残酷な描写あり
第1回 少女は奏でる 青年は舞う:1-1
山で道に迷った、はずなのだが。
落ち着かぬ気持ちで、セディカは車座を見回した。二十人ほどいるのだろうか、地べたに座りながら機嫌よく、喋ったり笑ったり、月か梢かを見上げては詩句を吟じたり、している。別段名作というわけでもないが、基本は押さえた無難な出来だ。即興で秀歌を次々と詠める方が天才なのであって、普通はこんなものだろう。
老人もいるが矍鑠としていて、目が霞んでいたり、耳が遠かったりという様子はなかった。若い方でも三十歳程度と思しく、十代の若者や子供は見当たらない。男女は半々というところである。どうにも不思議な気分になるのは、草木染めの木綿や麻でできているらしい、貴族の朝服に似せたような衣服のせいもあろう。柄もなく、絹の光沢もなく、色合いも地味で、デザインも思い思いにアレンジされている。というよりも、正式なデザインや略装の決まり事を知らずに、我流で崩したか、記憶だけを頼りに再現したかといった具合だった。みっともない猿真似には見えないから、知識はなくともセンスはよかったというわけだ。
とはいえ自分も、この地域ではあまり見かけない格好をしているのだから——額をすっぽり隠すベールは明らかに異質であるはずで、そのくせ他人の服装をとやかく言えた立場ではない。大体、この山から先は帝国の外なのだ。見慣れないものにぶつかるのは寧ろ自然なことではないか。
……そうはいっても。……山の中で出会う光景ではないと、思うのだが。
二人の従者と共に、山に入った。道端で食事を摂って、その食事を終えた記憶がない。食事の途中で眠り込むほど、疲労困憊していたとは思われないのだけれど。目を覚ましたときには、そこは山道ですらなかった。疎らな木々の間、否、その木々の間を埋めるように生い茂る茨の傍らに横たわっていて、身動きが取れないことこそなかったものの、見回しても道らしい道はみつからなかった。従者たちに任せていたはずの荷物が一つ転がっているきりで、従者たちの姿はどこにもなかった。
二人の名を呼びながら駆け回った。否、駆け回るのは難しかった。なるべく上を目指すのがこういうときのセオリーだったろうか、などと悠長に考えていられるのは足を止めている間だけで、歩き始めれば茨を避けるのに必死でそれどころではなかった。段々と日が落ちてくるのは、一々空を見上げなくても嫌というほどわかった。焦って震えて泣きそうになりながら彷徨った末に、遠くに人声、笑い声が聞こえ、灯りが目に入ったときには、崩れ落ちそうなほど安堵したのだ。
すぐ近くまで行き着いてこちらから声をかけるまで、向こうは全く気づいていなかったようだった。気づいた後は快く、おいでおいでと招いて、よく来たねと場所を開けて、どうぞお飲みと木製の椀を、さあお食べと木製の深皿を渡してくれた。そうして——それから——放っておかれている。
時々手元を覗き込んでは、おや飲んでいないじゃないか、遠慮しなくていいんだよと朗らかに勧めるけれども、愛想笑いを返しているうちに自分たちの会話に戻っていく。来る者拒まずで受け入れただけで、セディカ個人に興味はないらしい。他人の事情を根掘り葉掘り聞きたがるような性格でなくたって、こんな山の中に少女が一人きりで現れれば、不自然に、不思議に、不審に、感じて然るべきではないのだろうか。
今となっては、こちらだって奇妙に感じている。何なのだろう、この集団は。
話しかければすんなり応じて、訊いてみればあっさり教えてくれるのかもしれない。だが、それなら他に訊くべきことがあるだろうとも思う。たまたまこの集団が謎めいているだけで、セディカ側の問題ではないのだ。自分の問題が先だろう——と、そこまで考えては、また行き詰まる。
何を——したいだろう?
何を訊きたいだろう? 何を教わって、どうしたいだろう?
山を下りたい? 従者たちを捜したい? 家に帰りたい? 二人に連れられて目指していたはずの、祖父の実家に向かいたい? ——二人はきっと、故意に自分を置き去りにしたのに? 祖父の実家が本当に自分を呼び寄せようとしたのかも、こうなっては怪しまれるのに?
