▼詳細検索を開く
作者: 古今いずこ
残酷な描写あり
第8回 王子の誇り 息子の怒り:3-1
作中よりも過去における死ネタが含まれます。苦手な方はご注意ください。
 酷なことを言っているなとはトシュ自身思った。父親が死んでいる、それから既に三年も経っている、現在父の姿をしているのは父を殺した張本人である——しかも、そうした事実を知らせた上で、他人には隠せと指示したわけだから。

 だが、太子と共にただちに王宮に乗り込んで秘密を暴く、というわけにもいかない。準備しておきたいことが二、三あるのだ。偽国王があっさり観念するようなら空振りになるけれども、事が都合よく運ぶ想定で予定を立てるものではない。

 供の者たちや僧侶たちの前では、太子は動揺も悲嘆も憤怒もきっちりと隠した。小人に戻ってセディカの前に浮いているトシュへ、口の利き方に気をつけよ、と去り際に一睨みくれたのが唯一の発露であったが、これは隠れ蓑にもなる。無礼な異国人に王族らしからぬ扱いをされた後なら、普段と様子が違ってもそうおかしくはあるまい。

 太子への態度には院主も苦言を呈していたけれども、ジョイドが既に丸め込んだ後らしく、トシュとセディカはあまり厳しくは言われなかった。どのみちトシュはさっさと朱塗りの小箱に飛び込むふりをして、実際には蚊に姿を変えて隠れてしまったが。それからセディカの服にかけた術を解いて、巫女服がぱっと別物に変わるところを周りに見せつけて驚かせたから、その流れでセディカの方もになった。当のセディカはただ、どういうことかと問うようにジョイドを顧み、ジョイドはやはり周りに見せつけるようにわかりやすく笑んだ。

「大丈夫です、終わりましたよ。これであの小人も気が済んだでしょう」

 その先は相棒に任せて、トシュは寺院の外へと飛んでいって人間の姿に戻った。帰ってきたときはうさぎの姿をしていたのだ——雪のように真っ白な兎になって、獲物を探していた太子を引きつけ、寺院の門まで誘導してきた。その後は兎ほど目立たない鼠に、次いで小人に、化け直している。つまり、表向き、トシュはまだ帰ってきていないのである。

「おや、いないと思ったら。今帰ってきたんですか」

 門をくぐれば、うまいこと下男にみつかった。

「さっきまで太子様がおいでだったんですよ、狩りの途中に立ち寄られて。しかも、お宅のお嬢さんとしばらく二人きりでお話されていたとか」

「うちのお姫さんとか?」

 白々しく、言われたままを繰り返す。下男は続けてよいものか迷うように言いよどんだ。

「あのお嬢さんはどういう方なんです? あの格好は、まるで……錦鶏のような」

 目論見もくろみ通りの感想に、にやりとしそうになったが、こらえる。

「お姫さんの問題じゃねえんだ。あの小人が……っと、小人も見たか?」

「いえ、あたしは。小人がどうこうという話は少し聞きましたが」

 僧侶が安易に噂話を広めたりはしない、という風なことを下男は言った。そうはいっても小人になど現れられては、流石さすがに口の端に上ったのだろう。

「あの小人がお姫さんを利用しやがるんだわ。小人だってまあまあ希少な存在だろうが、若い巫女を従えてりゃあ箔がつくし、見栄えもいいしな。お姫さんの心身や名誉に悪影響がなけりゃあ、とりあえずいいが」

「……院主さんからもお二人に言われてましたが、何か変なことになっているようなら相談なさってくださいよ。あたしにじゃなく院主さんにですが」

 最後の部分に思わず笑う。

「そうだな。王太子殿下にまで話を聞かせたとなると、何か厄介事があるのかもしれん」

 親切な人々ではあるのだ。国王が偽物と入れ替わっていることに気づいていないのだから、その偽物との対決においては直接の助けにはならないだろうけれども、後方支援としては当てにしてよいかもしれない。〈錦鶏〉の住人であって〈冥府の女王〉の使徒であるなら、トシュよりよほどこの問題の関係者であるのだし。

 セディカとジョイドはどこにいるのかと尋ね、しばらく部屋でお休みになるそうですよと返事を貰って、トシュは修行用の建物へと足を向けた。とりあえず、一仕事終わったわけだ。

 どちらの部屋かを聞きそびれたなと思いつつ、セディカが使っていた方から覗くと、果たしてそこに二人はいた。が、思いも寄らないことに——椅子にきちんと腰かけたセディカが、表情は動かさぬまま、ぽろぽろと涙をこぼしているから当惑する。

「な、何だ?」

「セディに何をしたのさ」

「落ち着かせただけだっての」

 恨めしげにトシュを見やったジョイドは、だからといって涙をぬぐうわけにも、頭をでるわけにも、背中をさするわけにもいかないわけである。トシュとて泣かせるような真似をした記憶はない。緊張を除こうと軽い術を使ったつもりが、どうやら強すぎたらしいという自覚はある……が。

「反動みたいなもんか?」

「何でもないの。ちょっと……変なことを考えちゃっただけ」

 案外冷静な声音でセディカが言った。何でもないことなのに涙が止まらなくなったのであれば、それはやはり効き目がありすぎた反動ということになりそうだ。

 深呼吸が一つ、挟まった。

「……お父様も、偽物だったりしないかなって。本物が——本物は——お母様が結婚を決めた、本物のお父様は別にいて……」

 収まったかと見えた涙が、瞬きを受けてまた流れ落ちた。

 偽物だったら。本物ではなかったら。受けた仕打ちは変わらなくとも、もしも——本来なら惜しみない愛情を注いで然るべき、実の親ではなかったのだとしたら。

 〈錦鶏集う国〉の国王が実は殺されているように、セディカの父親が実は殺されているとしたら——。

「な、亡くなっててほしいわけじゃないのよ」

「わかるよ」

「つうか、わざわざそんな曲解はせんわ」

 得心した二人はそれぞれに応じた。

 もし本物の父親が死んでいるとわかれば、そのこと自体には胸を痛めるだろう。それとこれとは別の話だ。第一、今の父親が偽物であったとしても、即ち本物が死んでいると決まったものではない。単に追い払われただけかもしれない。

 大体、十中八九、そんな事実はないのだろうから——現実味がないと本人もわかっているだろう仮定の、揚げ足を取って苛めるものではない。太子や王妃の前で口にしたわけでもないのだし。

 目を閉ざした少女は、自分が自然に落ち着くのを待つことにしたようだった。青年たちはしばらく無言で視線を交わしたり、少女とドアとを見比べたりしていたが、結局はこの場を離れないことにして、佇んだまま少女を見守った。
Twitter