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作者: 古今いずこ
残酷な描写あり
第1回 少女は奏でる 青年は舞う:2-2
「それ、飲んだ?」

 右に座った首飾りの青年がさりげなくささやいた。セディカはほとんど反射的に小さく首を振る。おっけ、と青年は頷いた。

「実は何かやってみせる気があったんだったらごめんね? 困ってるかと思って、勝手に割り込んじゃったけど」

「何もできないってわけじゃないわ」

 少し、唇を尖らせる。

「破魔三味と神琴ならけるわよ。でも、そんなの持ち歩いてないもの」

「——三味のことね?」

 その言い換えには眉をひそめたものの、敢えて反発はしないでおく。一般的に言って、そちらの方がみ深くはあるだろう。

 三本の弦を持つ弦楽器を、帝国は「三味」と総称する。異国のものはしばしば、その異国を指す言葉を冠して呼ばれるから、帝国のすぐ東にある国々のものはひっくるめて「東三味」、さらに東の、帝国と国土が接していない国々のものはひっくるめて「夷三味」ということになる。東三味はまだしも夷三味はつまるところ蔑称だし、「夷」に該当する全ての国の、「三味」に該当する全ての楽器が一くくりにされてしまうから、セディカとしては「破魔三味」という呼称の方が好みだ。が、こちらの呼称はあまり知られていないとか、こちらも正式名称ではなくてやはり俗称の一つにすぎないとかいった事情も承知していた。

「ここに夷三味があったら、見せつけてやりたかったりする?」

「あるの?」

「さっきから何をこそこそ話しとる」

 頭巾の老人がまた口を出した。まさか割って入られるとは思わなかったので、セディカはびくりと大袈裟に肩を跳ねさせてしまった。

「いえね、助け舟のつもりが、逆に出番を取っちゃったかしらって謝ってたんですよ。おまえ、夷三味貸せる?」

「あ?」

 急な要請にバンダナの青年はぽかんとしたものの、相棒とセディカとを見比べてから、頭に手をやって髪の毛を抜いた。口元にかざして一吹きした、と見るや、その手には夷三味——破魔三味が握られていた。

「調弦はできてねえぞ、多分」

 おお、なんと、と飛び交う驚きや感心の声を無視して差し出されたそれを、セディカは無言で受け取った。無論驚きはしたのだが、一緒になって騒ぐのは何だかしゃくな気がした。青年がもう一本髪を抜いて吹くと、こちらはばちに変わった。

 弦を鳴らし、音を合わせる。調整すれば合うのだから、ちゃんとした楽器だ。形だけを写した紛い物ではない。久方ぶりに椀から解放された指の、凝った節々もそのうちにほぐれてきた。

「何弾く?」

「〈摩天楼の主〉——ううん、〈四三二の獅子〉は?」

「おや、それはお誘い?」

 先ほど言われたように自分の技術を見せつけるなら〈摩天楼の主〉の方が適当だが、〈四三ニの獅子〉は演武によく使われる曲なのである。何なら、詩の定型の一つである〈四三ニ型〉と音の数が一致していて、〈四三ニ型〉の詩は〈四三ニの獅子〉に合わせて歌うことができる、という仕掛けもあった。というより、元々そういう用途で作られた曲なのだ。同種の曲は幾つがあって、雄大な自然を詠んだ詩なら〈四三ニの鷹〉が適切だろうし、恋歌なら〈四三ニの蝶〉が王道、〈四三ニの獅子〉は演武に転用されたように勇ましいものに向いている。

 棒術にも当て嵌まるかどうかは知らなかったが、バンダナの青年に目を向けてみると、乗り気らしくひょいと棒をつかんで円の中央に出ていった。実は早鐘を打っている心臓を押さえつけるように深呼吸をしてから、セディカは撥で弦をはじいた。

 冒頭の四小節、言うなれば前奏を終えるまで、青年はそこにたたずんでいた。それからさっと片足を引いて棒を構え、体と棒をぐるりと回して型を決める。青年の動きを指揮代わりに、少女は三味をき鳴らした。正しい音よりも低くなった、とはっきりわかってしまったときが一度あったものの、悔しさにほぞを噛む破目になるような、派手な失敗はせずに済んだ。途中からは自信をつけた分だけ力強くなっただろう。冒頭部分の変奏を挟んで、繰り返しに入ったときだ。

 バンダナの青年は不意に飛び上がり、頭巾の老人の後ろ、一抱えはありそうな太い木の幹を、棒でがつんと殴りつけた。

 老人はうめいてひっくり返り、宴の場は騒然となった。仰天して立ち上がる者、反対に腰を抜かす者、老人を介抱する者、青年を指さして口をぱくぱくさせる者、混乱の中で呆然としているセディカの手から、首飾りの青年がすばやく三味を取り上げるや、セディカの荷物を代わりに押しつけた。

「自分で持って、落とさないでね!」

「あ、きゃっ!」

 次の瞬間、青年はセディカを抱えて走り出していた。

 謎の宴はたちまち遠ざかり、灯りも急速に点になって消えた。暗くなった視界を木々が飛ぶようによぎっていく。自分の足で走っているわけでもないのに速すぎて息が苦しい。落ち葉を蹴散らし、草を蹴り飛ばして、立ち並ぶ幹の間を縫って突っ走るのに、ぶつからないかとおびえる余裕がなかったのは幸いだったかもしれない。
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