その後 1
「……そうか、憎悪か……確かに相応しいかもしれぬな……」
アザゼルはそれだけ言い残し、静かに目を閉じる。
彼の全身から咲き誇る黒バラ達が、少しずつ散って行く……この黒バラ達の養分は宿主の魔力。それが散って行くということは、もうアザゼルから魔力が抜け出しているということ。
私とレシファーは、二人並んでアザゼルに咲いた黒バラが散って行くのを黙って見続ける。
遂にアザゼルを倒したという気持ちはあるが、この胸に達成感などというものは湧き上がってこなかった。
おそらくレシファーも同じ気持ちで見ているのだろう。
これで私の復讐は終わった。
それは事実だ。
異界化も防いだし、私達魔女を貶めた原因を殺した。死んでいった魔女たちに報いることが出来た。
これは悪魔と魔女の静かな戦争だった。冷戦だった。
唯一激戦となったのは私と冠位の悪魔の戦いぐらい。
それ以外は、誰も本当の敵を知らないまま命を落としていった。
魔女狩りによって、人間たちが本当の敵だと錯覚させられていた。
私はその企ての元凶を、今この瞬間に殺したのだ。
復讐を果たした。
だけどこの胸に去来する感情はなんだろう?
なんと名付ければいいのだろう?
「アレシア様?」
レシファーが私の顔を見て一瞬たじろぎ、すぐに右手で私の頬を撫でる。私の顔を拭く。
「アレシア様。貴女は優しい方です。本当は復讐なんて似合わない」
それだけ言って、レシファーは私を抱きしめる。
抱きしめて頭を撫でる。背中をさする。私をあやす。
「ごめんレシファー。今の私がどんな顔をすれば良いか分からないの。復讐は果たした。けれど……まさかこんな気持ちになるなんて」
私は私を制御できない。
目的を達成したのだから喜ぶべきだ。同胞たちの敵を討ったのだから、もっと堂々とすべきだ。
でも、一体誰に対して堂々とすれば良いの? 誰と喜べばいいの? 同胞たちは全て死に絶えた。じゃあこの復讐は誰のために……
そして気づいた。
自分の掲げていた復讐は誰のためでもない。
完全に自分のため。全てを知った私が、自分を保つための標的。
だからか……目的を果たし、復讐を終えても何も残らないのは。残らないどころか喪失感のようなものさえ感じているのは、そういうことか。
自分の行動の原動力を他者に依存していた私は、それが無くなった瞬間、虚しくなった。
そしてそんな自分が嫌いになった。
「アレシア様。落ち着きましょう。私は貴女が好きですよ? 優しくて不器用な貴女だったからこそ、私は契約したのです。それとも……私では不満ですか?」
レシファーの慰めるようで試すような言葉。
彼女の言いたいことは分かる。
それに彼女は、私がなんて答えるか知っていて聞いている。
それも分かっている。
私がレシファーを嫌う事なんてないし、彼女を不満に思うことなど有り得ない。
レシファーは私以上に優しい悪魔。
冠位の悪魔、慈愛の悪魔……異界での知名度なら圧倒的に前者だろうが、私の中では確実に後者だ。
というより彼女と接したことがある者であれば、絶対に後者だと答えるだろう。
強さは後付け。おまけだ。
彼女の強さとは、その内面にある。
だからこそ私は三〇〇年ものあいだ、自分を保っていられたのだ。
「ありがとうレシファー。ありがとう……貴女と契約出来て幸せよ」
私は心の底からそう言葉にする。
噓偽りの無い私の本心。
涙が止まった私が再びアザゼルを見ると、もうすでに体が消失しかけていた。黒バラも完全に散ってしまっている。
「なんとも言えない気持ちですね」
レシファーはそう呟く。
私はそれに答えることが出来ないまま、空を見上げる。
散って行った黒バラ達が舞い上がっていくように見えた。
「これからどうしようか」
