第1話 少年とタマゴ 17《後編》 ―今だッッッ!!!―
「ソレ……どこにあるんだよ」
"手を出してはいけないモノ"
ソレは、裏を返せば
"手を出したくて仕方がないモノ"でもあった……
今度は少年がゴクリと生唾を飲み込んだ。
少年もボンに合わせて小声になる。
「自転車です。自転車の後ろに積んである、サイドバッグの中。自転車は兄貴のトラックの荷台に積まれてます……」
少年が答えるとボンは顔を上げて、ポカンとしているチョウの顔を再び睨んだ。
「おい……チョウ、ボーッとすんな」
「へっ?」
「へっ……じゃねぇ、金だよ、金が欲しいんだろ? トラックの荷台にあるこいつの自転車の後ろのサイドバッグの中だ。分かったか……」
「あ……う、うん」
チョウはボンの言葉の意味を本当に理解したのだろうか?鼻の下を伸ばした間抜けな顔で返事を返しただけで、動こうとしない。
「馬鹿野郎ッ……お前は本当に馬鹿だなッ! 行けッ! 取ってこいって言ってんだよッ!」
ボンは殴る様な仕草で入り口から見て右斜め向かいにある扉を指した。
「あっ……そっか! う……うん!」
やっとチョウは理解した。
長身の長い手足を車輪の様に振り回しながらチョウはボンが指した扉へと近付くと、内鍵を回し扉の向こうへと飛び出した。
カン……カン……カン……
少年の耳に鉄骨の階段を降りる音が聞こえた。
その音はすぐに遠のいていって、暫くすると聞こえなくなった。
少年の予想は当たった。
― やっぱりそうだったか。この扉はこの建物に入る前に見た鉄骨の階段に繋がってたんだ……
そして、室内にはボンと少年が残された。
ボンは少年を掴んでいた手を離した。
ボフッ……と音を立てて少年の頭がソファの上へと落ちる。
力を入れ続けていたからだろう、ボンの手は真っ赤だ。
その手から痺れを逃したいのかボンは手をパッパッと2回振った。
「本当なんだろうな?」
「はい……」
少年は答えた。
そう答えた少年の顔には、もう笑顔は無かった。
逆にどこか苦しそうなくらい、その表情は暗い。
少年の額には玉の様な汗が吹き出ていた。
それは額だけじゃなく、縛られた手にも、靴下だってびっしょりと濡れてしまった。
………嘘なんだ。
全ては少年の嘘なのだ。
金なんか持っちゃいない。
『のるかそるか……』
少年は考えた。『ボンとチョウどちらか一方と二人っきりになれないか……』と。
相手はどちらでも良い、それはもう天に任せるしかなかった。どちらにすれば良いのか、その答えを求めたくても、その時間はボンに話し掛けられた事で失ってしまった。
『兎に角、どちらか一方と二人っきりになるために男たちを誘導する』それが少年が今出せる精一杯の答えであり、今出来る精一杯の行動だった。
男たちを誘導するためのその材料は数少なかった。
そこで鍵になったのがボンのリーダー格の男への怒りだった。
『その怒りを爆発させ、男たちの欲望を刺激し、どちらか一方と二人になる切っ掛けを作る』
一瞬で考えたにしては、少年が思うように上手く事が進んだ。
少年は幼少時代に母に口うるさく言われた言葉を思い出していた。
『嘘は嘘でも、ついて良い嘘とついちゃダメな嘘があるでしょ!』
少年は母によくそう叱られたのだ。
母がせっかく作った夕飯をつまみ食いして、見つかっては
『お化けだよ!お化けが食べたんだ!』
と嘘をついていたもんだから。
少年は心の中で母に向かって問い掛けた。
― 母ちゃん、今の嘘はついて良い嘘だったよな?
