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作者: NO SOUL?
残酷な描写あり R-15
5.― DOUBLE KILLER ―
5.― DOUBLE KILLER ―
 今、どうなってる。俺は今、何を見ているのだ。悪夢に耐え兼ね、ベットから跳ね起きたのも関わらず、洗面台の鏡に映る冷や汗に塗れた無様な自分の顔が現実なのか、まだ悪夢の中なのかも分からない。
 鏡越しの目の奥では、今だに悪夢が続いていた。もう見たくない、起きている筈なのに、まだ悪夢が続いている。息苦しい、パニックに陥っていた。
 洗面台の棚に置いてある抗うつ剤を飲み込む。今更やったところで手遅れなのは分かっているが。まざまざと、目の奥で続いている。
 冷え切った砂漠、炎に包まれる難民キャンプ、酔いに醒めても言う事を聞いてくれない身体へのもどかしさ。逃げ惑う人々、向かって来る家族までの距離は、僅かに五歩、たったの五歩だった。
 間にあった筈だ、俺なら何か出来た筈なのに、俺はしなかった。
 左側から衝撃波の予兆を感じて、動けなかった。身を守らなければ、どうなっていたかと言う言い訳はこれで何度目だ。
 あの家族はもう駄目だ。分かり切っていたのに、俺は目を逸らさなかった。それでこの様だ。あの瞬間を繰り返す。
 首や腕、脆い部位が一瞬で千切れ飛び、それを炎が包んだ。あと五歩だった。やれた筈だ、飛び掛かって全員を押し倒せば、あんな風にはならなかった。
 やらなかった理由はよく分かっている、そのリスクを負って俺に何の得があるのかと、秤にかけていた。その時の感情を思い出し、全身から噴き出す冷や汗が体温を急速に奪っていく。
 寒さと息苦しさで身体を支える事も出来ず、その場に崩れた。
 廊下から僅かに日の光が入って来てる。夜が明けたのだ。もう終いだ、何も出来ない、何も考えられないまま、今日を迎えてしまった。
 ここまま、じわじわと、報いを受け続けるのだろうか。このまま俺は――過去に食い潰されるのか。





 東区の大通りは交通量が多く、外の喧騒の中で電話をするのも鬱陶しかった。中央区に近いせいもあり、夜の帰宅ラッシュでひしめいている。
 最悪の朝を迎え、昼間は何も出来ずに時間だけが過ぎ去っていった。無気力な一日が日増しに日常へ変わっていく。
 目的地に着いてから車を出るのも気が重い。最近はこれで数十分無駄に過ごす事も増えていた。ハンドルに項垂れてると、携帯端末のバイブレーションが響く。これには素早く反応せざるを得ない。
 河原崎の秘書役、秋澄からの電話だった。

「どうした、秋澄……言っただろ、情報はまとめてから河原崎に直接報告するって」

 二日ほど前から“組合”のオペレーターから何か分かったかと、くどい位の催促の電話が来るようになってきた。まったく慣れない仕事である。
 秋澄は昔馴染みだった。お互い“組合”に入って戦場を駆け回った仲だ。日本に戻ってからは立場に差が開いてしまったが、関係性は大して変わっていなかった。