「とりあえずエムレオスに戻りましょう。おそらく他の冠位の悪魔達からのメッセージも、随時届くと思います」
そうだ。私達は異界最強の悪魔、原初の悪魔を殺したのだ。
その反響は確実に異界全土に広がる。
当然、他の冠位の悪魔達も何かしら反応を示すだろう。
「そうね。あちらの世界に戻る前にやることをやりましょう」
そうして私達は翼を展開し、羽ばたく。
さっきまでの激戦を思い出しながら、黙々とエムレオスに向かって飛んでいく。
途中レシファーを盗み見たが、その表情から何かを読み取ることは出来なかった。
「もうすぐです」
ずっと黙っていた私達だったが、レシファーの声を皮切りに普段の様子に戻る。
「あれは何かしら?」
もうすぐエムレオスに到着するというところで、謎の集団が目に映る。
その集団の中央には、強力な魔力を放つ一体の悪魔が鎮座し、そのまわりを十体ほどの上級悪魔が囲っている。
そしてその集団は、エムレオスから百メートルほど離れた所で停止する。
「あれはミラレスですね」
「ミラレス?」
「はい。エムレオスとアギオンからもっとも近い町、デスパレードの盟主、冠位の悪魔ミラレスです」
早速お出ましか。
それにしても行動が早い。
まるでこうすることが決まっていたみたいではないか。
「どうする? 降りる?」
「そうですね。ここで話が済むのであれば一番ですし」
私達はミラレス一行の正面に着地する。
「ほう。久しいなエムレオスの盟主レシファー。それに、そうか貴様がアレシアか」
ミラレスは私に対してだけ、下にみるような態度をとる。
そんなミラレスの風貌は、ほとんど人間の男性と変わらない。まるで一流の紳士のような格好をしている。しかしその見た目とは裏腹に、アザゼル程では無いにしろ、強力な魔力を秘めている。
「こうして顔を会わすのは何百年ぶりでしょうね? ミラレス。それと、アレシア様に対して失礼な態度は許しません」
レシファーはきっぱりと言い切る。
「分かった。もうそんな態度はとらない。アザゼルを倒した君達と争う気など毛頭ない」
ミラレスは穏やかな口調で話す。
その穏やかさは強さの証明だ。
「では一体何をしにここへ?」
レシファーは問いかける。
彼女も私も、ミラレスが攻めてきたのではないかと危惧していたのだが。
「今後の異界について話そうと思ってね」
「今後の異界ですか」
レシファーは顔をしかめる。
正直、アザゼルを倒した後の異界のことはずっと危惧していた。
アザゼルがいた時は、それはそれで統治されていたのだ。
最強の悪魔に逆らう愚か者などいなかった。
だが、その最強の存在が破れることになった場合、この異界はどのように変化するだろうか?
それはずっと疑問だった。
新しい最強の悪魔を名乗る者が現れ、再び異界をまとめあげて統治を始めるのか、それともそれぞれの町単位で結束し、異界の中で悪魔同士で殺し合いをしていくのか。
もしくはアザゼルの意志を継ぐ何者かが現れ、異界化を再び目指すのか。
それらはずっと私の脳裏をグルグル回っていた。
だからこそ、このミラレスという悪魔の登場には緊張感が走った。
この悪魔は一体どれなのかと。
「そうだ。今後の異界のあり方について君達と話がしたい。正直俺も他の冠位の悪魔も、アザゼルを殺した君達の動向に注目している。今回は俺が彼らを代表してここにいる。全員で押しかけて、敵だと思われるのはこちらも本意ではない」
ミラレスはここに来た目的を丁寧に説明する。
私達は私達で他の冠位の悪魔の動向を気にしていたが、彼らからすれば私達の今後の動向のほうが気になっていたのだ。
考えてみれば当たり前の話だ。
今の異界最強は、私達なのだから。
「分かりました。そういう事でしたら、お城で話しましょう」
そう言ってレシファーは顔を下げる。