両手で包むようにしたままの椀に目を落とす。中身は酒なのかジュースなのか、それとも濃く淹れた茶なのか、月明かり星明かりでは見分けられない。香りなら流石に判別がつくかもしれないが、香りがわかるところまで椀を持ち上げた後で、口をつけずに下ろしたら見咎められないだろうか。膝の前の地面に置いたままの深皿には、白と橙の、恐らく果物が入っている。皮を剥いて一口大に切って、やはり木製の匙を添えて、食べやすそうで美味しそうではあるが、どうにも手をつける気になれない。
どう——しよう。
落ち着かぬ気持ちで、セディカは車座を見回した。二十人ほどいるのだろうか、地べたに座りながら機嫌よく、喋ったり笑ったり、月か梢かを見上げては詩句を吟じたり、している。別段名作というわけでもないが、基本は押さえた無難な出来だ。即興で秀歌を次々と詠める方が天才なのであって、普通はこんなものだろう。
老人もいるが矍鑠としていて、目が霞んでいたり、耳が遠かったりという様子はなかった。若い方でも三十歳程度と思しく、十代の若者や子供は見当たらない。男女は半々というところである。どうにも不思議な気分になるのは、草木染めの木綿や麻でできているらしい、貴族の朝服に似せたような衣服のせいもあろう。柄もなく、絹の光沢もなく、色合いも地味で、デザインも思い思いにアレンジされている。というよりも、正式なデザインや略装の決まり事を知らずに、我流で崩したか、記憶だけを頼りに再現したかといった具合だった。みっともない猿真似には見えないから、知識はなくともセンスはよかったというわけだ。
とはいえ自分も、この地域ではあまり見かけない格好をしているのだから——額をすっぽり隠すベールは明らかに異質であるはずで、そのくせ他人の服装をとやかく言えた立場ではない。大体、この山から先は帝国の外なのだ。見慣れないものにぶつかるのは寧ろ自然なことではないか。
……そうはいっても。……山の中で出会う光景ではないと、思うのだが。
二人の従者と共に、山に入った。道端で食事を摂って、その食事を終えた記憶がない。食事の途中で眠り込むほど、疲労困憊していたとは思われないのだけれど。目を覚ましたときには、そこは山道ですらなかった。疎らな木々の間、否、その木々の間を埋めるように生い茂る茨の傍らに横たわっていて、身動きが取れないことこそなかったものの、見回しても道らしい道はみつからなかった。従者たちに任せていたはずの荷物が一つ転がっているきりで、従者たちの姿はどこにもなかった。
二人の名を呼びながら駆け回った。否、駆け回るのは難しかった。なるべく上を目指すのがこういうときのセオリーだったろうか、などと悠長に考えていられるのは足を止めている間だけで、歩き始めれば茨を避けるのに必死でそれどころではなかった。段々と日が落ちてくるのは、一々空を見上げなくても嫌というほどわかった。焦って震えて泣きそうになりながら彷徨った末に、遠くに人声、笑い声が聞こえ、灯りが目に入ったときには、崩れ落ちそうなほど安堵したのだ。
すぐ近くまで行き着いてこちらから声をかけるまで、向こうは全く気づいていなかったようだった。気づいた後は快く、おいでおいでと招いて、よく来たねと場所を開けて、どうぞお飲みと木製の椀を、さあお食べと木製の深皿を渡してくれた。そうして——それから——放っておかれている。
時々手元を覗き込んでは、おや飲んでいないじゃないか、遠慮しなくていいんだよと朗らかに勧めるけれども、愛想笑いを返しているうちに自分たちの会話に戻っていく。来る者拒まずで受け入れただけで、セディカ個人に興味はないらしい。他人の事情を根掘り葉掘り聞きたがるような性格でなくたって、こんな山の中に少女が一人きりで現れれば、不自然に、不思議に、不審に、感じて然るべきではないのだろうか。
今となっては、こちらだって奇妙に感じている。何なのだろう、この集団は。
話しかければすんなり応じて、訊いてみればあっさり教えてくれるのかもしれない。だが、それなら他に訊くべきことがあるだろうとも思う。たまたまこの集団が謎めいているだけで、セディカ側の問題ではないのだ。自分の問題が先だろう——と、そこまで考えては、また行き詰まる。
何を——したいだろう?
何を訊きたいだろう? 何を教わって、どうしたいだろう?
山を下りたい? 従者たちを捜したい? 家に帰りたい? 二人に連れられて目指していたはずの、祖父の実家に向かいたい? ——二人はきっと、故意に自分を置き去りにしたのに? 祖父の実家が本当に自分を呼び寄せようとしたのかも、こうなっては怪しまれるのに?
両手で包むようにしたままの椀に目を落とす。中身は酒なのかジュースなのか、それとも濃く淹れた茶なのか、月明かり星明かりでは見分けられない。香りなら流石に判別がつくかもしれないが、香りがわかるところまで椀を持ち上げた後で、口をつけずに下ろしたら見咎められないだろうか。膝の前の地面に置いたままの深皿には、白と橙の、恐らく果物が入っている。皮を剥いて一口大に切って、やはり木製の匙を添えて、食べやすそうで美味しそうではあるが、どうにも手をつける気になれない。
どう——しよう。