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作者: 喉飴かりん
残酷な描写あり
10.叔父の残した録音
「え⋯⋯叔父⋯⋯? 私の⋯⋯?」

 衝撃のあまり、意識が遠のくような感覚に襲われた。見ず知らずのこの男性と自分に血の繋がりがあるだなんて、とても信じられるわけなかった。

 チャグが言った。

「そういえばユキメさん、言ってたよね。出征していた弟さんを除いてご両親と他の兄妹はみんな亡くなったって。その出征した弟さんは敗戦時に帰国して、地元の戦友会【兵の集い】に入ったらしいんだ」  

 ロトは兄⋯⋯父のことを喋るのが嬉しいと言わんばかりに微笑みながら言った。

『兄の名は、アトと言います。とても自分の兄とは思えないような、溜め息が出るほど美しい顔の青年です。素晴らしい美貌を持つ上に、いつも自分のことよりも他人のことを優先する思いやりのある心優しい人でした。そのために兄は生来より多くの人から好かれ、慕われていました』

 ロトが口にしたのは、村人たちを虐殺し母を弄んだ鬼畜という印象からは全くかけ離れた善良な人物像だった。

 突如怒りを伴う反感が湧き上がり、私は画面越しからロトに向かって「嘘を言うなっ」とつい大声で吐き捨ててしまう。

「ユミンちゃん⋯⋯」

 チャグのなだめるような声で我に返り、恥ずかしさに身を縮こませながら私は椅子に腰を下ろした。

「ごめんなさい。ついカッとなっちゃって」

 母を廃人になるほど虐げた父が良い人だなんて全く持って受け入れられず、捏造だと訴えたい衝動を堪えきれなかった。

 聞き取り役の声が聞こえた。

『まだ時間がありますので、戦後のこともお聞きしたいと思います。よろしいでしょうか?』

 湧き上がる怒りを一旦振り払い、私は胸の物入れから小さな帳面と万年筆を取り出し、ロトの証言を聞き取ろうとした。

 ロトは頷いて答えた。

『帝国の敗戦が知らされた数日後、私は撤退命令を受けて帰国しました。その後、兄を除く家族全員が空襲で亡くなったと知り、居場所を失った私は実家から少し離れたところにある祖父母の家で暮らすことにしました。祖父母の家は偶然戦火を逃れ、無事だったのです。

 それから八年後、兄から突然家へ電話がかかってきました。急に私の声が聞きたくなったそうです。今までどこにいたんだ! と問い詰めたら、ユゴ市戦犯管理所から出所して帰国し、今は遠くの町で生活していると言いました。

 僕たちと一緒に暮らそうよと言いましたが、それはできないと言われました。なぜ? と訊いても兄は理由を言ってくれず、さらにユゴ市立戦犯管理所には自分の居場所は知らせないでほしいと言われました。ユゴ市立戦犯管理所は兄の行方がわかったら連絡してほしいと僕に言っていましたが、兄の意思を尊重して今でも伝えられずにいます。

 それから今に至るまで、兄とは頻繁に連絡を取り合っております。色々な思い出話もしましたね。上陸作戦が終わって占領二ヶ月後に、所属部隊の基地の近場にあった帝国人の一流菓子職人が経営する喫茶店に毎日のように通って、僕のこと、家族のこと、地元がどんな街だったかを打ち明けたとか。とにかく、戦時中にあったことを兄はよく話してくれました』

 戦後のことを三十分以上話し続けた後、ロトは「以上です」と言って口を閉ざした。聞き取り役はありがとうございましたと礼を言い、ロトと握手を交わして椅子から立ち上がった。それから突然画面が切り替わり、次の戦争体験者との雑談場面に変わる。

