残酷な描写あり
第2回 祈りが届く 助けが来る:2-1
「セディカ゠ミクラ」
名乗ると二人は顔を見合わせた。
「……トシュだ。トシュ゠ギジュ」
「俺ぁジョイド゠ハックね。ジョーでもいいよ」
「何それ」
トシュは胸の前に両手を上げて、ジョイドは軽く上げただけの片手で、奇妙に指を動かしたのでセディカは瞬きをした。
「名前なんてホイホイ教えるもんじゃないでしょ。相手が」
に、とジョイドの唇が裂ける。
「妖怪だったらどうすんの」
つい先ほどそうとも知らずに妖怪の集いに乗り込んでしまった身としては、いささか笑えない冗談であった。
「名前を知らせるっていうのは、自分を開けっ広げにするっていうことだからね。本名でなければ構わないって考え方もあるけど、通称ですら危ないって考え方もある」
「つって、そんなこと言ってたら名乗りようがねえからな」
ゆっくりと再び、トシュが同じ動きをしてみせた。
「言ってみりゃ、名乗り限定の守護の印ってわけだ」
「……妖怪は見分けられるんでしょ?」
「ああ、君が妖怪だって可能性を考慮したわけじゃないよ。妖怪だの仙術だのっていう世界に首を突っ込んでると習慣になんの」
トシュが合流した後、ジョイドは先を見てくると一人で走っていって、すぐさま小屋があったと朗報を持って戻ってきた。無人のその小屋に上がり込み、ジョイドが取り出した灯りを点けると、少女と青年たちは改めて向かい合った。
トシュの棒もジョイドの杖も見当たらない、思い返せばあの宴の場を離れてから目にした記憶がないことにセディカは気がついたが、そんなことを問い質す前に、自分のことを話すべきだろう。大体、髪の毛を三味に変えるところを目の当たりにした後では、棒を一本どこへともなく消したくらいで驚いてよいものかもわからない。
「ちなみに幾つだ、おまえ」
「十三だけど」
「……まあ、十五前なら子供でいいだろ」
「そっちは?」
「二十五? 四か」
実は一千歳を超えた仙人であるなどと言われたらどうしようかと少し冷や冷やしたが、見た目の印象は特に裏切られなかった。
「で、何があった。やつらが人里までわざわざ誘い出しに行ったわけじゃねえだろ」
トシュの問いに、知らず、セディカは苦笑した。訊かれたかったわけではないが、訊かれて然るべきだとはずっと思っていたので。
付き合いのなかった異国の親戚の家へ、父の指示で向かう途中だったのだと、大雑把に説明する。従者二人と一緒だったと聞いてトシュが目を円くしたのは、従者を連れるような身分だとわかったためかもしれない。
「なるほど、俺らが聞いたのは多分、そのいなくなった二人を呼んでる声ね」
「異国の親戚ってのは……ていうか、あんたは帝国の人間でいいんだな?」
「ええ。〈世を幸いで満たす寺〉がある町の人間よ」
地名で答えるよりもわかりやすいだろう。名刹〈世を幸いで満たす寺〉は帝国の内外に広く知られているはずだ。
「あなたたちは? どこの人なの?」
「俺は——大陸の東端っつった方が早いな。ここいらじゃ名前言っても通じねえ」
夷三味なんて言い出すからびっくりしたわ、と東の青年は歯を見せた。想定外の遠方にこちらもびっくりする。大陸の果てと言えば遠すぎるものだから、帝国と接していないからとて蔑まれる地域を越えて、逆に憧れられる傾向にあるぐらいだ。
だが、
「生まれで言ったら、俺は〈金烏が羽を休める国〉の出身よ。しばらく帰ってないけど、ちょうどここからだと近いね。この山を越えたら割とすぐだ」
「〈金烏〉?」
大陸の果てに比べれば物珍しさも何もない西国の名前にこそ、セディカは目をいっぱいに瞠った。
「わたし、あの、お祖父様が——母方の祖父が、〈金烏〉の人間で」
「おやまあ! それは縁だねえ」
その答えは少女の警戒を一気にほとんど解き去った。ならば——大丈夫、だ。
「だから、あの、異国の親戚って、お祖父様の実家のことで。お祖父様本人が〈金烏〉に戻ってるか、また国を出てどこかに行ってしまったか、ひょっとしたらどこか違う国に住み着いてたりするのかはわからないけど。……訊かれるまで黙っておこうかとも思ってたんだけど」
「……ああ、なるほど。苦労したんだね」
汲んでくれたらしい。これで通じるのも複雑ではあるが、その何が問題になるのかと問われて説明させられたらその方が辛い。
一部の、しかしながら少数ではない人々にとって、帝国の外の血は本質的に価値の低いもの、蔑まれて然るべきものであり、その血を引くことは埋め合わせようのない欠陥だ。別の一部にとっては、埋め合わせなくてはならない欠陥だ。西国の血が流れているぐらい何だ、君は君だと励まされたことがある。半分西国人であるとは思えないほど、できた人間だったと母を褒められたこともある。
「それでも、マシな方ではあったんだと思うわ。〈幸いの寺院〉があったから」
お膝元の住人は〈世を幸いで満たす寺〉を通称で呼んだ。先代の院主が啓蒙に努めたおかげで、それ以前と比べて大分変わったらしいのだ。先代ほど熱心ではないにせよ、現在の院主もその姿勢を受け継いでいる。