「上のレベル催促って何だ? 何の話をしているんだ秋澄」

 オペレーターでは埒が明かないと、秋澄に催促させたのは河原崎だろうが、一体何が起きているんだ。組合長の河原崎よりも上のレベルと聞いて思い当たるのは――外の“組合”ぐらいだが。
 とにかく明日、図書館に来いと言って秋澄は電話を切った。
 それにしても、たかだかヤクザの組一つ潰れたぐらいで、何を執着しているのか。何事にも裏はあると言うが、相当深いらしい。面倒な話だ。
 煙草に火を着ける。これから行く店は、火気厳禁だから今の内に吸っておく。
 林組の件を明らかにする鍵を握るハッカー、CrackerImpの正体も具体的な居場所も、今だに不明のままだ。と言うより、何処から手を付けるべきかも定まっていなかった。
 本来なら、輝紫桜町にもっと出向くべきだが、あれだけ派手にやった後と言う事もあり、動き難い状態だった。警察の介入も日に日に増している。
 クライアントと揉めた果ての殲滅行為。それが今回、俺のしでかしたペナルティと“組合”は評価しているらしい。結果だけを見られる不条理極まりない評価だった。今の俺は“組合”の中の――はぐれ者である。
 河原崎も過剰な庇護はしない。俺自身でケツ持ちをさせて名誉挽回と言うシナリオだろう。
 足元に落とした煙草を革靴で磨り潰し、安田が経営している銃器店の一つである“パラヴェラム”へ入る。
 店内はローズウッドを基調としたシックな造りになっていて、壁に飾れた偽銃は黒いダクトレールに配置されたスポットライトに照らされて壮観だった。
 本来、他国の銃器のコピー品など、ご法度な代物なのにまかり通ってる事が、日本と言う国の程度がこの一世紀ですっかり地に落ちた事を物語っていた。とは言え、レトロで質のいい偽銃は海外でも人気があった。公にはならないが、かなりの需要があるらしい。

「お世話になっております。鉄志さん」

 カウンターの店員が挨拶してきた。確かミャンマー出身の青年だった筈だ。銃器製造のノウハウを学びに日本に来て、二年ぐらいだったと聞いている。

「安田はいるか? って聞くまでもないか、あの出不精が」

「どうぞ」

 カウンターの中へ入り、バックヤードを通って地下の工房へ降りていく。店の商品として並ぶ物は、俺から言わせれば、玩具の様なものだった。見た目こそ立派な銃器ではあるが、出来て三点バースト程度で、売っている弾丸も殺傷力の低い物ばかりだった。
 偽銃の面白いところは、デザインこそ何世代も前の銃器だが、オリジナルの性能や特徴とは――違う作りになっているところだ。
 民間向けに低威力にする事も、逆にオリジナル以上の性能や、短所の克服も職人の腕次第でコントロールされている。
 地下はこの店の敷居よりも広く、一般に販売できない銃器や、それを弄り倒せる安田の遊び場になっていた。
 分厚い二重扉を開けた途端に嗅覚を刺激する火薬と鉄、オイルの匂い。上の店とは別世界だ。これだけで戦場にいた頃の、駐屯地や野営地を思い出す。
 工房の隅の方から聞こえる物音の方へ向かうと、安田がなにやら機械弄りをしていた。集中していて、こちらに気付かない。

「おい、安田」

 俺の声にしゃがみこむ安田の身体がビクリと反応して、工具を落とす。耳障りな金属音が響く中、安田はこちらを二度見した。慌ただしい奴だ。

「ああ、鉄志さん。どうしたんですか? こんな夜に」

 安田は弄っていた機械に、そそくさと布を被せて立ち上がる。見られて困る物なのか。なんとなく、行動に違和感を感じた。

「どうしたって、今日行くって昼に連絡しただろ」

「あぁ、はいはい、そうでしたね」

「装備を揃えたい。見繕ってくれ」

「新しい仕事ですか?」

「いや、延長戦だよ。念の為、手元に装備品を置いておきたくてね」

 安田は作業エプロンをその場に脱ぎ捨て、両手の油汚れを濡れタオルで拭き取ると、VIPルームの電子ロックに親指を押し当てる。
 VIPルームと呼んでいるのは個人的にである。扉が開かれた先は、店の内装は違う、白を基調とした近代的でシンプルなデザインの壁一面と、ショーケースには偽銃と密輸された銃器がびっしりと飾られていた。どう言う訳か、この部屋に来ると、何時も胸が躍る。
 今日は最悪な朝を迎えた。その気晴らしに丁度いい。

「林組を壊滅させるなんて、鉄志さんは何時も規格外ですね」

「俺は巻き込まれただけだよ。林組をやったのは、ホテル側にいた“何か”の仕業だ。一体、どんな手を使ったのか」

 当然だが、ホテルでの襲撃事件はネットニュースでも、大々的に取り上げられていて、多くの者達の間で周知の事だった。
 その後も警察の調べを“役者”に流してもらい、現場の状況は把握してたが、今だに全容が見えてこない。時が経てば関心も薄れるが、不思議な状況だった。