……と。
「で……取り引きってなんだよ?」
ボンだ。
現在よりもまだ皺の数も少なかった頃の母との対話を打ち切られた少年は、パッと視線を上げてボンを見た。
ボンは神経質そうに下唇を噛みながらチョウの様子が気になるのか外へと繋がる扉を見ている。
「えっと……」
喋り出すと、少年の額の汗がタラリと垂れた。
目の中に落ちてきそうになった汗をまばたきをして飛ばす。
少年の目はリュックを見た。
と言っても、ボンが邪魔をしてその姿は直接少年には見えていないが。だが、その存在をボンの向こうに確実に感じていた。
リュックの中に居る、彼の存在を。
彼もまた此の時に全ての神経を集中しているのが分かる……
今から何をすべきか、言葉を交わさなくとも少年とタマゴはお互いに分かり合っていた……
「………俺のリュック、俺のリュックの中に入ってる物を持ってきてもらえないっすか?」
「ん? なんだ……それだけか?」
ボンは扉から目を外し、少年を見下ろした。
その顔は少し驚いている様子だ。
恐らく、ボンはもっと別の要求をされると思っていたのだろう。例えば『手足の縄を取ってくれ』とか。
「そうか……その程度か」
ボンの顔には安堵も見える。
もし少年の要求が『その程度』じゃなかったらボンはどうしていたのだろうか?もし兄貴にバレる様な要求だった場合は(『手足の縄を取ってくれ』とか、ましては『逃がしてく』とか)『それは無理だ……』とでも言って破棄するつもりだったのだったのではなかろうか。
しかし少年の願いはボンの予想よりも大分軽かった。
ボンが少年の顔を見ると、少年はコクリと頷いた。
「俺の大事なものが入ってるんです。近くにいてくれればとっても心強くって。持ってきてもらえないっすか?」
「まぁ……良いかッ、そんな程度ならなッ!」
『お安いご用だ』といった感じ。ボンは鼻を鳴らすとすぐにリュックに向かって歩き出した。
テーブルを回りリュックの真横に立ったボンは前屈するように屈み込んだ。
少年の目にはチクチクと伸び始めているボンの坊主頭の生え際がよく見えた。
だが、
「おい……なんだよこれッ? この白いヤツか? これなら無理だよ、デカ過ぎる。こんなの渡したら兄貴にバレちまう」
リュックの中をチラリと覗いたボンはタマゴの姿を見るとすぐに頭を上げた。
少年は「あ……」と吐息を漏らしかけると、すぐに
「その下です! そのタマゴみたいなのの下にあるんです!」
次の手に出た。
「この下?」
「はい! 持ち上げてみて下さい」
「はぁ……仕方ねぇなぁ……」
ボンは面倒くさそうにもう一度屈み込むと、リュックの口を更に大開きにしてリュックの中に両手を突っ込んだ。
薄い芝生の頭頂部がこちらを向いた。
その時、少年は大きく息を吸い込んだ。
「今だッッッ!!!」
第1話『少年とタマゴ』 完
"手を出してはいけないモノ"
ソレは、裏を返せば
"手を出したくて仕方がないモノ"でもあった……
今度は少年がゴクリと生唾を飲み込んだ。
少年もボンに合わせて小声になる。
「自転車です。自転車の後ろに積んである、サイドバッグの中。自転車は兄貴のトラックの荷台に積まれてます……」
少年が答えるとボンは顔を上げて、ポカンとしているチョウの顔を再び睨んだ。
「おい……チョウ、ボーッとすんな」
「へっ?」
「へっ……じゃねぇ、金だよ、金が欲しいんだろ? トラックの荷台にあるこいつの自転車の後ろのサイドバッグの中だ。分かったか……」
「あ……う、うん」
チョウはボンの言葉の意味を本当に理解したのだろうか?鼻の下を伸ばした間抜けな顔で返事を返しただけで、動こうとしない。
「馬鹿野郎ッ……お前は本当に馬鹿だなッ! 行けッ! 取ってこいって言ってんだよッ!」
ボンは殴る様な仕草で入り口から見て右斜め向かいにある扉を指した。
「あっ……そっか! う……うん!」
やっとチョウは理解した。
長身の長い手足を車輪の様に振り回しながらチョウはボンが指した扉へと近付くと、内鍵を回し扉の向こうへと飛び出した。
カン……カン……カン……
少年の耳に鉄骨の階段を降りる音が聞こえた。
その音はすぐに遠のいていって、暫くすると聞こえなくなった。
少年の予想は当たった。
― やっぱりそうだったか。この扉はこの建物に入る前に見た鉄骨の階段に繋がってたんだ……
そして、室内にはボンと少年が残された。
ボンは少年を掴んでいた手を離した。
ボフッ……と音を立てて少年の頭がソファの上へと落ちる。
力を入れ続けていたからだろう、ボンの手は真っ赤だ。
