残酷な描写あり
第1回 少女は奏でる 青年は舞う:2-3
ぱっと明るくなって、月の光の差す山道が眼前に広がった。そこからクールダウンのようにスピードが落ちていき、やがてすとんと下ろされる。
「これっくらい離れれば大丈夫でしょ。別に悪いやつらってわけではなさそうだし、わざわざ追っかけてはこないよ」
朗らかな声が降ってきた。
「ただ、自分たちのことしか見えてないのね。自分たちが楽しいから、誰でも彼でもここにいれば楽しいものだと思ってるし、君が人間で、家があって家族があって生活があるってことを考えてない」
両肩に手を添えたまま、セディカが息を整えるのをしばらく待っていたらしい。それから手を引いて、軽くウィンクをする。
「破魔三味に神琴なんて、役に立つ特技持ってるじゃない。妖怪の目を眩ませるのに打ってつけだわ」
「妖怪、だったの?」
「木の妖怪だね。あいつがさっきぶっ叩いたのが、根元に座ってた爺様の正体」
セディカはぞっとして周りの木を見上げた。ここらのは大丈夫よと青年が笑う。
だから「破魔三味」という呼び方を避けたのか、と思い当たった。妖怪の輪の中で口にするには、いささか、不穏そうだ。
「あなた、は……」
「仙術をちょっと齧っててね。俺もあいつも妖怪を見分けるぐらいはできる。で、あいつはすぐドンパチやりたがるけど、俺はすたこら逃げる方が得意なわけ」
「あ、あの、あの人は大丈夫なの?」
「へーきへーき。すぐ追っかけてくるよ」
言葉の通り全く心配していない様子なので、それ以上は言い募らずに、セディカは自分の荷物を抱き締めた。勿論、自信があるからこそ、ああした暴挙に出たのだろうけれど。
少しだけ、間があった。
「君は何も、彼らと遊んで暮らしたかったわけじゃないでしょう?」
首を振る。上手く溶け込めなかったから、という問題ではない。あの場所は——あの集団は——妖怪であろうとなかろうと、異様だった。
セディカと青年が口を噤めば、夜の山道は静かになった。それを心地よく感じるのは、絶え間ない話し声に囲まれているのにも、そこそこ疲れていたということだろう。茨の中を一人で歩き回っていたときは同じ静けさが恐ろしくて、それなのに一方で鳥の飛び立つ音にもびくついていたものだけれど。
とはいえ、黙りこくっているのもどうかと思ったのか、青年はぽつぽつと、どこかぶつけなかったかな、何か落っことしたりしてないよね、闇夜じゃなくてよかったよ、などと当たり障りのないことを口にした。何ともない、大丈夫、ほとんど満月ね、とセディカも素直に応じる。重要なことを今話しても二度手間になる——もう一人、いるのだから。
さほど長くはかからなかった。木の上でがさりと音がしたと思うや、仰ぐ間もなくバンダナの青年が身軽に飛び下りてきたのだ。そんなところから現れるとは思わず、セディカは後退ったが。
「早かったね。どうなった?」
「怒鳴りつけてきたわ。しょぼくれてんじゃねえってんだ、被害者面しやがって」
「怒ってるねえ」
「あんな場所に人間を連れ込んで、食い物まで出すやつがあるか」
「危ない場所だったの?」
つい尋ねれば、悪態をついていた青年は、そういえば他人もいたのだったと初めて思い出したかのように、その剣幕をはたと鎮めた。
「木は化けても本体が動かねえし、地面に根を張ってるからな。化けた木が集まってるような場所は、場所自体が妖怪の影響に……何つうかな、染まりやすいんだ。人間が下手に長居すると、相性が悪けりゃ体を壊すし、いいならいいで取り込まれるしで、普通の妖怪が屯してんのとはわけが違うんだわ」
「怖い話をするんじゃないよ」
首飾りの青年が呆れた様子で遮る。怖いか? と訊き返すような表情になったバンダナの青年は、次に閃いた表情になってセディカに視線を戻した。
「まあ、やつらは単に、自分らが何やらかしてるか自覚がねえってだけだ。おまえを狙ってたんでもないし、来たからには逃がさないとか言い出すこともねえだろ」
優しくなった口調は胡散臭くも無理をしているようでもなかったが、気遣いというより子供扱いのように感じてセディカはむくれた。
「怖がったりなんかしないわよ。それに、ちゃんと知っておくべきでしょ。どういう風に危なくて、何から助けてもらったのか」
言い募れば言い募るほど、それは結局子供っぽい反論であったかもしれない。が、自分の言葉がよいきっかけになって——二人にもそうと伝わるように真面目な顔をして、姿勢を正し、両手を揃えて頭を下げる。危ないところを、助けられたのだ。
「ありがとうございました。……どうしていいかわからなかった」
「だろうな」
「あれじゃねえ」
同情よりも共感に近い響きが返ってくる。
「ま、無事でよかったわ」
やっと頬を緩めた青年の、あの宴で見せたものとは違う穏やかな笑みに、解放感と安堵が押し寄せてきて、何だか理不尽な気がした。たまたま踏み込んでしまったおかしな場所から抜け出しただけで、自分のことは何も片づいていないのに。
「話は後ね。まずは休める場所をみつけましょ」
