残酷な描写あり
第5回 旅路を守る 山路を越える:3-1
トシュはしばしば破魔三味を、稀に神琴を弾いてくれないかと注文した。そのたびに髪を抜いて楽器に変えるわけだから、元より毎日抜けるものとはいえ大丈夫なのかと一時は心配していたのだが、使い終わった後は術を解いて頭に戻しているらしい。そう聞いたときには唖然としたものだ。戻るのか。
「お祖母様が喜んでくれるから教わってたの。お祖母様にとっては、破魔三味はお祖父様の思い出だから」
音を合わせながら、セディカは少しだけ語った。祖母が生きていた頃にはよく聴かせに行ったし、その分稽古も重ねていた。祖父が置いていった楽譜だけでなく、聞き覚えた曲も、琴の曲も音域が許せば、三味で弾こうと試みたものだ。今、指が覚えている曲は、どれもその時期の賜物である。
「トシュは? 懐かしいの?」
「懐かしいってほど頻繁に聴いてたわけじゃねえが、破魔三味弾きが村に来たときには、親父が必ず聴かせに連れてったよ。今にして思えば、破魔三味を聴いても平然としてるとこを周りに見せるためだろうな」
「もし破魔三味を聞いて頭が痛くなったりするようなら、悪い妖怪になりかねない兆しが見えたってことだしね。そういうチェックの意味もあったんじゃない?」
実際のところ破魔三味にどれほどの破魔効果があるのかは、これもジョイドが一度滔々と説明したことがある。その音を平気で浴びていられる二人は、悪しき存在ではないととりあえず言えるらしい。ひょっとしたら、トシュがたびたび演奏を要請するのは、自分たちは危険なものではないという主張なのかもしれない。
とはいえ、強い妖怪と弱い三味がぶつかれば前者に軍配が上がるのだから、絶対的な判断基準にはならないとも聞いている。そもそも当のジョイドに教えられたことだし、貸される三味はトシュが作り出したものだ。証明とするには心許ない。となると、やはり特に深い意味はないのだろうか。
いずれにせよ、乞われれば弾くだけだ。力の限りに。
二人にどれほど助けられているか、来る日も来る日も思い知らされる。一人では道にも迷っただろうし、食べ物も水も集められなかっただろうし、獣にぶつかれば一巻の終わりだっただろう。父でもない、従者でもない、本来何の義務も負っていない二人に、こんなにも守られ続けている。
ありがたさよりも、肩身の狭さよりも。募っていくのは——焦り、なのだ。借金が膨らんでいくような。
三味や琴の、本職でもない手遊びの演奏が、釣り合うとは思わない。否、本職であっても同じことだろう。直接的な命の危機から救われることと比べて、あまりにも、実がない——のだ。娯楽をよそから提供されなければやっていけないほど、二人に余裕がないわけでもない。自分にできることを精一杯に行ったとて、できること、が的を外していれば何の役にも立たない。
だが、釣り合わないからと拗ねるのも違う。望まれたなら可能な限りに応えるべきだろう。足りないのは腕前であって、意志ではないのだから。
「——〈狼からの逃走〉じゃねえか?」
一曲弾き終えると、トシュからそんな第一声がやってきた。
「知ってるの?」
ということは、間違えれば間違えたとわかるということである。わからないだろうと高を括ったから、実は少々自信のない曲に思い切って手を出したのに。
「ま、狼としては押さえときたい曲だわな」
心成しか得意げにしているから、あまり知られていない曲ではあるのかもしれない。
自分を狼と呼んだことにはぎょっとしなかった。ぎょっとしなかった自分に気づいたのも、少し経ってからだった。気にも留まらなかった、らしい。
「俺は押さえてなかったなあ、犬の端くれとしては気になるけど。狼は悪役になるんじゃないの?」
「悪役っちゃ悪役だけどな。〈日追い〉と〈日導き〉が題材なんだよ」
「ああ」
「日、何ですって?」
セディカは聞き咎めた。
「〈日喰い狼〉じゃなくて?」
それは東の果て——大陸の東ではなく、その東の海を越えた世界の果てに棲んでいて、昇る朝日を見ては舌舐めずりをしているという巨大な狼である。この狼が太陽を追いかけて食らいつくことで日食が起こるのだ。太陽が〈日喰い狼〉から必死に逃げる情景を、この曲は描いているものと思っていた。月に食らいついて月食を起こす〈月喰い狼〉というのもいるが、曲調からいって太陽の方だろう、という推測は合っていたようだけれど。