名乗ると二人は顔を見合わせた。
「……トシュだ。トシュ゠ギジュ」
「俺ぁジョイド゠ハックね。ジョーでもいいよ」
「何それ」
トシュは胸の前に両手を上げて、ジョイドは軽く上げただけの片手で、奇妙に指を動かしたのでセディカは瞬きをした。
「名前なんてホイホイ教えるもんじゃないでしょ。相手が」
に、とジョイドの唇が裂ける。
「妖怪だったらどうすんの」
つい先ほどそうとも知らずに妖怪の集いに乗り込んでしまった身としては、いささか笑えない冗談であった。
「名前を知らせるっていうのは、自分を開けっ広げにするっていうことだからね。本名でなければ構わないって考え方もあるけど、通称ですら危ないって考え方もある」
「つって、そんなこと言ってたら名乗りようがねえからな」
ゆっくりと再び、トシュが同じ動きをしてみせた。
「言ってみりゃ、名乗り限定の守護の印ってわけだ」
「……妖怪は見分けられるんでしょ?」
「ああ、君が妖怪だって可能性を考慮したわけじゃないよ。妖怪だの仙術だのっていう世界に首を突っ込んでると習慣になんの」
トシュが合流した後、ジョイドは先を見てくると一人で走っていって、すぐさま小屋があったと朗報を持って戻ってきた。無人のその小屋に上がり込み、ジョイドが取り出した灯りを点けると、少女と青年たちは改めて向かい合った。
トシュの棒もジョイドの杖も見当たらない、思い返せばあの宴の場を離れてから目にした記憶がないことにセディカは気がついたが、そんなことを問い質す前に、自分のことを話すべきだろう。大体、髪の毛を三味に変えるところを目の当たりにした後では、棒を一本どこへともなく消したくらいで驚いてよいものかもわからない。
「ちなみに幾つだ、おまえ」
「十三だけど」
「……まあ、十五前なら子供でいいだろ」
「そっちは?」
「二十五? 四か」
実は一千歳を超えた仙人であるなどと言われたらどうしようかと少し冷や冷やしたが、見た目の印象は特に裏切られなかった。
「で、何があった。やつらが人里までわざわざ誘い出しに行ったわけじゃねえだろ」
トシュの問いに、知らず、セディカは苦笑した。訊かれたかったわけではないが、訊かれて然るべきだとはずっと思っていたので。
付き合いのなかった異国の親戚の家へ、父の指示で向かう途中だったのだと、大雑把に説明する。従者二人と一緒だったと聞いてトシュが目を円くしたのは、従者を連れるような身分だとわかったためかもしれない。
「なるほど、俺らが聞いたのは多分、そのいなくなった二人を呼んでる声ね」
「異国の親戚ってのは……ていうか、あんたは帝国の人間でいいんだな?」
「ええ。〈世を幸いで満たす寺〉がある町の人間よ」
地名で答えるよりもわかりやすいだろう。名刹〈世を幸いで満たす寺〉は帝国の内外に広く知られているはずだ。
「あなたたちは? どこの人なの?」
「俺は——大陸の東端っつった方が早いな。ここいらじゃ名前言っても通じねえ」
夷三味なんて言い出すからびっくりしたわ、と東の青年は歯を見せた。想定外の遠方にこちらもびっくりする。大陸の果てと言えば遠すぎるものだから、帝国と接していないからとて蔑まれる地域を越えて、逆に憧れられる傾向にあるぐらいだ。
だが、
「生まれで言ったら、俺は〈金烏が羽を休める国〉の出身よ。しばらく帰ってないけど、ちょうどここからだと近いね。この山を越えたら割とすぐだ」
「〈金烏〉?」
大陸の果てに比べれば物珍しさも何もない西国の名前にこそ、セディカは目をいっぱいに瞠った。
「わたし、あの、お祖父様が——母方の祖父が、〈金烏〉の人間で」
「おやまあ! それは縁だねえ」
その答えは少女の警戒を一気にほとんど解き去った。ならば——大丈夫、だ。
「だから、あの、異国の親戚って、お祖父様の実家のことで。お祖父様本人が〈金烏〉に戻ってるか、また国を出てどこかに行ってしまったか、ひょっとしたらどこか違う国に住み着いてたりするのかはわからないけど。……訊かれるまで黙っておこうかとも思ってたんだけど」
「……ああ、なるほど。苦労したんだね」
汲んでくれたらしい。これで通じるのも複雑ではあるが、その何が問題になるのかと問われて説明させられたらその方が辛い。
一部の、しかしながら少数ではない人々にとって、帝国の外の血は本質的に価値の低いもの、蔑まれて然るべきものであり、その血を引くことは埋め合わせようのない欠陥だ。別の一部にとっては、埋め合わせなくてはならない欠陥だ。西国の血が流れているぐらい何だ、君は君だと励まされたことがある。半分西国人であるとは思えないほど、できた人間だったと母を褒められたこともある。
「それでも、マシな方ではあったんだと思うわ。〈幸いの寺院〉があったから」
お膝元の住人は〈世を幸いで満たす寺〉を通称で呼んだ。先代の院主が啓蒙に努めたおかげで、それ以前と比べて大分変わったらしいのだ。先代ほど熱心ではないにせよ、現在の院主もその姿勢を受け継いでいる。