 手に持つ帳面は書き取ったロトの証言でびっしりと埋められた。

 ロトは父と現在も連絡を取り合っており、居場所も知っている。ならばロトに連絡して父の現住所を教えてもらえば、ようやく念願の父殺しが叶うだろう。

 三年ぶりに湧き上がってきた興奮に身震いしながら、私はチャグに訊いた。

「チャグさん! ロトさんの住所と電話番号ってわかるかしら?」

「はい?」

「所属部隊の戦友会からとか聞けるわよね?」

「うーん、どうかなぁ⋯⋯現住所を知っているかどうか」

 ロトから父の居場所を教えてもらわなければ復讐への道はまたもや閉ざされるのだ。であっても絶対に知りたい。私は立ち上がり、チャグに詰め寄る。

「お願い、なんとかしてもらえないかしら」

 無理なお願いなのは百も承知だ。チャグは困惑したような表情を浮かべて私から目を逸しつつ、答える。

「とりあえず、事務室行って聞いてみようか」

 地下室を出て一階の事務室に入った。帝国の戦友会や公文書館と連絡する帝国通信課の課長にロトの住所と電話番号を教えてもらえるかどうか聞いてみた。

 課長は渋い顔をして言った。

「何の用で教えてもらいたいんだ?」

「えっと、その⋯⋯」

 私もチャグも言葉に詰まった。理由は、父の居場所を聞き出したいという私情からですなんて口が裂けても言えなかった。

「答えられないのか?」

「あ、いや⋯⋯」

「まさか、私情か? 個人間で連絡を取り合いたいと?」
 
 図星を突かれ、私は息を呑んでしまった。

「業務外の用なら教えられん。帰れ」

 私が一方的に教えてと頼んだのにチャグが怒られてしまい、申し訳無い気持ちでいっぱいだった。

「下がれ、仕事の邪魔だ」

 あっさりあしらわれた私達は、事務室を後にした。

 自分の我儘でとばっちり説教を食らってしまったチャグに私は謝る。

「チャグさん⋯⋯ごめんなさい。私が馬鹿だったわ」

「いや、いいんだ。でも困ったね。お父さんは戦犯管理所と連絡を取り合っていない、叔父さんはお父さんの意思を尊重してお父さんの居場所を戦犯管理所に教えていない。さらに叔父さんの住所と電話番号は聞き出せない⋯⋯こりゃ詰んだなぁ」

 こうなってはもうどうすることもできない。また行く道を閉ざされたような気がしたその時、私はある名案を思いついた。

「そうだ! 叔父の所属部隊を調べたら、住んでいた場所がわかるかもしれないわ!」

 帝国軍は徴兵制で、徴兵検査に合格した市民を州ごとに集め、連隊駐屯地にて初年兵教育を受けさせる。連隊は州民で構成された郷土部隊であり、寝食も出征する時も構成員は変わらない。だから叔父の郷土部隊がどこの州だったのか調べれば、彼の住んでいる場所がわかるかもしれない。

「郷土部隊の駐屯地から州を調べれば、州庁から叔父の場所を教えてもらえ⋯⋯」

 チャグが遮るように答えた。

「私用で州庁に連絡しても、ユミンちゃんと叔父さんとの関係を証明できない以上、教えてくださいって言っても州庁は警戒すると思うよ。情報を教えたことで、万が一詐欺や犯罪が起きて責任取らされたらまずいってね」

 喜びはすぐさま打ち砕かれ、私は項垂れる。

「そんな⋯⋯」

「叔父さんに個人的に連絡する方法は、僕もわからないや」

 込み上げる悔しさに私は両手拳を握って震わせた。
 せっかく父の居場所を唯一知っている叔父の存在を知ることができたのに。
 神様はなぜ上手くいったと思った途端に、決まって私を行き止まりへ導くのだろう。





 博物館を出た後、私は敷地の庭の長椅子に座って憂鬱感に浸っていた。

 青かった空は段々と黄色みがかってきて、夕暮れの訪れが近いことを知らせていた。ヤケ村に帰って畑の雑草抜きを少しでもやっておかなきゃと思うものの、身体は鉛のように重くて腰を持ち上げられそうにない。