「お祖母様が喜んでくれるから教わってたの。お祖母様にとっては、破魔三味はお祖父様の思い出だから」
音を合わせながら、セディカは少しだけ語った。祖母が生きていた頃にはよく聴かせに行ったし、その分稽古も重ねていた。祖父が置いていった楽譜だけでなく、聞き覚えた曲も、琴の曲も音域が許せば、三味で弾こうと試みたものだ。今、指が覚えている曲は、どれもその時期の賜物である。
「トシュは? 懐かしいの?」
「懐かしいってほど頻繁に聴いてたわけじゃねえが、破魔三味弾きが村に来たときには、親父が必ず聴かせに連れてったよ。今にして思えば、破魔三味を聴いても平然としてるとこを周りに見せるためだろうな」
「もし破魔三味を聞いて頭が痛くなったりするようなら、悪い妖怪になりかねない兆しが見えたってことだしね。そういうチェックの意味もあったんじゃない?」
実際のところ破魔三味にどれほどの破魔効果があるのかは、これもジョイドが一度滔々と説明したことがある。その音を平気で浴びていられる二人は、悪しき存在ではないととりあえず言えるらしい。ひょっとしたら、トシュがたびたび演奏を要請するのは、自分たちは危険なものではないという主張なのかもしれない。
とはいえ、強い妖怪と弱い三味がぶつかれば前者に軍配が上がるのだから、絶対的な判断基準にはならないとも聞いている。そもそも当のジョイドに教えられたことだし、貸される三味はトシュが作り出したものだ。証明とするには心許ない。となると、やはり特に深い意味はないのだろうか。
いずれにせよ、乞われれば弾くだけだ。力の限りに。
二人にどれほど助けられているか、来る日も来る日も思い知らされる。一人では道にも迷っただろうし、食べ物も水も集められなかっただろうし、獣にぶつかれば一巻の終わりだっただろう。父でもない、従者でもない、本来何の義務も負っていない二人に、こんなにも守られ続けている。
ありがたさよりも、肩身の狭さよりも。募っていくのは——焦り、なのだ。借金が膨らんでいくような。
三味や琴の、本職でもない手遊びの演奏が、釣り合うとは思わない。否、本職であっても同じことだろう。直接的な命の危機から救われることと比べて、あまりにも、実がない——のだ。娯楽をよそから提供されなければやっていけないほど、二人に余裕がないわけでもない。自分にできることを精一杯に行ったとて、できること、が的を外していれば何の役にも立たない。
だが、釣り合わないからと拗ねるのも違う。望まれたなら可能な限りに応えるべきだろう。足りないのは腕前であって、意志ではないのだから。
「——〈狼からの逃走〉じゃねえか?」
一曲弾き終えると、トシュからそんな第一声がやってきた。
「知ってるの?」
ということは、間違えれば間違えたとわかるということである。わからないだろうと高を括ったから、実は少々自信のない曲に思い切って手を出したのに。
「ま、狼としては押さえときたい曲だわな」
心成しか得意げにしているから、あまり知られていない曲ではあるのかもしれない。
自分を狼と呼んだことにはぎょっとしなかった。ぎょっとしなかった自分に気づいたのも、少し経ってからだった。気にも留まらなかった、らしい。
「俺は押さえてなかったなあ、犬の端くれとしては気になるけど。狼は悪役になるんじゃないの?」
「悪役っちゃ悪役だけどな。〈日追い〉と〈日導き〉が題材なんだよ」
「ああ」
「日、何ですって?」
セディカは聞き咎めた。
「〈日喰い狼〉じゃなくて?」
それは東の果て——大陸の東ではなく、その東の海を越えた世界の果てに棲んでいて、昇る朝日を見ては舌舐めずりをしているという巨大な狼である。この狼が太陽を追いかけて食らいつくことで日食が起こるのだ。太陽が〈日喰い狼〉から必死に逃げる情景を、この曲は描いているものと思っていた。月に食らいついて月食を起こす〈月喰い狼〉というのもいるが、曲調からいって太陽の方だろう、という推測は合っていたようだけれど。