「三四式の調子はどうですか?」

「悪くない、使い易いよ」

 それとなく答えておいたが、背を向けて作業する安田の、変な間に違和感を感じた。話題も急に変えてきたのも余計に気になる。
 “G型三四式拳銃”に持ち替えたのはつい最近だった。安田の提案である。
 俺の手癖に合わせて軽量化されたスライドに、帳尻合わせの重りでアンダーレイルを装着させ、十九発式のマガジンを円滑に装填できようマグウェルも装着している。シンプルだが、よく考えてカスタムされていた。

「それはよかった。それでは、今日はどんな物を御要望ですか?」

 安田はガラス張りのショーケースの上に敷物を敷き、注文を待つ。

「長物が二丁欲しい、カービンサイズで精度の高い物、あとは装甲破りに適した物が欲しい」

 今の仕事に必要と言う訳ではないが、今回の一件を経て、この国の裏社会でも備えは必要だと痛感した。
 戦場の兵器レベルとも言えるサイボーグが、民間企業まで下りてきていると言う事実を把握できてなかったのは迂闊だった。河原崎の警告もしっかり受け止めておけばよかったと後悔している。

「それなら、丁度いい業物を仕入れてますよ」

 壁に飾られた無数のライフルを他所に、安田は足元に置いてある厳ついケースからライフルを一丁取り出し、ショーケースに敷いた敷物にライフルを置いた。 

「アメリカの定番ライフルの偽銃です“C型M四式カスタムモデル”ガンバレルはその道三十年の職人の手製、ハンドガードは軽量合金にハンドストップ型フォアグリップ。弾倉は強化樹脂のマグプルスタイル、残弾も一目で分かる様になってます」

 手に取って伸縮ストックを伸ばして構えてみる。予想以上に軽いが、造りはしっかりしていた。弾倉を取り外し、装填から発射までの一通りの動作をしてみる。
 安田のくせにと思う所もあるが、絶妙に良い物を提案してくる。戦闘時に、これを使う際の立ち回りもイメージし易かった。

「悪くないな」

「それは良かった」安田が得意げな表情で言う。「さて、お次は装甲破り。やっぱり対サイボーグで?」

「“50AE”でも怯ませるのがやっとだった」

「戦闘型のオートマタやサイボーグは基本、人間以上。ってのが原則ですからね」

 億劫な話だ、人間以上の対象と戦わないならないのは。その内、俺みたいな生身は、お呼びじゃない世界にでもなるのだろうか。
 そうは言っても、現状ではどうにか工夫するしかない。それは戦場でも裏社会でも同じ事だ。

「そうですねぇ……コレとかどうですか?」

 安田は壁に飾ってある銃器を物色した後、少々ゴツい一丁を選んだ。

「イタリアのセミオートショットガンの傑作ですよ。勿論、偽銃ですけど“PB型M四式散弾銃”ローディングゲートは装填し易いように少し広めにしてます。コッキングレバーも少し大きめにして軽く緩めです。ショットシェルホルダーとクイックホルダーも標準装備」

 こちらも一通りの動作をやってみる。確かにコッキングが驚くほど緩い、かなりクセを感じる。本体を裏返し、実包を装填するシミュレーションもする。
 なるほど、早く沢山撃つ。その事に特化させている訳だ。使いこなせればの話だが。その点に関しては、俺は手慣れている。それでも、これは少し練習した方が良さそうだった。ここ数年、ショットガンは使っていない。

「そして決め手になるのは、この実包。通称“スパイク”鋭利で大粒な鋼鉄の飛礫が三つ入ってます。防弾ベストもズタズタになりますよ。怯ませるなら充分、貫通するかは当て所次第ですかね。あまり散弾しないので、しっかり狙って下さい」

