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作者: 古今いずこ
残酷な描写あり
第12回 狼の奮迅 青年の意地:3-1
戦闘シーン(暴力描写)、殺害方法への言及が含まれます。苦手な方はご注意ください。
 確かに、強い。

 ガキン、と受け止めた宝刀は刃こぼれすらしなかった。のみならず、刀を振り下ろした勢いで自然に起こりうる風をはるかに超えた衝撃波が発生して、トシュの方で防いでいなければその肌を切り裂いたところだった。霊獣であることが必ずしも戦闘能力に結びつくわけでもないだろうが、武器を強化するという発想があれば当然それだけ強力になるし、どれほど、どのように強化できるかによっても危険度は上がりうる。

 これなら弱い者いじめとも大人げないとも言われるまい。こちらは正真正銘、見た目通りの若造である。何百年、何千年生きているとも知れぬ青獅子に、手加減をしなかったとて非難されるいわれはない。

 ぺろりと舌めずりをする前に、しかしもう一つ思いついてしまって、仕方なくトシュはそれを口に出した。

「そうそう、一個忘れてたわ。しんしゃくしてほしい事情があるなら、今、言いな。あの王を三年間水漬けにしておきたい理由があったのか?」

 あれは復讐だったのだ、と言われれば話は変わってくる。これは〈慈愛天女〉に対する遠慮というより、トシュの個人的な温情だ。もしもジョイドが井戸に落とされて生死の境を彷徨さまようようなことがあれば、トシュはその犯人を東の大海の、人間には発見されてすらいない海溝の底に沈めるだろうから。

 もっとも、獅子がその言葉にはっとする様子はなかった。復讐を志すような後味の悪い過去が存在しないなら、それは結構なことではある。

「随分と余裕だが、仲間を看取ってやらんでいいのか? 今なら息があるかもしれんぞ」

 このあおりはそれこそジョイドのことだろう。単なるはったりか、本人は致命傷を与えたつもりでいるのか。血のにおいはしなかったし、そもそもジョイドが構わずに行けと合図をしたのであったから、トシュは焦らなかった。

 そう易々と殴り倒せる相手でもないらしい、と隙を狙って呪符を放つ。呪符は厚さと硬さのある板のように、そして細い矢のように飛んで獅子の頭を目指したが、獅子の頭が消え失せたために、何もない空間を通過した。否、獅子がセディカに成り変わったので、頭の位置が瞬時に下がったのだ。

「やめて……!」

 セディカの声で叫ぶ獅子の脳天に、トシュは迷いなく棒を打ち下ろした。獅子は雲を消して地面に飛び下り、容赦ない一撃は空振りに終わる。

「酷えやつだな!」

 本気で慌てたらしくわめいた獅子は、今度はジョイドの姿になっていた。〈誓約〉が効いているなら本物のセディカもジョイドも巻き込めないのだから、騙される理由はなくなっているのだが。

 ——行けるか、と詠唱を始める。目的は獅子を打ち倒すことではなくて、〈神前送り〉で〈侍従狼〉と〈天帝〉の前に突き出すことなのだ。打ち倒しておけば呪符も貼りやすいだろうし、呪文もゆっくり唱えていられるだろうということであって、向こうがぴんぴんしているうちに呪文を唱えてしまっても一向に差し支えない。

 唱えることは差し支えないが、〈神前送り〉の呪文は面倒なことに、送りつける対象を目視したまま唱え切る必要があった。神に対する責任と礼儀の問題であるらしい。そこへ来て、印であれば〈天帝〉を意味する一つだけで済むところを、「いと高き処におわし万物をべる全知全能の〈天帝〉」と長々しく言わなくてはいけないような作法がある。印と違って言葉であればなまじ細やかな表現ができるから、印と同じ単純な表現で済ませるのは手抜きと見されるのだとか。馬鹿馬鹿しいと無視すれば術は成功しない。腹立たしいが、決まり通りに唱えるだけだ。

 が、半分も終わらないうちに、ぐいと雲ごと下に引っ張られた。小しゃくな、というような気分になったのは、獅子自身が王宮から逃げ出そうとしたのを一度引きずり下ろした、あれをやり返されたかのようだったためだ。このまま詠唱を続けたとして、地上に到達するまでに終えられないかもしれないリスク、他でもない〈神前送り〉の呪文を中途で切ってしまうかもしれないリスクと、詠唱のかたわら印を結んで別の術で対抗したとして、うっかり呪文を誤るかもしれないリスク、あるいは獅子から目を離してしまうかもしれないリスクを考慮した結果、トシュはぎゅっと鼻にしわを寄せながら呪文を打ち切った。打ち切るときは打ち切るときで、「ということを申し上げる心積もりでおりますので、その際はどうぞよろしくお聞き届けください」というような断りをつけておかないと、〈神前送り〉の場合は後が危ない。その神の怒りを買う可能性があるので。

 そのまま地面に叩きつけられようとしたのは、セディカを地面に叩きつけたときと同じ術で防いだ。同時に光を爆発させたのは、獅子の起こした霧をヒントにしたのである。光の中から躍り出たとき、トシュは狼の本性を露にしていた。白銀の毛並みが輝かしい、父の子であると証す姿。

 獅子が驚いた顔をするのにトシュはいささか気をよくしたが、押さえつけようと飛びかかったのは受け流された。そちらも本来の姿になった獅子としばらくやり合い、上手くいかないなと人間に戻る。狼の姿でいたのでは、呪符が使えない——人間の姿になっていた妖怪が獣の姿に戻るとき、身につけていた服や武器は消えるのが普通だ。失われるわけではなく、人間になればまた現れるから、獣になって敵を組み敷いてから人間になって呪符を貼る、という作戦は成り立つのだけれど、まず組み敷けなければ始まらない。
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