱打した。貧民地区の者たちが怨嗟の限りを尽くしてカクトを踏みつけたのだ。

「お前がわたしたちの家を燃やしたせいでお母さんは包帯塗れになったんだッ!!」

 幼い子供の叫びが耳元に響く。だがその途端に右耳を誰かに蹴られ、鼓膜が破れた。

「アタシの夫を返せ!! アンタが戦争なんか起こしたからアタシの旦那は死んじまったんだ!!」

 しわがれた老婆の叫びが、聴力が残った片耳に響く。だが同時にカクトの胸が誰かに蹴られ、片方の肺が破裂した。カクトはもはや、まともに呼吸することすらできない。

「俺たちから奴隷の身分を奪いやがって!! てめぇが余計なことしたから仲間は全員野垂れ死んじまったんだ!!」

 ブラカイア族の若者の蹴りが、再び容赦なくカクトの股間を貫く。凄まじい威力であり、とうとうカクトの性器が折れた。もはやカクトは痣だらけとなり血塗れとなり腫れあがり、どこが痛いのかわからないほど全身の感覚が麻痺して高熱を帯びた。それでもカクトに降りかかる人々の怒りは鎮まることを知らない。

(ワープホール……ワープホール……ワープホール……ワープホール……)

 カクトは両腕で自分の頭を庇いながら、震える声で呪文を唱える。だがずっと呪文を唱えているのに発動する気配がない。

(ワープホール……ワープホール……ワープホール……ワープホール……)

 カクトは片目すら潰れてしまい、残った目玉から涙が滲み出る。骨が折れた鼻の穴からは、鼻水と鼻血が大量に溢れ出た。それでも激昂した蹴撃は止まらない。

(ワープホール……ワープホール……ワープホール…………ワープホール!!)

 恐怖が絶頂に達した時、カクトは渾身の力を振り絞って掠れた声を上げる。するとやっと解放されたように、カクトが這いつくばる地面から黒い靄が立ちのぼった。
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