その手から痺れを逃したいのかボンは手をパッパッと2回振った。
「本当なんだろうな?」
「はい……」
少年は答えた。
そう答えた少年の顔には、もう笑顔は無かった。
逆にどこか苦しそうなくらい、その表情は暗い。
少年の額には玉の様な汗が吹き出ていた。
それは額だけじゃなく、縛られた手にも、靴下だってびっしょりと濡れてしまった。
………嘘なんだ。
全ては少年の嘘なのだ。
金なんか持っちゃいない。
『のるかそるか……』
少年は考えた。『ボンとチョウどちらか一方と二人っきりになれないか……』と。
相手はどちらでも良い、それはもう天に任せるしかなかった。どちらにすれば良いのか、その答えを求めたくても、その時間はボンに話し掛けられた事で失ってしまった。
『兎に角、どちらか一方と二人っきりになるために男たちを誘導する』それが少年が今出せる精一杯の答えであり、今出来る精一杯の行動だった。
男たちを誘導するためのその材料は数少なかった。
そこで鍵になったのがボンのリーダー格の男への怒りだった。
『その怒りを爆発させ、男たちの欲望を刺激し、どちらか一方と二人になる切っ掛けを作る』
一瞬で考えたにしては、少年が思うように上手く事が進んだ。
少年は幼少時代に母に口うるさく言われた言葉を思い出していた。
『嘘は嘘でも、ついて良い嘘とついちゃダメな嘘があるでしょ!』
少年は母によくそう叱られたのだ。
母がせっかく作った夕飯をつまみ食いして、見つかっては
『お化けだよ!お化けが食べたんだ!』
と嘘をついていたもんだから。
少年は心の中で母に向かって問い掛けた。
― 母ちゃん、今の嘘はついて良い嘘だったよな?
……と。
「で……取り引きってなんだよ?」
ボンだ。
現在よりもまだ皺の数も少なかった頃の母との対話を打ち切られた少年は、パッと視線を上げてボンを見た。
ボンは神経質そうに下唇を噛みながらチョウの様子が気になるのか外へと繋がる扉を見ている。
「えっと……」
喋り出すと、少年の額の汗がタラリと垂れた。
目の中に落ちてきそうになった汗をまばたきをして飛ばす。
少年の目はリュックを見た。
と言っても、ボンが邪魔をしてその姿は直接少年には見えていないが。だが、その存在をボンの向こうに確実に感じていた。
リュックの中に居る、彼の存在を。
彼もまた此の時に全ての神経を集中しているのが分かる……
今から何をすべきか、言葉を交わさなくとも少年とタマゴはお互いに分かり合っていた……
「………俺のリュック、俺のリュックの中に入ってる物を持ってきてもらえないっすか?」
「ん? なんだ……それだけか?」
ボンは扉から目を外し、少年を見下ろした。
その顔は少し驚いている様子だ。
恐らく、ボンはもっと別の要求をされると思っていたのだろう。例えば『手足の縄を取ってくれ』とか。
「そうか……その程度か」
ボンの顔には安堵も見える。
もし少年の要求が『その程度』じゃなかったらボンはどうしていたのだろうか?もし兄貴にバレる様な要求だった場合は(『手足の縄を取ってくれ』とか、ましては『逃がしてく』とか)『それは無理だ……』とでも言って破棄するつもりだったのだったのではなかろうか。
しかし少年の願いはボンの予想よりも大分軽かった。
ボンが少年の顔を見ると、少年はコクリと頷いた。
「俺の大事なものが入ってるんです。近くにいてくれればとっても心強くって。持ってきてもらえないっすか?」
「まぁ……良いかッ、そんな程度ならなッ!」
『お安いご用だ』といった感じ。ボンは鼻を鳴らすとすぐにリュックに向かって歩き出した。
テーブルを回りリュックの真横に立ったボンは前屈するように屈み込んだ。
少年の目にはチクチクと伸び始めているボンの坊主頭の生え際がよく見えた。
だが、
「おい……なんだよこれッ? この白いヤツか? これなら無理だよ、デカ過ぎる。こんなの渡したら兄貴にバレちまう」
リュックの中をチラリと覗いたボンはタマゴの姿を見るとすぐに頭を上げた。
少年は「あ……」と吐息を漏らしかけると、すぐに
「その下です! そのタマゴみたいなのの下にあるんです!」
次の手に出た。
「この下?」
「はい! 持ち上げてみて下さい」
「はぁ……仕方ねぇなぁ……」
ボンは面倒くさそうにもう一度屈み込むと、リュックの口を更に大開きにしてリュックの中に両手を突っ込んだ。
薄い芝生の頭頂部がこちらを向いた。
その時、少年は大きく息を吸い込んだ。
「今だッッッ!!!」
第1話『少年とタマゴ』 完