 やはり絶妙だな、こちらの要求を全てクリアして提案してくる。安田は本気さえ出せば、間違いなく一流だが、それは相手が“組合”の人間である俺だからなのだろう。
 業界からは相手によってコロコロと態度を変える適当な姿勢が煙たがれている。
 “落ちぶれ三代目”だとか“恥知らずのガンスミス”そう呼ばれているそうだ。しかし、俺はそうは思わなかった。
 そんな前情報から誘導される第一印象など、俺は信用しない。人の能力とは気質から成る物が存在する。そう成るのに理由がある。それを知った上で判断するべきなのだ。
 その上で、安田にはやはり適当なところが確かにあるが、それを補えるだけの仕事をするので、俺は大目に見る事にしていた。
 勿論、それに見合わなければ、償いはしてもらうが。

「光学サイト、付けますか?」

「自前のがあるからいい。とりあえずスペアも兼ねて二丁づつ買う。弾薬、弾倉も常備しておいてくれ」

「毎度あり。請求は何時も通り“組合”さんでいいですね」

「スペア分は請求してくれ、ここにあるのは払ってくよ」

 マネークリップで束ねた万券をポケットから取り出し、数枚ほど多目にして安田に手渡した。
 評価の良し悪しにもよるが、俺は“組合”にあれこれ請求しても、却下される事は滅多になかった。今回も、おそらく大丈夫だろう。

「了解です、じゃあ、準備しますんで少々、お待ちを」

 安田が奥の方へ行く。とりあえず、こちらの用事は終わった。後はこの隙に、安田の隠し事を暴く事にしよう。
 部屋を出て工房スペースに置いてあった、安田が弄っていた機械の元へ行く。
 あの慌て方、そして会話で感じた違和感。おそらくはどうでもよい事だと思われるが、俺の仕事や例のホテルの話で特に違和感を感じたのがひっかかる。
 被された布を取ると、異様にガッシリとした飛行型ドローンがあった。ただのドローンじゃない、厚手の装甲に機銃まで積んである。
 機銃の先端を指でなぞる。黒ずみは最近発砲した証拠だ――頭の中の靄が晴れる様な気がした。

「鉄志さん?」

 丁度いいタイミングで安田がやって来た。

「お前、ドローンも販売するのか? それにしても物騒なドローンだな」

 しゃがみ込んで、ドローンを眺めながら安田に尋ねた。排莢部の削れ具合に銃痕の様な装甲のへこみ。試し撃ちじゃない、戦闘でドローンが使用された形跡だ。

「まぁ、こう言うジャンルにも手を出してみようかなと……」

「なるほど、確かに、これなら楽にやれそうだ。ホテルの最上階にいるヤクザ共を一掃するのも……」

 安田の目は明らかに泳いでいる。声色は平常を装うとしているのも感じ取れた。
 さぞかし、凄惨で無慈悲な光景だったろう。ヤクザ共は成す術なく、次々に撃ち抜かれていった筈だ。

「警察は入り口から数人が押し入って銃を乱射した。と言う事で片付けるつもりらしいが、死体のほとんどは入り口方面に寄っていた。普通なら入り口から来た連中を避けるため窓側に寄る筈なのに」