「ようこそエムレオスへ。私達はあなた方を歓迎します」
アザゼルはそれだけ言い残し、静かに目を閉じる。
彼の全身から咲き誇る黒バラ達が、少しずつ散って行く……この黒バラ達の養分は宿主の魔力。それが散って行くということは、もうアザゼルから魔力が抜け出しているということ。
私とレシファーは、二人並んでアザゼルに咲いた黒バラが散って行くのを黙って見続ける。
遂にアザゼルを倒したという気持ちはあるが、この胸に達成感などというものは湧き上がってこなかった。
おそらくレシファーも同じ気持ちで見ているのだろう。
これで私の復讐は終わった。
それは事実だ。
異界化も防いだし、私達魔女を貶めた原因を殺した。死んでいった魔女たちに報いることが出来た。
これは悪魔と魔女の静かな戦争だった。冷戦だった。
唯一激戦となったのは私と冠位の悪魔の戦いぐらい。
それ以外は、誰も本当の敵を知らないまま命を落としていった。
魔女狩りによって、人間たちが本当の敵だと錯覚させられていた。
私はその企ての元凶を、今この瞬間に殺したのだ。
復讐を果たした。
だけどこの胸に去来する感情はなんだろう?
なんと名付ければいいのだろう?
「アレシア様?」
レシファーが私の顔を見て一瞬たじろぎ、すぐに右手で私の頬を撫でる。私の顔を拭く。
「アレシア様。貴女は優しい方です。本当は復讐なんて似合わない」
それだけ言って、レシファーは私を抱きしめる。
抱きしめて頭を撫でる。背中をさする。私をあやす。
「ごめんレシファー。今の私がどんな顔をすれば良いか分からないの。復讐は果たした。けれど……まさかこんな気持ちになるなんて」
私は私を制御できない。
目的を達成したのだから喜ぶべきだ。同胞たちの敵を討ったのだから、もっと堂々とすべきだ。
でも、一体誰に対して堂々とすれば良いの? 誰と喜べばいいの? 同胞たちは全て死に絶えた。じゃあこの復讐は誰のために……
そして気づいた。
自分の掲げていた復讐は誰のためでもない。
完全に自分のため。全てを知った私が、自分を保つための標的。
だからか……目的を果たし、復讐を終えても何も残らないのは。残らないどころか喪失感のようなものさえ感じているのは、そういうことか。
自分の行動の原動力を他者に依存していた私は、それが無くなった瞬間、虚しくなった。
そしてそんな自分が嫌いになった。
「アレシア様。落ち着きましょう。私は貴女が好きですよ? 優しくて不器用な貴女だったからこそ、私は契約したのです。それとも……私では不満ですか?」
レシファーの慰めるようで試すような言葉。
彼女の言いたいことは分かる。
それに彼女は、私がなんて答えるか知っていて聞いている。
それも分かっている。
私がレシファーを嫌う事なんてないし、彼女を不満に思うことなど有り得ない。
レシファーは私以上に優しい悪魔。
冠位の悪魔、慈愛の悪魔……異界での知名度なら圧倒的に前者だろうが、私の中では確実に後者だ。
というより彼女と接したことがある者であれば、絶対に後者だと答えるだろう。
強さは後付け。おまけだ。
彼女の強さとは、その内面にある。
だからこそ私は三〇〇年ものあいだ、自分を保っていられたのだ。
「ありがとうレシファー。ありがとう……貴女と契約出来て幸せよ」
私は心の底からそう言葉にする。
噓偽りの無い私の本心。
涙が止まった私が再びアザゼルを見ると、もうすでに体が消失しかけていた。黒バラも完全に散ってしまっている。
「なんとも言えない気持ちですね」
レシファーはそう呟く。
私はそれに答えることが出来ないまま、空を見上げる。
散って行った黒バラ達が舞い上がっていくように見えた。
「これからどうしようか」
「とりあえずエムレオスに戻りましょう。おそらく他の冠位の悪魔達からのメッセージも、随時届くと思います」