 私は膝に肘をつき手で目を覆って、溢れ出る涙を押さえた。

「誰かが叔父の情報を教えてくれたら⋯⋯叔父と話せたのに⋯⋯そうしたら父の現住所がわかったかもしれないのに⋯⋯最悪だわ⋯⋯」

 長椅子の目の前を横切る道の遠くから、女性職員たちの話し声が聞こえてくる。彼女たちが私のそばまで来た時、会話内容が聞こえた。

「そういえば今日から終戦記念日週間だっけ?」

「あー、そうだったわね。祝日関係なく働いているからすっかり忘れてたわ」

 私も同じく今日から終戦記念日週間が始まることを忘れていた。

 共和国には、第一目の終戦記念日から一週間連続で祝日が連なる七連休『終戦記念日週間』があるのだ。この七連休の間、共和国のあらゆる町で盛大な終戦記念の祭りが開かれる。

 街路中に屋台が並び、音楽隊や舞踏団によるパレードが行われ、国民は昼夜熱狂三昧になる。  

 一人の女性職員が溜め息混じりに言う。

「私達の楽しみは、七連休ずっと博物館の喫茶店で珈琲を飲むことだけだわ」

「今日も行く? 喫茶店」

「そーね、行きましょ」

 女性職員たちが通り過ぎていく。何気ない会話だったけれど、最後に出てきた喫茶店という言葉がなぜか心に引っかかった。

「喫茶店⋯⋯」

 すっかり忘れ去ってしまい心の奥深く沈んだ何かを『喫茶店』は掴み、意識に浮上させようとしていた。私は片手を額に当てて、忘れたその何を必死に思い出そうとする。

 暫くして、脳内に叔父の声がふと蘇ってきた。
 
 ――兄は上陸作戦が終わって占領二ヶ月後に、所属部隊の基地の近場にあった帝国人の一流菓子職人が経営する喫茶店に毎日のように通って、僕のこと、家族のこと、地元がどんな街だったかを打ち明けたとか。

 それよっ! と私は思わず叫んで椅子から立ち上がった。

 父は基地の近場にあった喫茶店に通い、弟のこと、家族のこと、地元がどんな町だったかを店員に打ち明けている。もし喫茶店の人に父の打ち明け話を教えてもらったら叔父の住んでいる町がわかるかもしれない。

 叔父の町がわかったら、さっそく休暇を取って帝国へ渡る準備をしよう、そうして⋯⋯――

 だが父が店員に打ち明け話をしたのは約十数年も前のことだぞ、とそこで理性が割り込んできて興奮が一気に冷めていく。

 その喫茶店が今でもあるかわからない。店を見つけられたとしても、父の打ち明け話を聞いた店員が現在もいるとは限らない。いたとしても十数年も昔の話を覚えているとも限らない。

 自分の浅はかさな思考に呆れて、私はまた椅子に座り込んで項垂れる。

 けれど、父の通った喫茶店が最後に残された唯一の希望だった。

 喫茶店にたどりついて、弟の住む町のことを聞き出せなければ永久に父には復讐できない。

 私は椅子から立ち上がり、博物館の正面玄関のほうを向いた。

 博物館へ戻ろう。そして父の属していた部隊の基地を史料から調べ出し、基地の近場へ実際に行って例の喫茶店が今でもあるかどうか調べよう。

 私はもと来た道を戻り、博物館に再入場する。

 関係者以外立入禁止区域に入ると、通路で偶然チャグに出くわした。

「ユミンちゃん! どうしたの?」

 私はチャグのもとへ駆け寄って頼んだ。

「チャグさん、お願い! ユゴ上陸作戦の戦史とか戦況報告書とか、何でもいいからその作戦に関わる史料を読ませてほしいの!」

 突然何を、と驚いたようにチャグは目を丸くする。

「へっ? ユゴ上陸作戦?」

 私はチャグに頭を下げて必死に懇願する。

「お願いします! 基地の近くにあった父の行きつけの喫茶店がわかれば、もしかすると叔父の住んでいる町がわかるかもしれないから⋯⋯」
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