 あの夜、混乱を極めてたホテルの前で“役者”から得た情報の段階で、ずっと感じていた違和感。今はこの手があったかと実に痛快な気分だった。

「割れた窓の破片が外ではなく、部屋に散らばっている、飛び散っていた薬莢も窓側が多い。このドローンが外から襲ったなら、全て説明がつくな」

「あの……鉄志さん、これは……」

「お前の仕事にとやかく言う気はない。俺に話してくれれば、それでいいんだよ」

 立ち上がり、煙草を吸う事にした。煙草の箱から一本取り出そうとすると、安田は何かを言いたげな顔するが、それを無視して火を着けた。

「あの、勘弁して下さいよ、顧客の情報はいくら鉄志さんでも、お話しはできませんよ」

 安田の声は僅かに震えているが、これは意外に思えた。相手を選ぶ様な奴だ、簡単に話すと思っていたのに。
 商売人の意地か、それとも、密告による報復を恐れているのか。

「俺が“組合”で何て呼ばれているか知ってるよな? 安田……」

「DOUBLE KILLER、ですか」

 安田の口から出てくる、俺の通り名。聞いておいてなんだが、間抜けな名前だ。

「必ず二発で殺す殺し屋、常々ダブルタップを心掛けてる。でもやろうと思えば、一発で頭を撃ち抜けるし、不必要でも十発以上撃ち込む事もある。それは全て俺の気分次第だ」

 基本や基礎として教えられた事を、ただ実践し続けてきただけに過ぎないが、それでも傍から見れば相当リズミカルで徹底した立ち回りに見えているそうだ。
 それで付いたあだ名がダブルキラーだ。誰が最初に言ったかなんて、覚えちゃいない。
 俺自身、大した拘りはなかったが。意外に状況と気分の折り合い次第で三発、四発と連射する事もあった。この手の話は何時だって誇張されがちだ。

「俺が今、どんな気分か、分かるか? 安田……」

 腰に手を当てて、安田に尋ねる。そのまま腰に当てた手を回した先に何があるか、安田には分かっていた。
 しばらくの沈黙の後、安田は深呼吸を一つして、眼鏡を外した。着ているよれたTシャツで眼鏡を拭きながら、作業机の傍の椅子に腰かける。
 眉をひそめ、軽い溜息と共にドローンを眺めている。安田は観念した様子だ。

「まったく“組合”さんには勝てないな……。あの日、連絡をもらってソイツを飛ばす準備をしました。夜中に戻って来た時には、三〇〇発撃ち尽くしてましたよ」

「このドローンの持ち主は? それともお前も仲間か?」

「持ち主は、CrackerImpと言うハッカーです」

 意外な所から進展があった。俺の探していたハッカー、CrackerImpが“組合”御用達の、銃器店のオーナーと繋がりがあったのだ。
 裏社会の繋がりは、歪な蜘蛛の巣に例える者が多い。何処かで必ず繋がりがあると。全くその通りだと実感している。だとしてしも、俺はかなりツイているな。

「このドローンは共同開発です。俺が関わったのそこだけ。CrackerImp自身のアクセスがないと、一切、動かせない様になってます。盗品の運送ドローンの出力を全体的に上げて“FN型九〇式”ベースの機銃と装甲を施してます」

「お前にしては珍しく協力的じゃないか」

 最近のドローンはサイズの割に、数十キロの物資を軽々運べる。だとしても、反動の激しい機銃を積んで尚且つ、役立つレベルの戦闘力を発揮するなら、相当な改造が必要な事は素人目にも分かる。
 安田は儲け以上に、楽をする事を好む性分だ。それを曲げてでも、手間を惜しんでいない理由とはなんだろうか。

「コレを作るのにかかった費用は六十万少々ですが、CrackerImpはオート操縦や姿勢制御、射撃プログラムまで一手に総括、学習して対応できるAIプログラムを提供してくれました。その手のソフトウェアはAIは、一流企業に発注すれば、数百万から一千万以上は確実な物です。俺には得しかない仕事でしたよ」

 高性能なドローンを作る為に必要な、要素や知識をCrackerImpは安田への報酬にしたと言う訳か。
 AIが蓄積したデータを流用すれば、ドローン産業の方へも進出できると、安田はそう考えているのだろうな。見返りはドローンのスペアやメンテナンスに安田が協力する事か。
 金では手に入らない価値“近道”で安田を買い叩いた様なものだ。かと言って安田にも損はない。長い目で見れば、とても賢いやり方と言える。

「CrackerImpとは何者だ?」

 煙草をその場に捨てて、安田に核心を聞く。安田は、ばつが悪そうに頭を掻き毟っている。

「CrackerImpは、輝紫桜町にいます。その……」

「はっきり言え、知ってる事を全て、今更、躊躇するな」

「名前は蓮夢“ノーネーム”の男娼です。輝紫桜町で一番と言われてるセックスワーカーですよ……鉄志さんも“ポルノデーモン”って御存じでしょ?」

 歯切れの悪い安田を催促すると。いよいよ情報が漏れ出してきた。確かに安田にとっては客と言え、仲間を売る様な忍びなさもあるのかも知れないが、まさに今こそ相手を選ぶ時だ。
 それにしても、CrackerImpの正体は、あまりにも予想外な情報だな。様々な理由で、戸籍やIDの類いを持たない人間の事を“ノーネーム”と呼ぶ。大歓楽街と謳われる輝紫桜町は歓楽街と貧民街を抱えた、この国でも類を見ない無法地帯だ。地獄と比喩する者も多い。故に、ノーネーム達にとっての終着点にもなっていた。
 そんな街に溢れるセックスワーカーの一人に、凄腕のハッカーが紛れ込んでいたとは。
 本人はどう思っているのか知らないが、ポルノデーモンとは随分な通り名を付けられているな。