そうだ。私達は異界最強の悪魔、原初の悪魔を殺したのだ。
その反響は確実に異界全土に広がる。
当然、他の冠位の悪魔達も何かしら反応を示すだろう。
「そうね。あちらの世界に戻る前にやることをやりましょう」
そうして私達は翼を展開し、羽ばたく。
さっきまでの激戦を思い出しながら、黙々とエムレオスに向かって飛んでいく。
途中レシファーを盗み見たが、その表情から何かを読み取ることは出来なかった。
「もうすぐです」
ずっと黙っていた私達だったが、レシファーの声を皮切りに普段の様子に戻る。
「あれは何かしら?」
もうすぐエムレオスに到着するというところで、謎の集団が目に映る。
その集団の中央には、強力な魔力を放つ一体の悪魔が鎮座し、そのまわりを十体ほどの上級悪魔が囲っている。
そしてその集団は、エムレオスから百メートルほど離れた所で停止する。
「あれはミラレスですね」
「ミラレス?」
「はい。エムレオスとアギオンからもっとも近い町、デスパレードの盟主、冠位の悪魔ミラレスです」
早速お出ましか。
それにしても行動が早い。
まるでこうすることが決まっていたみたいではないか。
「どうする? 降りる?」
「そうですね。ここで話が済むのであれば一番ですし」
私達はミラレス一行の正面に着地する。
「ほう。久しいなエムレオスの盟主レシファー。それに、そうか貴様がアレシアか」
ミラレスは私に対してだけ、下にみるような態度をとる。
そんなミラレスの風貌は、ほとんど人間の男性と変わらない。まるで一流の紳士のような格好をしている。しかしその見た目とは裏腹に、アザゼル程では無いにしろ、強力な魔力を秘めている。
「こうして顔を会わすのは何百年ぶりでしょうね? ミラレス。それと、アレシア様に対して失礼な態度は許しません」
レシファーはきっぱりと言い切る。
「分かった。もうそんな態度はとらない。アザゼルを倒した君達と争う気など毛頭ない」
ミラレスは穏やかな口調で話す。
その穏やかさは強さの証明だ。
「では一体何をしにここへ?」
レシファーは問いかける。
彼女も私も、ミラレスが攻めてきたのではないかと危惧していたのだが。
「今後の異界について話そうと思ってね」
「今後の異界ですか」
レシファーは顔をしかめる。
正直、アザゼルを倒した後の異界のことはずっと危惧していた。
アザゼルがいた時は、それはそれで統治されていたのだ。
最強の悪魔に逆らう愚か者などいなかった。
だが、その最強の存在が破れることになった場合、この異界はどのように変化するだろうか?
それはずっと疑問だった。
新しい最強の悪魔を名乗る者が現れ、再び異界をまとめあげて統治を始めるのか、それともそれぞれの町単位で結束し、異界の中で悪魔同士で殺し合いをしていくのか。
もしくはアザゼルの意志を継ぐ何者かが現れ、異界化を再び目指すのか。
それらはずっと私の脳裏をグルグル回っていた。
だからこそ、このミラレスという悪魔の登場には緊張感が走った。
この悪魔は一体どれなのかと。
「そうだ。今後の異界のあり方について君達と話がしたい。正直俺も他の冠位の悪魔も、アザゼルを殺した君達の動向に注目している。今回は俺が彼らを代表してここにいる。全員で押しかけて、敵だと思われるのはこちらも本意ではない」
ミラレスはここに来た目的を丁寧に説明する。
私達は私達で他の冠位の悪魔の動向を気にしていたが、彼らからすれば私達の今後の動向のほうが気になっていたのだ。
考えてみれば当たり前の話だ。
今の異界最強は、私達なのだから。
「分かりました。そういう事でしたら、お城で話しましょう」
そう言ってレシファーは顔を下げる。
「ようこそエムレオスへ。私達はあなた方を歓迎します」