首飾りの青年が促した。ここからが「まず」になるのか、とセディカは少々げんなりしたが、同時におかしく感じる余裕も出てきたようだった。
「これっくらい離れれば大丈夫でしょ。別に悪いやつらってわけではなさそうだし、わざわざ追っかけてはこないよ」
朗らかな声が降ってきた。
「ただ、自分たちのことしか見えてないのね。自分たちが楽しいから、誰でも彼でもここにいれば楽しいものだと思ってるし、君が人間で、家があって家族があって生活があるってことを考えてない」
両肩に手を添えたまま、セディカが息を整えるのをしばらく待っていたらしい。それから手を引いて、軽くウィンクをする。
「破魔三味に神琴なんて、役に立つ特技持ってるじゃない。妖怪の目を眩ませるのに打ってつけだわ」
「妖怪、だったの?」
「木の妖怪だね。あいつがさっきぶっ叩いたのが、根元に座ってた爺様の正体」
セディカはぞっとして周りの木を見上げた。ここらのは大丈夫よと青年が笑う。
だから「破魔三味」という呼び方を避けたのか、と思い当たった。妖怪の輪の中で口にするには、いささか、不穏そうだ。
「あなた、は……」
「仙術をちょっと齧っててね。俺もあいつも妖怪を見分けるぐらいはできる。で、あいつはすぐドンパチやりたがるけど、俺はすたこら逃げる方が得意なわけ」
「あ、あの、あの人は大丈夫なの?」
「へーきへーき。すぐ追っかけてくるよ」
言葉の通り全く心配していない様子なので、それ以上は言い募らずに、セディカは自分の荷物を抱き締めた。勿論、自信があるからこそ、ああした暴挙に出たのだろうけれど。
少しだけ、間があった。
「君は何も、彼らと遊んで暮らしたかったわけじゃないでしょう?」
首を振る。上手く溶け込めなかったから、という問題ではない。あの場所は——あの集団は——妖怪であろうとなかろうと、異様だった。
セディカと青年が口を噤めば、夜の山道は静かになった。それを心地よく感じるのは、絶え間ない話し声に囲まれているのにも、そこそこ疲れていたということだろう。茨の中を一人で歩き回っていたときは同じ静けさが恐ろしくて、それなのに一方で鳥の飛び立つ音にもびくついていたものだけれど。
とはいえ、黙りこくっているのもどうかと思ったのか、青年はぽつぽつと、どこかぶつけなかったかな、何か落っことしたりしてないよね、闇夜じゃなくてよかったよ、などと当たり障りのないことを口にした。何ともない、大丈夫、ほとんど満月ね、とセディカも素直に応じる。重要なことを今話しても二度手間になる——もう一人、いるのだから。
さほど長くはかからなかった。木の上でがさりと音がしたと思うや、仰ぐ間もなくバンダナの青年が身軽に飛び下りてきたのだ。そんなところから現れるとは思わず、セディカは後退ったが。
「早かったね。どうなった?」
「怒鳴りつけてきたわ。しょぼくれてんじゃねえってんだ、被害者面しやがって」
「怒ってるねえ」
「あんな場所に人間を連れ込んで、食い物まで出すやつがあるか」
「危ない場所だったの?」
つい尋ねれば、悪態をついていた青年は、そういえば他人もいたのだったと初めて思い出したかのように、その剣幕をはたと鎮めた。
「木は化けても本体が動かねえし、地面に根を張ってるからな。化けた木が集まってるような場所は、場所自体が妖怪の影響に……何つうかな、染まりやすいんだ。人間が下手に長居すると、相性が悪けりゃ体を壊すし、いいならいいで取り込まれるしで、普通の妖怪が屯してんのとはわけが違うんだわ」
「怖い話をするんじゃないよ」
首飾りの青年が呆れた様子で遮る。怖いか? と訊き返すような表情になったバンダナの青年は、次に閃いた表情になってセディカに視線を戻した。
「まあ、やつらは単に、自分らが何やらかしてるか自覚がねえってだけだ。おまえを狙ってたんでもないし、来たからには逃がさないとか言い出すこともねえだろ」
優しくなった口調は胡散臭くも無理をしているようでもなかったが、気遣いというより子供扱いのように感じてセディカはむくれた。
「怖がったりなんかしないわよ。それに、ちゃんと知っておくべきでしょ。どういう風に危なくて、何から助けてもらったのか」
言い募れば言い募るほど、それは結局子供っぽい反論であったかもしれない。が、自分の言葉がよいきっかけになって——二人にもそうと伝わるように真面目な顔をして、姿勢を正し、両手を揃えて頭を下げる。危ないところを、助けられたのだ。
「ありがとうございました。……どうしていいかわからなかった」
「だろうな」
「あれじゃねえ」
同情よりも共感に近い響きが返ってくる。
「ま、無事でよかったわ」
やっと頬を緩めた青年の、あの宴で見せたものとは違う穏やかな笑みに、解放感と安堵が押し寄せてきて、何だか理不尽な気がした。たまたま踏み込んでしまったおかしな場所から抜け出しただけで、自分のことは何も片づいていないのに。
「話は後ね。まずは休める場所をみつけましょ」
首飾りの青年が促した。ここからが「まず」になるのか、とセディカは少々げんなりしたが、同時におかしく感じる余裕も出てきたようだった。