「知らないな、気色悪い男娼の事なんか」

「あの人はそれだけの人じゃありませよ。魅力や色気とかも半端じゃないけど、それ以上に鋭い知性を持っている……」

 男に色気などあるのだろうか。まったく想像もつかないが、安田の見れば分かりますよ。と、言わんばかりの雰囲気が鼻につく。
 他人の趣味にとやかく言うつもりもないが、女っ気が皆無なのは、安田にはその気でもあるのだろうか。

「なんでも、あの街に来て間もく“ナバン”って組織のボスに見込まれて、愛人になる程ですからね、ある意味才能ですよ。ポルノ動画も何本もやってますし、ポルノスターよりもヤバい、ポルノデーモンってね」

 安田はタガが外れたのか、次々と話始めた。その感じから察するに、安田とCrackerImpは、それなりに長い付き合いをしているように思えた。
 俺も安田とはそれなりに長いが、こんな繋がりがあったとは。世の中とは、複雑な割に狭いものだ。

「ナバン、聞いた事がある。アジア圏で人身売買から性産業まで、広く牛耳っているマフィアだ」

 裏社会では中々に悪名名高い組織の一つだった。発祥は謎だか、韓国で頭角を表し、韓国語で蛾を意味するナバンと言う名で、アジア全域の歓楽街では、その名を知らぬ者はいないとされる程の大きな勢力だった。
 アジア圏の“組合”にとっても、大口のオーダーをする顧客でもあった。
 そんな組織のボスがまさか、この国の歓楽街を根城にしていたとは。そして、そこのボスが焦れ込んでいたとなると、蓮夢とか言う男は確かに輝紫桜町では名の知れた存在らしい。だとすれば、見つけるのは難しくはなさそうだ。
 安田は椅子から立ち上がり部屋に戻って、作業を再開させる。黒いライフルバックに武器を入れ、ベルトで固定し、弾薬や予備弾倉も詰め込んでいく。

「昔は輝紫桜町もナバンが仕切ってましたが、その時のボスが、輝紫桜町の権力争いの延長で殺されたのを機に、輝紫桜町から撤退したって言ってました」

 そう言えば、そんな事もあったな。七年ぐらい前だったような記憶がある。輝紫桜町の門の前を警察が厳重に検問を張り、外からでも頻繁に銃声が響いていた。連日、銃撃戦が起きて街の連中が多く巻き込まれたと言う。
 当時“組合”も輝紫桜町内の組織から、オーダーを受けていたが、沈黙し達観していたのはよく覚えているが、それ以上の関心はなかったので、気付けば収束してた様な感覚だ。
 最近の輝紫桜町は比較的、落ち着いていたが林組の一件以来、警察が介入が盛んになっている。その監視体制の中でCrackerImpを、或いはポルノデーモンを見つけ出さなくてはならない。難しくはないだろうが、余計なトラブルは想定しておく必要はありそうだな。

「インプだのデーモンだの、地獄と比喩される輝紫桜町ならではだな……」

 安田が用意してくれたバックのジッパーを締め、バックを担いだ。早く使ってみたい――胸が高鳴る。

「あの……鉄志さん、蓮夢さんをどうするんですか?」

「お前が知る必要はないだろ、俺は殺せとも言われてないが、生かせとも言われてない……。そう、意外と気分次第だよ」

 手ぶらで河原崎に会わずに済みそうだ。俺にもツキが回ってきたかもな。相手が歓楽街の男娼なら楽な相手だ――さっさとケリを着けてやる。
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